「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -162ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

2024年10月総大会

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

3ニーファイ17:3

だから、自分の家に帰り、わたしが述べたことを深く考えなさい。そして、理解できるように、また明日のために心が備えられるように、わたしの名によって父に願いなさい。わたしはもう一度あなたがたのところに来るであろう。

 

「霊性と守りの砦を築く」2019年4月、ロナルド・A・ラズバンド、十二使徒定員会

聖徒たちの大きな会衆を見渡し,世界中で総大会を視聴している会員たちのことを思い浮かべるとき,モルモン書の中にある,イエス・キリストが十字架上で亡くなられた後でニーファイの民に御姿を現されたときの集まりのことが頭に浮かびました。イエスはその民に福音を教えると,こう勧められました。「だから,自分の家に帰り,わたしが述べたことを深く考えなさい。そして,理解できるように,……わたしの名によって父に願いなさい。」3ニーファイ17:3

 

「自分の家に帰り,……深く考えなさい」とは,この神聖な場から語られた預言者や教会指導者の言葉を心に留めるための次のステップです。キリストを中心とする家庭は,預言されたとおり,悪魔が「人の子らの心の中で荒れ狂い,人の子らをそそのかして善いことに対して怒らせる」2ニーファイ28:20時代にあっては,地上における神の王国の砦となります。

 

人々は歴史を通じて,敵を内部に入れないようにするために砦を築いてきました。多くの場合,砦には監視塔がつきもので,そこでは見張りが,ちょうど預言者のように,威嚇してくる軍勢や近づいて来る敵の攻撃を見て警告を発します。

 

......

 

わたしたちも同じです。家庭は世の悪に対抗するための砦です。家庭にあって,主の戒めに従い,聖文を研究し,ともに祈り,聖約の道に留まるように互いに助け合うことによって,わたしたちはキリストのもとに近づきます。新教科課程の『わたしに従ってきなさい』では家庭における個人や家族の学習が新たに強調されていますが,その目的は「さらに深く改心し,さらにイエス・キリストのようになることです。」それを続けることで,わたしたちはパウロの言う「新しく造られた者」となり,身も心も神と一致することができるようになります。わたしたちは,敵の攻撃に対抗したり,回避したりするためにそうした強さを必要としています。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2024年版(BOX)

2024年10月総大会

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

3ニーファイ17:2-3

あなたがたは弱く、あなたがたに今告げるようにと父から命じられているわたしの言葉を、すべては理解できないことを、わたしは知っている。

だから、自分の家に帰り、わたしが述べたことを深く考えなさい。そして、理解できるように、また明日のために心が備えられるように、わたしの名によって父に願いなさい。わたしはもう一度あなたがたのところに来るであろう。

 

「霊性という才能を伸ばす」2001年4月、キャロル・B・トーマス、中央若い女性会長会

御霊を識別できずに苦しんでいる若い女性がいます。ある少女はこのように書いています。「わたしは聖霊について何の経験もしたことがありません。それは恐らく、わたしが正しい生活をしていないからだと思います。けれども今、一生懸命に努力しています。近いうちに聖霊〔の慰めの力〕を感じる機会が来ることを望んでいます。」(若い女性事務局保管の手紙より)

 

このような気持ちはだれもが経験しているものです。この若い女性は気づいていないのかもしれませんが、御霊を感じたいという望みは、聖霊が与えておられるのです。御霊が与えられるときにいつも温かくて心地よい気持ちを感じるかといえば、必ずしもそうではありません。ほとんどの場合、霊感の声は静かな細い声で与えられます。

 

救い主は新世界を訪れたとき、信仰篤いニーファイ人にこう言われました。「あなたがたは弱く……わたしの言葉を、すべては理解できないことを、わたしは知っている。……自分の家に帰り、わたしが述べたことを深く考えなさい。そして、理解できるように、……父に願いなさい。」(3ニーファイ17:2-3)

 

救い主の御言葉はわたしたちのために記されました。たとえわたしたちが弱くても、弱いままでいるのでなく、強くなるために何かをしているかぎり、大丈夫なのです。ケーティーはそのようにした若い女性です。彼女の経験を紹介したいと思います。

 

