職場復帰?
コレは、我が玄海灘交通クッピー線上に取りつけていた人形たち。引越しの際に取り外して、そのままだった者たちだ。
すごい大人数に見えるが、レイアウト上ではそれほど多いようには見えない。
「踏切みたいに、別に置く場所が決まってるワケやないんだし、人間は動いているので、適当に置いとけばイイじゃないか!」と思われる向きがあるかも知れんが、本来人間含むすべての動物は、目的があるからその行動をしてるのであるからして、レイアウトに“ああ、この主婦はお買いものしてるんやな。”とか、“この人達は立ち話してるんやな。”とかを持ち込むようにすれば、活き活きとして来ると思うし、そうでなければまるで、ワケわからぬ変質者か挙動不審者みたいになってしまう・・・。
基本的に、元いた場所に再配置してるが、どこに置いてたのかを忘れてしまったり、こう置き換えた方がイイんでは?と思って、ポジションや役割の変わってる人形もある。
いつものドジャーズスタジャン羽織り、かつての愛車サニーのそばに立つオレもいます!
新しく発売されて、イイなと思った人形も適査配置させているが、全員の再配属は無理かな?
ネット上の喧嘩に思う
インターネットが、パソコンヲタクの専売特許から一般の人たちへと普及し出して約10数年、それまでは本や大都会、不特定多数の人付き合い等でしか得られなかった様々な情報が、画面上でGET出来るようになった。
また、直接会ってはいなくても遠方の友人が出来たり、会話できたりもできるし、疎遠になってる友人とも会話できたりして、非常にイイ傾向だ!
だが、ソレと同時にネット上のトラブル、喧嘩、罵り合い、中傷等のマイナス面も出現してきた事は周知の事実。
このオレも他の人と比ぶれば数は少ないが、ネット上でソイツを全く非難してもいないのに、勘違いされて噛み付かれた事や、バイオリン主体のある弦楽器コミュで、クラシック音楽や吟遊詩人音楽をメインにやってるバンドユニットのライブレポを載せた処、ロクロク読みもせず”クラシックファンにはロックはダメ!”と言われた事がある。
前者は、私はあなたを全く非難してない旨を丁重かつ詳細に説明、後者に関しては、ソイツに反論しようかと思うたが、あほらしくなってそのコミュを脱退しました。
たぶんコレらは、インターネットがない昔は、主に雑誌の読者欄や伝言板が読者の交流を深めたり語り合ったりする場であったが、そのような雑誌は大体月に1回しか発売されないんで、仮にアタマに来て反論や文句を言おうにも間(スパン)があり、その間に何度も読み返したりするんで、書かれた趣旨や意味が理解できたりする。また反論や文句言うのを忘れてしまったり、怒りが冷めたりする事もあるだろう。
そして、こういった所に投書する人たちは、その殆どが文章の読解力や作文力に秀でてる、いわゆる国語力に優れている人たちだったから、万が一喧嘩となっても、大人気ないような言い合いになる事は少なかった。
だからオレは、”ひょっとしてコレ、オレの中傷か?”とか、”喧嘩売ってるんか?”とか思わせるようなカキコでも、少なくとも3回は繰り返し読んでから対応するようにしている。3回読めば、相手方の言い分は大体はわかる!
こちら側を本当に非難したり中傷したりしてる文章は、案外少ない。
失恋に輪をかけて起こった不幸な出来事
ところが、失恋と前後して、次々と難題がオレの身のまわりに起こり始めていた。まず1つめが卒業論文の下調べ。当時法学部の学生だったとは言うものの、法律が大の不得手であったオレには、アタマのイタイ出来事だった。当時入ってたゼミナールは厳しく、中途半端な内容を書いてOKしてくれるような教授ではなかった。
さらに悪い事に、親に強制的に簿記3級を習いに行かされた。理由は、(オレが)体育会系でなく、どう見ても草食系のヲタッキーなので、資格を取らせて就職活動を少しでも有利にしたいがための親心で。当然の事ながら、簿記3級を取ったところで、就職活動が有利に展開しよう筈はないし、今は卒論の下調べしなければならない時期なので、大変だからやめてくれと言ったにも関わらず、全く聞く耳を傾けてくれなかった。
やがて春休みが終わり、新年度。一、二回時の取得単位が少なかったせいで、やはり留年が決定してしまった。当然今年度は就職活動が出来ず、(当時)オレをあらゆる事でバカにしてた経済学部の男から、さらにイジられるであろう・・・。(因みにコイツは、単位を順調に取り、彼女もいてラブラブ状態で、高飛車になっていた)
一つ一つを取ってみれば、難解な悩みではあるかも知れないけれども、多くの人が経験するような内容であるし、時間をかけたり、頑張ったりすればなんとか切り抜けられはできようが、いっぺんに我が身に降りかかってきたんで、まさに四面楚歌、三重苦四重苦の状態だった。
ゼミのセンセには発表やレポートの内容を突っ込まれ突き返されるわ、簿記は当然落ちて両親とはケンカするわ、バカにしてるソイツの目を避けてキャンパス歩かねばならんわ・・・。
こういう事もあり、オレは出身大学に対してあまり良い感情を持っていない。東京方面の三流大学を受験、入学すれば良かった、と今さらながら非常に後悔している。とは言うてもオレが受験生時代、東京の大学に行く事なんて、これっぽちも考えもしなかったんで仕方がないが。
しかし、コレらの難題から学び取ったものも少しだけどある。
最後に簿記だが、実家の仕事で必要なんで、仕事継いだ際に、親には勉強しろ的な事をやんわりと言われ、適当に聞き流してるフリしながら、6年前に内緒で受験、満点で取得をした。合格後には、ちゃんとカミングアウトしましたけどね。まっ言わば、20年後にリベンジを果たせた事にもなるが、卒論に取り掛らねばならなかった当時とは違い、特に厄介なものがなく、取り巻く情況も深刻ではなかったからだと思う。
(写真:当時のオレ。21歳。フラレてから約2週間後の九州旅行で。顔は笑っているが、取り巻く状況には暗雲が立ち込めていた。)
この日を悲しんでばかりもいられない!
