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「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

列王記下2:9

彼らが渡ったとき、エリヤはエリシャに言った、「わたしが取られて、あなたを離れる前に、あなたのしてほしい事を求めなさい」。エリシャは言った、「どうぞ、あなたの霊の二つの分をわたしに継がせてください」。

 

「神の御霊を求める」2000年10月、ダグラス・L・カリスター、七十人

命のない石像とは違い、イエス・キリストの真の教会は活力に満ちています。神の声、御霊、力は、会員の礼拝行事の際、または聖なる神権の儀式が執り行われるときにはいつでも見いだされます。

 

エリヤがエリシャに「あなたのしてほしい事を求めなさい」と尋ねたとき、彼はこう答えました。「どうぞ、あなたの霊の二つの分をわたしに継がせてください。」(列王下2:9)彼はこれ以上のものを求められなかったことでしょう。

 

ジョセフ・フィールディング・スミス長老はこう記しています「人に語る神の御霊には真理を人に伝える力がある。……聖霊を通し、真理は体の細部にまで浸透し、忘れ去られることのない形で伝わる。」(“The Sin against the Holy Ghost,” Instructor、1935年10月号、431)

 

教会の会員に確認されると、人はこの天からの贈り物を求める機会を得ます、熱心に、そして生涯にわたって求めるべきものです。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

列王記上17:5

エリヤは行って、主の言葉のとおりにした。すなわち行って、ヨルダンの東にあるケリテ川のほとりに住んだ。

 

「神への務めを果たす」2001年10月、ロバート・D・ヘイルズ、十二使徒定員会

聖文に登場するすべての預言者は、自らの生活を通して、弟子とは何かまた神への務めとは何かについて教えています。わたしたちはこれらの預言者から学ぶ教訓を自分の生活に当てはめることができます。

 

若きジョセフ・スミスは言いました。「わたしはそれに従い、畑にいた父のところへ戻って、父にすべてのことを詳しくつげた。」(ジョセフ・スミス—歴史1:50)

 

エリヤは「行って、主の言葉のとおりにした。」(列王上17:5)

 

「ノアはすべて神の命じられたようにした。」(創世6:22)

 

ヨシュアは民にこう教えました。「わたしとわたしの家とは共に主に仕えます。……民はヨシュアに言った、『われわれの神、主に、われわれに仕え、その声に聞きしたがいます。』」(ヨシュア24:15、24)

 

アルマは言いました。「わが子よ、忘れずに若いうちに知恵を得なさい。まことに、神の戒めを守ることを若いうちに習慣としなさい)。」(アルマ37:35)

 

大管長会と十二使徒定員会はアロン神権者一人一人に対してこのように勧告しています。

 

「皆さんは偉大なチャレンジと機会の時代に生きています。皆さんはこの世に変化をもたらすように求められています。神の息子である皆さんはアロン神権の力によって、善を行う偉大な力となることができます。皆さんは奉仕を行うことができます。見返りを考えずに自分の時間や才能、力をささげるのです。聖餐を〔準備し、パスを行い、〕祝福し、〔断食献金を集め、人々を助け、〕ホームティーチャーとして働くことなどによって神権の務めを果たすことができます。皆さんは模範によってほかの人々を高めることができます。福音を学び、福音を分かち合って、信仰と証を築き、福音に生きることによって、自分自身を強めることができます。

 

天の御父が皆さんに望んでおられることを学び、そして、最善を尽くして天の御父の御心に従う責任があります。

 

主は皆さんを信じて、皆さんに託すべき大切な使命を持っておられます。祈りによって主に心を向けるときに、主は皆さんを助けてくださいます。御霊の勧めに耳を傾けてくたさい。戒めに従ってください。神殿にふさわしい者となるために聖約を交わし、守ってください。目標を決め、成し遂げるために、両親や指導者の協力を仰いでください。務めを果たし、胸の高鳴るような将来のチャレンジに備えるときに、』大きな達成感を覚えることでしょう(Aaronic Priesthood: Fulfilling our Duty to God, Priest 2001年〕4-5)

 

 

 

Nephi, Go and Do by Jorge Cocco Santangelo

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

列王記上17:1-24

 

「一握りの粉と少しの油」(英文)1996年4月、ジェフリー・R・ホランド、十二使徒定員会

疲れた足取りで町に入ると、エリヤと同じようにやつれた女性が彼を迎えました。恐らく、こののどの渇いた旅人は、申し訳なさそうに頼んだことでしょう。「器に水を少し持ってきて、わたしに飲ませてください。」彼女がその申し出にこたえようと背を向けると、エリヤはそれにさらにこう付け加えました。「手に一口のパンを持ってきてください。」

 

エリヤが同情すべき状況にあったことは明らかです。それに、やもめの女はそうした申し出にこたえられるように、主から備えられていました。しかし、自分自身弱り果て、打ちひしがれた状態の彼女にとって、エリヤの最後の願いは、いくら忠実な女性といえども忍耐の限界を超えていたのではないでしょうか。飢えと疲れと母親としての苦悩の中で、彼女はその見知らぬ人にこう叫びます。「あなたの神、主は生きておられます。わたしにはパンはありません。ただ、かめに一握りの粉と、びんに少しの油があるだけです。今わたしはたきぎ二、三本を拾い〔この記述は、粉が調理にほんのわずかの火力しか必要としないほどの量であったことを物語っています〕、うちへ帰って、わたしと子供のためにそれを調理し、それを食べて死のうとしているのです。」

 

しかし、エリヤには主の用向きがありました。このやもめとやもめの息子を含めたイスラエルの未来が危険にさらされているのです。エリヤの預言者としての義務は、彼の人間としての意志にかかわりなく、彼をさらに大胆にさせます。

 

「恐れるにはおよばない。」彼は言います。「しかしまず、それでわたしのために小さなパンを一つ作って持ってきなさい。その後、あなたと、あなたの子供のために作りなさい。

『主が雨を地のおもてに降らす日まで、かめの粉は尽きず、びんの油は絶えない』とイスラエルの神、主が言われるからです。」

 

そして、やもめの女の信仰が控えめに表現されます。わたしは、これらの状況の下での信仰として、これほど偉大な姿を聖文の中に見いだすことができません。「彼女は行って、エリヤが言ったとおりにした。」記録にはそのように簡単に記してあるだけです。このやもめは、自分の信仰が自分と息子にどのような結果をもたらすかを知らずに、まず最初に小さなパンをエリヤに差し出しました。これは、たとえ十分なパンが残らなかったとしても、少なくとも自分と息子は純粋な愛のうちに死ねるという信仰の現れでした。幸いこの話は、彼女と息子にとってハッピーエンドで終わっています(列王上17:1-24参照)。

 

この女性は、イエスが心から称賛されたもう一人の女性と似ています。わずかな金額ながら自分の有り金すべてであるレプタ二つを宮のさい銭箱に入れた女性です。イエスは、彼女はその日だれよりも多くささげたと言われました(マルコ12:41-44参照)。

 

残念ながら、この二人の女性の名前は『聖書』には記されていません。でも、もし来世で彼女たちに会う機会があれば、わたしは彼女たちの足もとにひざまずき、「ありがとう」と言うでしょう。すばらしい生き方に、驚くべき模範に、そして、あなたがたの心の中にあって、そのような「清い心……から出てくる愛」を生み出す敬神の念に感謝します(1テモテ1:5)。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)