残り4両も製作開始!
数日前の日記でも述べたが、京王5000系のリニューアル、まだ組み立てていない残り4両も仕掛け始める事にした!
このキット、先に作った4両の増結用に、まだ横浜に住んでた時の20年も前に買ったものだが、床板や屋根の塗装くらいしかやっていなかった。~当時のオレの力量では、いっぺんに8両編成を組み立てられなかった~
その後、リストラ転勤、退職、実家の仕事引継ぎ、~ 等のゴタゴタがあり、その塗装以降は全く手を付けておらず放置プレイ、ずっと押入れで、積んどくモデラー状態だった。
しかも先に組み立てた4両編成も調子が良くない事もあって、運転会で走らせる事もほとんどなかった。
しかし、最近になって、いろんな運転会へ参加するようになった事に刺激されたのと、ここ数年、所有している阪急、京急、近鉄車両を次々とリニューアル工事完了していってる勢いに乗り、まずは9月末に先の4両編成の不具合を直して完了、そして今月残り4両編成の仕掛りを始めた。
床板、台車、屋根などは既に塗装しているし、必要部品もほとんど購入済なんで、あとは変なバリを削り、クーラーを取付け、車体に光沢クリヤースプレーを吹くだけであるが、例によって、思わぬアクシデントが出てくるやも知れん。
運転会などには、先にリニューアル完了させた4両だけで参戦させる事とする。
清荒神清澄寺へ行って来ました
ガキの頃初詣に節分にと、親によく連れられてお詣りに行ってた、宝塚市にある清荒神へお詣りに行って来ました。
先日東京での誕生日パワースポット巡りで、幾分かは気持ちがスッキリしたものの、またもや鬱如く暗い気持ちや悩み事がよみがえって来そうだったんで、近場で、どこかないか?と探していたところ、亡くなったキネシオロジストが、清荒神清澄寺へ訪れたSNS記事を思い出して、「なんだ、近くじゃん!」て事で行って来たのです。
で、早速9月27日に行ったけれども、駅降りると大雨が降って来たので、これでは無理と断念、やむなく月明けた10月2日に行って来ました。
ここを最後に参拝した記憶があるのは確か昭和61年の正月、家族旅行で有馬から戻って来る際に立ち寄った時で、実に35,6年ぶりになると思われます。
それから後、東京に住んでた時代に、正月の帰阪の際初詣で行ったかも知れないが、覚えていない。
阪急清荒神駅を下車、約1kmのゆるやかな坂道になった参道商店街を歩いていきます。
なんでも約200軒ほどの店舗と露店があるらしいが、正月やお祭りの時季ではないからか、閉店しているお店が多かったです。
その内の参道によくある食堂で、うどん定食を食べて腹満たし、お寺目指して再び歩き出しました。
中国自動車道の下をくぐり抜けると、自然の風景になり、お寺の山門に近づいて来ます。

山門入ると、この清荒神清澄寺! 敷地面積はそれほど大きくはないけれども、由緒あるお寺の威厳は充分にあります!
ただ、35,6年ぶりなんで、おしゃれな売店やちょっとした美術館が出来たりしているので、「こんなんだったかな?」と思う事はあったけど。
正月やお寺の行事の時季ではないんで参拝客もまばらでしたが、その分、ゆっくりとじっくりと参拝出来ました。
もちろん、どのお堂やお社でも、ご無沙汰しているのに御守り頂いてる事、これからの将来の不安事や要望などをお祈りしました。
元々しゃべるのがヘタでしかも、アタマん中で思ってる事感じてる事心配事などを整理せず、いっぺんにお祈りしようとしたんで、まるで呂律がまわらず、とりとめのないお祈りをしてしまった事もありました。


大きな神社とは違い、境内はそれほど広くはなく、拝むお堂やお社も大体決まった箇所にあるので、2時間半ほどで参拝が出来たし、なんだか「(将来の事などで)本当に悩まなくていいのかなあ?」と思う程スッキリとした気分になれました。
第35回上野の森美術館・日本の自然を描く展西日本展が終わって
今年も9月28日から10月2日まで、王子公園前の原田の森ギャラリーで、開催されました。
御来場下さった方々には、厚く御礼申し上げます。

