「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -176ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

ヒラマン4:24

彼らは、自分たちが同胞のレーマン人のように弱くなってしまったこと、また主の御霊がもはや自分たちを守ってくださらないことを知った。まことに、主の御霊は清くない宮にはとどまらないので、彼らから去ってしまわれたのである。

 

「みたまはわれに真理告げたもう」2017年4月、ロナルド・A・ラズバンド、十二使徒定員会

主の約束を思い出してください。「わたしはあなたにわたしの御霊を授けよう。わたしの御霊はあなたの思いを照らし,あなたの霊に喜びを満たすであろう。」教義と聖約11:13わたしはこの約束が大好きです。霊が喜びに満たされると,わたしたちは日々の生活とは違った永遠の観点から物事を見ることができるようになります。その喜びは,困難や心痛のただ中にあっても,平安としてもたらされます。慰めと勇気を与え,福音の真理を明らかにし,主への愛と,神のあらゆる子供たちへの愛を深くしてくれます。そうした祝福を大いに必要としているにもかかわらず,世の人は多くの面でその祝福を忘れ,放棄してきました。

 

毎週わたしたちは聖なる聖餐を頂き,「いつも御子を覚え」,つまりいつも主イエス・キリストを覚え,その贖いの犠牲を覚えるという聖約を交わします。わたしたちがこの神聖な聖約を守るとき,「いつも御子の御霊を受けられる」という約束が与えられます。教義と聖約20:77

 

では,そのためにどうしたらよいのでしょうか。

 

第1は,御霊を受けるにふさわしい生活をするよう努力することです。

 

聖霊は「日々主なる神をよく覚え」る人に下られます。アルマ58:40主の勧告にあるように,わたしたちは「この世のものを捨てて,この世に勝るものを求めなければ」なりません。教義と聖約25:10「主の御霊は清くない宮にはとどまらない」からです。ヒラマン4:24わたしたちはいつも神の律法に従い,聖文を研究し,祈り,神殿に参入し,信仰箇条第13条にある「正直,真実,純潔,慈善,徳高くあるべきこと,またすべての人に善を行う」という信条に誠実に従って生きるよう努めなければなりません。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2024年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

ヒラマン4:1

さて、第五十四年に教会内に多くの不和があった。また、民の中にも争いがあり、多くの流血があった。

 

「日々の回復」2021年10月、ディーター・F・ウークトドルフ、十二使徒定員会

このような背教は,数世代かかって起こることもあれば,ほんの数年または数か月で起こることもあります。 しかし,背教の可能性はだれにでもあります。過去にどんなに強烈な霊的経験をしていようとも,人間であるわたしたちは道をそれることがあるのです。アダムの時代から今に至るまで,そうでした。

 

しかし,すべてが失われるわけではありません。さまよい歩いてしまった被験者たちと違い,わたしたちには頼りになる目印があり,それを使って進路を確認することができるのです。

 

では,その目印とは何でしょうか。

 

もちろんこれには,日々の祈りや聖文について深く考えること,『わたしに従ってきなさい』のような霊感されたツールの活用が含まれます。わたしたちは謙虚で正直な気持ちになって,神の御座に日々近づくことができるのです。自分のしたことについて深く考え,一日を振り返ることができます。自分の意志と願いを,神のそれと照らし合わせるのです。もし道を外れていたら,神に願って元に戻れるよう助けていただき,さらに良くなろうと決意します。

 

この内省の時は,再調整の機会です。それは,主とともに歩いて,聖文の言葉と御霊によって啓示された天の御父の言葉から教えを受け,教化され,清められる,反省の庭です。愛にあふれるキリストに従うという厳粛な聖約を思い起こす時であり,自分の成長を評価して,神が御自分の子供たちにお与えになった霊的な目印に従っているかどうか確認する時です。

 

それを,あなた個人の日々の回復の時と考えてください。栄光への道の巡礼の旅の途中で,人はどれほどたやすく道をそれてしまうかをわたしたちは知っています。しかし,ごく小さな逸脱に救い主の道から引き離す力があるように,小さくて簡単な再調整にも,人を道に戻す力があるのです。わたしたちの生活に闇が入り込むことがよくありますが,そんなときには,日々の回復が天の光に向けて心を開いてくれます。その光はわたしたちの心を照らし,闇や恐れ,疑いを払いのけてくれます。

 

※キリストがアメリカ大陸を訪れた後,人々は心から自分の罪を悔い改めてバプテスマを受け,聖霊を受けました。争いを好む高慢だった民が,「まったく争いがなく,論争もなく,皆,互いに公正に振る舞〔う〕」ようになったのです(4ニーファイ1:2)。この義の時期は200年ほど続きましたが,その後人々は高慢のために道をそれるようになりました。しかし,霊的な退廃がもっと急速に起こることもあります。その数十年前に起こった例ですが,モルモン書でさばきつかさの統治第50年には,民の中に「引き続き平和があり,大きな喜び」がありました。しかし,教会員の中に入り込んできた高慢のために,わずか4年のうちに,「教会内に多くの不和があった。また,民の中にも争いがあり,多くの流血があった」のです。(ヒラマン3:32-4:1参照)

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2024年版(BOX)

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

ヒラマン3:29

まことに、望む者はだれでも、神の言葉を手に入れることができるということも、わたしたちに分かるのである。この神の言葉は生きていて力があり、悪魔の悪知恵とわなと策略をことごとく断つ。また、悪人をのみ込むために備えられている、あの不幸の永遠の淵を横切る細くて狭い道にあって、キリストの人を導き、

 

「霊の命……を心にかけなさい」2003年4月、ニール・A・マックスウェル、十二使徒定員会

ほんとうにひどい欠乏と貧しさの中にあって,人と分かち合おうとする姿はいつの時代にも感動的です。わたしの少年時代に監督を務めたM・サール・マーシュは,若かった大恐慌時代に,炭坑の仕事に何度も応募しました。未成年でも体の大きかったサールは,あきらめずに応募し続けて採用されましたが,何人かの友人は雇われませんでした。どうやら,一日のきつい労働が終わった後で何度も,心の広い若きサールは賃金を友人と均等に分かち合ったようです。それは友人も採用されるまで続きました。サールがその後も羊の群れを心にかける羊飼いであったことは,少しも驚くに当たりません。

 

「霊の命」について深く考えるとき,自分自身の完全な改心を目指して努力することが助けになりますが,その訳は福音の種はまず「良い地」,すなわちイエスの定義された「正しい良い心」を持った人々に落ちるからですルカ8:15。その結果,そのような人は「喜んで」「御言を聞いて悟〔り〕」,「実を結び」,「堪え忍び」ます。そして最後には,「義のために飢え乾く」とはどのようなことかを学ぶのですマタイ13:20,23ジョセフ・スミス訳マタイ13:21〔英文〕マタイ5:6。これが「大きな変化」なのですモーサヤ5:2。改心とは基本的に「生まれながらの人」から「キリストの人」になる変化を指すものですモーサヤ3:19ヒラマン3:292コリント5:17も参照)。この変化は一朝一夕に起こるものではありません。

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2024年版(BOX)