しかし、わたしは今は父のみもとに帰り、またイスラエルの行方の知れない部族にもわたし自身を現そう。彼らは父にとっては行方知れずではない。父は彼らを導いた先を御存じだからである。
「永遠の神が定めたもうた大計画」(英文)1984年4月、ニール・A・マックスウェル、十二使徒定員会
御父の計画の中心におられるのは、人類の贖い主であるイエス・キリストです。聖典に予言されているように、多くの人々がイエスを「つまらぬ者」と判断し(1ニーファイ19:9参照)、また「あたりまえの人間」と思っていると記されています(モーサヤ3:9参照)。たとえ他の人々がイエスを否定し、見下そうと、私たちにとってイエスは主であり救い主です。兄弟姉妹の皆さん、他者が私たちのことをどう考えるかは比較的に重要ではありませんが、私たちが主をどのように考えるかは極めて重要です。また、人々が私たちをどのような人物と評するかよりも、私たちがイエスをどのように捉えているかが大切です(マタイ16:13-17参照)。
たとえば、私たちはイエス・キリストの偉大な神性のみならず、その息をのむほどの行動力と羊飼いとしての管理の範囲の広さも認め、高く評価しています。復活されたイエスは、メシャとして生きた中東の地を再び訪れ、その後、アメリカ大陸の人々のもとへ行かれました(3ニーファイ11章参照)。さらには、他の失われた羊のもとへも行かれました(3ニーファイ17:4参照)。
主はこの思いやりに満ちた計画の中で、人々のためにならないことは何一つ行われません(2ニーファイ26:24参照)。主は、モーセやエレミヤが述べたように、私たちが「常に幸せである」ように、絶えず愛をもって働いてくださっています(申命記6:24、エレミヤ32:38-40参照)。主の偉大な計画において、主の「業」と「栄光」とは、「人に不死不滅と永遠の生命をもたらすこと」です(モーセ1:39参照)。このように、私たちが心から神を愛するようになるとしても、最初に私たちを愛してくださったのは神であることを、謙虚に心に留めておく必要があります(1ヨハネ4:19参照)。