今年も毎年恒例の失恋記念日行事も滞りなく済ませたが、やはりこの日は自身の人生や活動を見つめなおす日であると思う。
あれから数十年も経ってるがゆえ、もうほとんど思い出に近い状態だが、それ以来全然恋人に恵まれてない事実は、ほんのちょっぴり寂しいものである。
だがその晩、ザ・モッズのライブDVD見てたら、本当に積極的にいろんな事をやって行かねばならない事をあらためて身に染みさせた。
てなワケで、今日より鉄道模型、音楽活動、貼り絵をバリバリやっている!
それと新たに、起業してる人たち・しようとしてる人たちのネットワークに顔出したり、ツキを呼ぶ言葉で有名な五日市剛氏の講演会に出席したり・・・、と新たな活動もしている。
特に前者は、別に今から起業するワケではないけれども、もし仮にするとすればどういう事が必要となってくるのか?を学びたいのと、それをやってる人たちの意気込みや知恵を自身に取り入れたいのだ。
そうする事によって、これからの先行き不安な人生を積極的に歩んで行けるのではなかろうか?
失恋記念日ダイジェスト
先日、失恋記念日を迎えまして、毎年恒例の”石清水八幡宮へお参りする””地主神社へお参りをする”、"彼女と最後に食事したケンタッキーで当時のメニューを食べる“、”お気に入りのミュージシャンのコンサートDVD観てパワーをつける”行事を励行した。
思い返せば、昭和60年2月24日のこの日、あまり気の進まない彼女に電話でなんとか会う約束をとりつけ、会う事とした。彼女曰く、「(友達の)■●子とあちこち行くから会えない!」とか「親が来るからバタバタしてて会えない。」で、この日しか空いてないと言われたので、24日の日曜日になったまでの事だった。
「彼女も色々と忙しいんやなぁ・・・。オレはもっと労わり思いやらなぁあかんな。」と真に受けてたが、出かけてるはずの日が下宿にいてたりがわかったので、「なんでウソつくんやろう?」と疑問に思ったものの問わない事にした。
また”あの14日の日は、急に就職先が決まったから取り乱していたんだろう・・・。電話でもそんな事言ってたしな。今日は電車だが、次回はクルマで奈良へドライブだな!”と、悪い状況をロクロク直視せず、ダメな意味での前向き感で、自分の都合のいいように解釈していたんだが、待ち合わせ場所で顔合わすなり、「今日で最後だ」と言われてしまった・・・。
そして、東福寺行こうと誘ったが、「東福寺?もう■●子と行った!」と返されたので、鞍馬山行こうと提案したら、「寒そうだから行きたくない。」と言われたので、彼女が知らなかった、徒然草で有名な石清水八幡宮へ行った。
この最後のデートでの私は、別れの日らしからぬ雑談的なハナシばかり出してしまい、あまり最後らしくなかった。
自分勝手な辛く悲しい言葉を、また彼女が言い出すのを無意識に警戒したからなのかも知れん。
その後再び京都の中心街へ引き返して、三条から四条に通ってる商店街をブラツき、ケンタッキーで食事し、またもや漫才やお笑いのハナシなど最後らしからぬ雑談をした。
その時だったか、元カノに「『(山口)県庁の前で立ってたら、男性職員が声かけて来るんじゃない?』と、お母さんに薦められてる。」と言われ、「オレん事、眼中にないんやな?でも、そのウチ寂しくなって、きっと連絡して来るだろうよ!」と、全くありえない憶測を抱いたりもしていた。
その後は、いつものとおり住んでた下宿まで送っていった。
下宿の扉ん前で「元気でね。」と言われ、「山口行った時は会いに行くからな。」と言ったが、あんましイイ顔はされなかった。握手はしたけれど・・・。
このように完全にフラレたにも関わらず、上記のとおり、”そのうちきっと、寂しくなって電話してくるだろうヨ!”と、全く相変わらずの勘違いな前向き感情を持っていたんだが、当然如く電話も手紙も来ず、新4回生となって約3ヶ月が経ち、通ってた大学のイベントに参加した頃、”ああ、もう終わったんだな・・・。”と悟り始めた。
ラジオから、ローリングストーンズの「悲しみのアンジー」が流れていた。早速レンタルレコード屋で借りて、歌詞カードの対訳見ると、元カノへの想いとダブる部分が多く、この曲聞く毎に元カノの事を思い出すようになった。
