「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -157ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

3ニーファイ27:11

しかし、教会がわたしの福音の上に築かれておらず、人の業の上に、あるいは悪魔の業の上に築かれていれば、まことにあなたがたに言う、彼らはしばらくの間は自分たちの業を楽しむが、やがて最後が来て、彼らは切り倒されて火の中に投げ込まれ、そこから二度と戻ることができない。

 

「聖徒たちの喜び」2019年10月、D・トッド・クリストファーソン、十二使徒定員会

わたしたちは快楽主義の時代に生きています。多くの人が主の戒めの大切さに疑問を抱くか,単に戒めを無視しています。往々にして,純潔の律法や正直という標準,安息日の神聖さといった神からの指示をないがしろにする人々が,それらを守ろうと努力している人より繁栄し,人生でより多くの良いものを享受しているように見えることがあります。中には,努力や犠牲に価値があるのだろうかと思い始める人もいます。古代イスラエルの民は,かつて不平を言いました。

 

「神に仕える事はつまらない。われわれがその命令を守り,かつ万軍の主の前に,悲しんで歩いたからといって,なんの益があるか。

 

今われわれは高ぶる者を,祝福された者と思う。悪を行う者は栄えるばかりでなく,神を試みても罰せられない。」マラキ3:14-15

 

主は彼らに「わたしの宝となる」日まで待つように言われました。「その時あなたがたは,再び義人と悪人,神に仕える者と,仕えない者との区別を知るようになる。」マラキ3:17-18悪人は「しばらくの間は自分たちの業を楽しむが」,それは決まって一時的です。3ニーファイ27:11聖徒たちの喜びは,永続します。

 

神は物事をまことの観点から御覧になり,戒めを通してその観点をわたしたちに伝え,この世の隠れた危険や落とし穴を避けて永遠の喜びに至るように効果的に導いてくださいます。預言者ジョセフ・スミスはこう説明しています。「神の戒めがわたしたちに教えを授けてくれるとき,それは永遠を踏まえた教えです。わたしたちは神から,あたかも永遠の中にいるかのように見られているからです。神は永遠のうちに住んでおられ,物事をわたしたちのようには御覧にならないのです。」『歴代大管長の教え—ジョセフ・スミス』475参照)

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2024年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

3ニーファイ27:7-8

だから、あなたがたが行うことは何事でも、わたしの名によって行いなさい。あなたがたは教会をわたしの名で呼びなさい。また、父がわたしのために教会を祝福してくださるように、わたしの名によって父に呼び求めなさい。

わたしの名で呼ばれなければ、どうしてわたしの教会であろうか。ある教会がモーセの名で呼ばれれば、それはモーセの教会である。あるいは、ある人の名で呼ばれれば、それはその人の教会である。しかし、わたしの名で呼ばれ、人々がわたしの福音の上に築かれていれば、それはわたしの教会である。

 

「教会の正しい名称」2018年10月、ラッセル・M・ネルソン大管長

今日,わたしはとても大切なことについて話さなければならないと感じています。何週間か前に,わたしは教会の名称に関する軌道修正の声明を発表しました。(ラッセル・M ・ネルソン 「教会の名称に関する声明」〔公式声明,2018年8月16日〕)そうしたのは,御自身の教会のために定められた名称,すなわち「末日聖徒イエス・キリスト教会」という名称の重要性を,主がわたしの心に深く刻みつけられたからです。(過去の大管長も同じような要請をしている。例えば,ジョージ・アルバート・スミス大管長はこう話した。「この教会をモルモン教会と呼ぶことによって,主をがっかりさせないでください。主は教会をモルモン教会と呼ばれませんでした。」(in Conference Report, Apr. 1948, 160))

 

