言ってることがまともだとか、面白いとか、ユニークとか、そういうことじゃなくて

その人が口にした言葉だからいつまでも印象に残るし、反芻すると気持ちが落ち着く。


そういう言葉は、存在する。


自分の部屋の本棚を眺めると自分の軸が見える、そう言った人がいる。

本当にそうなのかどうかは問題ではない。

いつの間にか、たまに本棚をぼーっと眺める癖がついてた。

そのことがなにより大事。

  疲れたときに、疲れきってから寝るのは自分の肉体に対する愛の欠如だと思うのです。

  限界を超えてしまうのは、あらぬ物欲があって、お金が欲しいとか人に良く見られたいとか、

  物欲を目的とするから。

  

今まで、生と死については日々考えてきたけど、愛についてしっかり考えたことはなかったかな。

誰かを好きになった、とか、そのことを巡る思いやりについてとか、そういう面での話だけではなく、

自分を表現するモチベーションとしての愛。自分を誇りに思うための愛。


生と死と愛は、芸術にとって不可欠な要素って言ってる人がいます。

形がある。私っていう、くっきりとした形がある。

関心を示されることで、否が応でも話すことで、笑うことで、教えられることで、生きていたものを触ることで、命あるものに触れることで、大きい声を出すことで、次から次へとやるべきことが運ばれてくることで、からかわれることで、言い争いをすることで、短気に切れることで、文句を言い合うことで、ふざけることで。

私の周りの空気の濃度がどんどん高くなっていって、気圧を受けながら私の輪郭ははっきりとしていく。

生きていることの現実感をものすごく感じる。


ゆるくなっていく。何かのマジックで服だけ残って身体が消えてしまうように、私の存在も空気との境がなくなっていくような感覚になる。

渋谷の雑踏の中を歩いているとき、汐留の高層ビルを下から見上げるとき、そのビルの中を通るエレベーターの動きを目で追っているとき、竹芝の夜景を見ているとき、日比谷通りを歩いているとき、鎌倉の海沿いを歩いているとき、自由が丘の遊歩道で一服しているとき、部屋のベッドの上で本を読んでいるとき、えんの帰り道、飲んだあとの道、誰かと一対一で話しているとき、働きながらふと意識を一歩引いたとき。

たった一人の人をいつも思い出しながら、私はあっという間に輪郭を失って砂みたいになってどこへでも散っていける。でもそういうときに、いろんな人が頑張っていることがとても愛しく思えたり応援したくなったりする。そういう人が集まってるこの場所も好きになる。そんな場所に偶然に今ここでめぐり合わせた幸運と儚さの中に溶けてしまいたくなる。周りに人のいないときは、空を見て、そのまま膝をついて地面に静かにうずまってしまいたくなる。輪郭を失った私の心は、一体どこに宿っているのか分からないけども穏やかだ。そして少しだけ泣きたくなる。今死んじゃってもいいやって思う。現実感を感じていた世界が、ものすごく遠くのことに思える。大切でなくしたくなかったはずのことが、他愛のないことになってくる。


どちらにしても、孤独であるってことに変わりはないけども。


私は孤独感をできるだけ強くそばに置いておく為に一人でいろんなところに行く。

京都に行ってパリに行って六本木ヒルズに行って、人間が作ったあらゆるものを見てその力を感じて、とても自分がそのどんなものにも相容れない孤独な存在だってことを何度も感じては泣きたい気分になって、そしてまた明日生きようと思う。そんな孤独な自分をあっちこっちに置いてきて、いっぱいいる孤独な自分の記憶で私はなんとか私の形を保ってる。

泣きたい気持ちになるのは、ただ孤独だって感じるからじゃない。思う人がいるからだ。どうしてるんだろうって思うことがあまりに日常になりすぎて、そう思うことが私が存在するための大事な足場になってるのかもしれない。だけどなかなか会えないどころか顔をうまく思い出すことすらできない。本当に彼がいたのかさえ分からなくなってる。そんな大事な人だったかなんて見当もつかないくらいだよ。そんな不安定さに、余計に私の存在が危うくなって孤独感が増すんだ。そんなあるのかないのか分からない存在なのに、私の身体の中では完全にあることになっていて重心がそこにある。だから、その重心に疑いの目をかけた途端に私なんてなくなっちゃってもおかしくないよね。


