
中山寺「梵天」の和風ラーメン
中山寺へ初詣に行った際、正月三が日にはいつも境内の広い場所に出てる屋台を当てにしてたんだが、さすが1週間も経っただけあり、あめ細工、どんぐりあめ、ベビーカステラなどの4店舗しか出ていなかった。
代わりに中山寺内にある喫茶店「梵天」で何か食べる事としたが、ラーメン好きの私としては、この和風ラーメンを選んだ。
味は写真からしてわかるように、ホンマ、昔ながらというかあっさりとした味のスープといかにも業務用のチープな麺に、わかめと小さな2枚のぺらんぺらんチャーシューが載ったスタンダードなラーメンで、まさにシンプル・イズ・ベスト!
昨今の凝ったラーメンも勿論うまいし素晴らしいが、このようなラーメンが持つシンプルかつ基本な味をも楽しむラーメンマニアでありたい!
阪急車両3形式めが完成!
去年の11月上旬より大改造製作してました、阪急電車810系が年明け早々ようやく完成しましたー!(パチパチパチ)![]()
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この810系、戦後まなしの少し落ち着いた昭和25年に製作開始、合計26両が製造されました。
最初の8両がクロスシート車で、神戸線宝塚線京都線を跨いでの運用がされました。
第2次車以降の18両はロングシート車で宝塚線神戸線用、京都線正雀駅にある車庫での点検や改造以外では京都線には入らなかったです。
特急運用から普通運用まで幅広く使用され、晩年は今津線や伊丹線、甲陽線などの支線運用が主で、昭和60年に引退&廃車されました。
そんな810系、私はガキの頃から好きでしたが、Nゲージで模型化されるなんて夢にも思わなかったのに、10年前に鉄道コレクションから限定で製品化され、購入しました。
モチーフとしたのは第2次車以降の18両のうち、トップの814の4両編成で、宝塚線用に配属されたが、その後神戸線や今津線行ったり、宝塚線へ戻って来たりしてました。
年代としては実車が今津線へ転属した昭和50年6月時がモチーフです。


既にこの世にない電車であるがゆえ、レイルロードや阪急関連の資料をもとに改造ならびに製作しましたが、それでもやはり不明な箇所があって、ソコは ”多分こうなんだろう” でごまかしました。
また、結構間違って造形してたり、”なんでコレを再現しないの?”みたいな箇所があったりして、苛立たせましたが、年末にはほとんど完成してました。
もし年末の大掃除や実家への帰省がなければ、年内には完成してたでしょう。

篠山紀信氏逝去
篠山紀信氏 死因は「老衰」83歳 葬儀は遺族の意向で近親者のみで 妻は南沙織さん(デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース
またもや年明けに信じられない訃報を耳にした。
世の男子をたのしませて下さった写真家・篠山紀信さんが亡くなられたのだ。享年83歳、死因は老衰との事。

紀信氏はをんなのシトのグラビアや写真集では、私を「ヒッヒッヒッヒッ・・・!」と興奮させ、幸せな気分にさせて頂き、大変お世話になった。
これらの写真集は私がメインで使用していたもので、篠山氏特有のカタイ印象がしないでもないが、癒裸思さだけではなく、女性たちのかわいさや真摯な意思を持った横顔をうまく引き出されていると思う。

また、ジョン・レノン&オノ・ヨーコ夫妻や矢沢永吉氏のカッコイイ面のみならず、インタビューもされ、非常に聞き上手な人でもあるな、という印象を受けた。
シルクロードやイタリアなどの風景写真も素晴らしく、まるでこの世のものとも思えないほどの光景を目の当たりにしてるかのようだった。
”この人の助言やアドバイスによって、今の自分があります!”という芸能人も多く、たくさんの人達に慕われてもいたんだな。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます!
新潟海洋高校相撲部開発 ごっつぁんカレー
ガキの頃、この時季ともなると、”おせちもいいけど カレーもね!♪”のCMが流れてたが、ふとそれを思い出して、無性にカレーが食べたくなり、正月三が日最後の日つまり1月3日、ストックしていたご当地カレーを食べました。
それがこの、新潟海洋高校相撲部開発の「ごっつぁんカレー」!

