「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -152ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

モルモン7:9

見よ、この記録を書き記しているのは、ユダヤ人から伝わる記録をあなたがたに信じさせるためである。また、あなたがたはそれを信じるならば、これも信じるであろう。そして、もしこれを信じるならば、あなたがたの先祖について知り、また先祖の中で神の力によって行われた驚くべき業についても知るようになるであろう。

 

「聖文の証」2007年10月、ラッセル・M・ネルソン、十二使徒定員会

聖書もモルモン書も,ともにイエス・キリストについての証です。この二つの書は,イエス・キリストが神の御子であられること,人が模範とすべき生活を送られたこと,全人類の罪を贖われたこと,十字架の上で亡くなり復活の主としてよみがえられたことを教えています。つまり,イエス・キリストが世の救い主であられる,と教えているのです。

 

聖文の証は互いの真実性を立証し合っています。この考え方ははるか昔に,モルモン書について書いた預言者の次のような言葉に説明されています。「この記録を書き記しているのは,〔聖書〕をあなたがたに信じさせるためである。また,あなたがたは〔聖書〕を信じるならば,〔モルモン書〕も信じるであろう。」モルモン7:9それぞれの書が互いについて言及し合っています。そしてそれぞれが,神が生きておられ,預言者への啓示を通じて神の子供たちに話しかけておられる証拠としての役割を果たしています。教義と聖約5:10

 

モルモン書を愛するならば,聖書も愛するようになります。逆もまた然しかりです。回復の聖文は聖書と対立するものではありません。むしろ聖書を補完するものです。わたしたちは,聖書を人の手にもたらすために命をささげてくれた殉教者たちに恩を受けています。聖書は,福音と幸福の計画が永続するものであることを世に示しています。そしてモルモン書は,什分の一,アルマ13:153ニーファイ24:8-10参照)神殿,2ニーファイ5:1616;モルモン書ヤコブ1:172:2モーサヤ2:5-7参照)安息日,モーサヤ13:16-1918:23参照)神権2ニーファイ6:2モーサヤ18:18アルマ6:113:1-3,6-113ニーファイ18:5モロナイ3:1-4参照)などの聖書の教義を回復し,強調しています。

 

一人の天使は,モルモン書が聖書の真理を立証すると宣言しました。1ニーファイ13:40さらにまた,今日わたしたちが手にしている聖書の記述は,預言者や使徒たちが書いた元来のものと比べて欠けているところがあることを明らかにしました。1ニーファイ13:28-29参照)また,モルモン書は聖書から取り去られた分かりやすくて貴い部分を回復する,とも宣言しました。1ニーファイ13:40参照)

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

モルモン7:7

そして、イエス・キリストは世の贖いをもたらされた。そのため、裁きの日にイエス・キリストの前に罪がないと認められる者は、神の王国で神の前に住み、天の聖歌隊とともに、一つの神である御父と御子と聖霊に、絶え間ない賛美の歌を歌うことを許され、決して終わりのない幸福な状態にいることができる。

 

「わたしたちの間におられる神」2021年4月、ディーター・F・ウークトドルフ、十二使徒定員会

わたしたちのために意図されている栄光と尊厳をすでに得ている方々と比べれば,わたしたちは皆,幼子です。しばしばつまずき,ぶつかり,あざをつくらないで,這うことから歩くこと,走ることへと進歩する人はだれ一人いません。そのようにして学ぶのです。

 

熱心に練習を繰り返し,常に神の戒めを守るように努め,そして,悔い改め,堪え忍び,教えに教えを加えて学んだことを実践するように努力するならば,自分の内に光が集まることでしょう。教義と聖約 50:24参照)そして,今は自分の可能性を完全には理解していないかもしれませんが,「〔救い主〕が現れる時」に,わたしたちはそのことを知り,自分の内に主の面影を目にし,また「〔主〕のまことの御姿を見る」ことでしょう。1ヨハネ3:2

 

何と栄えある約束でしょう。

 

そうです,世界は混乱しています。そして,そうです,わたしたちには弱さがあります。しかし,絶望してうなだれる必要はありません。なぜなら,わたしたちは神に頼り,御子イエス・キリストに頼り,そして喜びと天与の幸福に満ちた人生に至るこの道でわたしたちを導く御霊の賜物を受けることができるからです。モルモン7:7参照)

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

モルモン7:6

そして、イエス・キリストは死者の復活をもたらされる。したがって、人はよみがえってイエス・キリストの裁きの座の前に立たなければならない。

 

「復活」2000年4月、ダリン・H・オークス、十二使徒定員会

回復の原則からすれば、義にかなっていない人は、わたしたちの現世での罪が清められ、悔い改めと赦ゆるしによって罪が消されるまでは(アルマ5:21;2ニーファイ9:45-46;教義と聖約58:42参照)、義にかなった状態で復活することはありません(2ニーファイ9:16;1コリント15:35-44;教義と聖約88:2-32参照)。しかもわたしたちは「罪をはっきりと思い出」し(アルマ11:43)、「自分に罪があること、汚れていること……について、すべて完全な知識」を携えて復活するのです(2ニーファイ9:14アルマ5:18も参照)。この事実の重大さは、復活の直後に最後の裁きが来ることを示唆した多くの聖句で強調されています(2ニーファイ9:15、22;モーサヤ26:25;アルマ11:43-4442:23;モルモン7:69:13-14)。確かに「現世は人が神にお会いする用意をする時期」なのです(アルマ34:32)

 

復活には家族と、つまり夫や妻、両親、兄弟姉妹、子ども、孫とともに生活する可能性が含まれています。このことを確信すると、この世で家族についての責任を果たしていく大きな励みになります。それは、この世にあっては愛のうちにともに暮らし、後の世にあっては喜びの再会と結びつきを待ち望むことができるからです。

 

不死不滅の状態に復活するという確かな知識は自分自身の死と向き合う勇気をも与えてくれます。予期しない死でもそうです。モルモン書のアンモンの民についてこうあります。「キリストと復活についての望みと思いがあったので、死を少しも恐ろしいと思わなかった。彼らにとっては、死はすでにそれに打ち勝つキリストの勝利にのまれてしまったのである。」(アルマ27:28)

 

不死不滅への確信は愛する者との別離に耐える力をも与えてくれます。だれもが人の死に涙し、悲しみのうちに葬儀に参列し、墓の傍らに立った経験があるでしょう。わたしもその一人です。わたしたちは復活を確実にしてくださった神をほめたたえるべきです。この世での別離をつかの間のものとし、悲しみを乗り越えていく希望と力を与えてくれるからです。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2024年版(BOX)