皆さんの予想どおり,この声明と更新された表記のガイドラインに対する反応は様々でした。「表示ガイド—教会の名称」多くの会員は自分のブログとソーシャルメディアのページですぐに教会の名称を変えてくれました。一方で,世の中でほかにいろいろなことが起こっているのに,どうしてそのような「ささいなこと」を強調する必要があるのかといぶかしく思う人もいました。そんなことはできないから,やる意味がないと言う人たちもいました。どうしてこれがそれほど大切なのかを説明しましょう。最初に,これはどういうことでないのかを話します。

 

名前を変えるのではありません。

ブランドを変えるのでもありません。

表面的な変更でもありません。

気まぐれな変更でもありません。

ささいなことでもありません。

 

そうではなく,誤りを正すことなのです。これは主がお命じになったことなのです。ジョセフ・スミスを通して回復された教会を,ジョセフ・スミスは命名しませんでしたし,モルモンも命名していません。「わたしの教会は,終わりの時にこのように,すなわち末日聖徒イエス・キリスト教会と呼ばれなければならない」教義と聖約115:4とおっしゃったのは救い主御自身でした。

 

それよりもさらに前,紀元34年に,復活された主は,アメリカ大陸の主の教会の会員たちを訪れたときに同じような教えを与えられました。そのとき主はこう言われました。

 

「あなたがたは教会をわたしの名で呼びなさい。……

 

わたしの名で呼ばれなければ,どうしてわたしの教会であろうか。ある教会がモーセの名で呼ばれれば,それはモーセの教会である。あるいは,ある人の名で呼ばれれば,それはその人の教会である。しかし,わたしの名で呼ばれ……れば,それはわたしの教会である。」3ニーファイ 27:7-8

 

したがって,教会の名称を変えることはできません。主が御自分の教会の名称を明言されたときに,その名で「呼ばれなければならない」とまでおっしゃったのです。主にとってとても大切なことです。そしてわたしたちがニックネームの使用を容認したり,自分でも採り入れたり,ましてや奨励したりするようなことがあれば,主は悲しまれます。

 

名称またはこの場合にはニックネームには,どんな要素があるでしょうか。「LDS教会」「モルモン教会」「末日聖徒教会」などの教会のニックネームに関して言えば,ここでいちばん重大なことは救い主の御名が抜けてしまっていることです。主の教会から主の御名を取り除くのはサタンにとって大きな勝利です。わたしたちは主の御名を切り捨てるとき,イエス・キリストがしてくださったすべてのことを暗にないがしろにしているのです。主の贖いさえもです。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2024年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

3ニーファイ27:3-5

そこで彼らはイエスに、「主よ、この教会をどのような名で呼ぶべきか、わたしたちにお教えいただきたいと存じます。この件について民の中に論争がございますから」と言った。

すると主は、彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに言う。民がこのことについてつぶやき、論じ合うのはなぜか。

彼らは、『キリストの名を受けなければならない』という聖文を読んだことがないのか。キリストとはわたしの名である。終わりの日にあなたがたは、この名によって呼ばれるのである。

 

「モルモン書―イエス・キリストについてのもう一つの証―分かりやすくて貴いこと」2005年4月、ボイド・K・パッカー、十二使徒定員会

主の訪れを受けたニーファイ人はこう尋ねました。「『この教会をどのような名で呼ぶべき〔でしょうか。〕この件について民の中に論争がございますから。』……主は,彼らに言われた。『……民がこのことについてつぶやき,論じ合うのはなぜか。

 

彼らは,「キリストの名を受けなければならない」という聖文を読んだことがないのか。キリストとはわたしの名である。終わりの日にあなたがたは,この名によって呼ばれるのである。』」3ニーファイ27:3-5

 

モルモン書の第1の目的はイエス・キリストを証することです。モルモン書の6,000以上の節,つまり半分以上の節は,直接イエス・キリストについて記しています。

 

「わたしたちはキリストのことを話し,キリストのことを喜び,キリストのことを説教し,キリストのことを預言し,また,どこに罪の赦しを求めればよいかを,わたしたちの子孫に知らせるために,自分たちの預言したことを書き記すのである。」2ニーファイ25:26

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2024年版(BOX)