エンライト代理人より。
2ヵ月前の話になります。8月のエンライトブログはいつもよりアクセス数が多かったです。
SNSでも話題にする人がいたみたいです。
8月に発表した記事の中で特に話題を呼んだのは…
似非アセンション、
ライオンズゲート詐欺、
インチキ右脳論
についての記事でした。
量子スピリチュアル詐欺を検証する記事も反響を呼びました。
こちらは7月に発表した記事ですけども…。
右脳ブームは90年代に終焉を迎えましたが、ここ10年ほどで再び流行の兆しが見えてきました。
でも…その右脳論は数十年前の古臭い脳科学がモデルであり、最新の脳科学では否定されています。
その否定された右脳論に謎のオカルト論を融合させたのが最近の「インチキ右脳論」です。
数年前にエンライト氏が厳しく批判・検証していたことですよね。
私達エンライト代理人チームも改めて調べてみまして、本当に右脳が再注目を浴びている事が分かりました。
最近、目に付いたのはネドじゅんという人です。
三脳バランス研究所という有料オンラインサロンに人々を勧誘しています。
「左脳が頭の中の自動おしゃべり生み出すので、その思考を止めよう」
「右脳を活性化させよう」
という教えを説いています。
瞑想家まっすー(枡田智)さんが、ネドじゅんさんとお友達であり、やはり科学的エビテンスの無い右脳理論を説いています。
要注意ですね。
エンライトが指摘したように、典型的な疑似科学・トンデモ科学です。
その根拠となる検証記事は8月にリリースしています。
「右脳ビジネスは詐欺です」
「思考を止めるのは無駄な努力です」
「直感は左脳から生まれる」
彼らの教えは分別知性がベースです。左脳がフル稼働しています。
本人は「左脳の思考が止まった」「右脳が活性化された」と言ってるけど、左脳も忙しく働いていますよ。
たぶん、その事実に気付いていなかったのでしょうね…。
自己観察の基本すら修めていない証拠です。
左脳や思考が動くことは悪い事ではありません。
エンライトも分別知性の必要性を訴えています。
でも分別知性の方向性…、在り方が問題なのです。
左脳や思考のことを徒らに問題視し、その働きを止めたり、排除しようとする。
それがおかしいわけです。
深い瞑想中じゃない限り、エゴの思考は必ず動いています。マインドが働いています。
なので大切なことは思考を止めることではなく、思考の動きに常に気付いていることです。
ええ、自己観照です。
覚醒者のスティーブン・ノーキストも「エゴは消せない。残り続ける。だから気付いている事だけが求められるのだ」と言ってますね。
詳細はエンライトの過去記事をご覧あれ。
「嘘を言いたくなかった人達」
ネドじゅんさんが教えるメソッドを実践して、「頭のおしゃべりが止まった」と言う人達がいます。
本当は止まっていません。
原理的に不可能です。
心臓が動き、呼吸しているときは必ず思考が働いています。
頭のおしゃべりが多少おとなしくなる効果はあるかもですが、思考の影響は強く受けています。
思考を止めるには無想三昧という究極に近い瞑想状態に入る必要があります。
このとき瞑想者の心臓や呼吸はストップしています。
もちろん死んでいません。
エンライト氏もそのステージを体験していました。
お知り合いの内科医の協力で、実験したことがあり、そのログが残っています。
心臓や呼吸はもちろん、脳波も止まっていたそうです。
科学的には脳死ですが、「定」を解けば、脳波も心臓も呼吸も復活します。
ホワイト・ターラーという仏法伝道者が、ネドじゅんさんのことを称賛しています。
「彼女は完璧に悟っています」と…。
へええ、悟っているんですか?
そんな凄い人がインチキ脳理論に騙されるとは…。
しかも、ネドじゅんさんはインチキ脳理論をベースに、ますます話を膨らませ(もはやオカルトの領域)、商売してますよね?
騙された側が騙す側に替わったわけです。もろにカルマですね。
業のシーソーゲーム。
泥沼ですよ、それって…。
彼女のことを絶賛したホワイト・ターラーさんは「真実の仏法」を伝える活動をしています。
以前「人を責めず、批判せず、討論せず、攻撃的にならないことが大切です」と訴えていました。
でもホワイト・ターラーさん自身はとても批判精神がお盛んで、他者批判を頻繁に繰り返しています。
「〇〇さんの仏教解釈は間違っている」
「△△さんは覚醒していない」
と名指しで…。
何回も何回もその種のコンテンツを発表しています。
なのに「人を批判しないことが大切です」とは、どの口が言いますか?
