「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -26ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

列王記上17:1-7

 

「主を待ち望む」2020年10月、ジェフリー・R・ホランド、十二使徒定員会

人はこう言うかもしれません。「もしそうなら,御父はその愛と憐れみにより,わたしたちにとっての個人的な紅海を分け,渇いた地で困難を乗り越えられるようにしてくださるのではないか。21世紀のカモメを送り,厄介な21世紀のクリケットを食べ尽くすようにされるのではないか」と。

 

このような問いに対する答えはこうです。「はい,神は即座に奇跡を行えます。しかし,遅かれ早かれ,わたしたちは,自分の現世の旅の時と季節を定められるのが神であり,神のみであることを学びます。神は一人一人のカレンダーを個別に管理しておられるのです。ベテスダの池に入るのを待っている病人が即座に癒される一方で,(ヨハネ5:2-9参照)約束の地に入るのを待ちながら砂漠で40年間過ごす人もいます。(民数32:13;申命2:7;ヨシュア5:6参照)ニーファイとリーハイが信仰のゆえに炎に取り囲まれて神により守られる一方で,(ヒラマン5:20-52参照)火あぶりにされて焼かれるアビナダイもいます。(モーサヤ17章参照)また,バアルの祭司たちに対する証として即座に天からの火を呼び求めたエリヤが,(列王上18:17-40参照)何年間もの雨の降らない期間に耐えて,一時は,カラスが運ぶわずかばかりの食物だけで養われたエリヤ(列王上17:1-7参照)と同じ人物であるのを,皆さんは覚えているでしょう。わたし個人の推測ですが,この食べ物は「ハッピーミール」と呼べるようなものではなかったことでしょう。

 

わたしが言いたいことは何でしょうか。言いたいのは,信仰とは,神がわたしたちのために御腕を現されるのを見るまで苦しみがあるとしても,良い時も悪い時も神を信頼することであるということです。(教義と聖約123:17参照)現代社会では難しいかもしれません。現代は多くの人が,人生の最高の善はあらゆる苦しみを避けることであり,人はいかなる苦しみも負ってはならないと信じるようになっています。(See Rankin Wilbourne and Brian Gregor, “Jesus Didn’t Suffer to Prove a Philosophical Point,” Christianity Today, Sept. 20, 2019, christianitytoday.com.)しかし,その考えが「キリストの満ちみちた徳の高さ」にわたしたちを至らしめることは決してありません。(エペソ4:13)

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

列王記上17:1-5

 

「主よ,私たちの信仰を強めてください」(英文)1987年10月、ゴードン・B・ヒンクレー、大管長会

列王紀上の中に、簡潔ながら、非常に感動的な話が載っています。少し引用させていただきたいと思います。

 

「ギレアデのテシベに住むテシベびとエリヤはアハブに言った、『わたしの仕えているイスラエルの神、主は生きておられます。わたしの言葉のないうちは、数年雨も露もないでしょう。』

主の言葉がエリヤに臨んだ。『ここを去って東におもむき、ヨルダンの東にあるケリテ川のほとりに身を隠しなさい。

そしてその川の水を飲みなさい。わたしはからすに命じて、そこであなたを養わせよう。』

エリヤは行って、主の言葉のとおりにした。すなわち行って、ヨルダンの東にあるケリテ川のほとりに住んだ。」(列王上17:1-5)

 

エリヤは言い争うことも、自分の考えを訴えることも、言い訳もしませんでした。ただ「行って……した」だけなのです。

 

父よ、私たちの信仰を増し加えてください。私たちに最も必要なのは、信仰を増し加えることです。父よ、あなたと御子、またあなたの大いなる永遠のみ業への信仰を強めてください。神の子供である自分自身に対してさらに強い確信が持てるように助けてください。あなたのみこころと教えに従って「行き、行動する」自分の能力に自信が持てるように助けてください。これらのことを心からイエス・キリストのみ名によってお祈りします。アーメン。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

列王上12:28-30

そこで王は相談して、二つの金の子牛を造り、民に言った、「あなたがたはもはやエルサレムに上るには、およばない。イスラエルよ、あなたがたをエジプトの国から導き上ったあなたがたの神を見よ」。

そして彼は一つをベテルにすえ、一つをダンに置いた。

この事は罪となった。民がベテルへ行って一つを礼拝し、ダンへ行って一つを礼拝したからである。

 

「高い所へ向かう旅」2005年10月、ジョセフ・B・ワースリン、十二使徒定員会

例えばソロモンは,最初のうちは主に従い,主の律法を尊びました。そのおかげで繁栄し,知恵だけでなく富と名声にも恵まれました。そして主はソロモンに,もし義にかなった生活を続けるならば「イスラエルに王たる位をながく確保するであろう」(列王上9:4-5参照) と約束されました。

 

しかし,天の訪れを受けたにもかかわらず,またあらゆる人に勝って祝福を受けたにもかかわらず,ソロモンは主に背きました。そのために,主は王国をソロモンから取り上げ,その僕に与えるように定められました。(列王上11:9-10参照)

 

その僕の名はヤラベアムといいました。勤勉な若者で,エフライム部族の出身でした。ソロモンは彼に自分の労働者の一部を監督させていました。(列王上11:28参照)

 

ある日,旅をしていたヤラベアムに一人の預言者が近づき,主はソロモンから王国を取り去り,イスラエルの12部族のうち10部族をヤラベアムにお与えになると預言しました。

 

主は預言者を通じ,ヤラベアムに次のように約束されました。もし正しいことを行うならば,「わたしはあなたと共にいて,わたしがダビデのために建てたように,あなたのために堅固な家を建てて,イスラエルをあなたに与えよう。」(列王上11:38)

 

主はヤラベアムを選び,もし戒めを守り,高い所へ向かって歩むならば,驚くような祝福を授けると約束されました。ソロモンの死後,この預言者の言葉は成就し,イスラエルの12部族のうちの10部族がヤラベアムに従いました。

 

そのような恵みを受けたこの新しい王は,主に従ったでしょうか。

 

残念ながら,従いませんでした。金の子牛を造って民に礼拝させました。また,自分の「神権」を作り出し,自分の望む者を選んで,高き所の祭司に任命したのです。(列王上12:28-30;13:33) つまり主から偉大な祝福を受けながら,ヤラベアム王は,その前に統治したすべての王にも増して悪をなしたのです。(列王上14:9参照)後の世では,ヤラベアムは,イスラエルの邪悪な王たちの邪悪ぶりを測る基準になったほどです。

 

そのような邪悪な行いのために,主はヤラベアムから離れられました。ヤラベアム王の邪悪の結果,主は,王とその一族が一人残らず滅ぼされるように定められました。この預言は後に文字どおり成就しました。ヤラベアムの子孫は地上から滅ぼされたのです。(列王上15:29)

 

ソロモンとヤラベアムは,モルモン書の中で繰り返される悲劇のサイクルの見本となりました。民が義にかなっているときは,主はその民を栄えさせられます。繁栄は高慢を生むことが多く,高慢は罪を生じます。罪は邪悪を生み,霊にかかわることに対してかたくなな心を生みます。結局,このような道の終着点は,心痛と悲しみなのです。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)