見よ、イエス・キリストとは、父から与えられている名である。この名のほかには、人に救いを与えることのできる名は与えられていない。
それゆえ、すべての人は、父から与えられているこの名を受けなければならない。この名によって、人々は終わりの日に呼ばれるからである。
「純粋でシンプルなイエス・キリストのまことの福音」2019年4月、M・ラッセル・バラード、十二使徒定員会
わたしの子供の一人がこう言ったことがあります。「お父さん,日の栄えに入れるかどうか自信がないんだけど。」わたしはこう答えました。「天の御父がわたしたちに望んでおられるのは,日々最善を尽くすことなんだよ。」兄弟姉妹の皆さん,来る日も来る日も最善を尽くしてください。そうすれば,天の御父が自分のことを御存じで愛してくださっていることが,いつの間にか分かるようになってるでしょう。そして,それが分かったならば,ほんとうに分かったならば,皆さんの人生には真の目的と意味が生じ,皆さんは喜びと平安に満たされることでしょう。
救い主は世の光として,こう言われました。「わたしを信じる者〔は〕,やみのうちにとどまらない……。」(ヨハネ12:46)
「見よ,イエス・キリストとは,父から与えられている名である。この名のほかには,人に救いを与えることのできる名は与えられていない。
それゆえ,すべての人は,父から与えられているこの名を受けなければならない。」(教義と聖約18:23–24)
サタンは人々を闇に導くことを望んでいると,聖典は教えています。サタンはイエス・キリストの福音の光と真理をさえぎるために,どんなことでもします。リーハイが子供たちに教えたように,悪魔は「すべての人が自分のように惨めになることを求めている」のです。(2ニーファイ2:27)天の御父の「業であり,……栄光」が「人の不死不滅と永遠の命をもたらすこと」だとすると,ルシフェルの「業」は無窮の惨めで不幸な状態に神の子供たちを追いやることです。(モーセ1:39)罪と背きは,生活にあるキリストの光を弱めます。だからわたしたちは,平安と喜び,幸福を与えてくれるキリストの光を浴びるために努力するのです。
