「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -127ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい

 

 

ジョセフ・スミス—歴史 1:20

その御方は再びわたしに、それらのどれにも加わることを禁じられた。また、ほかにも多くのことをわたしに言われたが、今はそれを書くことができない。わたしは再び我に返ると、自分が天を見上げて仰向けに横たわっているのに気づいた。光が去った後、わたしには力がなかった。しかし、間もなくある程度力を取り戻したので、家に帰った。そして、暖炉に寄りかかっていると、母がどうしたのかと尋ねた。そこでわたしは、「何でもありません。大丈夫です。元気です」と答えた。それから、わたしは母に、「長老派の教えは真実でないことが自分で分かりました」と言った。敵対する者が、わたしの生涯のきわめて早い時期に、わたしが彼の王国を妨げ悩ます者になると定められていたことに気づいたかのように思われる。そうでなければ、どうして闇の力がわたしに敵対して連合したのであろうか。どうしてわたしがまだ幼いときに、わたしに対して反対と迫害が起こったのか。

 

「すべての必要なものを得るために備える」2019年4月、デビッド・A・ベドナー、十二使徒定員会

末日聖徒イエス・キリスト教会の会員は各々,主の教えを学び,それに従って生活し,適切な権能により救いと昇栄の儀式を受ける責任を負っています。教会は,献身的な弟子となり最後まで勇敢に堪え忍ぶために,知るべきこと,行うべきことをすべて教え,指示してくれる組織だと期待するべきではありません。教義と聖約121:29参照)むしろ,学ぶべきことを学び,どう生きるべきか知っているとおりに生活し,主が望んでおられるような人物になるのは,わたしたち各々の責任なのです。そして,家庭は,学び,実践し,そのような人物になるための最も重要な場所です。

 

ジョセフ・スミスは子供のころ,家族から神について学びました。自分に対する神の御心を見いだそうとしたジョセフは,多くの異なるキリスト教の宗派の中で真理を探究し,聖文について熱心に考え,心から神に祈りました。御父と御子が御姿を現された直後に,少年ジョセフ・スミスが聖なる森から自宅に帰って最初に話した相手は母親でした。「暖炉に寄りかかっていると,母がどうしたのかと尋ねた。そこで〔ジョセフ〕は,『何でもありません。 大丈夫です。元気です』と答えた。それから,〔ジョセフ〕は母に,『……自分で分かりました』と言った。」ジョセフ・スミス—歴史 1:20ジョセフの経験は,学ぶことに関してわたしたち一人一人が倣うべき,力強い規範を示しています。わたしたちも自分で知る必要があるのです。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言たちの言葉2025年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい

 

 

ジョセフ・スミス—歴史1:19

すると、それらのどれにも加わってはならない、すべて間違っているからである、とのお答えであった。また、わたしに話しかけられた御方は、彼らの信条はことごとくその目に忌まわしいものであり、信仰を告白するそれらの者たちはすべて腐敗しており、「彼らは唇をもってわたしに近づくが、その心はわたしから遠く離れている。彼らは人の戒めを教義として教え、神を敬うさまをするけれども神の力を否定している」と言われた。

 

「主イエス・キリストの弟子となる」2017年4月、ロバート・D・ヘイルズ、十二使徒定員会

救い主の弟子となるように招く,使徒ペテロの言葉に耳を傾けてください。

 

「あなたがたは,力の限りをつくして,あなたがたの信仰に徳を加え,徳に知識を,

知識に節制を,節制に忍耐を,忍耐に信心を,

信心に兄弟愛を,兄弟愛に愛を加えなさい。」2ペテロ1:5-7

 

この聖句から分かるように,主の弟子として自分の霊のタペストリーを織るのに必要な糸は,1本だけではありません。救い主の時代,自らが生活のある面において義にかなっていることを主張する人が大勢いました。彼らは,わたしがえり好みの従順と呼ぶものを行っていたのです。例えば,安息日には働かないようにとの戒めは守りましたが,その聖日に病人を癒された救い主を非難しました。ルカ13:14参照)貧しい人に施しましたが,自分の必要としない余ったものだけを差し出しました。(ルカ21:4参照)断食しましたが,その表情は陰気でした。マタイ6:16参照)祈りましたが,ただ人に見せようとして行いました。マタイ6:5アルマ38:13も参照)「彼らは唇をもってわたしに近づくが,その心はわたしから遠く離れている」と,イエスは述べておられます。ジョセフ・スミス—歴史1:19イザヤ29:13ルカ6:46も参照)そのような男女は,特定の特質や振る舞いを身につけることに心を注ぐかもしれませんが,その内面は必ずしも,主に似た者とはならないのです。‎

 

……

 

救い主の数々の特質を,倣うべき台本,もしくはなすべきことを列挙したチェックリストのように捉えるべきではありません。それは,様々な特性が織り込まれ,重なり合い,影響し合いながら,わたしたちの内面に育まれていくものなのです。つまり,キリストのような特質の一つを身につけるには,ほかの特質も身につけ,影響をもたらすことが欠かせません。一つの特質が強まれば,ほかの多くの特質も強まります。

ペテロの第二の手紙教義と聖約第4章から,主イエス・キリストを信じる信仰が土台であると分かります。信仰によってどのような行いをなすのか,つまり,従順の度合いによって,わたしたちの信仰は測られます。「あなたがたはわたしを信じるならば,わたしの心にかなうことを何事でも行う力を持つであろう‎」と主は約束しておられます。信仰は変化を促します。モロナイ7:33行いや,徳高い生活を伴わない信仰に,主の弟子となるよう促す力はありません。それはまさに,むなしい信仰です。ヤコブの手紙2:20参照)

 

 

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

ジョセフ・スミス―歴史1:18

わたしが主にお伺いしようとした目的は、自分が加わるべき教派を知るために、すべての教派のうちのどれが正しいかを知ることであった。そこで、わたしは我に返って物を言えるようになるやいなや、わたしの真上で光の中に立っておられた方々に、すべての教派のうちのどれが正しいか(当時は、すべての教派が間違っているということなど、わたしの心に思い浮かびもしなかったからである)、また自分はどれに加わるべきかを伺った。

 

「十二使徒」(英文)1996年10月、ボイド・K・パッカー、十二使徒定員会

しかしやがて、当時の使徒たちは去り、鍵も取り去られてしまいました。パウロはその状態について、「様々な教の風に吹きまわされる」と預言しています(エペソ4:14)。それが現実となりました。信仰の一致どころか、分裂と不一致が生じました。

 

若きジョセフ・スミスがどの教会が正しいか、どこに加わるべきかを知るために祈り求めたのは、そのような中でのことでした。ジョセフ・スミス―歴史1:18この神権時代の幕開けとなったのは、ジョセフへの御父と御子の示現でした。そして、使徒たちや預言者たちという土台の上に建てられた原始教会の組織そのままの、イエス・キリストの完全な福音が回復されました。信仰箇条 1:6; エペソ2:20

 

中には、教会の組織の詳細が、建物の設計図や明細図のように初めからまとめて与えられていたと考える人がいます。しかし、そうではありませんでした。当時の教会の幹部の兄弟たちに準備ができ、しかも彼らが祈り求めてからでなければ与えられなかったのです。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2025年版(BOX)