それでも私は人を求める。携帯の電源切りっぱなしにしてても、どんなに斜に構えてるって言われようとも、実際そういうふうに振舞っていようとも、誰かを求めたくて求められたい。でも、どうしてだろう。実際に求められると、嫌悪感だけが先にたつ。受け入れようっていう気持ちはほとんど湧いてこない。面倒くさいだけで、近づいて欲しくなくて、気持ち悪いと思う。話しかけないで。メールなんて送ってこないで。触らないで。知ろうとしないで。一度そう思ったら、もうあとはどうでもいいとしか思えなくなる。


私は、そういうふうにしか生きていけない。今のところ。

なんて早いんだろう。

もう10月だ。今年も残り3ヶ月、私の学生生活も残り半年。

半年なんて言ったって、もう週一回二回しか学校行ってないんだから、

三田に足を運ぶのも数えるほどだろう。

学校自体にはそんなに思い入れは昔からないけど、あまりに吸収し変わることの多かった

四年間が終わって、全く違う環境に入っていくことは、とても寂しい。

今会ってる人たちからもっとたくさん学びたいと思うし、自分の至らぬところもたくさん感じているから。

なあんてなんか陳腐だな。

長く付き合えば付き合うほど人間の味がどんどん染み出してくるっていう面白さに最近

はまったところだから、きっと今の環境を立ち去るのが惜しいんだろうね。

まあ、あれだけ周りに興味がなかった自分を考えてみれば、そんなことを言うなんて

恐ろしく変わったんだと思うよ。

それが成長なのか退化なのか分からないけど、そんな自分に違和感は無いかな。

相変わらず斜に構えてるっては言われるけど、

そういうふうに直接言われるほどに関心を持たれてることが過去には考えられなかった。

自分の中でも、何でそういう生き方をしているのか、

そのスタンスを少しでも多く言葉にできるようになったのは大きな変化だな。

昔は何かを真剣に考えることすらしなかったから。文章書くのなんてほんとに苦手だった。


そんな状態の私がまともに自分の気持ちとか、考えとかに真っ向から向き合うようになったきっかけは、

まあよくある話だけど、恋愛。

あとにも先にも、好きっていう気持ちだけであそこまで笑ったり泣いたりしたのはあの時だけ。

その分、自分の気持ちや物事の運びの理不尽さを真剣に考えた。

視野が狭くなっていた分、気持ちのありどころは深かった。

毎日の軸がその相手っていう生活の中で、自分の存在とかどう生きてくかとか

どう表現するかとかいろんな人とどう話をするのかとか思いやりとか、たくさんのことを一気に知った。

自分に関心を持ってくれる人が思ったよりもいることに気づいたときでもあった。

人と話すってことも、捨てたもんじゃないと初めて思えた頃。

その一年後くらいは、生きてることの無意味さ嘘っぽさについてひたすら考えた時期だった。

それは恋愛がどうこうって話ではなく、書いたり考えたりしてるうちにドツボにはまった。

食べるのもバカバカしくてまともに食事しなかったり、電車の中で人が怖くて震えと涙が止まらなかったり、

なんとも濃い一週間を送ったのは良く覚えてる。

その時に考えたことはゼミのおかげで消化されたけど。

そんな二段階成長は良く覚えてる。

その集大成を、卒論で、そして実際の人間関係で示していきたい。

そして今まで出会った人たちと人生が偶然にも重なったことを、心から嬉しく思う。

そんな重なりえた互いの人生を思うと、限りあるこの時間を強く意識する。

どんなに私たちの生きてる世界がちっぽけなものだったとしても、

私が足をつけ目で見て考えることのできるのは、今この瞬間だけ。その積み重ね。

積み重なったものが、宇宙の歴史を考えればごくたわいのないものだったとしても、

それは私にとっては目の前いっぱいに広がった現実。

だから私は、感謝します。ありがとう。

儚い時間の中で、孤独を抱えながら私たちは生きていかないといけないんだ。

さっきから一時間半経って、また大部気持ちが落ち着いてきた。

カラオケ行きたい欲もおさまってきた。

さやかはロンドンに行っちゃったけど、やっぱりそれでも支えになる。

さやかにメールしながら、また出来事を振り返ったら穏やかになってきた。

字にしたり、じっくり考えたりすると、心って静かになるもんだ。

荒れに拍車のかかることもあるけど。

言葉って不思議。

身内以外の人と、多分初めて、言い争いをした。

事の発端は大したことじゃないし、理不尽な物言いをされたから言い返しちゃったけど、

そういうことはひとまず置いといて、(それを追求するとただの水掛になっちゃうから)

