「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -109ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

教義と聖約19:16

見よ、神であるわたしは、すべての人に代わってこれらの苦しみを負い、人々が悔い改めるならば苦しみを受けることのないようにした。

 

「あなたは、わたしの手である」(英文)2010年4月、ウークトドルフ、大管長会

このことを念頭に置いて、心を他の人に向け、思いやりをもって手を差し伸べましょう。 だれもがそれぞれにいばらの道を歩んでいるのですから。イエス・キリスト、わたしたちの主の弟子として、わたしたちは非難するためではなく、支え、癒すために召されています。 悲しむ者とともに悲しみ、慰めを必要とする者を慰めるよう命じられているのです。モーサヤ18:9参照)

 

人の苦しみを、「自業自得だ」などと考えるのは、キリスト教徒としてふさわしいことではありません。 復活祭の日曜日は、救い主がわたしたち全員の痛みや病、苦しみを進んで引き受けてくださったことを思い起こす絶好の日です。苦しんで当然のように見えるわたしたちの苦しみさえも、主は引き受けてくださいました。アルマ7:11-13教義と聖約19:16参照)

 

箴言にはこう書かれています。「友はいずれの時にも愛する。兄弟は悩みの時のために生まれる。」箴言17:17どのようなときでも愛そうではありませんか。そして、特に逆境にあるときには、兄弟姉妹のそばにいて、支えようではありませんか。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2025年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

教義と聖約19:15-17

それゆえ、わたしは、悔い改めるようにあなたに命じる。わたしの口の鞭によって、わたしの憤りによって、またわたしの怒りによって打たれて、つらい苦しみを被ることのないように、悔い改めなさい。これらの苦しみがいかにつらいか、あなたは知らない。いかに激しいか、あなたは知らない。まことに、いかに堪え難いか、あなたは知らない。

見よ、神であるわたしは、すべての人に代わってこれらの苦しみを負い、人々が悔い改めるならば苦しみを受けることのないようにした。

しかし、もしも悔い改めなければ、彼らはわたしが苦しんだように必ず苦しむであろう。

 

「悔い改めと改心」2007年4月、ラッセル・M・ネルソン、十二使徒定員会

教義と聖約第19章を読めば,主が悔い改めを絶対不可欠なものとして強調しておられることは明らかです。「わたしは,悔い改めるようにあなたに命じる。わたしの口の鞭によって,わたしの憤りによって,またわたしの怒りによって打たれて,つらい苦しみを被ることのないように,悔い改めなさい。これらの苦しみがいかにつらいか,あなたは知らない。いかに激しいか,あなたは知らない。まことに,いかに堪え難いか,あなたは知らない。

 

見よ,神であるわたしは,すべての人に代わってこれらの苦しみを負い,人々が悔い改めるならば苦しみを受けることのないようにした。

 

しかし,もしも悔い改めなければ,彼らはわたしが苦しんだように必ず苦しむであろう。」教義と聖約19:15-17

 

主が悔い改めるように強く求めておられるのに,たいていの人はその差し迫った必要性をあまり感じていません。※1 そのような人たちは,自分のことを善良であろうと努力している人間であると考えているのです。※2 彼らに悪意はありません。しかし,主はその教えの中ではっきりと,すべての人が悔い改めなければならないと言っておられます。単に,してはならないことをした罪だけでなく,なすべきことを怠っている罪も悔い改めよと言っておられるのです。子供を持つ親に与えられた次の警告がその良い例です。「シオンにおいて,……子供を持つ両親がいて,……悔い改め,生ける神の子キリストを信じる信仰,およびバプテスマと按手による聖霊の賜物の教義を理解するように彼らを教えなければ,罪はその両親の頭にある。」教義と聖約68:25

 

※1 「悔い改め」という意味の「repent」という言葉から「罰」という意味のある「penalty(罰則)」や「penalize(罰則を適用する)」という言葉を連想し,罰の伴わない罪は悔い改める必要がないと推論する人もいるかもしれない。

※2 スペンサー・W・キンボール大管長はこう述べている。「たぶんぼんやりと皆がそう思っていることがあります。すなわち,主は悔い改めを,殺人,姦淫,盗み,そのほかの忌まわしい罪を犯した人々のためだけに備えられたのだという考えです。もちろんそうではありません。もしわたしたちが謙遜であって,福音に従って生活したいと望んでいるならば,悔い改めは,霊的なことであろうとこの世的なことであろうと,自分が人生で行うすべてのことに当てはまると考えるようになるでしょう。悔い改めはまだ完全な状態に到達していないすべての人のために備えられているのです。」(『歴代大管長の教え――スペンサー・W・キンボール』37) 1ヨハネ1:8;モーサヤ4:29-30も参照

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2025年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

教義と聖約19:4,15,17

人は皆必ず悔い改めなければならない。そうしなければ苦しみを受ける。神であるわたしは無窮である。

それゆえ、わたしは、悔い改めるようにあなたに命じる。わたしの口の鞭によって、わたしの憤りによって、またわたしの怒りによって打たれて、つらい苦しみを被ることのないように、悔い改めなさい。これらの苦しみがいかにつらいか、あなたは知らない。いかに激しいか、あなたは知らない。まことに、いかに堪え難いか、あなたは知らない。

しかし、もしも悔い改めなければ、彼らはわたしが苦しんだように必ず苦しむであろう。

 

「御父の計画における神の愛」2022年4月、ダリン・H・オークス、大管長会

現世の後に最終的に訪れる裁きについて,一般的に誤解されていることは,善良な人々は天国と呼ばれる場所に行き,悪い人々は地獄と呼ばれる終わりのない場所に行くということです。最終目的地が二つのみであるという誤った憶説は,天国に行くために求められる戒めをすべて守れない者は必ず永遠に地獄に行くということを示唆しています。

 

愛にあふれる天の御父は御自分の子供たちのためにより良い計画をお持ちです。回復されたイエス・キリストの教会において明らかにされた教義では,神の子供たちは皆,(ここで取り上げるにはあまりにまれな例外を除き)最終的に栄光の王国に行くことになると教えられています。教義と聖約76:40-43参照)「わたしの父の家には,すまいがたくさんある」ヨハネ14:2とイエスは教えられました。現代の啓示から,わたしたちはそれらの住まいには3つの異なる栄光の王国があることを知っています。最後の裁きにおいて,わたしたち一人一人は自分の行いと心の望みに応じて裁かれます。教義と聖約137:9参照)しかし,その前に悔い改めができていない自らの罪のために苦しむことが必要となります。聖文はこのことを明確にしています。2ニーファイ9:10-12教義と聖約19:4,15,17138:57-59;『聖句ガイド』「地獄」の項参照)そして,義にかなった裁き主が,それらの栄光の王国の一つに住まいを与えてくださいます。現代の啓示から分かることですが,このように,すべての人は「裁かれ……自分の行いに応じて,用意されている住まいにおいて自分の領域を受ける」教義と聖約76:111のです。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2025年版(BOX)