今回はコロナウィルスの影響下にも拘わらず、西日本エリアの出品数が多かったような気がしますが、結構じっくりと他の人達の作品を観賞する事が出来ましたし、描かれている日本の自然の風景や人々の何でもない日常の光景を目の当たりにすると、「ああ、日本て全く異なる四季の光景があって、自然も美しい所だなあー。この国に生まれて良かった!」と感じさせました。
どの人達の作品も、素晴らしい出来で、プロの人達にも負けず劣らずでした。
また、ネット仲間の人達にも来ていただけて嬉しく思います。
もちろん来年も出品する予定でありますが、さて、どこの風景にしようか?
10月1日も色々考えさせられる日である。
この日、10月1日は新幹線が開通した日であり、かつての鉄仲間の誕生日でもある。
今日で新幹線開通58年になるし、その友達は還暦となる。
そのようなおめでたい事実とは裏腹に、自分にとっては不幸な日である。
まずは36年前。最初の会社、宗教系ビルメンテナンス会社から内定を貰った日である。
当時、留年しててしかも極端に話すのがヘタだったせいで、就活でボロ負けし続けてたオレがやっと内定が貰えて終える事が出来た日であった。
一見逆転ホームラン的な出来事のようにも思えるが、行きたくない職種であったし、されどもこれだけボロ負けしてたんでは、自分に会社を選ぶ権利なんてないと感じていた。
それからその1年後のこの日。その会社で”大卒は半年ビル清掃研修を受け、その後1棟のビルの主任になり、数年間ビル清掃員を続けなければならない”と言われ、ビル清掃作業員として働いていたが、あまりのキツさと将来性が描けない事実、そしていずれは宗教的研修を受けなければならない事にネを上げ、代休を取ってある人にこれからの事を相談しに行った日であった。
結局次の日に「アンタはビル清掃作業には全然向いてない、特別に仕方なく事務職に入れる!」と言われ、辞めた女子事務員の代わりに事務所へ入れたので、この相談事は立ち消えとなったが。
そして20年前のこの日。勤めてた一部上場機械メーカーから正式に子会社出向を命ぜられて、尼崎の工場で倉庫作業員として働きはじめた日であった。
「パソコンを使って在庫整理をする仕事」と、当時の上司が言ってたのは少々濁したウソで、実際は製品の棚卸し、ダンボール梱包作業とその出荷がメインだった。
因みにその上司は、後に「(オレを)思いのほか、うまくダマして追い出す事が出来た。」と飲み会で言ってたそうだが。
そういうワケで、この10月1日も自分にとってあまり良い思い出がない日である!
そんなツライ過去があった本日を思い返しながら、20年前時に新発売されたWANDAモーニングショットを飲むのであった。
運命の女神はいつ、このオレに微笑んでくれるのだろう・・・。
京王5000系のリニューアル
ここ最近は、玄海灘交通クッピー線の小規模な整備しかやっていなかったが、6月に終えた西鉄電車の車体塗り替えに引き続き、ミレニアム前後に組み立てた京王5000系電車をリニューアルする事とした。
この電車は製造初年が昭和38年頃で、高度経済成長期は京王帝都電鉄の顔だったけれども、その後車両の大型化が進み、次第にサブ的な役割になっていった。
私も以前から好きな電車だったが、上京した31年前には既に、普通電車の運用がメインで、余っている車両は次々と地方私鉄へ譲渡されていってるような状況であった。
京王の社内でも、”非常に丁寧に造り過ぎた”と言われるほど、地味だけど確かな製造がなされていたので、地方私鉄へ行ってからも愛用されている。
このキットは、既に一体型となった車体と屋根と室内床下を組み合わせればほぼ完成なんで、比較的組みやすかったけれど、いつも自分がやる改造のように、屋根床下の塗装はもちろん、ライト類も組み込んでいる。
だけども当時は白色や電球色のLEDがまだなく、やむなく当時のうす暗い黄色LEDと赤色LEDを組み込んでいたが、思うほどの効果はなく殆ど点いてない状態だった。
しかも、8輪全輪で集電するのではなく、片側4輪だけからの集電だったんで、通電状態自体が良くなく、点かない事が多かった。おもりを付けて粘着効果を高めてみたりしたけどもあまり効果はなかった。
その後電球色LEDが発明され、市場に出回った時に組み換えたが、集電方式は変えなかったんで、まるでパッシングライトみたく点いたり消えたりの状態で走行している事が多かった。
だがここ数年、容易に点灯できるようなパーツ類が各社から市販され、それらを組み込んで自作していけば、点灯できそうだと思えるようになった。
今回既に、8輪全輪で集電出来るように改造したんで、点灯の件はこれでOK!
このあとは、性能の悪い動力ユニットを新式の動力ユニットに交換改造する作業を行なっていく。
これは3年前に行なった京急電車の動力ユニットの挿げ換え作業と同じ理由。
製作当初は性能の悪いものしかなく、やむを得ずソレを組み込んでいた。10年ほど前に、鉄コレの動力ユニットが発売されたので、コイツに組み換えたけれども、平坦な線路ではバツグンの走行性能だけれども、坂に掛かるとまるで登り切る事が出来なかった。
いろいろ改造してみたけれど効果はなし。自分のレイアウトでは勾配を緩和させたりしたんで、なんとか登れるようになったけど、将来、現役時代同様8両編成にするから、これではまずいと常々思っていた。
そして最後に、その8両編成にすべく、増結分の残り4両も組み立て始める事とする。
大都会を走っていた大手私鉄の通勤車両なんで、4両編成では格好がつかない。
大好きな東京の車両ゆえ、せっかく買って組み立てたにも拘わらず、今までは悪い動力と集電能力のせいで、サブ扱いどころかほとんど走らせていなかったけれども、これからはメインの車両として走らせて行きたい!
ジョン・ハートマン逝去
私が敬愛するアメリカンロックバンド、ザ・ドゥービーブラザーズのオリジナルメンバーだった、ドラムのジョン・ハートマン氏が9月22日逝去された。享年72歳。死因は不明。
メンバーからは、”リトルジョン”と呼ばれていたが、実際は結構大柄で背も高かった。
メガネと無精ヒゲ、広い額とあまり多くない長い髪の毛が特徴で、デビュー当時から結構老けて見えてたんで、バンドで最年長か?とも勘違いさせた。(実際はリーダーやサブリーダーよりも1つ年下)
グループ内でも変わり者だったようで、初期のステージやPVでは、赤色回転灯が付いた黄色のヘルメット被ってドラム叩いてたり、ある時のフォトショットではまるで19世紀の政治家が着てたようなシャツを着てたり、柔道着みたいな上着を着たりして、ユニークな人柄であった。
ドゥービーズには基本ドラムが2人いるが、曲によってパーカッションや観客の煽りなどをされる事もあった。
1971年のドゥービーブラザーズ結成時から、1979年まで在籍、その間にヒットした曲全てで叩かれていた。
その3年後ドゥービーズは一旦解散するが、1987年に再結成された時には参加された。
以前とは違い、その時はメガネなしの短髪、黒Tシャツにジーパンの地味なファッションで、少し瘦せられて化学博士みたいな風貌であった。
私はドゥービーズが再結成し来日した時のステージで見た事があり、最後の曲で観客を煽ってらしたのが印象深かったが。
なぜか再結成の数年後にまたもや脱退されて「なんでやねん?」と思っていたし、それから後、他のドラマーが次々と逝去されて行ってたので、復活されないかな?と願ってはいたんだがな。
ご冥福をお祈り申し上げます。
第35回上野の森美術館 日本の自然を描く展 西日本展 の御案内
先月、上野の森美術館にて展示された私の貼り絵「里山の秋」が、巡回展として、神戸は王子にある原田の森ギャラリーにても、展示なされます。
京阪神にお住まいの方、相変わらずのコロナウィルスに苦しめられておられておられる事かと思われますが、この時季にはあらかた収束しているかと思われますので、万障繰り合わせの上、ご来館ください!

