わたしや天におられるあなたがたの父が完全であるように、あなたがたも完全になることを、わたしは望んでいる。
「忘れな草」2011年10月、ディーター・F・ウークトドルフ、大管長会
今晩は,この小さな花(忘れな草、英名"Forget me not")をたとえとして使います。小さな忘れな草の5つの花びらは,決して忘れるべきでない5つの事柄について深く考えるように促してくれます。
第1に,自分に忍耐することを忘れないでください。
皆さんに正しく理解していただけるようにお伝えしたいことがあります。それは,皆さんやわたしが完全ではないことを神は十分に御存じだということです。
もう一つ言うと,皆さんがあの人は完全だと思っている人が完全でないことも,神はよく御存じです。
それなのに,わたしたちはとても多くの時間とエネルギーを使って,人と自分を,特に人の長所と自分の短所を比べてしまいます。そうしているうちに,かなうはずのない望みを抱くようになります。そしてついに自分の努力を決して褒めなくなります。なぜなら,いくら努力してもほかのだれかにはかなわないと感じるからです。
だれにでも長所と短所があります。
長所があるということは,すばらしいことです。
そして短所があるということは,この世では避けることのできない経験です。
神は,結局はすべての短所が長所になるように導こうとしておられますが(エテル12:27参照),それには時間がかかることを御存じです。神はわたしたちが完全になるように望んでおられます(3ニーファイ12:48参照)。弟子の道を歩んで行けば,いつか完全になります。今完全でなくてもいいのです。努力を続けてください,でも自分につらく当たるのはやめましょう。
愛する姉妹の皆さん,皆さんの多くは人の弱さに対して限りない思いやりと忍耐を持っています。どうか,自分に対しても思いやりと忍耐を持つことを忘れないでください。
まずは,家庭や家族関係,勉強,仕事,教会への参加,個人の成長といった事柄で何か小さな成功があったらそのすべてに感謝してください。このような成功は忘れな草のように自分には小さいことのように思え,気づいてくれる人もいないかもしれませんが,神は御存じで,神にとっては小さなことではありません。完璧なまでに美しいバラや華やかなランだけが成功だと考えている人は,人生で最もすばらしい経験を逃してしまうかもしれません。
例えば,周りの皆や自分を憂鬱にしながらも,「絵に描いたように」立派な家庭の夕べを毎週開くことにこだわるとしたら,それは最高の選択ではないかもしれません。その代わりに,「家族で楽しめて霊的で,もっと仲良くなるには何ができるだろうか」と自問してみてください。そんな家庭の夕べならば,短く地味なものであっても,長い目で見れば,はるかに良い結果をもたらすことでしょう。
完成への道のりは長いものですが,その旅路のほんの小さな歩みの中に驚きや喜びを見いだすことができるのです。