そして、イエス・キリストは死者の復活をもたらされる。したがって、人はよみがえってイエス・キリストの裁きの座の前に立たなければならない。
「復活」2000年4月、ダリン・H・オークス、十二使徒定員会
回復の原則からすれば、義にかなっていない人は、わたしたちの現世での罪が清められ、悔い改めと赦ゆるしによって罪が消されるまでは(アルマ5:21;2ニーファイ9:45-46;教義と聖約58:42参照)、義にかなった状態で復活することはありません(2ニーファイ9:16;1コリント15:35-44;教義と聖約88:2-32参照)。しかもわたしたちは「罪をはっきりと思い出」し(アルマ11:43)、「自分に罪があること、汚れていること……について、すべて完全な知識」を携えて復活するのです(2ニーファイ9:14。アルマ5:18も参照)。この事実の重大さは、復活の直後に最後の裁きが来ることを示唆した多くの聖句で強調されています(2ニーファイ9:15、22;モーサヤ26:25;アルマ11:43-44、42:23;モルモン7:6、9:13-14)。確かに「現世は人が神にお会いする用意をする時期」なのです(アルマ34:32)。
復活には家族と、つまり夫や妻、両親、兄弟姉妹、子ども、孫とともに生活する可能性が含まれています。このことを確信すると、この世で家族についての責任を果たしていく大きな励みになります。それは、この世にあっては愛のうちにともに暮らし、後の世にあっては喜びの再会と結びつきを待ち望むことができるからです。
不死不滅の状態に復活するという確かな知識は自分自身の死と向き合う勇気をも与えてくれます。予期しない死でもそうです。モルモン書のアンモンの民についてこうあります。「キリストと復活についての望みと思いがあったので、死を少しも恐ろしいと思わなかった。彼らにとっては、死はすでにそれに打ち勝つキリストの勝利にのまれてしまったのである。」(アルマ27:28)
不死不滅への確信は愛する者との別離に耐える力をも与えてくれます。だれもが人の死に涙し、悲しみのうちに葬儀に参列し、墓の傍らに立った経験があるでしょう。わたしもその一人です。わたしたちは復活を確実にしてくださった神をほめたたえるべきです。この世での別離をつかの間のものとし、悲しみを乗り越えていく希望と力を与えてくれるからです。
