「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -228ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

モーサヤ8:18

このように、神は人が信仰によって偉大な奇跡を行うことができるように、一つの手段を与えてくださいました。それでその人は、同胞に大きな利益をもたらすようになるのです。

 

「奇跡の日は終わってしまったと言えるであろうか」2017年10月、ドナルド・L・ホールストロム、七十人

モロナイはこう教えています。「どのようなときでも,信じてからでなければ奇跡を行った者はいない。」エテル12:18アンモンは次のように述べています。「神は人が信仰によって偉大な奇跡を行うことができるように,一つの手段を与えてくださいました。」モーサヤ8:18主はジョセフ・スミスにこう啓示されました。「わたしは神であり,……わたしの名を信じるすべての者に,わたしは数々の奇跡……を示そう。」教義と聖約35:8

 

ネブカデネザル王は,王が神として造った金の像を拝むようシャデラクとメシャク,アベデネゴに強要し,こう脅しました。「拝むことをしないならば,……火の燃える炉の中に投げ込まれる。」それから,彼らをあざけってこう言います。「いったい,どの神が,わたしの手からあなたがたを救うことができようか。」ダニエル3:15

 

この3人の信心深い弟子たちは答えました。「もしそんなことになれば,わたしたちの仕えている神は,その火の燃える炉から,わたしたちを救い出すことができます。……たといそうでなくても,王よ,ご承知ください。わたしたちはあなたの神々に仕え……ません。」ダニエル3:17-18

 

彼らには,神が自分たちを救うことがおできになるという十分な確信がありましたが,「たといそうでなくても」神の計画に対する完全な信仰があったのです。

 

同様に,デビッド・A・ベドナー長老はかつて,神権の祝福を求めた若い男性にこう尋ねました。「もしもその若さで亡くなって活動の場が霊界に移り,そこで務めを果たすことが天の御父の御心だとしたら,御心に従って癒されないことをよしとする信仰が持て」ますか。(デビッド・A・ベドナー「主の御心と時期を受け入れる」『リアホナ』 2016年8月号,19)永遠にわたる癒しを受けられるように,現世の苦難からは「癒されない」という信仰が,わたしたちにはあるでしょうか。

 

熟考すべき重要な問いかけは,「わたしたちは,信仰をどこに置くのだろうか」ということです。わたしたちの信仰は,ただ痛みや苦しみから解放されたいという望みに向けられているでしょうか。それとも,父なる神と神の聖なる計画,イエス・キリストとその贖罪をしっかりと中心に据えているでしょうか。御父と御子を信じる信仰があれば,わたしたちは永遠に向かって備える中で,御二方の御心を理解し,受け入れることができます。

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

モーサヤ8:4

そして、アンモンがこれをすべて終えると、リムハイ王は群衆を解散させ、一人残らず各自の家に帰らせた。

 

「総大会―信仰と証を強める」2013年10月、ロバート・D・ヘイルズ、十二使徒定員会

ベニヤミン王は民を教えた後,「群衆を解散させた。そこで民は,それぞれ家族ごとに各自の家へ帰って行〔きました〕。」(モーサヤ6:3) リムハイ王も当時,同じことをしました。モーサヤ8:4参照救い主はバウンティフルの神殿で民を教え導いた後,人々に強くお勧めになりました。「自分の家に帰り,わたしが述べたことを深く考えなさい。そして,理解できるように,また明日のために心が備えられるように,わたしの名によって父に願いなさい。わたしはもう一度あなたがたのところに来るであろう。」3ニーファイ17:3

 

わたしたちは教えられたことを深く考え,理解できるように祈り,その後,主の御心を行うとき,救い主の勧めを受け入れるのです。スペンサー・W・キンボール大管長の言葉を思い出してください。「わたしはこの総大会を終えて帰宅したらやるべきことを決心しました。わたしの生活には,完全にする余地のある事柄が非常に多くあります。わたしは心の中でそのリストを作りました。そして今,大会を終えたらすぐにそれを始めたいと思っています。」(スペンサー・W・キンボール「兄弟たちの説教」『聖徒の道』1976年2月号,145参照) 先日,モンソン大管長はこう述べました。「各説教をよく読み,そこに含まれるメッセージについて深く考えるようお勧めします。これまでわたし自身の生活でも,これらの霊感に満ちた説教を深く研究するときに,そこからいっそう多くのものを得てきました。」(トーマス・S・モンソン「神よ,また逢うまで」2012年10月)

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

モーサヤ7:33

しかし、もしあなたがたが十分に固い決意をもって主に立ち返り、主に頼り、力の限り主に仕えるならば、もしあなたがたがこのようにするならば、主は御自分の意のまま、思いのままに、奴隷の状態から救い出してくださるであろう。

 

「揺るがず神を信頼し」2017年4月、ウリセス・ソアレス、七十人会長会

リムハイ王も同様の勧めをしています。「十分に固い決意をもって主に立ち返り,……力の限り主に仕えるならば,もしあなたがたがこのようにするならば,主は御自分の意のまま,思いのままに,奴隷の状態から救い出してくださるであろう。」モーサヤ7:33

 

わたしたちに対する,救い主の嘆願の言葉に耳を傾けてください。

 

「あなたがたは,心を騒がせないがよい。神を信じ,またわたしを信じなさい。……

 

もしあなたがたがわたしを愛するならば,わたしのいましめを守るべきである。……

 

わたしのいましめを心にいだいてこれを守る者は,わたしを愛する者である。わたしを愛する者は,わたしの父に愛されるであろう。わたしもその人を愛し,その人にわたし自身をあらわすであろう。」ヨハネ14:1,15,21

 

神は信仰に応じて,わたしたちを祝福してくださいます。2ニーファイ27:23アルマ37:40エテル12:29参照)信仰とは,神聖な目的と永遠の観点をもって生きるための原動力です。信仰とは,勤勉に働く意欲を与える実践的な原則なのです。それは欠かすことのできない生きる力であり,神とイエス・キリストから命じられることなら何でも喜んで行うという,前向きな態度と望みに表れます。信仰があると,人はひざまずいて主の導きを請い求め,それから立ち上がり,主の御心に添う事柄を自信を持って成し遂げるのです。