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JOHNNY WINTER JAPAN TOUR 2011

13日の水曜日、100万$のブルース・ギタリスト、ジョニー・ウインターのライブを観に、上京して来ました。
今回が初来日で、今までは”来日してない最後の大物”と云われておりました。

東京へは14時20分頃に到着、それから、今回のライブとは何の関係もない、新宿のタイミュージック店と楽器ヤ2,3件ハシゴで時間をつぶし、りんかい線乗って、会場ZeppTokyo最寄駅、東京テレポートへと向かいました。コンサート会場へは18時頃到着。

整理番号順に入るように指示されてるんで、1700番台ゆえ、入場するのにだいぶ待たされました。よって、会場も、真ん中よりやや後ろのほうでした。

ライブは19時10分頃にはじまり、まずはツアーメンバーのみの演奏。そしていよいよ、御大ジョニー・ウィンター氏の登場。背中の曲がりかけたおじいさんという風貌で、とぼとぼと歩みよって真ん中の席に着座。だから、観客のアタマの間からの顔しか見えなかった。

そして、小さなギターを手に取り、座りながら凄い早弾き&テクニックで、往年のブルーズナンバーや有名なナンバー、ロックンロールを弾きまくる!
とても66歳のおじいちゃんが弾くギターには思えん。若手ギタリストには全然負けてません、言うか完全に圧倒してました。
誰や?(雑誌で)もう年ゆえ、コードを時々間違えておぼつかなくなってる、てなウソんこ書いた奴はー!

MCなんてほとんどやらず、曲紹介と"サンキュー"位なもの。ボーカルは昔日のような高い声ではなく、ミドルを強調させた声で、時々ぶっきらぼうに歌ってる節もあるのが、この人の持ち味です。

今、私が、6月ん発表会の為に練習してるナンバーが演奏されなかったのは、ちと残念でしたが、数あるブルーズナンバー、ロックンロールを彼独自の解釈で演奏、歌い、イイ年の取り方してるこの御大を羨ましく感じさせました。

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ありがたくいただきました

コレは、右が気仙沼港水揚げのさんま醤油煮。左が仙台市泉区産の焼きしそ巻。

さんまのほうはなぜか、輸入食料品がメインのスーパーで見つけ、缶詰のソレよりも少し大きいくらいのが4匹で、甘醤油で煮てある。骨も柔らかくて食べやすい。

焼きしそ巻のほうは成城石井にて購入、くるみやゴマ含んだ甘い味噌をサラダ油で浸したシソでくるんだ棒状のもので、ごはんのおかずにする他、つまみにもいいと思う。

奇しくも両方とも、宮城県の名産品なんで、ありがたくいただいた。

 


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洋定食?

先日の猪名川町チャリめぐりにて立ち寄った、道の駅の食堂にて見つけたメニュー。

”洋定食”と書かれてあるんで、最初はオムレツ定食やカツレツ定食、最低でもカレーライスの定食だと思うたが、よく見るとご覧のとおり実態は、ホットケーキとミニサラダ、コーヒーか紅茶のセット。

あのぉ・・・、ホットケーキは定食になるんか?

 


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今年もママチャリで猪名川町へ!


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本日、今年も毎年恒例の猪名川町チャリめぐりをして来ました。



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桜はこれから、の感じでしたが、モクレン、梅、水仙等の花々が咲いており、春の到来を感じさせ、今住んでる所や街ん中では決してみられない、迫り来る山々や古い民家、何やら格式高そうな寺社、これから作物が育って行くであろう田畑等を見て思う存分堪能して来ました。

 


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花粉症もなぜか、この時ばかりは止まっておりました。


 

ココに辿り着くまでが細い道にも関らず、クルマの往来が結構多いところなんで厄介なんだが、大阪の近くとは思えない自然いっぱいのエリアなんで、また行きたいです。


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野上電鉄に想ふ

本日は和歌山県下を走ってた小さなローカル私鉄、野上電鉄が廃止されてから、ちょうど17年目の日となります。その記念として、7年前に、友人用にカキコした通信日記をあらためてココに、加筆訂正の上掲載いたします。

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「野上電鉄に想ふ」
廃止からちょうど10年いう事で、野上電気鉄道(和歌山県海南市日方~登山口間)の廃線跡めぐりをしてきた。平成の時代になっても、昭和30年代みたいな雰囲気だった私鉄で、赤字転落してからは国からの欠損補助金を受けて運行していたが、その国から“改善見込み無し”と判断され、補助金を打ち切られて廃止となった。他の業種をほとんどやっていなかったので、当然会社は解散、今は存在すらしない。

