「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -229ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

 

モーサヤ7:29

見よ、主は言われた。『わたしは、自分の民が戒めに背く日にはこれを助けず、彼らが栄えないようにその道をふさごう。彼らの行いは、彼らの前に置かれたつまずきの石のようになる。』

 

「主から助けをいただく」(英文)1991年10月、リチャード・G・スコット、十二使徒定員会

私たちの捧げる祈りが,皆私たちの望みどおりにかなえられるというものでもありません。主のみこころを知るということは決してたやすいことではないのです。しかし,それでも私たちにはっきりとわかっていることもあります。たとえば,主は私たちに,教えに反することをするよう求められたりはしません。私たちが不道徳な行いをしていたり,あるいは意図的に戒めに従っていなかったりした場合には,悔い改めない限り,主から助けを受けることはできません。いかなる形であれ純潔の律法に反する行いをしていながら,ある人が本当に自分の永遠の伴侶かどうか知りたいと祈る人は,その罪を悔い改めない限り,確信を得る望みはほとんどありません。

 

「見よ,主は仰せになった『われはわが民の罪を犯すときにこれを助けず,かれらの栄えぬようにその道を塞ぐ。その行いはかれらの前につまずく石の如くとならん』と。」モーサヤ7:29 「しかしながら,お前たちが誠心から主に立ち帰り,主に頼って熱心に仕えるならば,主は……お前たちを奴隷の境涯から救い出したもう。」モーサヤ7:33

 

私たちが熱心に祈りを捧げるならば,その祈りが主のみこころにかなうものである限り,必ず答えは与えられます。私たちは主のみこころを完全に理解できるわけではないので,信仰によって歩んでいく必要があります。主は全知であり,その決定は完璧です。確かに私たちの理解力には限度があるため,主の人に対するみ旨をすべて理解することはできません。しかし,だからといって,主が授けてくださる祝福にも限度が定められているということはありません。主のみこころにかなったことを行なうのは,私たちがそのみこころを完全に理解していようといまいと,私たちの人生における最善の選択です。私たちが自分の自由意志を賢明に使って行動するときには,主はそのみこころにかなう限り,確かに祝福を授けてくださるのです。

 

 

 

The prayer of Enos by Jorge Cocco Santangelo

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2024年版(BOX)

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

モーサヤ7:27

その人は民に、キリストは万物の父なる神であられると述べ、またキリストは後に人の形を取られること、そしてその形は人が初めにそれに倣って造られた形であることを告げた。言い換えれば、人が神の形に造られたこと、また神が人の子らの中に降って来て血肉を受け、地の面に出て行かれることを、その人は民に告げたのである。

 

「キリストによる兄弟姉妹」2023年10月、ウリセス・ソアレス、十二使徒定員会

イエス・キリストの福音は,わたしたち全員が,わたしたちを心から愛しておられる天の両親から生まれた霊の息子や娘であり,教義と聖約76:24参照)この地上に生まれる前に神のみもとで家族として生活していた,と教えています。福音はまた,わたしたち全員が神の姿かたちに創造されたと教えています。創世1:26-27モーサヤ7:27エテル3:14-17モーセ2:26-28モーセ6:9-10参照)したがって,わたしたちは神の前では平等です。2ニーファイ26:33参照。M・ラッセル・バラード「キリストに希望を抱く」2021年4月)なぜなら,神は「ひとりの人から,あらゆる民族を造り出(された)」からです。使徒17:26教義と聖約93:33-35も参照)ですから,わたしたちは皆,神聖な性質,受け継ぎ,可能性を持っています。「すべてのものの上にあり,すべてのものを貫き,すべてのものの内にいます,すべてのものの父なる神」は御一方だからです。エペソ4:6

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2024年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

モーサヤ7:19,33

だから、頭を上げて喜び、神に頼りなさい。アブラハム、イサク、ヤコブの神に頼りなさい。この神はイスラエルの子らをエジプトの地から導き出し、乾いた地を歩いて紅海を渡らせ、また彼らが荒れ野で滅びることのないように、マナで彼らを養われた。そのほか、もっと多くのことをイスラエルの子らのためになさった。

しかし、もしあなたがたが十分に固い決意をもって主に立ち返り、主に頼り、力の限り主に仕えるならば、もしあなたがたがこのようにするならば、主は御自分の意のまま、思いのままに、奴隷の状態から救い出してくださるであろう。

 

「揺るがず神を信頼し」2017年4月、ウリセス・ソアレス、七十人会長会

モルモン書に登場するアンモンという人物は,同胞の消息を尋ねるために,ゼラヘムラからリーハイ・ニーファイの地へと送られます。アンモンはそこでリムハイ王とその民を発見しますが,彼らはレーマン人の奴隷となっていました。アンモンからゼラヘムラの民のことを聞いて勇気を得,非常な希望と喜びで胸がいっぱいになったリムハイ王は,民を神殿に集めて次のように語りました。

 

「だから,頭​を​上げて​喜び,​神​に​頼り​なさい。……

 

……あなたがたが十分に固い決意をもって主に立ち返り,……力の限り主に仕えるならば,……主は御自分の意のまま,思いのままに,奴隷の状態から救い出してくださるであろう。」モーサヤ7:19,33

 

リムハイ王の民の信仰は,アンモンの言葉から非常に深い影響を受け,彼らは困難な状況にあっても,神に仕え,その戒めを守るという聖約を神と交わします。そして信仰により,リムハイ王の民は策を練り,レーマン人の手から逃れることができました。モーサヤ21:3222:1-14参照)

 

兄弟姉妹の皆さん,リムハイ王が民に与えた勧告の重要性と,わたしたちとのかかわりについて考えてみてください。王はこう述べました。「頭​を​上げて​喜び,​神​に​頼り​なさい。」リムハイ王はこの言葉で,信仰の目をもって将来を見つめ,恐れではなく,信仰から生まれる希望をもって楽観的に物事を捉えるよう勧めました。状況がどうであれ,揺るがず神に信頼を置くよう民に呼びかけたのです。

 

現世は試しの時であり,わたしたちは主なる神が命じられるすべてのことを行うかどうかを試されます。アブラハム3:25参照)それには,艱難にあっても,キリストを信じる揺るぎない信仰が必要とされます。御霊に導かれ,必要なものは神が与えてくださると信頼し,キリストに対する確固とした信仰をもって,力強く進まなければならないのです。1ニーファイ 4:6-72二ーファイ31:20参照)