そういうワケで、彼女が今も住んでるであろう山口県、日本のほぼ全国を旅してる私なのに、未だ足を踏み入れていない。(厳密に言えば、高校卒業後と大学入学直前の間に家族旅行で行ってるが、当然元カノと知り合う前。)
普通なれば、SL好き、日本の伝統民家好き、歴史好きの自分としては、絶対行ってはずの県であるにも関わらず、である。
話し戻って、今年のこの日。最初に石清水八幡宮へ足運んだが、現地へ着いてみると、まだ大規模な修復事業を行っていて、本殿向かって左側はグレーのシートで覆われていた。もう結構古い建物なんで、新調したいという趣旨なのかも知れん。そして、お参り。願う内容は毎年ほぼ一緒だが、それに加えて、仮に恋人や婚約者が出来たとするなら、この頼りない自分ではやっていけるのか?そして、自分が賭けている鉄道、貼り絵、バンド活動も並行してやって行けるのか?で悩んでいる旨をも述べた。
そして清水寺にある地主神社へ。平日にも関らず、訪れてる人がかなり多く、カップルのみならず、男同士、女同士、男女混合の集団や外国人観光客も多かった。そして昨年と同じお祈り内容。また芸能の神さまでもあるので、もちろん絵やギターの上達や、これで以って人を楽しませる事できるように、ともお願いをしておいた。清水寺出ると、暖かいせいか梅のつぼみが出ていた。失恋したこの日は、寒風吹きすさむいかにも冬の日、といった趣きで、まだ春遠きにありにけりであったのだがね。
坂を下りバスで四条河原町へ行き、ケンタッキーフライドチキンの店へ。当時彼女と食事したケンタの店はもうないので、比較的近くの新京極店で食事した。また、当時食ったのと全く同じメニューはさすがになく、チキン1ピース、ビスケットパン、スイートコーンを選んだ。スパイスとハーブの味が効いてウマイ!
そして最後の締めくくり。実家へ帰る用事があったので帰って、ザ・モッズのコンサートDVDを鑑賞。毎回毎回のハイテンションで、バンドの楽しさ、一体感、パワフルさで、オレも人生にもっと頑張らねば!と思わせました。
もうかなり昔の事だけあって、さすがにもうこのオレも、ほとんど思い出に近い出来事という認識はしているし、当時は鉄道だけで、ギターも貼り絵もやっていなかった。もし、別れていなければ、鉄道以外の事は全く手に付けておらず、鉄道趣味自体もそんなに発展しなかったであろう。また、日本女性にかなり多い、消極的で主体性なく、ある意味保守的な女性だったんで、そのような性格がオレとは相容れる筈がないので、全体的な意味でも別れたのは正解だったのかも知れん。
だが、この間まだこの世に生を受けてなかった人たちが、さっきの地主神社みたいに、恋愛を楽しんでたり充実させたりしてる様子を見たらば、我が恋愛運のなさを改めて思い知る・・・。もちろん、何度も言うてるとおり、人一倍出会いには積極的だったし、ナンパ以外は全てやったが、どれも成功には力及ばずであった・・・。
逆に不器用が故に嫌われたり ~芸術やる人はそれ以外の事に関しては、非常に不器用だったり要領が悪かったりするケースが多い~ 、スポーツや映画を趣味としてないので、関心を持たれなかったり、”これだァ~!”と思うた人が、彼氏持ち、婚約者持ちだったりして、非常に心苦しんだ・・・。
ナンパしてはエッチしてる男の武勇伝や、不倫やドロドロ恋愛談を聞いても、まるで絵空事のようで、オレからしてみりゃあ、王家の谷から、あるのかどうかわからない宝を掘りあてるみたいな感じがする時もある。また現在は、心身、取り巻く状況ともゴタゴタしており、恋愛どころではない。
だが、”あきらめた”いうよりか”30代の頃よりも恋愛に対する執着心が減った”という感じだ。そのお陰かどうかはわからないが、自分の趣味を、定年退職した人みたいに、ゆったりとした気持ちで楽しむ事ができている。とは言えど、モッズのDVD観て、”自分の持てる趣味に、もっとテンション上げなぁあかんな!”とも思うのだ。
「恋愛はうまく行かないし、到底若者には負けるが、芸術に関しては、年喰った分の人生観や生き様を出せるから、勝てるはず。トップレベルに出来るはずだ!」そう感じてる。
