暗中模索
宮下純です
さて、桜としての日記を書いていた私ですが……一年って長いです。
書いているのは何をしたかと、飛雄の様子。
桜は自分のために何かをするという事は基本的にしない。
疲れるということはないし、寝る、という必要もない。
寝ない、ということは一日がかなり長いです。
ふと、桜は自分の仕事を終え、飛雄が寝てしまった後に何をするのだろう、と考えました。
人間なら趣味に時間を費やすところでしょうが、桜はヒューマノイド。
家電だったら電源オフだけど、桜は常に待機中。
テレビを見て面白いことを研究するか、飛雄に気に入られることを考える。
誰かのために生きている。
嫌われても、受け入れられなくてもそれでも努力をする。
桜は言う。
「飛雄君に会えて嬉しかった」と。
嘘ではない言葉だ。
飛雄は私を受け入れていない。
だけど、私は嬉しかったのだ。
喧嘩をする。
だけど、会話ができることが楽しい、とか。
顔を見られるだけで嬉しい、とか。
桜は、最終的には負の感情を抱く。
途中まではそれはない。
抱くきっかけは明確に台本に書いてある。
だから、私が作るものは飛雄に好かれるために努力をし、結論に気づく寸前までの桜だ。
どこまでを気づき、何処から気づいていないのか。
その明確な線引きをしたい。
何を感じるのか、何を感じないのか。
一気にわき出る負の感情をどこでせき止めていたのか。
桜は、三体のヒューマノイドの中で一番振れ幅が大きいと思っている。
一番ヒューマノイドらしかったのに、一番人間に近くなる。
台本には明確なプランが書かれているのに、埋める作業ができていない。
何が必要で、何が不必要なのか。
その線引きがまだ出来ていない。
シルエットしか見えてきていない。
初めに見えている気がしていたものすら、今は見えなくなってきている。
どうすればいいのだろう……。
俺たちはアマくない。
旅人がある町を通りかかった。
その町では新しい教会が建設されているところであり、建設現場では二人の石切り職人が働いていた。
その仕事に興味を持った旅人は、一人の石切り職人に聞いた。
「あなたは何をしているのですか?」
その問いに対して、石切り職人は不愉快そうな表情を浮かべ、ぶっきらぼうに答えた。
「この忌々しい石を切るために、悪戦苦闘しているのさ。」
そこで旅人は、もう一人の石切り職人に同じことを聞いた。
すると、その石切り職人は表情を輝かせ、生き生きとした声でこう答えた。
「ええ、いま私は、多くの人々の心の安らぎの場となる素晴らしい教会を造っているのです。」
どのような仕事をしているか。
それが、我々の「仕事の価値」を定めるのではない。
その仕事の彼方に何を見つめているか。
それが、我々の「仕事の価値」を定めるのだ。
これは職場研修などで、よく使われる講話の一つ《二人の石切り職人》だ。
多くの職場では「夢を語るのは気恥ずかしい。。。」などと、なかなか友人同士や仕事仲間で語り合う機会がないだろう。
そんな中でCFAのように「俳優として一流になるには、俺たちはどうすればいいのだろう?」
「新たな映画の可能性に向かって、俺たちはこうしていきたいんだ!」
と真剣に考えられる環境は貴重だと思う。
ただ、上から与えられた仕事をこなすだけ、、、組織の中で1つの役割をこなすだけ、、、ではなく、自立的に自分の考えを会社(仕事)の夢として語れる環境は、人生の一部として働きやすいと感じる。
こうした環境は知るものではなく、感じてもらうものだから、どうしても文章では伝えづらいと思うし、世の中にナメられやすい。
それが俺はすごくもどかしくてたまらない。
だからこそ、皆さんには上映会に来てほしい!!
一日限りの上映会。
どういう価値にするかは俺ら次第。
しかし、俺たちは決して裏切らない。
俺たちはアマくないんだ。
「情熱」と「野望」と「ライバル」を持った『プロ』だから。
「一度きりで構わないから来てくれ!!」
北舘祐太郎
北舘祐太郎の本気ブログ
「オスカーへの道」
http://m.ameba.jp/m/blogTop.do?unm=urotauyu


