わたしに従ってきなさい | 「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

教義と聖約59:9

また、あなたは、世の汚れに染まらずに自らをさらに十分に清く保つために、わたしの聖日に祈りの家に行って、聖式をささげなければならない。

 

「礼拝」2025年4月、D・トッド・クリストファーソン、十二使徒定員会

最も一般的かつ重要な礼拝の形の一つは、奉献された場所に集まって献身的な行いを示すことです。主はこのように語っておられます。「また、あなたは、世の汚れに染まらずに自らをさらに十分に清く保つために、わたしの聖日に祈りの家に行って、聖式をささげなければならない。」教義と聖約59:9もちろんこれこそが、礼拝堂を建てる主要な動機です。しかし、必要に応じて、ある程度の神聖さを確保できるのであれば、奉献されていない場所を利用することもできます。

 

最も重要なのは、主の日に集ったわたしたちが何を行うかです。もちろん、わたしたちは持てるものの中でできる限りきちんとした装いをします。華美に装うのではなく、神への敬意と敬虔さを表すような慎み深い装いをするのです。服装と同様に、わたしたちは敬虔さと敬意をもって行動します。わたしたちはともに祈ることによって礼拝します。また賛美歌を歌う(ただ耳を傾けるのではなく、実際に賛美歌を歌う)ことによって礼拝します。そして教え合い、学び合うことによって礼拝します。イエスはこのように告げられました。「この主の日に、あなたはいと高き方にあなたの供え物〔神と同胞のためにささげる時間や才能、財産の意教義と聖約59:12、注釈①)〕と聖式をささげ、また兄弟たちと主の前にあなたの罪を告白しなければならないことを覚えておきなさい。」教義と聖約59:12わたしたちが集まるのは、例えば音楽バンドなどを楽しんだり、楽しませたりするためではなく、主を覚え、主の福音について「さらに完全に教えられる」ためです。教義と聖約88:78参照)

 

前回の総大会で、パトリック・キアロン長老は次のことを思い起こさせてくれました。「安息日に集う目的は、聖餐会に出席するという動作ではなく、礼拝することです。ここには大きな違いがあります。出席するとは、その場にいることです。しかし、礼拝するとは、自分に変化が及ぶよう意識的に神をたたえ、崇拝することです。」(パトリック・キアロン「喜びの教会へようこそ」2024年10月)

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)