(写真・石清水八幡宮)
(2019年10月加筆訂正致しました。)
戸塚再訪
3年ぶりに、かつて住んでた地、戸塚(横浜市戸塚区)へ行って来た。
思えば9年前、当時勤めてたカイシャから転勤を命ぜられ、住む事はなくなった後も、わけあって年に10回くらいは訪れていたのだが、ここ数年はとんと行かなくなってしまっていた。
また、最後に訪れた時は駅前が再開発中とは言えど、はじまったばかりであったのが、今じゃもうかつての迷路の様な駅前商店街があった場所に、立派なショッピングモールが出来ている。
カイシャから帰ってきても、駅近くや近所に食う処があまりなかった当時とは大違いで、このショッピングモールにはいろんなレストランや専門店が入っている!
「あのまま戸塚に住んでれば、いろんなグルメを堪能できたのにな・・・。」と思った反面、「あの迷路の商店街の雰囲気が好きだったんやけどな・・・。」という残念な気持ちもした。
線路の反対側にも再開発されてるエリアがあり、もうどこがどうなったのかがわからない
ありさまだ。元々東海道五十三次の宿場でもあるんで、最近ソレもPRしているようで、案内所もある。
当然、かつて自分の住んでたところへも行ったが、ここら辺はあんまし変わっていない。相変わらず細い歩道にも関らず、自動車の往来が多くて危険だ。
なつかしい思いがしたのと同時に、住み家が大阪に戻ってからもしょっちゅう行ってたんで、普段歩いてる場所のような感じもしたが、やはりココへ戻って二度と生活できないという現実は噛みしめた。残念だが。
(写真上・ショッピングモールの中、写真下・住んでた近くを通る東海道線)
間違いなくイイ大学です!
ここ最近、アメブロやTeacup等のブログ日記下部分に、”安価な学費で学びやすい”とか、“まだまだ4月入学生募集中”等と、オレが現在習ってる産能大通信の広告が出てる!
「こんなにしょっちゅう広告出してるって事は、大した事ないあほ大学なんでは?」という先入観が出てきそうだが、いやいやそんな事はない!
一般の普通の大学では、「そんな事(基礎的な事あるいは常識的な事)は知ってて当たり前、でなければ前もって自分で勉強して来るのが当たり前ダロー!」という風潮があるが、産能大ではそんな事はなく、それら“常識”を全く知らないバカからでも安心して学んで行ける!何しろ、テキストが読みやすいのだ。
また一般的な大学の教授は、自分が著した(自己満足の)著書をテキストに使用したり、教員以外の職に携わった事がないケースが多いので、現実社会や世間とのギャップを大きく感じるが、ココの大学の教授は、そのいわゆる“はじめからセンセ”の人ももちろんいるが、元は普通のサラリーマンだったという方々も多いので、経営学にしろ、NPOん事にしろ、現代の社会情勢に即した内容を教えていたり、大学はおろか小中高でも教えない老後の生活設計に関する科目もあるので、実生活でも本当に役に立つ!
普通の大学では、センセとはゼミの時しか顔を会わして話さないケースがほとんどなんで、教員と学生との間のコミュニケーションは少ないが、ココでは2,3日、朝から夕方までみっちり講義するスクーリングというものがあり、コレを卒業まで15回以上出なければならないので、センセとの繋がりも強いほうであろう。
反面、通信大学ゆえに、普通の大学のように通学してのキャンパスライフは送りにくく、就職相談も行っていないが ~大元の産能大自体がそんなに就職率がいいほうではないみたいだ~、無試験で学費が安くしかも大学の勉強がド素人から学べるんで、こんなイイ大学はないと思う。
オレは、以前卒業した大学での学生生活が恨みを持つほど嫌なものだったので、「産能大でリベンジを!」と思って入ったワケだが、ソレがいいように活かされているので、「何も恨む事は全てが悪いワケではないなあ!」という気がしてる。
昨年11月でもう卒業に必要な単位はすべて修得し終え、あとは多めに取った科目をまったりと勉強している日々であるが、残り少ない産能大の学生生活を楽しもう!