なにが捩れてるのか鳥瞰図的に考えて

自分の根本的な問題を見るきっかけになったから、良かったかな。

頭にきて終わるってだけじゃない冷静さを私が持ってたことに安心した。

だけどまあ、今はカラオケにでも行って最近たまりにたまってるストレスを発散したいけどね。

多分今は運勢低調。


明日は、本気で言い返しちゃったことを謝ろう。そうしよう。

だめだな、回復しない。

テンション低いまんま、今に至ります。


今日はなんだか特に間が悪い日だったからな。

ついてないことってのは重なるものだし、

そういう時は普段は大したことないって受け流せることでもいちいち気に障ってしまう。

一つ一つ回復する間もなくどんどん不愉快度が上がっていってしまいました。

こういう日は、明日を迎えるのが憂鬱だな。


でも、そんな状態じゃなくても最近はつくづくあの店での存在意義を疑う。

生きることに意味なんてないことはもう十分分かった、けど、

そう思っている中でもあそこで働いてるときはものすごい現実感を持ってやってるわけだから、

やっぱり自分の立ち位置とかみんなとの関わりとか意識して、

自分の存在を確かめてみるってのは自然なことだと思う。

で、そんな自然の生業に沿って私が一体あの店にとって、あの人たちにとって、

どんな存在なのか考えてみると、なんだかまったくもって空しくなる。


そりゃ楽しいよ。

リズムのいい仕事だしキャラ設定も今までとは違って一歩引かれる感じじゃないし。

だけど、そろそろ一年経つっていうのにいまだに2ポジションしかやってないってのは

いくらいろんなタイミングが悪かったとは言え、やっぱり納得いかない。

今までと違うキャラに設定されてるのも、そうなるとただのごまかしみたいで

すごくやだ。

お前は2ポジだけでも、そういうキャラで、他の人たちよりは社員と仲良くて、

おすすめもやって、たまに余計に魚のおろし方教えてもらったりして、

それでいいじゃん、みたいなね。ごまかし。

確かに、ここまで来ると私独特の位置ってのはキャラの面でも仕事の面でも

あることはあるんだよ。

だけどなんかもうバカバカしいよね。

私はあんたたちの暇つぶしの相手じゃないんだっつーの。

右も左も口ばっかだし。

いちいちそういうのに笑ったりなんか言ったりするのが、この上なくバカバカしい今日この頃。

ポジション持ってない分そういうとこでの楽しさを多分人一倍感じてただけに、

そこに疑問感じちゃうともう完全アウトだよ。

なんかもーあほみたーい。だよ。でした。



むきーーーーー!