この箱には「新潟県産甘えびの魚醤油でコクと香りを出してパンチのきいたシーフードカレーに仕上げました」と謳っていて、この高校が開発した甘えび醤油がおいしさの決め手なんだそう。
食べてみると、辛くないのに味が濃い!
赤味噌汁の如く、中身が煮詰まってる濃さなのだ。おそらく、パッケージに記載してある甘えび醤油が溶け込んでいるからであろう。
具材のほうはイカ、薄い肉、ホタテ、小さな海老などが入ってて、この中ではイカが一番多い。
個性的な味だが、甘くも辛くないので万人受けすると思う。
コイツもおいしくて、いっぺんに平らげてしまったが、こんなに個性的かつ多くの人達に好まれそうなおいしいカレーを創れるなんて、この海洋高校相撲部の生徒は天才だね!
能登半島に思う
今回の能登地震の全容がまだまだ解明されてはいないそうだが、能登半島に住んでる方々が早くに、以前の生活に戻る事が出来るように心から祈ります!
さて、若い頃からよく鉄旅をしているオレだが、今回の能登半島へも平成2年の2月に旅していて、輪島市珠洲市穴水町蛸島全て訪れているが、それらの街で、”あーした、こーした!”などの鮮明な記憶が殆どない!
ただ、輪島は昼に到着したが、朝市の延長で市場が出てて、ビン入りの海苔佃煮を買ったのを覚えてるし、珠洲はその昔、身分の高い人用ではなく一般庶民用の食器・珠洲焼を作っていた事で知る人ぞ知る場所で、その博物館を見学した記憶がある。
穴水は覚えておらず、蛸島はのと鉄道の終点でブラついた事は記憶しているが・・・。
で、なぜかその時撮った風景写真は殆どなく、輪島に関しては風景写真はこれのみで、街並みなどは全くなく、他はなぜか海沿いの風景や鉄道車両や漁船の写真ばっかりだ。
”記憶が殆どない”のは、おそらく当時転職活動をしようとしていた時で、その事で色々悩んでいたからだと思われるが、転職が終了してからは、悩んで重苦しかった思いをもう思い出したくなかったからだろうか、再度能登半島を訪れなかったので、ホンマ、あーもったいね~ぇ!
それでも、興味を持って訪れた地域だ。心から哀悼の意を表し、復興を願いながら、義援金を振り込もう!
本年もどうもありがとうございました!
母親の手術入院とその後の見守り支援、ついに還暦を迎えた事、部屋のキーや定期入れ、1万円札、銀行カードなどの大切なものを落としたり、たぶろう展へ出す作品が制作出来なかったり、音楽活動がほとんど出来なかったり、ザ・モッズのライブが今年も行われなかった事など、パンデミック禍と六星占術の大殺界から抜け出せたとは言うものの、今年は試練の1年であった。
また、国内外直接間接遠回り問わず、自身に音楽的な影響を与えて下さったミュージシャンの逝去が非常に多く、なんだか遠巻きに見守って下さってる師匠達が消えて行ったような喪失感だった。
だがその一方で、敬愛するザ・ドゥービーブラザーズ50周年ライブを割と良い席で観れてノリにノラせられたり、タイフェスティバルでT-POPS聴けたり、4年ぶりに丹波篠山デカンショ祭りが開催されて踊りまくったり、これまた久しぶりに枚岡神社の笑い神事に参加して大笑いしたり、など、喜ばしい出来事にはっちゃけさせてもらった年でもありました。
鉄道趣味に関しては、旅行こそ夏の青春18きっぷ旅だけだったが、自身の自慢?の車両持ち込んで、いろんな運転会に参加出来たりなど、充実した年でありました。
癒裸思関連でも、約2年半楽しいひと時を提供して下さった看護師志望の女子店員サンとの別れがあったり、基本料金がUPしたりしたが、それでも、ステキな女性方との会話が出来たりして楽しませてもらえました!
終息つかない戦争や自然災害に苛まれもした年でもあったが、来年は国内外問わず自他問わず、世界中が平和でたのしい1年となるよう、切に願います!
年内は無理かも知れん・・・
阪急の旧型電車、年内の完成はちょっと無理なような気がして来ている・・・。
遅れてる原因は”資料の乏しさ”もあるが、別に”手こずった箇所があった”とか”工程中に失敗した”とかはない。
おそらく、他の用事で多忙だったゆえ、1日に行なう作業が著しく少なかったのが、主な遅い原因だろう。
”着々と進んでいる”ではなくて、”今日1日はそれしかやっていない”みたいな感じ。
また、最後の最後には、ナンバリングの転写という、非常に神経の使う作業をやって行かなければならないし、今、大みそかの大掃除をメインにやっているので、こればかりに構ってるヒマはない。
それでも、殆どが完成しかけてるので、年明けの運転会には間に合うだろう。







