地はあなたのために、いばらとあざみとを生じ、あなたは野の草を食べるであろう。
「根に養いを与えれば,枝は生長します」2024年10月、ディーター・F・ウークトドルフ、十二使徒定員会
イエス・キリストを信じる強い信仰は,一晩で生まれるものではありません。この死すべき世においては,疑いといういばらやあざみが自然に生えてきます。(創世3:18参照)健康で実を結ぶ信仰の木には,意識的な努力が必要です。※ そして,その取り組みで重要なことは,わたしたちがキリストにしっかりと根ざしていることを確認することです。
例えば,最初は友好的な会員や親切なビショップ,礼拝堂の清潔な様子に感銘を受けて,救い主の福音と教会に引き付けられるかもしれません。こうした状況は,教会を成長させるうえで確かに重要です。
しかし,わたしたちの証の根がその程度の深さにしか根を張らないとしたら,建物もそれほど見栄えせず,会員もあまり友好的ではないワードに移り,ビショップが気分を害するようなことを言った場合にどうなるでしょうか。
また,例えば,戒めを守り,神殿で結び固めを受けるなら,幸せな大家族に恵まれ,明るく従順な子供たちは全員教会に活発に集い,伝道に出て,ワードの聖歌隊で歌い,毎週土曜日の朝に集会所の掃除を進んで手伝うことを期待するのは理にかなったことではないでしょうか。
わたしたち皆が生活の中でこのようなことを目にできるよう願いますが,そうでない場合はどうでしょうか。どのような状況にあっても救い主とつながったままでいられるでしょうか。主と主の時を信頼することができるでしょうか。
わたしたちはこのように自問しなければなりません。自分の人生で実現してほしいことが自分の証の基となってはいないだろうか。それはほかの人の行動や態度に左右されるものだろうか。それとも,変わりゆく人生において,イエス・キリストの上にしっかりと土台が築かれ,「〔主〕に根ざし,〔主〕にあって建てられ」(コロサイ2:7)たものだろうか。
※ネルソン大管長は,「イエス・キリストと主の福音に対する自分の証に責任を持つように」わたしたち全員を招いています。「そのために努力してください。証を育ててください。」(「世に打ち勝ちなさい。そうすれば,休みが与えられるであろう」『リアホナ』2022年11月号,97)