また消えた。

何度目だよ。だから嫌いなんだって、こういうの。

考えて作った文章が、一瞬にして跡形なく消えちゃうから。


ああ眠い。

今日こそは早く寝ようと思ってたのに、もうこんな時間ですか。

知らんよ、もう。

考えてみれば、ラーメン食べて終電で帰ってきた時点で早く寝るなんてのは

無理だったってことを悟るべきでした。


今日社長賞なんてのをいただきました。

先月のおすすめの、蒸しナスを選んでいただいたようで。

なんかね、あれは作ったときは考え抜いてってよりもわりと楽にテンポ良く決めたんだけど、

結構ぴったり自分の好みにも合って気に入ってはいたから嬉しかった。

びっくりしたけどね。

でもあれ初めて通ったおすすめだったんだけどな。

そんなこともあるものなんですね。

間が合ったってことですかね。


・・・いーから素直に喜べ。それができたら「斜」は少しはなくなるかも。


よし、寝るぞ。とりあえずシャワーあびよ。おやすま。

周期的に、全てがバカバカしく空虚で白々しくて拒否したくなるときが来る。

昨日はそんな時だった。

多分、金原ひとみの『アッシュベイビー』を読んだせい。

本のテンポと一緒に、とんとんとんっとあっという間に全てに対する嫌気で私は充満してた。

そういう感覚は嫌ではないんだけど。

はっきりいって、一番まともな状態のような気もするし。

へらへら笑ってるよりもよっぽどまとも。

そんなに楽しくはないんだけどさ。

嫌気の勢いで昨日書いた文章を読み返してみたけど、

死んじゃえとかバカとかあほとか、まー好き放題にイライラを発散しておりました。


まあでも。

少しは落ち着いた今でもまだ思うけど、生きてるってのは尋常じゃないよね。

ここまで無駄なことがあるかって、ないだろうよ。

人生に意味のないことなんてとっくに分かっちゃいたけど、

改めて考えてみると、ここまでばっかみたいなことなのかって思うよ。

世の中にはあまりに根拠がなさ過ぎて、今この瞬間に身体が空気に溶けてっちゃっても

全然不思議はない気はするしむしろその方が自然なんじゃないかってすら思うけど

そうはならないし簡単には消えてくれない。

そんなこと言って私は今消えちゃうのを100パーセント望んでるのかっていうと、

わりと未練たらたらだし、痛くて苦しい思いをするのはちょっと勘弁。

いやはや、なんて人間らしい。

存在することに意味がないっつってんのにのに「らしさ」を語るなんて、

あんた矛盾だよって突っ込みたくもなるけど

ま、私含め世の中結構バカばっかだからそんなに気づかれることもないでしょう。

ね。


時間の感覚だって不思議だよなあ。

なんだって、みんな共通で1秒一日一年って数えていられるんだか。

過ぎたこととか先のこととか今とか、何で区別してるんだか。

全部が渾然一体であって何がいけない?

インドの人だかが0を発見しちゃったみたいに

過去未来現在もきっと誰かが発見しちゃったんだろうけど

はっきりいって余計な発見だよなあ。

そんなもん全部一緒にしとけば少なくとも歴史の授業はなかったはず。

タイムスリップもしたい放題。ドラえもんもびっくり。

いや実際ね、かすかな感覚として、私の腕とか頬とか耳の横で、

あらゆる時間が行き来してるんじゃないかってのがあるんだよね。

なんにせよ、私がこうしている今このときっていう時間には信憑性がない。

ちっちゃいころから、キャンプとか林間学校とか修学旅行とか合宿とか、

大人数で一緒に出かけて何か作ったり、見て歩いたり、

話し合ったり、運動したり、そんな場をたくさん経験してきた。

でもきっと、今回の合宿が、みんなで寝泊りする最後の機会だったんだろう。


私は正直集団生活は嫌いだけど、半強制的にこうやって集まって一日中一緒にいることで

分かり合えることもたくさんある。

深まる関係もできてくる。

話すきっかけと時間はあり余るほどあるから。


去年の合宿を思うと、うちらの代も、随分付き合いが変わったなと思う。

格段に距離が近くなったな。特に、いがじゅんとつんつんね。

去年は絡んだ記憶がないもんなあ。


てかまあ、去年の合宿はひたすら辛かったよ。

ちょっと思い出しちゃった。

あんな感情も抱いてたなって。

さやかが一緒に泣いてくれたこととか。


だから今回は、純粋に楽しめたから嬉しかったな。

いがじゅんとの絡みがけっこうあって、ウノ真剣勝負も素で楽しんじゃったし。

優しさに寄りかかりすぎた気もするけど。

それから大坪ともふとしたきっかけで3時間半くらいじっくり話せて

これはまた新たなめっけもんでした。


いっぽうで、吐き出したい気持ちを、すぐにそのまま伝えられる

相手がいないのがやっぱりしんどかった。

さやかぁ。カムバック!

たまってることを喋りたいように喋らせてくれる相手がいるってことが

私にとってどれだけの救いになってたのかってことに今更気づいた。

だから、その分いがじゅんに頼っちゃったんだけどね。


なんか忘れてたと思ってたことをリアルにまた蒸し返してしまって、

懐かしくもあり切なくもあり悲しくもあり温かくもある。

変な気持ちだ。

でも、思いがあるっていう事実だけは変わってないんだってことを

改めて気付かされた。

だからって、今これといってできることはないけど。

唯一できるのは、妥協して折り合いをつけることだけだな。


そうそう、また斜に構えてるって言われちゃった。

4月以降、三人目。しかも今回は先生に言われた。

さすがに認めるしかないよね。

いや、分かってはいるんだよ、自分がそういう人間だってことはさ。

だけど、具体的にどう「斜」なのかってのはいまいちよくわかんなかったんだ。

それを今回先生にいい感じに指摘されて、なるほどねって感じだったわけ。

何かを得てるのに、そこでいちいち自分のマイナス面を見てしまうあたり、「斜」らしい。

自分の限界は限界として受け入れないといけないってことかな。

その限界を他人が補ってくれて何かを貰えたとき、

ちっちゃい自分を反省したり悲しんだりするんじゃなくて、

ラッキーって思えばいいんだね。

そういうこと。

そうしたらもっと生き易くなるんだろう。





てなわけで、一週間ほど出かけてきます。

エンジョイギリシャ。