「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -156ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

3ニーファイ27:14

父は、わたしが十字架に上げられるようにと、わたしを遣わされた。十字架に上げられた後で、わたしはすべての人をわたしのもとに引き寄せた。わたしは人々によって上げられたが、そのように人々は、父によって上げられてわたしの前に立ち、自分の行いが善いか悪いかによって、行いを裁かれるのである。

 

「いつも御子を覚える」2016年4月、ジェリット・W・ゴング、七十人会長会

新世界で,復活された救い主は,その場にいる人々を一人一人招いて,御自分の脇に手を入れさせ,御自分の手と足のくぎ跡に触れさせました。3ニーファイ11:14-15参照)

 

復活について,聖文にはこう記されています。「手足と関節はことごとくその体に回復される。まことに,髪の毛一筋さえも失われることなく,すべてのものが本来の完全な造りに回復される。」アルマ40:23それなら,なぜ救い主の完全な復活体に,いまだに脇腹の傷と,手足のくぎ跡が残っているのかを,どうかよく考えてみてください。教義と聖約6:37参照)

 

歴史上,時には,死すべき人間に十字架の刑が執行されていたこともあります。しかし,わたしたちの救い主であるイエス・キリストのみが,その純粋な愛のしるしを今も身に残して,わたしたちを受け入れてくださいます。全ての人を主の御名によってみもとに引き寄せるために十字架に上げられるという預言を成就したのは,救い主ただ御一方だけです。3ニーファイ27:14参照。例として,ヨハネ12:32-331ニーファイ11:33モーサヤ23:22アルマ13:2933:19ヒラマン8:14-15も参照)

 

救い主はこう宣言されました。

 

「たとい彼らが忘れるようなことがあっても,わたしは,あなたを忘れることはない。

 

見よ,わたしは,たなごころにあなたを彫り刻んだ。」イザヤ49:15-161ニーファイ21:15-16も参照)

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2024年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

3ニーファイ27:13

見よ、わたしはあなたがたに、わたしの福音について告げた。わたしがあなたがたに告げた福音とは、次のとおりである。すなわち、父がわたしを遣わされたので、わたしは父の御心を行うために世に来た。

 

「創造」2000年4月、ラッセル・M・ネルソン、十二使徒定員会

ロンドンの大英博物館を訪れたときに、わたしは非常に珍しい本を読む機会がありました。それは聖文ではありません。古代エジプトの写本を英語に翻訳したものでした。その書物から、御父と御子の会話の部分を引用したいと思います。前世における主、すなわちエホバは、御父についてこのように述べておられます。

 

「神は天使の手から土を受け取り、わたしたちの形に、わたしたちにかたどってアダムを造り、40日40夜、息を吹き入れることなく彼をそのままにしておかれた。そして神は毎日彼のことでため息をつき、言われた。『わたしがこれ〔この人〕に息を吹き入れたら、この人は多くの苦しみを受けるに違いない。』そこでわたしは父に言った。『彼に息を吹き入れてください。わたしが彼のために弁護者となります。』すると、父はわたしに言われた。『わたしが彼に息を吹き入れたら、わたしの愛する子よ、あなたは世に降くだって行かなければならない。そして、彼を贖い、彼を最初の状態に立ち返らせる前に、彼に代わって多くの苦しみを受けなければならない。』そこで、わたしは父に言った。『彼に息を吹き入れてください。わたしは彼の弁護者となります。そして、世に降って行って、あなたから命じられることを果たします。』」」(“Discourses on Abbaton” by TimothyArchbishop of Alexandria、Coptic Martyrdoms etc. in the Dialect of Upper Egypt、 E. A. E.A.ワリスバッジ翻訳編集(1914年)、482)

 

この文章は聖文ではありませんが、御父が御子に対して深く思いやりあふれる愛情を持っておられ、また御子がわたしたちに愛情を持っておられることを教えている聖文を再確認しており、またイエスが進んでわたしたちの救い主、順い主となられたことを証言しています。ヨハネ3:16; 10:14-15、17-18参照)

 

主なる神は「人の不死不滅と永遠の命をもたらすこと、これがわたしの業であり、わたしの栄光である」と宣言されました。モーセ1:39 主は御父の指示の下で地球を創造し、その後に御父の御心を行うために死すべき世に来て3ニーファイ27:13参照)、贖罪に関するあらゆる預言を成就されました。(「キリストを証した預言者たち」「聖徒の道』1994年4月号、10-18参照) 主の贖罪は、主が定められた条件に従うならば、あらゆる人をその人の背きに対して科せられる罰から贖うのでした。モーサヤ26:21-23, モーサヤ26:21-23; 教義と聖約138:19参照)

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2024年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

3ニーファイ27:13

見よ、わたしはあなたがたに、わたしの福音について告げた。わたしがあなたがたに告げた福音とは、次のとおりである。すなわち、父がわたしを遣わされたので、わたしは父の御心を行うために世に来た。

 

「神聖な計らいにより」2017年10月、ロナルド・A・ラズバンド、十二使徒定員会

あるとき,ジョセフ・B・ワースリン長老はトーマス・S・モンソン大管長からこう言われました。「天には導いてくださる御方がいます。何か出来事があるとすれば,それは偶然ではありません。いつの日か,わたしたちの人生で偶然の一致のように思えるような出来事について振り返ってみれば,結局それは偶然の一致とは言えないということに気づくでしょう。」(ジョセフ・B・ワースリン「人生という旅の中で学んだ教訓」 「リアホナ」2001年5月)

 

わたしたちの善い行いが人に知られることはほとんどありません。しかし,すべての善い行いが天に記録されています。いつの日か,わたしたちは自分が行った義の業への心からの献身について見証することになります。いかなる試練も災難も神の幸福の計画を妨げることはできません。実に,「神聖な計らい」により,「朝と共に喜びが来る」のです。詩篇30:5「わたしは父の御心を行うために世に来た。」イエスはそう教えておられます。3ニーファイ27:13愛する兄弟姉妹の皆さん,わたしたちも御父の御心を行うために世に来たのです。

 

人生の旅で経験したことを通して,わたしは理解しました。主は御父の業を行うために,わたしたちを一見チェス盤のようなものの上で動かされます。偶然のように思われても,実は,愛にあふれる天の御父から見守られているのです。御父はわたしたちの髪の毛までも,みな数えることがおできになるのです。ルカ12:7 参照)御父の許しなしに,一羽のすずめも地に落ちることはないのです。マタイ10:29参照)主の影響はわたしたちの生活の細部にまで及んでいます。わたしたちは,そうした様々な出来事や機会を通して備えられ,自分の家族や周囲の人々を励まし,地上における神の王国を建設することができるのです。主がアブラハムにこう語られたことを思い出してください。「わたしは初めから終わりを知っている。それゆえ,わたしの手はあなたのうえにある。」アブラハム2:8

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2024年版(BOX)