昔はオレンジ色のシャレた地上駅だったのが、今では味気のない高架駅のJR海南駅を降り、まずは起点の駅であった日方駅跡に足を向ける。現役時からJR線のそばにあったのだが、駅名は“海南”ではなく“日方”。空地になってはいるが、引っこ抜いて積み上げられた枕木や小さな溝をまたぐ短い鉄橋が残っている。また、近くの住居案内地図にはまだ駅と車庫が書かれてて、一瞬なくなってしまったのを信じたくないような気持ちになった。

そして、いよいよ廃線跡めぐりの開始。かつて11.4kmの線路が通っていたトコを歩いていくわけやから、ウォークラリーみたいなモン。ここからかつての紀伊阪井駅まではウォーキングコースの道となっていて ~ソレにしても、最近廃線になったトコはこのように利用される場合が多い!~ 、ヂモピー、年寄り、そしてどういうワケかこんな田舎にもいるホームレス!達の生活道路、憩いの場となっている。このウォーキングコース、紀伊阪井で、“はいココが終点です!お疲れ様でした”といった目印があるワケではなく、国道に並行しながら自然に途切れるといった感じ。ここから先がホントの廃線跡めぐりとなる。この線、かつて何回も“乗った降りた“をしているので、これから先の道を知っているワケでして、迷う事はない。

ここからの廃線跡の道は、枯れ草が生えて、人が踏みならしたような道になってて、所々に引き抜いた枕木がまだ積み上げられたままになっている。建物や駅名標はないものの、かつての駅のほとんどにホームが残っているので、誰でもかつての駅がここにあった事は容易にわかる。あたりの風景も線路と駅と架線柱がないだけで、ほとんど変わっておらず、廃止時から10年も経ってるなんてとても信じられん!
また、廃止寸前時の鉄道雑誌にて、“この桜が今年咲く頃にはもう、電車は走っていない”と大きな桜の木がある無人駅に電車が止まってる写真が掲載されていたが、その桜の木は今でもあり、見事に満開の花を咲かせていた。

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川に沿うてる築堤も残っているが、かつての橋の部分は柵がしてあり、渡る事はできない。仕方なく、この部分と立入禁止区域、既に民家になってる所、犬に吠えられたトコは迂回し、普通の道路を利用した。途中、現役時代何回も訪れた神社や古い町なみにも立ち寄り、終点の登山口駅跡へ着いたころは午後6時30分。午後2時頃起点を出発し、途中2,3分ベンチに座ったり、トイレに行ったりはしたが、約4時間半延々と歩き続けたワケだ。歩いてるときはそんな事はなかったが、着いた時はふくらはぎの辺がすこしジンときた。かつての駅だったところは、バス会社の停留所兼車庫になっており、今ではこのバス会社が野上電鉄の後を引き継いでるというワケ。帰りはもうあたりも暗く、さすがに歩くワケにはいかないんで、このバス利用して海南へ戻った。

最後に、再び起点のあった日方駅の跡にたたずみ、再度“ああ、あれから10年か、信じられんなあ・・・”とかなんとかの感傷に耽っていた。

野上電鉄は、自分の鉄道趣味をより発展させてくれ、廃止になるまでに5,6回訪ね、そのたびに感動してきた鉄道であった。私の鉄道趣味の全てはもちろん、貼り絵、詩にまでも野上電鉄を題材にした作品があり、それらは鉄道に全く関心のない人たちの心をも揺さぶっている(と思う)。
末期は、ファン、マニア、にわか乗客等が押しかけ、乗務員社員の方々のやるせなきイラダつ言動があったが、あらためて自分の鉄道趣味を大きくしてくれた今はなき同社に深く感謝の念を捧げる。

“月日は流れ 我等も年をとるけれど

野上(きみ)のことは 永遠に忘れない“


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不安なる人間ドック

あさって人間ドックを受診するのだが、去年肺に変なものが映ってるって事で再検診、何事もなかったとは言うものの、年齢が年齢だけに不安である。

1月にひいた風邪の咳がかなり長引いた事や、利き手から来る左肩の痛みも、それに助長してるのかも知れない。

 

30台ん時は健康体で、体調が悪いなんて症状はせいぜい、”パトラッシュなんだかボクねむくなってきたよ”状態がしばし襲ってくる事くらいで、当然再検診もしなかった。

 

 

他の人よりも明らかに、恵まれた生活環境であるので、そういう要素がほとんどないはずなんだけれども、病気でおれより若くして死ぬ人もかなり多いんでね。心配です!

 

 


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自粛してます!

