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「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

モルモン5:2

しかし見よ、わたしは主の裁きが彼らに下ることを知っていたので、望みを持っていなかった。彼らが自分たちの罪悪を悔い改めず、自分たちを造られた御方に請い願うことなく、ただ自分たちの命のために戦っていたからである。

 

「悔い改めと改心」2007年4月、ラッセル・M・ネルソン、十二使徒定員会

昨年,デビッド・S・バクスター長老とわたしは車でステーク大会へ向かう途中,あるレストランに立ち寄りました。食事をして車へ戻ろうとしたとき,一人の女性に呼び止められました。わたしたちは彼女の姿に驚きました。彼女の身だしなみが(というよりは,身だしなみに欠けている様子が),いかにも「極端」だったからです。彼女はわたしたちに教会の長老かどうか尋ねてきました。そうですと答えました。すると彼女は,自分の罪に満ちた悲劇的な人生について事細かに語りだしました。28歳という若さで,彼女は悲惨な状態に陥っていました。人生に何の希望も,生きる価値も見いだせずにいたのです。話している間に,彼女の魂の優しさがにじみ出てきました。彼女は涙ながらに,自分にも絶望から抜け出す望みがあるかと聞きました。

 

わたしたちは答えました。「もちろん,希望はあります。希望は悔い改めと結びついています。変わることができますよ。あなたも『キリストのもとに来て,キリストによって完全にな』ることができるのです。」モロナイ10:32わたしたちは彼女に悔い改めを引き延ばさないように強く勧めました。アルマ13:2734:33参照。スペンサー・W・キンボール大管長は引き延ばしとは「〔自分の〕責任を今進んで受け入れようとしないこと」であると説明している(『歴代大管長の教え――スペンサー・W・キンボール』5))彼女はへりくだってむせび泣き,心から感謝してくれました。

 

車で移動を続けながら,バクスター長老とわたしはその経験について思い巡らしていました。そしてアロンが打ちひしがれた人物に与えた勧告を思い出しました。アロンはこう言っています。「あなたの罪をすべて悔い改め,神の御み前まえにひれ伏して,……神の御み名なを呼ぶならば,そのときあなたは,今願っているものを得るでしょう。」アルマ22:16。モルモンが導いた罪深い民のことも思い出される。モルモンは彼らのことで心を痛めこう語った。「わたしは主の裁きが彼らに下ることを知っていたので,望みを持っていなかった。彼らが自分たちの罪悪を悔い改めず,自分たちを造られた御方に請い願うことなく,ただ自分たちの命のために戦っていたからである。」(モルモン5:2))

 

総大会のこの最終部会で,わたしも悔い改めについてお話しします。それは主がその僕たちに,すべての民に悔い改めを叫ぶようにお命じになったからです。教義と聖約18:11-12,1419:2134:5-643:20133:16-17参照)主は御自身の子供たちに喜びをもたらすために福音を回復されましたが,その福音の中の必要不可欠な要素が悔い改めなのです。(「福音の第一の原則と儀式とは,第一に主イエス・キリストを信じる信仰,第二に悔い改め,第三に罪の赦しのために水に沈めるバプテスマ,第四に聖霊の賜物を授けるための按手である。」信仰箇条1:4教義と聖約39:684:27138:19も参照)

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2024年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

モルモン3:16

さて、わたしは敵に向かって上って行くことをきっぱりと断り、主から命じられたとおりにした。わたしは、将来起こることについて証をされた御霊の示しのとおりに、自分が見聞きしたことを世の人々に明らかにする証人になった。

 

「人生の予期せぬ境遇」(英文)1989年4月、ニール・A・マックスウェル、十二使徒定員会

意のままにならないこうした様々な境遇の中で、人々はこのように考えます。「神はこの不運な巡り合わせをご存じなかったのだろうか。」「もし知っておられたなら、なぜそれを許されたのだろうか。」「私のことなどどうでもいいのだろうか。」

 

私たちは自分の行く道は自分で決められるものと思い込むことがままあります。ところが突然の出来事が、予定したこと、苦労して勝ち得たことさえ横に押しやり、やがてほかのものに変えてしまいます。そして私たちは、そうした出来事のみならず、人に対しても腹を立てるようになります。

 

人生の皮肉な境遇の中には予期しなかった苦痛だけでなく、必要でないと思われる苦痛もあります。もっと報われてよいはずなのに、結果は反対になったりします。ほかにもっとよい道があったはずです。それはどうなったのでしょうか。たとえば、病人を助けるために一生懸命訓練を積んだにもかかわらず、自分の病気のために人を助けられない医師がいます。また、ある時期、主の熱心な預言者は「ただ立って見てい」るよりほかに仕方がありませんでした。(モルモン3:16) 逆境のために、本来の務めが果たせなくなっているのです。

