父は、わたしが十字架に上げられるようにと、わたしを遣わされた。十字架に上げられた後で、わたしはすべての人をわたしのもとに引き寄せた。わたしは人々によって上げられたが、そのように人々は、父によって上げられてわたしの前に立ち、自分の行いが善いか悪いかによって、行いを裁かれるのである。
「いつも御子を覚える」2016年4月、ジェリット・W・ゴング、七十人会長会
新世界で,復活された救い主は,その場にいる人々を一人一人招いて,御自分の脇に手を入れさせ,御自分の手と足のくぎ跡に触れさせました。(3ニーファイ11:14-15参照)
復活について,聖文にはこう記されています。「手足と関節はことごとくその体に回復される。まことに,髪の毛一筋さえも失われることなく,すべてのものが本来の完全な造りに回復される。」(アルマ40:23)それなら,なぜ救い主の完全な復活体に,いまだに脇腹の傷と,手足のくぎ跡が残っているのかを,どうかよく考えてみてください。(教義と聖約6:37参照)
歴史上,時には,死すべき人間に十字架の刑が執行されていたこともあります。しかし,わたしたちの救い主であるイエス・キリストのみが,その純粋な愛のしるしを今も身に残して,わたしたちを受け入れてくださいます。全ての人を主の御名によってみもとに引き寄せるために十字架に上げられるという預言を成就したのは,救い主ただ御一方だけです。(3ニーファイ27:14参照。例として,ヨハネ12:32-33;1ニーファイ11:33;モーサヤ23:22;アルマ13:29;33:19;ヒラマン8:14-15も参照)
救い主はこう宣言されました。
「たとい彼らが忘れるようなことがあっても,わたしは,あなたを忘れることはない。
見よ,わたしは,たなごころにあなたを彫り刻んだ。」(イザヤ49:15-16。1ニーファイ21:15-16も参照)


