「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -111ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

教義と聖約19:1

わたしはアルパでありオメガであり、主なるキリストである。すなわち、わたしは初めであり終わりである者、世の贖い主である。

 

「ホサナ,ハレルヤ―生けるイエス・キリスト:回復と復活祭の中心」2020年4月、ゲレット・W・ゴング、十二使徒定員会

1836年4月3日,回復初期の復活祭の日曜日にカートランド神殿が奉献された後,生けるイエス・キリストが御姿を現されました。そこで主にお会いした人々は,炎と水という互いに補い合う対称的な言葉で主について証しました。「その目は燃える炎のようであり,その頭髪は清らかな雪のように白く,その顔は太陽の輝きに勝って光り輝いていた。また,その声,すなわちエホバの声は大水の奔流のとどろきのようで〔あっ〕た。」教義と聖約110:3

 

そのとき救い主はこう宣言されました。「わたしは最初であり,最後である。わたしは生きている者であり,殺された者である。わたしは父に対するあなたがたの弁護者である。」教義と聖約110:4ここでも対称的な言葉,「最初」と「最後」,「生きている者」と「殺された者」が使われています。主はアルパでありオメガであり,初めであり終わりであり,黙示1:83ニーファイ9:18教義と聖約19:138:145:7参照)導き手であり完成者であられるのです。へブル12:2モロナイ6:4参照)

 

 

 

Vision at Kirtland Temple, 2019 by Jorge Cocco Santangelo

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2025年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

教義と聖約18:23–24

見よ、イエス・キリストとは、父から与えられている名である。この名のほかには、人に救いを与えることのできる名は与えられていない。

それゆえ、すべての人は、父から与えられているこの名を受けなければならない。この名によって、人々は終わりの日に呼ばれるからである。

 

「純粋でシンプルなイエス・キリストのまことの福音」2019年4月、M・ラッセル・バラード、十二使徒定員会

わたしの子供の一人がこう言ったことがあります。「お父さん,日の栄えに入れるかどうか自信がないんだけど。」わたしはこう答えました。「天の御父がわたしたちに望んでおられるのは,日々最善を尽くすことなんだよ。」兄弟姉妹の皆さん,来る日も来る日も最善を尽くしてください。そうすれば,天の御父が自分のことを御存じで愛してくださっていることが,いつの間にか分かるようになってるでしょう。そして,それが分かったならば,ほんとうに分かったならば,皆さんの人生には真の目的と意味が生じ,皆さんは喜びと平安に満たされることでしょう。

 

救い主は世の光として,こう言われました。「わたしを信じる者〔は〕,やみのうちにとどまらない……。」ヨハネ12:46

 

「見よ,イエス・キリストとは,父から与えられている名である。この名のほかには,人に救いを与えることのできる名は与えられていない。

 

それゆえ,すべての人は,父から与えられているこの名を受けなければならない。」教義と聖約18:23–24

 

サタンは人々を闇に導くことを望んでいると,聖典は教えています。サタンはイエス・キリストの福音の光と真理をさえぎるために,どんなことでもします。リーハイが子供たちに教えたように,悪魔は「すべて​の​人​が​自分​の​よう​に​惨め​に​なる​こと​を​求めて​いる」のです。2ニーファイ2:27天の御父の「業であり,……栄光」が「人​の​不死​不滅​と​永遠​の​命​を​もたらす​こと」だとすると,ルシフェルの「業」は無窮の惨めで不幸な状態に神の子供たちを追いやることです。(モーセ1:39)罪と背きは,生活にあるキリストの光を弱めます。だからわたしたちは,平安と喜び,幸福を与えてくれるキリストの光を浴びるために努力するのです。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2025年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

教義と聖約18:15

あなたがたはこの民に悔い改めを叫ぶことに生涯力を尽くし、一人でもわたしのもとに導くならば、わたしの父の王国で彼とともに受けるあなたがたの喜びはいかに大きいことか。

 

「イエス・キリストの福音」2008年4月、L・トム・ペリー、十二使徒定員会

終わりまで堪え忍ぶことは独りでは決してできません。まず,救い主の贖いの力が必要です。清くならなければ天の御父のみもとに戻れないので,わたしたちは悔い改め続けなければなりません。あらゆる瞬間で悔い改めることが理想的ですが,聖餐を受け,バプテスマの聖約を新たにするために毎週聖餐会にも出席します。第2に,終わりまで堪え忍ぶには聖霊が必要です。聖霊はわたしたちを導くとともに聖きよめてくださいます。第3に,わたしたちは聖徒たちの中で欠かせない存在となり,福音における兄弟姉妹と仕え合わなければなりません。バプテスマによってわたしたちはキリストの体の一部になります1コリント12:11-13参照)。一人一人に役割があり,皆大切な存在ですが,成功するためには救い主にあって一つとならなければなりません。第4に,福音を人々に伝えなければなりません。たった一人でも主のみもとに導くときに受ける約束は深遠で永遠です教義と聖約18:15参照)。加えて,頻繁に福音を伝える人は,福音が心の中でさらに深く根づくようになります。5番目に,最後まで堪え忍ぶにはキリストへの信仰と希望を絶えず持ち続けなければなりません。堪え忍ぶための方法は数多くありますが,祈り,断食,聖文を読むこともその中に含まれています。これらによって狡猾こうかつな策略や敵対する者の火の矢に対して防備を固めることができます。

 

わたしはイエス・キリストの福音を愛しています。福音は,福音の実を食べて,その実でしか味わえない「非常に大きな喜び」1ニーファイ8:12を経験し,この世のあらゆる困難にあって最後まで堪え忍ぶ方法を定めているからです。福音はわたしたちが復活し栄光を受けた者として,天の御父のみもとに帰って住むために必要なすべての知識を与えてくれます。わたしたちが皆,永遠の命の光景を引き続き心に思い浮かべることができますように。イエス・キリストの福音という永遠の命のレシピにある手順を熱心に守ることができますように。最後まで堪え忍べますように。イエス・キリストの御名により,アーメン

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2025年版(BOX)