鏡を見るべきです。
「凡夫のエゴによる批判」は駄目だけど、「解脱者による智慧に満ちた批判はOK」という理屈ですか?
だとしたらホワイト・ターラーさんは解脱した人なのですか?
当エンライトブログだって他者批判の記事が多いです。
でもエンライト自身が「批判は必要」と述べているので全く矛盾していません。
そこがホワイト・ターラー女史との大きな違いです。
ホワイト・ターラーさんは自らの矛盾に気付いていたらしく、たまに言い訳めいた言動をしています。
「私の記事に批判的な人と討論したくないから、ハッシュタグも付けていません」
いいえ、事の本質はそんな小手先の技のことじゃないでしょ?
あなたの言動があなた自身の教えに背いているのです。
ちなみにお釈迦様は何度も他者批判をしていました。
宿命論者のマッカリ・ゴーサーラのことを「最も低級で危険な思想家」と糾弾しています。
道徳不要論者のプーラナ・カッサバとは神通力戦争を起こし、自死に追い込んでいます。
ネドじゅん氏のエセ右脳論の影響を受け、ますます左脳のことを蔑む人が増えたのは確かです。
でも左脳だって天地からの贈り物です。
必要だから授かった。
なのに、ここまで左脳さんのことを馬鹿にし、見下すなんて…。
大切な自分の脳なのに、何故ここまで罵ることが出来るの?
ナチュラルライフサポーター・たてわきまきこ女史もいろいろ思考に対する批判をしていて、ネドじゅん氏の影響を受けています。
「ストップ・ザ・思考」「あなたは思考まみれ」など、とにかく思考に対するネガキャンが凄まじい。
思考まみれ…って、まるで汚物まみれを連想させるような言い方だね。
なんなんでしょ、これって?
エンライトが過去記事で紹介した自称インディゴチルドレンは
「右脳は神のメッセージを受信する。でも左脳がそれをブロックしてしまう」と述べていました。
ここまで妄想病が悪化したら、もう終わりです。
もう一度繰り返します。ネドじゅん氏のメソッドでは思考は止まりません。
雑念が少し減るだけです。
そのことはホワイト・ターラーさんも否定できないはずです。
だってホワイト・ターラーさんも「思考や自我を止滅させるにはサマーディが必要です」と説いていたのですから。
ネドじゅんさんのメソッドでは思考が止まらない事を知っている筈です。
彼女のメソッドに新しいものはありません。
気功法やヨーガの呼吸法を知ってる人は、だいたい想像がつくはずです。
ええ、ネドじゅんさんのメソッドは、伝統的な行法の劣化コピーに過ぎません。
今のスピリチュアル界は、その手のものが多いです。単なる劣化品が…。
でも、現代的でスマートな印象を受けるラベリングをして、キレイな包装紙で包めば、たちまち「売れる商品」になるわけです。
その意味でネドじゅんさんは商売上手ですね。
流行りのアセンションも、元ネタは聖書の中にあります。
天国に入る。昇天する。
それが本来のアセンションです。死が前提なのです。
でも、そこから宗教臭さを取り除き、キリスト教を信仰していない人にも「救い」「霊的進化」の道を示した。
これがアセンション商法の正体です。
風の時代
ライオンズゲート
みんな同じ手口です。
太古から存在した古典的な教えを現代風にアレンジし、お洒落なパッケージで包んだだけです。
でも、霊性レベルの低い人がそんなことをやっても、伝統的な教えを遥かに下回るものしか作れません。
だから先ほど「劣化コピー」と言ったのです。
そんな紛い物なんかに貴重な時間とお金を費やす暇があったら、古典に興味を持ち、古典に親しむことをお勧めします。
その方が得るものが大でしょう。
エンライト代理人チーム
最近スピリチュアル界で、ヒーリング不要論をよく目にするようになった。
昔からスピ界にはヒーリングを批判する人がいたが、最近は「元ヒーラー」からの告発も目に付く。
ヒーリングを活用していたにも関わらず、それが不要だと気付いて、ヒーラーを卒業した…と言う人が増加したようだ。
何が原因なのかは知らない。
ただ、中心軸の緩んでいる人が、ヒーリングの本質を忘れてしまうケースが多いと思う。
私のブログの読者の一人もヒーリングに否定的だった。
プライベート・メッセージで「ごめんなさい」と言われたことがあった。
気遣っていただくのは有難いが、謝る必要はない。
(破綻した論理やエゴ欲で誹謗中傷してきた人には遠慮なく反論させてもらうけどね。笑)
私は私の道を歩いているだけである。
故に他人の世界観を全面否定するつもりはない。
引き寄せの法則系であろうとノンデュアリティ系であろうと、人にはそれを選ぶ自由がある。
問題が起こり得るのはヒーリングだけではない。
引き寄せメソッドを実践して、酷い目に遭った人もいる。
ノンデュアリティに夢中になり、人生を台無しにしてしまった人もいる。
すなわち、どんな方向性のスピリチュアルを選んでも、問題が生じる可能性はあるのだ。
私がさまざまな観念の問題を指摘し、検証する理由は、私のブログの根っこが自己観察にあるからだ。
観念・誤魔化しのトリックを観照する、ということ。
私は特定の指導者や宗教を盲信しているわけではない。
師匠はいるが、本当の師は自分の中にいる。
自己観察しないまま、外側の指導者の教えを「正しい」と盲信したとき、それが正邪を決める物差しになってしまう。
たとえば、私がA先生の教えを信じて、それを物差しにしたら、どうなるだろうか?