記
第35回上野の森美術館 日本の自然を描く展 西日本展
2022年9/28(水)~10/2(日)・会期中は無休
開館10:00~18:00(入館は閉館30分前まで・最終日は15時閉館)
入場料 大人500円 大・高校生300円
会場 兵庫県立美術館 原田の森ギャラリー 本館2階 大展示室
兵庫県神戸市灘区原田通3-8-30
阪急神戸線王子公園駅西口より徒歩6分
JR神戸線灘駅北口より徒歩10分
誕生日の東京初詣夏詣リベンジ?
毎年行なっている誕生日のパワースポット巡り、今年も励行しようと約1カ月前から、計画を練っていました。
最初は岐阜市内の神社へ訪れようと思っていたが、今年は東京追い出されてからちょうど20年迎えるのと、パンデミックの為ここ2年初詣にも夏詣にも参拝出来てなかった東京の浅草寺とその周りの寺社、お岩さんの墓へ行く事としました。これらの寺社やお墓も当然パワースポットである事には間違いはない!
なお、四谷三丁目の陽運寺にも訪れたが、5時で閉門だったので参拝出来なかったです。
浅草寺ではいつも参拝している仏様やお堂は勿論、読経にも参加しました。
パンデミック禍にも拘わらず、いつもながらの大勢の参拝客で賑わっており、外国人観光客もたくさんいました。
浅草神社では結婚式に出くわしました。思えばこの自分も目の前の新郎新婦のように、この地東京で結婚式を挙げる事を夢見ていたのだが・・・。
少し羨ましい気分になったが、やはりここは新郎新婦の幸せを祈りたい!

そして、こちらも東京在住時代からよく訪れててお馴染みである筈の待乳山聖天のお堂内で、ふとした弾みで天井に立派な龍の水墨画、そして欄間にこれまた龍の彫刻を目にしました。
いつも訪れてるのに、全く気付かなかったなあー。

なんでも結婚式に出くわしたり龍の絵を見ると、運気が良くなるというが、本当だろうか?
いずれの寺社でも、今回の59歳の誕生日を迎えた事、20年前東京で充実したライフスタイルを過ごしていたのが、寝耳に水のリストラ左遷で東京横浜を去らねばならなくなったので、このような出来事がもう起こらないようお願いすると同時に、自分も気を引き締めて行動していく旨、もう1度東京や横浜で生活する事を夢見たが叶わなかった事、現在はパンデミックにも拘わらずきちんと生活して行けてる事への感謝、母親を見ながら行動せねばならない事、などを述べました。
今回訪れた場所は、いずれも、パワースポットと言えばパワースポットだが、結構大人数が訪れる有名すぎる観光地だし、両手を上げてこの身にオーラやヒーリングを取り入れたワケではなく、いつもの初詣や夏詣と変わらない感じだったが、スッキリした気分になれました。










