あなたがたは、わたしがエルサレムにいるあなたがたの同胞に示したことを、自分たちにも示してほしいと思っている。わたしはそのことを知っている。また、あなたがたの信仰がわたしから癒しを受けるのに十分であることも、わたしは知っている。
「癒やし」(英文)1994年4月、リチャード・G・スコット、十二使徒定員会
救い主の助けは、さまざまな方法で得られます。最も直接的な方法は、へりくだり信仰を持って天父に祈ることです。そうすれば聖霊を通して私たちの霊に答えが与えられます。(ヒラマン3:35)これはたいていの場合、最も力強い方法ですが、反面、行ないに移しにくく、特に信仰を持って祈ることを学び始めたばかりの人には、主の助けを認識するのはなかなか難しいものです。
このような場合、ほかの方法を取ってみてください。自分の身近にいる人を信頼する方法はどうでしょうか。彼らから学ぶ中で、その信頼は神と神の癒しへの信頼へと広がっていくでしょう。(エテル12:27–31)
まず、救い主の教えに精通している監督や友人を信頼することから始めてみましょう。彼らは、救い主への信仰を持って真理を実践し、癒しを個人的に経験しているので、どうしたら主から助けが得られるか教えてくれます。
あるいは、聖典を読み、その教えについて深く思い巡らし、実践することから始めてみてはどうでしょうか。聖典から私たちはとても力強い助けを得ることができます。(2テモテ3:14–17)原則を理解するうえで聖典に記された数々の出来事は役立ちますが、以下の聖句が示すように、私たちを強める力は、聖典が伝える教義そのものからもたらされます。
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「われは、汝らの信仰われが汝らを充分医すに足ると認む。」(3ニーファイ17:8)
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「真心よりわれに立ち帰れ。」(3ニーファイ18:32)
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「われが汝らを医すを得るために、汝らは今われに立ち帰りて罪を悔いまた心を改めざるか。」(3ニーファイ9:13; 教義と聖約112:13参照)
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「お前たちが誠心から主に立ち帰り、主に頼って熱心に仕えらば、主はみこころのままにお前たちを奴隷の境涯から救い出したもう。」(モーサヤ7:33)
まずあり得ないことですが、もし仮に神権指導者に無尽蔵の時間と援助手段があったとしても、何から何まで会員を助けることは不可能です。彼らは主の代理人であり、主の法則によれば、私たち一人一人は自分にできるかぎりのことをしなければならないのです。
神権指導者は私たちに神権の祝福を授け、進むべき方向を示してくれます。(ブルース・R・マッコンキー「この世のメシヤ」3:28-29)しかし、その祝福が宣言され、成就されるには祝福する神権者の側だけでなく、私たち自身の信仰と清さ、そして従順な態度が大きく影響するのです。(「スペンサー・W・キンボールの教え」エドワード・L・キンボール編,PP.510-511参照)
癒しは、祝福が授けられたすぐ後にもたらされることもありますが、たいていの場合、本人の信仰と従順、そして主のみこころに応じて定められたある期間を経過した後にもたらされます。さらに、その期間の長さを左右しているのは、主ではなく当人であることが多いようです。(ジェームズ・E・タルメージ「信仰箇条の研究」p.302参照)
主は私たちに、ほかに活用できる援助手段があれば何でも用いるように望んでおられます。必要に応じて有能な専門家の力を借りるのもよいでしょう。こうして私たちが全力を尽くした後に、主はそのみこころに従って、私たちの心に平安を与えてくださいます。(「ブリガム・ヤング説教集」ジョン・A・ウイッツォー編,P.163参照)


