無欲でいることを昔から求めていて、念願どおり無欲に近づいた。
無欲というのが語弊があるなら、求めるものへの執着心がなくなった。
私は、ものを求めることは確かにする。
だけど、それは自分が生き易くなるためであって、死ぬんであればそんなものは必要ない。
生きている限り孤独と空しさに耐えながらやっていかないといけないのは
生まれてしまった以上、人間としての宿命だから、生から逃れることはナンセンスだと思う。
なんで、私が自殺しないのか・・・センスがないからだ。
生きていることがどうにもぎりぎりなことで、だけど自ら死ぬっていう選択肢はなくて、
だったらどうするかっていったら、生き易く生きるしかない。
どうせ生き易く生きるのなら、消極的受動的に生きるのでなく、
自ら何かを感じ選び満足して生きたい。
私が働くことに熱意を注いでいるのは、そういう思いの一番の表れであるし、
一番の成功例でもある。
私が服とか持ち物とか発言とか、そういうものにこだわるっていうのも、
生き易くするためだ。
自殺っていうセンスのないことができないなら、
センスのあることをして生きるのがまっとうなやり方、と、今のところ思っている。
だけどそうやって自分なりのセンスや熱意をもって生きていたとしても、
そうやって得たことが惜しくて死にたくないってことは、別にない。
未練がないっていうのはどうもしっくりこないけど、まあ、いつでも削ぎ落とせる。
人間関係は、どうか。
必要以上に関わらないように、知られないように、寄りかかり過ぎないように、
それだけを考えてやってきた節がある。
何でかって言えば、相手に拒絶されたときに自分が必要以上の執着心を持っていたら、
生き易くないから。
ちょっといつもの空しさを我慢して、さらっと流せたら、楽だと思ったから。
いつでも削ぎ落とせる程度に関わっていないと、空虚に耐えられない。
でも、求めてしまう。求めているうちは楽しくて幸せで温かい。
でも、何を求めているかって言われれば、うまく言えないんだけど。
よく分からないんだけど。
手に入ったら、あとは失うのを恐れるだけなら、最初からないほうが、やっぱりいい。