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「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

創世3:19

あなたは顔に汗してパンを食べ、ついに土に帰る、あなたは土から取られたのだから。あなたは、ちりだから、ちりに帰る。

 

「いかなる経済状況にも当てはまる二つの原則」2009年10月、ディーター・F・ウークトドルフ、大管長会

どう働くべきかを知っている男性,女性,子供たちは,ほんとうに立派です。主も働く人をほんとうに愛し,こう言われました。「あなたは顔に汗してパンを食べ〔なさい〕。」(創世3:19)「働き人が報酬を受けるのは当然である。」教義と聖約84:79主はまた,約束も与えられました。「心を尽くして鎌を入れなさい。そうすれば,あなたの罪は赦され〔る〕。」教義と聖約31:5恐れずに,そでをまくり上げ,自分を捨てて価値ある目標を追い求める人は,家族,社会,国家,そして教会に祝福をもたらします。

 

主はわたしたちに能力以上の働きを期待してはおられません。主はわたしたちの働きとほかの人の働きを比較されません。わたしたちもそうすべきではありません。天の御父は,最善を尽くすこと,つまり自分の能力に応じて,精いっぱい働くことしか求めておられません。能力の大小は問われません。

 

労働は不安をなくす解毒剤,悲しみを和らげる塗り薬,可能性に通じる入り口のようなものです。愛する兄弟の皆さん,どのような境遇に置かれていても,最善を尽くし,何をするのであっても,優れた評判を築きましょう。全身全霊を傾けて,毎日のすばらしい労働の機会に臨みましょう。

 

ぬかるみにはまって幌馬車が立ち往生しているときに,言葉がどれほど巧みであろうと声を上げてただ祈るだけの人よりも,降りて幌馬車を押す人の方を神はいっそうお助けになるのではないでしょうか。トーマス・S・モンソン大管長はこのように表現しています。「努力をしたいと望んだり,努力をしようと口にしたりするだけでは不十分です。……目標を達成するには,考えるだけでなく,行わなければなりません。目標をいつまでも先延ばしにするなら,それを達成することはありません。」(トーマス・S・モンソン「王国の神権者」 2007年10月)

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

創世3:18

地はあなたのために、いばらとあざみとを生じ、あなたは野の草を食べるであろう。

 

「根に養いを与えれば,枝は生長します」2024年10月、ディーター・F・ウークトドルフ、十二使徒定員会

イエス・キリストを信じる強い信仰は,一晩で生まれるものではありません。この死すべき世においては,疑いといういばらやあざみが自然に生えてきます。創世3:18参照)健康で実を結ぶ信仰の木には,意識的な努力が必要です。※ そして,その取り組みで重要なことは,わたしたちがキリストにしっかりと根ざしていることを確認することです。

 

例えば,最初は友好的な会員や親切なビショップ,礼拝堂の清潔な様子に感銘を受けて,救い主の福音と教会に引き付けられるかもしれません。こうした状況は,教会を成長させるうえで確かに重要です。

 

しかし,わたしたちの証の根がその程度の深さにしか根を張らないとしたら,建物もそれほど見栄えせず,会員もあまり友好的ではないワードに移り,ビショップが気分を害するようなことを言った場合にどうなるでしょうか。

 

また,例えば,戒めを守り,神殿で結び固めを受けるなら,幸せな大家族に恵まれ,明るく従順な子供たちは全員教会に活発に集い,伝道に出て,ワードの聖歌隊で歌い,毎週土曜日の朝に集会所の掃除を進んで手伝うことを期待するのは理にかなったことではないでしょうか。

 

わたしたち皆が生活の中でこのようなことを目にできるよう願いますが,そうでない場合はどうでしょうか。どのような状況にあっても救い主とつながったままでいられるでしょうか。主と主の時を信頼することができるでしょうか。

 

わたしたちはこのように自問しなければなりません。自分の人生で実現してほしいことが自分の証の基となってはいないだろうか。それはほかの人の行動や態度に左右されるものだろうか。それとも,変わりゆく人生において,イエス・キリストの上にしっかりと土台が築かれ,「〔主〕に根ざし,〔主〕にあって建てられ」コロサイ2:7たものだろうか。

 

※ネルソン大管長は,「イエス・キリストと主の福音に対する自分の証に責任を持つように」わたしたち全員を招いています。「そのために努力してください。証を育ててください。」(「世に打ち勝ちなさい。そうすれば,休みが与えられるであろう」『リアホナ』2022年11月号,97)

 

 

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

創世3:16

つぎに女に言われた、「わたしはあなたの産みの苦しみを大いに増す。あなたは苦しんで子を産む。それでもなお、あなたは夫を慕い、彼はあなたを治めるであろう」。

 

「神の娘」(英文)1991年10月、ゴードン・B・ヒンクレー、大管長会

さて、創世記にある「アダムはイヴを治めるであろう」という聖句に注意を向けてください(創世3:16参照)。あなたはなぜそうなのかと尋ねられましたが、私には分かりません。何世紀にもわたって、この聖句は女性を虐待し、卑しめる口実として、男性によって悪用されてきたことは、残念ながら認めざるを得ません。しかし、そうすることによって彼らは自分たちの品位を落とし、ご自分の息子と同じように娘も愛しておられる天の御父の怒りを招いてきたと、私は確信しています。

 

デビッド・O・マッケイ大管長が、創世記に記されたその言葉について話された折、私も同席していました。大管長は、怒りに満ちたまなざしで専制君主的な夫たちについて語られ、彼らが主の法廷に立つとき、その横暴な振る舞いは大きなとがめを受けるであろうと言われました。そして、福音の精神の真髄によれば、家庭は正義によってのみ治められなければならないと指摘されました。

 

この言葉を私は次のように解釈します。すなわち、夫には妻を扶養し、守り、力づける責任があるということです。さげすみ、虐待し、恐怖心を与える、すなわち不正をもって治める男性は、息子娘の永遠の父である正義の神の叱責を受けると、私は信じています。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)