 

しかし、こうした特殊な逆境だけでなく、パウロが「世の常」(1コリント10:13) と言った苦難や誘惑も、私たちを待ち受けています。

 

予想に反したこうした逆境に処するに当たり、私たちにはほかのあらゆる場合と同じように、イエスという教師が模範者として与えられています。イエスは絶えず、その神性を無視するかのような耐え難い逆境にさらされていました。

イエスにとっての逆境は実に誕生とともに始まりました。まさに主は「最初よりすべて」御父のみこころを受けて苦しまれたのです。(3ニーファイ11:11) この地球はイエスの足台ですが(使徒7:49参照)、エルサレムには、宿に部屋もなければ寝床もありませんでした。(ルカ2:7;「子供の歌」F-1参照)

 

最期のときには、柔和でへりくだったイエスは苦々しい思いはわずかも抱かずに、最も苦きさかずきを飲みほしたのです。(3ニーファイ11:11; 教義と聖約19:18-19参照) 最も罪のないお方が最も苦しまれたのです。しかし、この王の王は下臣が「その欲するままに人の子をあしら」っても(教義と聖約49:6)、負けませんでした。逆境に耐える主の力には驚くべきものがあります。

 

それに比べて私たちの霊はなんともろいことでしょう。たとえば、試練は本来公平に与えられるものではないことさえ忘れてしまいます。

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

モルモン2:15

そこで、わたしの悲しみが再び戻ってきた。わたしは、彼らのための猶予の日が、この世的にも霊的にも過ぎ去ってしまったことを知ったのである。わたしの民が、何千人も自分たちの神に公然と背いた状態で切り倒され、糞のように地の面に積み上げられているのを見たからである。このようにして、三百四十四年が過ぎ去った。

 

「十分に固い決意をもってわたしのもとに戻って来〔なさい〕。わたしは〔あなた〕を癒そう。」2010年10月、パトリック・キアロン、七十人

モルモン書の中でアンタイ・ニーファイ・リーハイの民は,決して再びに対して武器を取らないと聖約し,自分たちの武器を捨てて地中深く埋めました。しかし彼らはそれ以上のことをしたのです。「彼らは義にかなった民とな〔りました〕。」なぜなら「彼らは謀反に使う武器を捨てて,もはや神と戦わ」アルマ23:7なかったからです。彼らの改宗は非常に完全で深いものだったので,彼らは「二度と道を踏み外〔しませんでした〕。」アルマ23:6

 

しかし,改宗する前の状態を思い出してください。彼らは,聖文にある「公然と神に背く者」モーサヤ2:37アルマ3:18モルモン2:15も参照。)のような生活をしていました。「神の性質に反して行動してきた」ので,反抗心のために「幸福の本質に反する状態」アルマ41:11で生きることを強いられていたのです。

 

謀反に使う武器を捨てたとき,彼らは主の癒しと平安にふさわしい者となりました。わたしたちも同じようにすることができます。救い主の言葉にわたしたちの心は安らぎます。「彼らがわたしに対してその心をかたくなにせず,強情でなければ,彼らは心を入れ替えるので,わたしは彼らを癒そう。」教義と聖約112:13皆さんもわたしも「立ち返って悔い改め,十分に固い決意をもってわたしのもとに戻って来る……ならば,わたしは〔あなた〕を癒そう」3ニーファイ18:32という招きを受け入れることができるのです。

 

この奇跡的な癒しは,次のような状態とは正反対のものです。「わたしたちが自分の罪を覆い隠そうとしたり,自分の高慢,自分のうぬぼれた野望を満たそうとしたり……するとき,……天は退き去り,主のは深く悲しむ。」そしてわたしたちは一人残されて「とげのあるをけり,……神と戦う。」教義と聖約121:37,38

 

兄弟の皆さん,わたしたちは偉大な医師,救い主イエス・キリストの足もとに来るときにのみ,癒しとを見いだします。謀反の武器(それが何であるかはそれぞれが知っています)を捨てなければなりません。罪,虚栄心,高慢を捨てなければなりません。世に従い,世から尊敬され称賛されたいという願望を捨てるのです。神と戦うのを止め,何もためらうことなく,心のすべてを神にささげなくてはなりません。そうすれば神により癒され,罪という毒針から清めていただくことが可能になるのです。

 

 

 

Christ healing the blind by Jorge Cocco Santangelo

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2024年版(BOX)