「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -147ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

エテル6:5-8

そこで主なる神は、水の面に約束の地に向かって吹く激しい風を起こされた。そのために、船は追い風を受けて海の波の上を運ばれて行った。

そして船は、砕ける山のような波と、激しい風によって生じたすさまじい大暴風雨のために、何度も海の深みに沈められた。

さて、彼らの船は深みに沈められても、皿のように透き間がなく、ノアの箱船のようにしっかりして水が漏らなかったので、彼らは少しも水による害を受けなかった。そこで彼らは、海の深みに沈むと、主に叫び求めた。すると、主は船を再び水面に引き戻された。

そして、船が海上にある間、風は一度もやむことなく約束の地に向かって吹き続けた。そのために、彼らは追い風を受けて進んだ

 

「霊的な能力」2019年10月、ミッシェル・D・クレーグ、中央若い女性会長会

ニーファイ,ヤレドの兄弟,モーセはそれぞれ海を渡る必要がありましたが,それぞれ違う方法で渡りました。ニーファイは,「材木を入念な造りに」1ニーファイ18:1こしらえ,ヤレドの兄弟は,「皿のように透き間が〔ない〕」エテル6:5-8参照)船を造り,モーセは,「海の中のかわいた地を行」出エジプト14:29きました。

 

それぞれが自分に合った個人的な指示を受け,それを信頼して行動に移しました。主は従う人のことを心に留めておられ,ニーファイの言葉で言うなら,「主が命じられることには,それを〔わたしたちが〕成し遂げられるように主によって道が備えられて」1ニーファイ3:7いるのです。ニーファイは,「the way」ではなく「a way」と言っています。〔訳注—「the way」の場合,特定の道のことを指し,「a way」の場合,道は複数ある可能性を示している。〕

 

主が備えられた「道(a way)」が自分の期待する道と違うからといって,主からの個人的な用向きを逃したり,拒んだりしてはいないでしょうか。

 

……

 

御父の御心を求め,御心を行うことが日々の生活のリズムになるなら,皆さんは確かに,変わるよう,悔い改めるよう導かれていくことでしょう。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2024年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

エテル6:5

そこで主なる神は、水の面に約束の地に向かって吹く激しい風を起こされた。そのために、船は追い風を受けて海の波の上を運ばれて行った。

 

「風は一度もやまなかった」2024年10月、アロルド・B・カバルカンテ、七十人

主は「激しい風を起こ〔し〕」,ヤレド人が約束された祝福を受けるための追い風としてくださいました。エテル6:5同じように,わたしたちは主の御手の小さな風として奉仕するよう決心することができます。2ニーファイ2:14,16参照)ヤレド人のために,約束の地に向かって一度もやむことなく吹き続けた風のように,わたしたちも他の人々が神の祝福を受けられるように助けることができます。エテル6:8参照)

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2024年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

エテル6:3

このように主は、暗闇の中で石が輝くようにして、男や女、子供たちが暗闇の状態で大海を渡らなくてもよいように、彼らに光を与えられた。

 

「キリスト―闇の中に輝く光」2019年4月、シャロン・ユーバンク、中央扶助協会会長会

何年か前,わたしは,答えを見つけることができない疑問に対して心に重荷を感じ,いらいらしていました。ある土曜日の早朝に,わたしはちょっとした夢を見ました。その夢の中で見晴らし小屋が見えて,行ってその中に入るべきだと思いました。それは5つのアーチで囲まれていましたが,窓は石でできていました。そこは非常に狭苦しかったので中に入りたくないと思い,夢の中で不平を漏らしました。そうしていると,ヤレドの兄弟は忍耐強く石を溶かして透明なガラスを作ったという思いがわたしの心に浮かびました。ガラスは状態の変化を経た石です。主がヤレドの兄弟の石に触れたとき,暗い船の中で光輝きました。エテル6:3参照)突然,ほかのどの場所よりもその見晴らし小屋の中に入りたいという思いに満たされました。その場所はまさに,わたしが真に「見る」ことのできるたった一つの場所だったのです。目を覚ますと,わたしを悩ませていた疑問は解けませんでしたが,よりはっきりと次の疑問が心に思い浮かびました。「ヤレドの兄弟のように石を光に変えられるよう,信仰を強めるために何を行えばよいだろうか。」エテル4:7参照)

 

わたしたちの死すべき体の脳は,少しずつ理解し,少しずつ意味を知るように造られています。死すべき体を覆うベールがどうしてそれほど厚いのか,すべての理由は分かりません。永遠の進歩において,この世はすべての答えを受ける段階ではありません。わたしたちがまだ見ていない事実を確信する(または時には希望を持つ)ことを積み重ねる段階なのです。確信は簡単には分析できない方法でやって来ることもありますが,わたしたちの暗闇の中には光があります。イエスは言われました。「わたしは……光であり,命であり,世の真理である。」エテル4:12真理を探し求めている人にとって,最初は石で作られた愚かで閉塞感のある窓に思えるかもしれません。しかし,忍耐と信仰を持って問い続けるならば,イエスは石で作られた窓をガラスと光へと変えることができるのです。キリストは目を向けるべき光です