あの栄光をもう一度
今、旧国鉄時代の寝台急行列車「雲仙3号」を、Nゲージ鉄道模型で再現しようとしている。
持ってはいるものの、動力近代化とは逆にSLばかり走らせてて長年走らせてない休車状態のディーゼル機関車に何か牽かしてやりたい、それには図鑑や鉄道誌に写っていた急行雲仙なら自分が持ってるありあわせの客車で編成が組めるだろう、と思ったのがはじまり。
この列車は京都〜長崎間を走っていた夜行列車で、昭和55年のダイヤ改正まで存在し、その後は平成5年頃まで臨時列車として復活していた。
今回モチーフとしたのは、1972年頃の編成で、普通座席指定車1両、グリーン車1両、A寝台車1両、B寝台車4両、普通自由席車3両、車掌室付普通自由座席車1両の計11両で、実に多様な編成であった。
上記編成のうち、ドンピシャリの形式を5両持っているし、持っていない車両も小改造や鉄道模型の中古品の店やヤフオクで殆ど手に入れる事が出来たが、生産中止ゆえかB寝台車だけがなかなか揃わなかった。
ヤフオクで落札しようとしたら、他の人に落札されてしまったり、提示されてる金額がぼったくりみたいな金額のものが多く、閉口した。
ところが数日前、中古品の店へ行くと、屋根のない状態のものと台車を換えればいい状態のものがあったので、即購入、なんとか全車両揃える事が出来た。
屋根のない状態のものは、”屋根のパーツだけ”なんて売ってないので、シリコン樹脂で型取りして複製した。オレは型取り複製はあまり上手でなく、複製したものもこんな風に所々治している状態だ。
「実車がボロかったからイイじゃん!」なーんて、いつもの言い訳も出来ん事はないが、まだ作りかけなんで、これからどうなっていくであろうか?
仕事を増やすな!
先日の日曜日、鉄仲間が主催している鉄道模型運転会のクラブに参加して、いろんな車両を走らせてきた。
そのうち、貨物列車も走らせたが、家帰って点検してみると、ちょっとわかりにくいかも知れないが写真のように、タンク貨車の手すり部分が取れてしまったのだ。
この材質は、ボディのタンク部分とは違う軟質系のプラスチックで、普通の瞬間接着剤やプラスチック用接着剤が全く効かないし、しかも細すぎて接着する面積も小さすぎるんで、仮に接着できたとしてもまた取れる可能性も大である。
この貨車、昭和53年に買って約41年だから、そりゃ壊れる所が出てもおかしくはないが、オレとしては、積んどく溜まってる車両の製作に勤しみたいので、出来るならこんないらん仕事や作業は増やしたくない!というのが本音なところ。
あまり接着力は期待出来ないし、また取れる可能性は大だとは思われるが、ポリプロピレンが接着できるという瞬間接着剤を買って付ける事とするか。
令和元年のラスト。今年もありがとうございました。
平成から令和の時代になり、新たな希望に満ち溢れる年の始まりか?と思われたものの、昨年と同じく日本列島が未曾有の大きな自然災害に翻弄されたり、しょうもねぇ理由に起因する数々の悲しい事件も起こった年でもありました。
3月に市から母親の要支援認定が下りて医院病院への付き添い、5月には伯父伯母の逝去、9月10月には本業での取引先の担当の方の退職や仕事みて下さってる方の入院、住んでる住居エリアの理事会委員に当たり、しかも副理事長までになり、その今までやった事のない活動に四苦八苦、等・・・、様々な出来事に振り回された年でありました。
それゆえ、普段のほほんとしている自分が、それらの取り巻く情況によってやや不機嫌な心持ちに変わりました。
一方、鉄道趣味関連では新たな出会いがあり、天王寺にある鉄道模型のレストランのイベントに参加し、より多くの鉄仲間と知り合う事が出来ました。
取引先での招待旅行では、招待して下さった会社社員さん達のフレンドリーさに感銘、仕事を超えて親しくしていきたいと感じました。
また、昨年にも増して、積んどくモデラー状態の鉄道模型車両をどんどん改造や完成させて行く事が出来、若い頃よりもテクが上がっているのには自分でも驚かされましたし、年末からはベースだけではなくギターの練習にも励むようになり、あらためてアルペジオ奏法のむつかしさが身に染みました。
昨年行けなかったデカンショ祭も、最初の日が豪雨で中止になったんで心配していたが、次の日は晴れて開催されたので無事参戦する事が出来ました。
年老いてる母親の面倒や、本業の案件、理事会の委員のプレッシャーなど、抱えてる問題は多くなって行くだろうし、細木センセの占いでは大殺界に突入する年でもあるが、それでも幸せな年にしたいものです。
南海ラピート修繕工事
7月に、大阪環状線沿線にある某鉄道模型レストランのビンゴゲームイベントにて当たった、南海電車ラピート号の6両編成セット。
中古品で、先頭車両のボディー左側面には爛れたような荒れた跡があり、他の車両にも少々塗装が擦れた箇所も見受けられました。また、パンタグラフは4個中3個がボロボロでした。
パンタグラフは、最も似ている他メーカーのものと交換、また、擦れた箇所のタッチアップには、近そうなブルーのプラカラーを5個購入して、じっくりと検討した所、ドンピシャリに見えたブルーで塗りました。
そして、尤も厄介そうな荒れた部分は、まずは細かいサンドペーパーでこすり、コンパウンドで研磨、爛れ跡はなくなったものの、それでも細かな傷の雨がたくさん残ってたので、プラモデル用のワックスやコーティング液を塗ったもののダメでした。
そこで、1年前阪急電車の組み直しでも行なった、カーモデルの技法である無色透明のクリヤーカラーを3度スプレーして研ぎ出し(クリヤースプレーを吹き付けた数日後に、サンドペーパーでこすり、コンパウンドで仕上げる方法)すると傷跡が消え、やっとまともな状態に取り戻せました。
最後に、これは元からなんだが、製品のオレンジ色ヘッドライトが変なので、元のオレンジLEDを白色LEDに交換しました。(製品化された当時は、白色LEDはまだこの世になかった)
結局、コイツの交換時に、か細い導光アクリルを壊してしまい、光ファイバーで代用部品を製作するなど、結局この作業に一番手間がかかってしまいました。

