判断を外に預けず、自分の道を歩け | 裏宇宙からの遺言 -悟りと覚醒のプログラム-

裏宇宙からの遺言 -悟りと覚醒のプログラム-

道の道とすべきは常の道にあらず。名の名とすべきは常の名にあらず。無は天地の始に名づけ、有は万物の母に名づく。

最近スピリチュアル界で、ヒーリング不要論をよく目にするようになった。
昔からスピ界にはヒーリングを批判する人がいたが、最近は「元ヒーラー」からの告発も目に付く。

ヒーリングを活用していたにも関わらず、それが不要だと気付いて、ヒーラーを卒業した…と言う人が増加したようだ。
何が原因なのかは知らない。
ただ、中心軸の緩んでいる人が、ヒーリングの本質を忘れてしまうケースが多いと思う。

私のブログの読者の一人もヒーリングに否定的だった。
プライベート・メッセージで「ごめんなさい」と言われたことがあった。
気遣っていただくのは有難いが、謝る必要はない。
(破綻した論理やエゴ欲で誹謗中傷してきた人には遠慮なく反論させてもらうけどね。笑)

私は私の道を歩いているだけである。
故に他人の世界観を全面否定するつもりはない。
引き寄せの法則系であろうとノンデュアリティ系であろうと、人にはそれを選ぶ自由がある。


問題が起こり得るのはヒーリングだけではない。
引き寄せメソッドを実践して、酷い目に遭った人もいる。
ノンデュアリティに夢中になり、人生を台無しにしてしまった人もいる。

すなわち、どんな方向性のスピリチュアルを選んでも、問題が生じる可能性はあるのだ。


私がさまざまな観念の問題を指摘し、検証する理由は、私のブログの根っこが自己観察にあるからだ。
観念・誤魔化しのトリックを観照する、ということ。

私は特定の指導者や宗教を盲信しているわけではない。
師匠はいるが、本当の師は自分の中にいる。

自己観察しないまま、外側の指導者の教えを「正しい」と盲信したとき、それが正邪を決める物差しになってしまう。
たとえば、私がA先生の教えを信じて、それを物差しにしたら、どうなるだろうか?

色々なスピリチュアル・ブログを読んで、
「この人の教えは、A先生の教えによく似てるから、きっと真実だ」とか「A先生の教えと正反対だから絶対にインチキだ」
と考えるようになるかもしれない。

多くの求道者は、そんなレベルで遊んでいるのだ。
A先生の教えが条件反射の回路になってしまっている。

その様な人は真実を悟っているわけではない。
外側のいろいろな教えを見て、A先生の教えに照合させているだけ。
無意識にそんな思考をするようになる。
只の条件反射。

パブロフの犬に似てるね。
それが「眠った状態」であり、覚醒・目覚めとは正反対の状態ってこと。

求道者の意識がそんなレベルなら、いつまでたっても真実は見えないだろう。
外側にある基準は沢山ある。膨大である。
故に一体何が本物なのか…誰も証明できない。

キリスト教を信じてる人にとって、ユダヤ教は「邪教」なのだろう。
ユダヤ教を信じてる人にとって、キリスト教は「邪教」なのだろう。
全ての信者さんに当てはまるとは限らないが、そういう人は多い。特に欧米や中東では…。

要するに、キリが無いってこと…。
終わりが見えない。

少なくとも、私のブログ活動は、そんなレベルではない。
私と同じ価値観を有する人を集めて共同戦線を張ったり、徒党を組むためではない。

まして外部の基準だけで一方的な批判をしてきたのではない。
ノンデュアリティを説く人たちの欺瞞を批判・検証するときはあるが、ノンデュアリティそのものを全面否定しているわけではない。


私が実践しているヒーリングの世界にも問題は多い。
霊的な罠に嵌まり、魔道に堕ちたヒーラーをよく見かける。
そのような現実を見て、ヒーリングに疑問・不信感を抱く人もいる。

でもそれは所詮「外側」の世界なのだ。

スピリチュアルにも数多くの分野がある。ヒーリングに批判的な指導者もいる。
そういう指導者の中には、魔道に落ちたヒーラーの実例を挙げて、ヒーリング否定論の根拠にしたがる人も多い。
それが「本質逸らし」「印象操作」ってこと。


どんな道にも盲点がある。
落とし穴がある。
今・ここ…を重視し、過去や未来を軽視する指導者がいる。
だが今・ここという指針にも、問題が生じる可能性があるわけだ。

また、私がよく説いている「将来の目標を立てて、計画的に生きよう」という指針にも落とし穴がある。
失敗体験の多い人は、私の教えにウンザリするかもしれない。
どんな指針でも、それを受け止める一人一人の「在り方」が異なるからだ。


私は内奥の世界を観ている。
つまり「自分はどう感じるか? どうするのか?」を大事にしている。
たとえ世の中の99%の人が間違ったヒーリングをしていたとしても、私は私のヒーリングをする。

自分の道を歩く。
それだけだ。

私にとってのヒーリングとは、人生のショートカットではない。
最短距離で良くなる方法をエゴで求めているのではない。
自分を理解し、自分を生きるためのもの。

つまり、ヒーリングに関する基本的な理解と在り方は、私の生命本能に照らした結果なのだ。

心の傷・カルマをそのまま放置し、エネルギーの流れが滞れば、宇宙の「エネルギー循環法則」に逆らうことになる。
だからヒーリングに対して、世間でどんな誤解や信念が蔓延しても、私がヒーリングから離れることはない。


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