その苦しみは、神であって、しかもすべての中で最も大いなる者であるわたし自身が、苦痛のためにおののき、あらゆる毛穴から血を流し、体と霊の両方に苦しみを受けたほどのものであった。そしてわたしは、その苦い杯を飲まずに身を引くことができればそうしたいと思った。
「日の栄えの考え」2023年10月、ラッセル・M・ネルソン大管長
最近のけがによる激痛と闘っていたとき,わたしはイエス・キリストと主の贖罪という計り知れない賜物に対して,より深い感謝の念を抱きました。考えてみてください。救い主は,必要なときにわたしたちを慰め,癒し,救うことができるように,(アルマ7:11)「あらゆる苦痛と苦難と試練を受けられ」(アルマ7:12参照)ました。イエス・キリストは,ゲツセマネとカルバリでの経験について,こう説明されました。「その苦しみは,神であって,しかもすべての中で最も大いなる者であるわたし自身が,苦痛のためにおののき,あらゆる毛穴から血を流し……たほどのものであった。」(教義と聖約19:18)わたしはこのけがの痛みにより,「イスラエルの聖者の偉大さ」(2ニーファイ9:40)を何度も何度も思い返しました。けがから回復する間,主は安らかで疑いようのない方法で,主の聖なる力を現してくださいました。
イエス・キリストの無限の贖罪により,天の御父の計画は完全な計画となりました。神のすばらしい計画を理解すると,人生から不可解なことがなくなり,未来から不確実なことが取り除かれます。わたしたちは各自,この地上でどのように生活するか,そしてどこで永遠に生活するか,選択することができるのです。「明日は死ぬ身なのだから,飲み食いし,楽しみなさい。そうすれば,わたしたちは幸せだ。」(2ニーファイ28:7)これは根拠のない考えで,この世で最もとんでもないうその一つです。
神の計画に関する良い知らせをご紹介します。この世で最高の生活を送るための秘訣は,皆さんの生活を永遠にわたって最高のものにするための秘訣とまさに同じです。今日,天の御父が用意されている豊かな祝福にふさわしくなれるように,「日の栄えの考え」を身につけるようお招きします。※ 「日の栄えの考え」を抱くということは,霊的な思いを抱くことを意味します。わたしたちはモルモン書の預言者ヤコブから,「霊的な思いを抱くことは永遠の命である」(2ニーファイ9:39)ことを学びました。
※悔い改めて霊的に成長することは,霊が肉体と結合しているこの世で行う方が,次の世で,死と復活の間に行うよりも,容易であるという見方がされています。アミュレクが背教したゾーラム人に教えたように,「現世は人が神にお会いする用意をする時期」です(アルマ34:32—35参照)。