そう、今週末に人間ドックを受診するんで、例年如く脂肪過多を指摘されぬよう、今月は大好きな大好きなラーメンを控えてる・・・。


 

だからふと立ち寄って入ったスーパーん中の、こういったお店の看板見たらば、食べたくて食べたくて仕方なくなってくるが、我慢我慢。

 

あああー、”スープが美味しくなりました”だなんて、ホンマにウマそう~!



 


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さらに救援物資!

「大阪で救援物資を受付けてる所はないか?」と、ネットで検索、あいにく住んでる豊中市ではやっていないので、隣の箕面市にある、箕面市社会福祉協議会ボランティアセンターまで行って来た。
隣の市にしてはわりかし近くなんだけれども、途中坂を2回くらい登ったり降りたりせねばならないので、重い物資をチャリで運んで行くのは無理と判断、北急(北大阪急行電鉄)とバスを乗り継いで行った。

提供した物資は、銀行からもらった粗品タオルとどっかのお店か旅館のタオル併せて6本、誰かのお祝いのお返しにもらった高級タオル1箱、サランラップ1箱、隣の室内リフォーム時に粗品でもらった、なんでも使えるデュポン製マルチクロス1セット(とは言え、ポットの下に置いたりテーブルふきんにするケースが多い)、この前の日記で述べた電池のストック全部、2Lペットボトルの水2本。

つまり普段のオレの生活で、“もらったけど使ってない”、“これからも使う予定もたぶんない”ものが大半である。

タオルに関してはいつも、雑巾化しつつあるヨレヨレタオル2枚に、E.YAZAWAのスペシャルビーチタオル5,6枚とゾービーズ4枚で済ませているので、そんなにたくさんいらん。

サランラップもどっかから粗品でもらったが、1本余ってたのでソレを出す事にした。

電池も、たぶん現地で不足してると思われるので出す事にした。もちろん塩吹いてるものは捨てた。

なお2Lペットボトルの水のみ、この時の為に買った。お茶やブラックコーヒーのペットはよく買うが、水のペットボトルなんてオレは普段は買わない。

あと、必要だろうと思って、未使用のコンビニ弁当割り箸に、ガスト宅配サービス頼んだ時に付いてたプラ製のスプーンとフォークの数本、新聞購読してた時に粗品でもらった透明なごみ袋数十枚をも詰め込んだが、コレらは受付けてませんと拒否られた。

微々たるものだが、コレらの物資で少しでも被災地の復興の手助けになる事を切に願う。
 

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自分の事のように嬉しいゼ

ここ連日の震災被害のニュースで、国内だけでなく諸外国からも援助の手や沢山の応援のメッセージが届けられている事には本当に頭が下がり、五日市サンじゃないが何度「ありがとう」と口ずさんだ事だろうか?

自身が貧しいにも関わらず、「今まで日本はすごく援助をしてくれた。今回は私たちが援助をする時だ。」と言って募金してくれたり、オレがファンである芸能人はもとより、日本ではほとんど知られてない芸能人でさえも応援のメッセージを送って下さってるのには、自分の事のように涙が出る・・・。
まさに“情けは人の為ならず“。人に親切にすれば、その相手のためになるだけでなく、やがてはよい報いとなって自分にもどってくるという事実である。

またこんな悲惨な状況下にも関らず、現地で前向きに生きている人達を見ると、過去の辛い出来事を思い出しては、時折ピーピー言って悩んでるオレとは大違いだ。
かつて日本は、第二次世界大戦で敗れた後、家のない人、戦災孤児等の不幸な人々も日本の復興に立ち上がり、20数年後にはどこの都会も、以前焼け野原だったなんて事が想像つかないほど美しくなった。体力にもの言わせる支援はオレには出来んが、ただ単に¥振り込むだけじゃなくしてなんとかしてあげたい・・・。

今回も年月はかかるけれども、きっと復興するであろう!そしてその時には、是非ともあの素晴らしい地域をまた旅してみたい!


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でんちぃ~


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コレらは、オレん家の電池のストック。

 

巷で騒がれている災害対策の為に買い占めたんではなくて、“懐中電灯が点かなくなり、電池買って交換したものの、懐中電灯自体が錆びて壊れてたんで ~約30年前のシロモノ~ 、電池だけ手元に残った”、とか、“単4と単5を間違えて買った“とか、そんなのが多い!ただし、単39Vはストックで買っており、前者は目覚まし時計やヘッドホンステレオ等に使用、後者はギターのエフェクターに使用する。

 

やたら東芝製が多いのは、昔住んでたアパートの向かいが東芝の電器屋さんだったから。

 

ソレにしても、一部の電池からは、ラップをまだ破っていないにも関わらず、塩みたいなのが吹き出ている!なんぢゃ、こりゃぁー?