色々なスピリチュアル・ブログを読んで、
「この人の教えは、A先生の教えによく似てるから、きっと真実だ」とか「A先生の教えと正反対だから絶対にインチキだ」
と考えるようになるかもしれない。
多くの求道者は、そんなレベルで遊んでいるのだ。
A先生の教えが条件反射の回路になってしまっている。
その様な人は真実を悟っているわけではない。
外側のいろいろな教えを見て、A先生の教えに照合させているだけ。
無意識にそんな思考をするようになる。
只の条件反射。
パブロフの犬に似てるね。
それが「眠った状態」であり、覚醒・目覚めとは正反対の状態ってこと。
求道者の意識がそんなレベルなら、いつまでたっても真実は見えないだろう。
外側にある基準は沢山ある。膨大である。
故に一体何が本物なのか…誰も証明できない。
キリスト教を信じてる人にとって、ユダヤ教は「邪教」なのだろう。
ユダヤ教を信じてる人にとって、キリスト教は「邪教」なのだろう。
全ての信者さんに当てはまるとは限らないが、そういう人は多い。特に欧米や中東では…。
要するに、キリが無いってこと…。
終わりが見えない。
少なくとも、私のブログ活動は、そんなレベルではない。
私と同じ価値観を有する人を集めて共同戦線を張ったり、徒党を組むためではない。
まして外部の基準だけで一方的な批判をしてきたのではない。
ノンデュアリティを説く人たちの欺瞞を批判・検証するときはあるが、ノンデュアリティそのものを全面否定しているわけではない。
私が実践しているヒーリングの世界にも問題は多い。
霊的な罠に嵌まり、魔道に堕ちたヒーラーをよく見かける。
そのような現実を見て、ヒーリングに疑問・不信感を抱く人もいる。
でもそれは所詮「外側」の世界なのだ。
スピリチュアルにも数多くの分野がある。ヒーリングに批判的な指導者もいる。
そういう指導者の中には、魔道に落ちたヒーラーの実例を挙げて、ヒーリング否定論の根拠にしたがる人も多い。
それが「本質逸らし」「印象操作」ってこと。
どんな道にも盲点がある。
落とし穴がある。
今・ここ…を重視し、過去や未来を軽視する指導者がいる。
だが今・ここという指針にも、問題が生じる可能性があるわけだ。
また、私がよく説いている「将来の目標を立てて、計画的に生きよう」という指針にも落とし穴がある。
失敗体験の多い人は、私の教えにウンザリするかもしれない。
どんな指針でも、それを受け止める一人一人の「在り方」が異なるからだ。
私は内奥の世界を観ている。
つまり「自分はどう感じるか? どうするのか?」を大事にしている。
たとえ世の中の99%の人が間違ったヒーリングをしていたとしても、私は私のヒーリングをする。
自分の道を歩く。
それだけだ。
私にとってのヒーリングとは、人生のショートカットではない。
最短距離で良くなる方法をエゴで求めているのではない。
自分を理解し、自分を生きるためのもの。
つまり、ヒーリングに関する基本的な理解と在り方は、私の生命本能に照らした結果なのだ。
心の傷・カルマをそのまま放置し、エネルギーの流れが滞れば、宇宙の「エネルギー循環法則」に逆らうことになる。
だからヒーリングに対して、世間でどんな誤解や信念が蔓延しても、私がヒーリングから離れることはない。
関連する過去記事
「すべてが責任転嫁の種になる」
「どんな教えも障害になる」
「スピリチュアルの指針もブロックになる」
私のブログの読者の中で、「生活費を稼ぐために働いている人」は何人ぐらいいるだろうか?