「わたしはこれまでずっと立派な女性になりたいと思ってきました。けれども、あるとき、『真実の教会かどうかがほんとうに分かる人などいるのだろうか』と迷いを感じるようになりました。わたしはモロナイのチャレンジを実行してみることにしました。5ヶ月間、毎日祈り、聖文を読みました。ある晩、わたしはとうとうあきらめて、涙がこぼれそうになりながらベッドに座っていました。お祈りしてみることにしました。こう祈りました。『天のお父様、どうかそこにいらっしゃることを教えてください。教会で教わったとおり、お父様が求めておられることを実行してきました。ほんとうにどうしても知りたいのです。』その直後に、だれかがわたしに腕を回して包み込んでくれたように感じました。大きな声を聞いたわけでも、天使を見たわけでもありませんでした。けれども天のお父様が『愛するケーティー、あなたはずっと知っていたのですよ』とおっしゃっているように感じました。それはまるで、優しくて愛情深いお父さんが幼い女の子をいたわっているような感じでした。」(手紙)

 

聖霊のおもな働きの一つは真理を証することです。御霊はケーティーに福音が真実であることを証されました。ケーティーは代価を支払っていました。救い主が言われたように、彼女は自分の家に帰り、主の御言葉を研究し、祈りました。まるまる5ヶ月もです。ケーティーは霊性という才能を伸ばしています。彼女はこの賜物を使って自分の生活を治めることができます。

 

 

 

2024年10月総大会

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

3 ニーファイ12:48

わたしや天におられるあなたがたの父が完全であるように、あなたがたも完全になることを、わたしは望んでいる。

 

「忘れな草」2011年10月、ディーター・F・ウークトドルフ、大管長会

今晩は,この小さな花(忘れな草、英名"Forget me not")をたとえとして使います。小さな忘れな草の5つの花びらは,決して忘れるべきでない5つの事柄について深く考えるように促してくれます。

 

第1に,自分に忍耐することを忘れないでください。

 

皆さんに正しく理解していただけるようにお伝えしたいことがあります。それは,皆さんやわたしが完全ではないことを神は十分に御存じだということです。

 

もう一つ言うと,皆さんがあの人は完全だと思っている人が完全でないことも,神はよく御存じです。

 

それなのに,わたしたちはとても多くの時間とエネルギーを使って,人と自分を,特に人の長所と自分の短所を比べてしまいます。そうしているうちに,かなうはずのない望みを抱くようになります。そしてついに自分の努力を決して褒めなくなります。なぜなら,いくら努力してもほかのだれかにはかなわないと感じるからです。

 

だれにでも長所と短所があります。

 

長所があるということは,すばらしいことです。

 

そして短所があるということは,この世では避けることのできない経験です。

 

神は,結局はすべての短所が長所になるように導こうとしておられますがエテル12:27参照),それには時間がかかることを御存じです。神はわたしたちが完全になるように望んでおられます3ニーファイ12:48参照)。弟子の道を歩んで行けば,いつか完全になります。今完全でなくてもいいのです。努力を続けてください,でも自分につらく当たるのはやめましょう。

 

愛する姉妹の皆さん,皆さんの多くは人の弱さに対して限りない思いやりと忍耐を持っています。どうか,自分に対しても思いやりと忍耐を持つことを忘れないでください。

 

まずは,家庭や家族関係,勉強,仕事,教会への参加,個人の成長といった事柄で何か小さな成功があったらそのすべてに感謝してください。このような成功は忘れな草のように自分には小さいことのように思え,気づいてくれる人もいないかもしれませんが,神は御存じで,神にとっては小さなことではありません。完璧なまでに美しいバラや華やかなランだけが成功だと考えている人は,人生で最もすばらしい経験を逃してしまうかもしれません。

 

例えば,周りの皆や自分を憂鬱にしながらも,「絵に描いたように」立派な家庭の夕べを毎週開くことにこだわるとしたら,それは最高の選択ではないかもしれません。その代わりに,「家族で楽しめて霊的で,もっと仲良くなるには何ができるだろうか」と自問してみてください。そんな家庭の夕べならば,短く地味なものであっても,長い目で見れば,はるかに良い結果をもたらすことでしょう。

 

完成への道のりは長いものですが,その旅路のほんの小さな歩みの中に驚きや喜びを見いだすことができるのです。

 

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2024年版(BOX)