わたしが経験するように定められている数々の危難については、人のねたみと憤りが生涯を通じてわたしの日常のことであったので、それらはわたしにとってほんのささいなことに思われます。ある善い目的のために、あるいは人が悪いと呼びたければ悪い目的のために、わたしが創世の前から任じられていたのでなければ、それはどのような理由のためか不可解に思われます。その目的が善いか悪いか、あなたがたは自ら判断してください。それが善いか悪いか、神はこれらすべてのことを御存じです。しかしそれでも、わたしがいつも泳いでいる水は深いのです。それはすべてわたしにとって第二の天性となっています。そして、わたしはパウロのように艱難を誇りと感じています。わたしの先祖の神は、今日までそれらのすべてからわたしを救い出してくださり、またこれから後もわたしを救い出してくださるからです。まことに、まことに、わたしはわたしのすべての敵に打ち勝つでしょう。主なる神がそう告げられたからです。
「主に心を向ける」(英文)、2010年4月、ドナルド・L・ホールストロム、七十人会長会
預言者ジョセフ・スミスは、個人を襲う悲劇や敵対心に対処するための一つの模範を示しました。リバティーの監獄で冷酷な扱いを受けていたときに明らかにされたのが、この神の導きです(この中には、それまでのジョセフの生涯の描写と、将来に対する警告も含まれています)。「愚かな者があなたをあざ笑っても……たとえあなたは艱難を経験するように定められても、……たとえあなたの敵があなたを襲っても、……たとえあなたが穴の中に投げ込まれたり、殺人者の手に渡されたりしても、……たとえすべての元素が結束して道をふさいでも、また何にも増して、たとえ地獄の入り口が大口を開けてあなたをのみ込もうとしても、息子よ、あなたはこのことを知りなさい。すなわち、これらのことはすべて、あなたに経験を与え、あなたの益となるであろう」(教義と聖約122:1, 5–7)。そして、次の深遠な言葉が与えられました。「人の子はこれらすべての下に身を落とした。あなたは人の子よりも大いなる者であろうか」(教義と聖約122:8)。続いて明確な指示と偉大な約束が示されます。「それゆえ、あなたの道に踏みとどまりなさい。……人のなし得ることを恐れてはならない。とこしえにいつまでも、神はあなたとともにいるからである」(教義と聖約122:9)。
その後の年月も、ジョセフ・スミスは義をもって逆境に満ちた人生を耐え続けました。次の言葉から、ジョセフがあふれるばかりの信仰をもって人生を見詰めていたことが分かります。「わたしが経験するように定められている数々の危難については……わたしにとってほんのささいなことに思われます。……わたしがいつも泳いでいる水は深いのです。……わたしは艱難を誇ります。……神はそれらのすべてからわたしを救い出してくださり、またこれから後もわたしを救い出してくださるからです」(教義と聖約127:2)。敵からの絶え間ない圧力に屈しないというジョセフの自信は、常に主に心を向けるというジョセフの持っていた力を土台としていたのです。