仕事に関する相談メールをよく頂くので、最低でも60%の読者は「働き人」だと思う。
でも全てではない。
既に現役を引退した高齢者や、まだ働いたことのない学生さんもいる事だろう。
どんな立場であれ、心から納得できる人生を送っていただきたいと思う。
働くことの原点は「エサ取りだ」と説いたスピ指導者がいる。
全く同感である。
だが、好きなことを通じて生活の糧を得ている人は、「仕事ではなく、趣味の延長に過ぎない」と言う。
その通りかもしれないが、その人は趣味を通じて収入を得ているのだ。
故に単なる趣味として片付けるわけにはいかない。
+「何か」がある。
世の中は好きな事だけをやって生きる人ばかりではない。
嫌なことや苦手なことを通じて生活の糧を得ている人もいる。
そして重要なこと。
「好きな事=得意な事」ではない。
「嫌いな事=苦手なこと」でもない。
私は野球が好きだ。観るのも好きだが、実際にプレイするのも好きだ。
だが私には野球の才能がない。
故に「野球が好きだ」という理由だけでプロ野球選手を目指しても、絶対に失敗しただろう。
黒田博樹氏はプロ野球チームの広島カープで大活躍し、その後アメリカに渡り、ロサンゼルス・ドジャースでエース投手として活躍。
更にニューヨーク・ヤンキースでも大活躍した。
だが黒田氏は「野球は嫌いだ」と言う。
高校時代、野球部の先輩から受けた酷い「しごき」がトラウマになっているからだ。
未だに尾を引いている。
マウンドに立っても、「打たれるわけにはいかない」というプレッシャーに苦しめられ、少しも楽しむことが出来ないという。
米国・マクダーヌルズ社からフランチャイズ権を取得した藤田田(ふじた でん)氏は日本マクドナルド社を作り、全国に広げた。
その藤田氏が言う。
「ビジネスで成功するには苦手なことをやるべきだ」
「好きなことを仕事にしても決して上手くいかない。溺れてしまうからだ」
「例えば絵画が好きな人が画廊を始めても、あえなく沈没するだろう」
極端な意見であるが、一理あると思う。
「私は戦前の生まれだから、未だに主食は米である。ハンバーガーのようなパン食は苦手なのだ。
しかし、だからこそ私はハンバーガー事業に挑戦したのだ」
「私は藤田商店で海外の有名アクセサリーの輸入商もやっている。
私は男であるからアクセサリーは身に付けないし、高級ハンドバッグを持ち歩くわけでもない。ある意味苦手だからこそ『どうすれば売れるか』を必死に考え、戦略を練ってきた」
こうして藤田氏は輸入商として大成功し、日本マクドナルドも日本一のファーストフード企業に成長させることが出来た。
先ほど画廊の話が出たが、これは確かにその通りである。
もし運よく希少価値の高い名作を手に入れることが出来た場合、それは巨大なビジネス・チャンスが訪れたことを意味する。
だが、絵画が本当に好きな人は、その作品を売ることが出来ないのだ。
大量印刷ができるイラスト類とは違う。
印刷所のインクではなく、顔料を使って手描きする。
だから絵画はどの作品も世界に一つだけ。
根っからの絵画ファンは、希少価値の高い名作を手に入れたとき、自分のコレクションにしてしまう。
売ることが出来ない。
もし、ビジネスに徹するならば、その絵画は莫大な利益を生むだろう。
だがそんなことが出来る人は、絵画に興味がない人・または冷静に割り切れる人なのだ。
自分にとっては少しも価値を感じないから、冷徹に計算し、高い値をつけて売り飛ばす。
根っからの絵画ファンはそんなこと出来ないだろう。
とはいえ、私は「好きなことや得意なことを仕事にするべきではない」と言うつもりはない。
ケースバイケースである。
好きなことを仕事にして、成功を収めた人たちもいる。
私も自分の好きなことを仕事にしている。
だが、好きなことをするためには、「嫌なこと・やりたくないこと」もやらなければならないのだ。
この意味が分かるだろうか?