私的には好きでも嫌いでもない電車で ~奇抜なスタイルゆえ、嫌いだという鉄道ファンも多い~、おそらくお金を出してまで手に入れる事はなかったでしょうが、子供達が見に来る一般公開の鉄道模型イベントなどで走らせると、注目を浴びるでありましょう。
今年のクリスマス・イヴ礼拝
今年も、毎年恒例で、ガキの頃通っていた、実家近くにある教会のクリスマスイヴ礼拝に参加した。

讃美歌歌い、聖書を朗読し交読をされてる信者の語りと牧師の説教に耳を傾けた。
交読文を共に声を出し、聖歌隊と共に讃美歌を歌い、聖書の朗読と説教に耳を傾けた。
説教なされた女性牧師は、何もないあるいは所にイエス・キリストが誕生した奇跡を述べられ、涙ながらに聖歌隊を指揮されてた方が天に召された事をも語られ、このクリスマスイヴを祝福なされてた。
礼拝の後は、懇親会ルームに行った。今年も誰一人知ってる人には出会わなかったが、一人の御老人が私に、いつごろから来ておられるのか?とかなんとか、少し語りかけて下さった。
少し飲み物を飲み、お菓子摘まんでから、教会を後にした。
その後はお決まりで、ケンタでフライドチキン買って持ち帰り、ザ・モッズのクリスマスソングと、ジョン・レノン「ハッピー・クリスマス(戦争は終わった)」を聴きながら、そして今回はまだ修理されたパソコンが戻って来てないので、フライドチキンを平らげながら、年賀状を書いた。
どういうワケか、今年のクリスマスもまたもや、クリスマスとも今回の牧師の説教とも何ら関連性がない、全く同じ事を悟った。
「モテなくても、誠実に生きること。」
今年も枚岡神社のお笑い神事に参加!
やっとパソコンが戻ってきたー!
日記の日付は当然、経験した日時とズレてるが、次々と書き込んでいきます!
さて、上皇さまの御誕生日である23日、そして令和最初の枚岡神社のお笑い神事へ行って来た。
今年1年間の出来事を20分間笑い飛ばし、新年の幸せを願うこの神社の神事であり、もはや全国的にも知られつつある。
昨年は音楽セッションで参加出来なかったので、今年は是非に!という事と、今年はあまり嬉しくもない様々な出来事に振り回された年なんで、それらを吹き飛ばしたいという思いもあった。
先導役の枚岡神社宮司の日本神話と神道に纏わる内容や、笑う事によってがんが消えたという実話等の、長ーいお話の後、太鼓の音と共に宮司、巫女、出店構えてる店員、オレ含むたくさんの参拝客が20分間、「あーはっはっはっー!!」と境内に大きな笑い声を響かせた。
今年も参列者の中には、東大阪市近辺在住の人達や家族連れ、何かのお笑い団体はもとより、群馬や千葉県などわざわざ遠方から来られた参拝客、はたまたはすごかったのは台湾から参加している人たちや、なんと枚岡神社宮司の友人だという薬師寺の副住職も参加していた。

例年如く今年もオレは、過去にベテランミュージシャンがMCで語ったおやぢギャグやおもろかった出来事やエッチな事を思い出して、普段のイヤラしい笑い方やキモい笑い方で以って笑った! もちろん「あーはっはっは」ではなく、殆ど「イッヒッヒッヒッ・・・」とか「ヒィェッヘッヘッヘッ・・・」だが。

頭上にはドローンが飛んでて、これらの様子を捕えていたが、頭上からみたらこの神事はどんな風に見えるんだろう?

20分間散々ばか笑いした後は、お笑いコンテストやっていたが、そちらのほうは見ずに、この枚岡神社の本社と摂社末社を参拝し、屋台の大福餅と鴨うどんと招福汁を昼めし代わりに買って食べ、神社を後にした。
この1年間の振り回された出来事が、一瞬だけでも笑いで吹き飛ばす事ができたような気がするし、年末には笑って2019年を終わりたいものだ。








