見よ、神であるわたしは、すべての人に代わってこれらの苦しみを負い、人々が悔い改めるならば苦しみを受けることのないようにした。
「あなたは、わたしの手である」(英文)2010年4月、ウークトドルフ、大管長会
このことを念頭に置いて、心を他の人に向け、思いやりをもって手を差し伸べましょう。 だれもがそれぞれにいばらの道を歩んでいるのですから。イエス・キリスト、わたしたちの主の弟子として、わたしたちは非難するためではなく、支え、癒すために召されています。 悲しむ者とともに悲しみ、慰めを必要とする者を慰めるよう命じられているのです。(モーサヤ18:9参照)
人の苦しみを、「自業自得だ」などと考えるのは、キリスト教徒としてふさわしいことではありません。 復活祭の日曜日は、救い主がわたしたち全員の痛みや病、苦しみを進んで引き受けてくださったことを思い起こす絶好の日です。苦しんで当然のように見えるわたしたちの苦しみさえも、主は引き受けてくださいました。(アルマ7:11-13、教義と聖約19:16参照)
箴言にはこう書かれています。「友はいずれの時にも愛する。兄弟は悩みの時のために生まれる。」(箴言17:17)どのようなときでも愛そうではありませんか。そして、特に逆境にあるときには、兄弟姉妹のそばにいて、支えようではありませんか。