好きなことを仕事にするという事は、それを通じて金銭を得る事だから、重い責任が生じる。
中途半端に投げ出すことは許されない。
故に、やりたいことを続けるには、その過程でやりたくないことが生じても、やらなければならない。
私・エンライトの仕事には膨大なデータ・情報が必要である。
書籍やインターネットで情報収集することもできるが、それだけでは不足する。
重要な情報を得るには、やはり日本全国を取材に回らなければならない。
(時には海外に飛ぶこともある)
私は旅行が好きだから、移動すること自体は決して苦ではない。
だが仕事ともなれば「行きたくない土地」にも行かなければならない。
「会いたくない人」とも会わなければならない。
スピリチュアルが好きな人が「スピを仕事にしよう」と決意する。
だが単なる趣味で終わらせず、プロの仕事へとアップグレードするには、嫌な仕事もこなさなければならない。
クライアントになってくれる人の中には、他力本願で責任転嫁型の人もいるかもしれない。
または、重い霊障を抱えた人が現れるかもしれない。
だから単なる趣味で済ませることは出来ない。プロとはそういうものだ。
広告も打たなければならない。
経理の仕事もやらなければならない。
「スピリチュアルは好きだけど、経理の仕事は苦手だし、嫌なのよね」などと言ってられないのだ。
金銭的に余裕がある場合は、アウトソーシングという形で、一部の業務を外部に委託する手もあるが、限界もあろう。
「本当はやりたいことがあるけど、自信がないから、本音を抑えて、やりたくない仕事をやっている」
という人もいる。
ならば、まず趣味という形でやってみることだ。
出来る・出来ないは関係ない。
仕事じゃないからね。
単なる趣味であれば、能力を発揮できなくても許される。いつでも辞める事もできる。
やってみなければ、貴方がその世界で才能があるかどうか分からない。
私もそうだ。
私はプロ野球選手になりたいと願った時期がある。だから野球に熱中した。
その結果、私に野球の才能がないことが分かったのである。
やったからこそ分かったことだ。
もしあの時、やっていなければ、今頃「やっていればよかった…」などと燻ぶっていたかもしれない。
もし自己観察の並外れた達人がいるならば、やらなくても才能の有無が分かるだろう。
だが世の中には、まず実行して体験しなければ、実感として理解できないことも沢山ある。
もし才能がある事が分かった場合、プロの道に進むかどうか?
その選択は完全に本人に任されている。
挑戦するのも良し。
撤退するのも良し。
もし挑戦するなら、その時こそ潜在意識の力を引き出すメソッドを駆使して、才能の開花と強化を試みればよい。
現実レベルでの創意工夫と努力も必須である。
それを一所懸命に行なってこそ、潜在意識は力を与えてくれる。
やるべき事をやらない人には潜在意識は力を発揮できない。自分の心に嘘をついているからだ。
本当に好きで、やりたいことならば、必要な努力は惜しまないはずだ。
本心を誤魔化しながら生きる事ほど悲しい事はない。
ただし、好きなこと・やりたいことが、そのまま収入につながるかは別問題である。
だから「冒険など出来ない」という人の気持ちは分かるし、私も無謀な挑戦を勧めているわけではない。
でもね…「あの頃、やっていればよかった」などと後から後悔するのはもっと悲しい事だと思わないか?
だからまずは本心を知ること。
頭でごちゃごちゃ余計なことを考えたり、計算する前に、まず本心を見つめる。ハートの声に耳を傾ける。
自分は何を誤魔化してきたのかを理解していただきたい。
今の世の中、価値観が多様化している。
貴方のやりたい事にお金を支払う人はきっといるだろう。
貴方の今までの人生経験を「コンテンツ」としてまとめれば、それを欲しがり、喜んで対価を支払い、自分自身の人生に役立てる人がいるに違いない。
もちろんビッグマーケットになるとは限らない。
お小遣い程度の収入しか得られないかもしれない。
(その程度で満足するなら、それでもいいんだけど…、私は貴方にもっと物質的に豊かになってほしいのだ。何故なら確実に可能性が広がるからだ。選択肢が増えるからだ)
今までの意識を引きずった状態で好きなことをやるだけでは、本当に只の趣味レベルで終わってしまう可能性がある。
だから人としての知恵を働かせるのだ。
何のための「頭」なのか。
大切なのは創意工夫である。
エンライト@太古の道先案内人