あらゆる生命は環境と繋がっている。
誰も単独では生きていない。
それはカルマの現象化にも特徴をもたらしている。
現象化は社会全体の大きな性質や時代性にも関係がある。
私は過去に何度か大病し、死線を彷徨った。
先端医療のお陰で助かった。
もしその時、命を落としていたら、今の私の充実した生活や霊的進化はなかったわけだ。
では、私は医療の発達していない大昔に生まれていたら、進化のチャンスが得られなかったのだろうか?
当時の医療技術では助からなかったはずだから、その後の修行のチャンスも得られなかったはずだ。
だがカルマは、環境と無関係に現象化するわけではない。
昔は昔、今は今である。
もし不幸現象で苦しむカルマがあったとしても、「○○歳で死ぬ」というカルマが無かった場合、助かる可能性が高い。
どんな大病になっても…。
医療技術が発達していない大昔に生まれたとしても同じである。
その場合は、「当時の医療技術でも助かるレベルの大病」になったかもしれない。
または、病気以外の形で苦しみが現象化されるのかもしれない。
環境を構成する様々な要素がある。
カルマにも様々な条件がある。
カルマと環境。両者の条件が一致した時、初めて現象化する。
「因」はそのまま単独で「果」をもたらすのではない。
縁に触れて現象化するのだ。
だから個人のカルマの現象化も、環境に合った形になる。
先日、某チャネラーが発表している神示・メッセージを読んで、違和感を覚えた。
その人は現代医療を批判していた。特に「大昔には助からなかった病気」の場合、それで死ぬのが自然であるかのようなメッセージを発表していたのだ。
昔は生きるのも死ぬのも自然だった…と。
今は現代医療のせいで寿命が延びすぎてしまい、それは不自然だと。
しかも、「本来ならば存在することが無かった命が存在する事により、社会の未来を変えてしまい、軋みが生じる」とまで述べていた。
現代医療には色々な問題がある。
だが、昔の人々の死の在り方だけが自然だったという見解はおかしい。
短絡的すぎる。
医療はその時代その時代にあった。
縄文時代にも医療はあった。
技術を用いて、外側から働きかけて自然治癒力を刺激し、病気を癒すことが行なわれていた。
例のチャネラーさんは、いつの時代の医療技術と死に方が一番自然だったと考えているのか?
いつの時代にも「外から働きかける技術」が存在し、人々はそれで救われてきたのだ。
つまり未来を変えたことになる。
このチャネラーさんは、認知症にも特異な見解を出していた。神のお告げという形で…。
認知症になったご老人は、本来もう生きるべき命ではない…と。
魂はすでにあの世に行ってるのだから、不自然に生かし続けるべきではない…と。
人類の寿命が短かった時代は、認知症はなかった…と。
事実は全く異なる。
大昔も認知症に相当するような病気はあった。
少し調べれば分かることだ。
神様からのメッセージ?
貴方がチャネリングしている神様は、そんな簡単なことも知らなかったのか?
ただ当時は、医療が発達していなかったので、原因がよく分からなかっただけ…。
認知症という用語も新しいものだ。
犬や猫などの動物さえ認知症を発症するケースが報告されている。
霊能者やチャネラーが「神示」という権威付けをしても、現実の証拠を覆すことは出来ない。
それでも妄想に執着し、現実を否定したがる人は、陰謀論的な発想に走ってしまうケースが多い。
私も無理な延命治療には賛成しない。
現代医療の延命治療には問題が多いと思っている。
だが現代人の平均寿命の向上は、延命治療だけが原因ではない。
若い人も医療で助かっているのだ。
衛生環境や衛生技術の発達による乳児の死亡率の低下も、平均寿命の向上に大きな貢献を果たしている。
例のチャネラーさんは、以前、病気や寿命についていろいろ考えた事があったのかもしれない。
でも、自分の知能レベルを超えた洞察はできなかった…。
カルマと環境の関係について無智だった。
その中途半端なマインドから生まれた推論や想像のイメージ記憶が潜在意識にインプットされた。
当然、リンクするアストラル界に同質の世界観が作られる。
すると、その世界観に共鳴したアストラルの霊的存在がコンタクトしてきて、神示のようなメッセージを降ろすわけだ。
邪霊が多いけどね。
多くの霊能力者やチャネラーが、この原理でメッセージを受信している。
全てのチャネラーがダメダメと言いたいわけではない。
優秀なチャネラーや巫女もいるだろう。
だが、私の知る限り、99%のチャネラーは「どうしようもないレベル」である。
無意識的に承認欲求を満たそうとしている。
要するに「私は〇〇神様からメッセージを頂けるほど凄い人間なんだわ」と自己陶酔しているのである。
エゴを肥やしているのだ。特別意識というエゴを…。
お前みたいな穢れた奴に、畏れ多くも〇〇大神が本当に降臨するのか、胸に手を当ててよく考えろ。
恥ずかしい奴だ。
畏れを知らない奴は正真正銘のバカタレである。
「〇〇神社に呼ばれたので、行ってみた」
と語るチャネラーや霊能者も多いが、私が見る限り、やはり99%は罠である。
呼んでいたのは神ではなく、邪霊なんだよ!!
エゴを浄化していない能力者は、簡単に罠に堕ちる。実に呆気ないものだ。
こんな輩を騙すのは、赤子の手をひねるより簡単。
邪霊にとっては格好の餌である。
真のスピリチュアルは、エゴの罠を見破り、真の自分自身に鎮まることだ。
よく覚えておけ。
それが貴方の迷妄を祓うことにつながるのだから…。
臨済宗の開祖・臨済義玄
「仏に逢うては仏を殺し、祖師に逢うては祖師を殺せ」
冒頭の話に戻るが、貴方が貴方自身の魂を生きたいと願うなら、環境の整備は必須である。
出来ることから始めればよい。
どうせカルマは必ず現象化する。けじめをつけろと迫られる。
そのとき、最悪の形で清算を迫られないようにするには、環境の浄化と整理が欠かせない。
縁の力である。
大難を中難に。中難を小難に…。
環境が乱れていると、本来は小難で済むはずだったカルマ解消が、大難の規模で襲い掛かってくる可能性がある。
これも「縁」の繋がりによるものだ。
世の中には運の良い人と悪い人がいる。それが「縁」なのだ。
私が助かったのも、環境を浄化していたからだろう。
祖母の信仰心にも助けられた。
私の自宅の庭では不動明王を祭っている。
私が生死の境を彷徨っていた頃、祖母は大好物のソーセージと鶏肉を一年間も断って、お不動さんに願掛けしてくれたのである。