「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -22ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

列王記下20:1

そのころ、ヒゼキヤは病気になって死にかかっていた。アモツの子預言者イザヤは彼のところにきて言った、「主はこう仰せられます、『家の人に遺言をなさい。あなたは死にます。生きながらえることはできません』」。

 

「あなたの家を整えなさい」2001年10月、ラッセル・M・ネルソン、十二使徒定員会

主にとって、家族はきわめて大切です。主はわたしたちが肉体を得て家族を築けるように地を創造されました。 (教義と聖約2:1-3参照)主は家族を高めるために教会を設立されました。家族が永遠に続くように神殿を用意されました。(教義と聖約138:47-48参照)

 

もちろん主は父親に、家族を管理し、養い、守るよう期待しておられます。(1テモテ5:8参照)しかし主はそれ以上を求めておられるのです。聖文には「あなたの家を整えなさい」と命じられています。(教義と聖約93:44。列王下20:1;イザヤ38:1も参照)両親はこの戒めの大切さと意味を理解したなら、その方法を学ばなければなりません。

 

※ブログ主注 列王記下20:1の「家の人に遺言をなさい」は英文では"Set thine house in order"、つまり「あなたの家を整えなさい」となっています。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

列王記下18:3、5

ヒゼキヤはすべて先祖ダビデがおこなったように主の目にかなう事を行い、

ヒゼキヤはイスラエルの神、主に信頼した。そのために彼のあとにも彼の先にも、ユダのすべての王のうちに彼に及ぶ者はなかった。

 

「指導者にかかわる聖典の教え」(英文)1990年4月、スベンサー・J・コンデイー、七十人

ソロモンの40年間にわたる統治の後、息子レハベアムがシケムへ行き、王になりました。彼はどのように統治するかについて長老たちの助言を仰ぎました。「彼らはレハベアムに言った、『もしあなたが、きょう、この民のしもべとなって彼らに仕え、彼らに答えるとき、ねんごろに語られるならば、彼らは永久にあなたのしもべとなるでしょう。』」(列王上12:7)救い主は弟子たちに同じような助言を与えています。「だれでも一ばん先になろうと思うならば、一ばんあとになり、みんなに仕える者とならねばならない。」(マルコ9:35)神の王国では、指導者になるということは仕えることなのです。

 

しかしレハベアムは、謙遜になり人に仕えよという助言を拒絶し、イスラエルの人々を厳しく治めようとしました。その結果、北部のイスラエル王国と南部のユダ王国に分裂するという事態を招きました(列王上12:20参照)。

 

それから220年間、大部分の人々は神聖な誓約を無視し、この世的な道をさまよいました。それからヒゼキヤという青年がユダを治めるようになりました。「ヒゼキヤはすべて先祖ダビデがおこなったように主の目にかなう事を行い、……イスラエルの神、主に信頼した。」(列王下18:3、5)ヒゼキヤはその当時の神権指導者を集めてこのように言いました。「レビびとよ、聞きなさい。あなたがたは今、身を清めて、あなたがたの先祖の神、主の宮を清め、聖所から汚れを除き去りなさい。」(歴代下29:5)「あなたがたの父たちおよび兄弟たちのようになってはならない。彼らは……主にむかって罪を犯したので、……主に帰服し、……あなたがたの神、主に仕えなさい。」(歴代下30:7-8)

 

預言者イザヤの教えを守るこの力強い預言者にこたえて、主は「ヒゼキヤに聞いて、民をいやされ」ました(歴代下30:20)。そして「彼らは忠実に身を聖なる事にささげ」る(歴代下31:18)ようになったのです。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

列王記下17:36

ただ大きな力と伸べた腕とをもって、あなたがたをエジプトの地から導き上った主をのみ敬い、これを拝み、これに犠牲をささげなければならない。

 

「癒いやすことができるように,……悔い改めなさい」(英文)2009年11月、ニール・L・アンダーセン、十二使徒定員会

聖文において主の御腕は、広げられ、伸べられ、伸ばし、抱かれると書き表されているほか、強い、聖なる、憐れみの御腕、腕に……保護する、愛の腕、「終日、……伸べている」といった言葉でも表現されています(モルモン6:17、アルマ19:36、列王下17:36、詩篇136:12、2ニーファイ1:15、教義と聖約123:6、3ニーファイ20:35、アルマ5:33、アルマ34:16、教義と聖約6:20、2ニーファイ28:32参照)。

 

わたしたちは一人一人、霊的な意味で主の御腕に抱かれるという感覚をある程度知っています。主の赦し、主の愛、主の慰めを感じたことがあるのです。主はこう言われました。「わたしがあなたがたを慰める者である。」(2ニーファイ8:12)

 

わたしたちがみもとに来て御腕に抱かれるようにという主の望みは、悔い改めへの招きという形で表されることが多くあります。「見よ、主はすべての人を招き、憐れみの御腕を伸べて、『悔い改めよ。そうすれば、わたしはあなたがたを受け入れよう』と言われる。」(アルマ5:33)

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)