二ヶ月以上サボっていましたが・・

この二ヶ月の間に私が見ることのできる世界は大きく変わり、卒論を書き終え、

私の中に匂いが浸み込み、一瞬一瞬を奏でる音が巡り、

好きな音楽がたくさん現れ、鎌倉の海に行き、部屋の様子が少し変わり、

花屋によく行くようになりました。


いつの間にか感受性がいろんなところに向かうようになって

抱えていた不死身のはずのバリアが気付いたら溶けていた。


そうしたら言葉はみな空へ昇っていって、水蒸気が空気いっぱい広がって目に見えなくなってしまうように

私の目の前から消えていった。

心地よく、幸せで、そのぶん少しせつなく。

青空の日は毎日感謝したくなった。


また、気が向いたときに書いていこうかなと思います。

それでも言葉は少しずつ溢れてくるから。



たくさんの、ありがとうを。

月の庭と土岐麻子とかかる年月と。


泣きたいくらいに大切にしたいものがある。

偶然のなせる力がある。

私が今ここにいることが確かなことに思え、一方でその確かさに不安になる。


それでも、純粋に、守るべきものを守って生きていきたい。

卒論と、恋愛とが一気に進んだりごたごたしたりで、なんとも濃い10日間だった。

今までにない感情を経験し、幸福感と空しさという両極端の極まった心を短期間に思いっきり味わった。

ものすごい嫌悪感と今までにない食欲のなさも通った。

心からの笑顔を作ることができた一方、吐き出すように泣きもした。


全部、なるべく感覚のまま文字にしてみた。

整理整頓して口にしてみた。

だいぶ楽になったみたいだ。

荷物の形が分かると、持ち上げるのも楽になる。


今日は久しぶりにまともな食事をした。

モツ鍋を今の私が食べるなんて、画期的過ぎる。

おめでとう自分。復活だね。


・・・・・・と思っていた矢先にちょっとしたハプニングが。

そうそう、思い出したけど、昔、って言っても2年位前、

周りから見えている私の像と自分自身で感じている像とのギャップに疲れたことがあった。

当時は結構真剣な悩みだった。

行動力があるとか、意志が強いとか、こだわりがあるとか、芯があるとか

そういう風に思われているのを感じたり、実際に言われたりすると

嬉しいという気持ち反面、実際はそんなに何も成し遂げていないしっていう無力感に襲われて

虚勢張ってやってるのが自分でみえみえになってきてすごく嫌だった。


結構本気で辛かったんだけどね、今となってはそのことで思い悩むことはなくなったな。

下手に自信が付いちゃったから。

確かに人よりいろんなとこ行くことは行くし、ふらふらと意志薄弱なのは好きじゃないし

持つもの着るものにはよく注目されるし、っていう事実をそのまま受け入れることにした。

なんか、他人からの像をを認めてみることで、いらないことを考えなくてすむようになったし

考えてみれば、そんなのちっちゃいことだよなと。

褒められたら、ありがとうって一言言って流せばいいだけでね。

無欲でいることを昔から求めていて、念願どおり無欲に近づいた。

無欲というのが語弊があるなら、求めるものへの執着心がなくなった。

私は、ものを求めることは確かにする。

だけど、それは自分が生き易くなるためであって、死ぬんであればそんなものは必要ない。

生きている限り孤独と空しさに耐えながらやっていかないといけないのは

生まれてしまった以上、人間としての宿命だから、生から逃れることはナンセンスだと思う。

なんで、私が自殺しないのか・・・センスがないからだ。

生きていることがどうにもぎりぎりなことで、だけど自ら死ぬっていう選択肢はなくて、

だったらどうするかっていったら、生き易く生きるしかない。

どうせ生き易く生きるのなら、消極的受動的に生きるのでなく、

自ら何かを感じ選び満足して生きたい。

私が働くことに熱意を注いでいるのは、そういう思いの一番の表れであるし、

一番の成功例でもある。

私が服とか持ち物とか発言とか、そういうものにこだわるっていうのも、

生き易くするためだ。

自殺っていうセンスのないことができないなら、

センスのあることをして生きるのがまっとうなやり方、と、今のところ思っている。

だけどそうやって自分なりのセンスや熱意をもって生きていたとしても、

そうやって得たことが惜しくて死にたくないってことは、別にない。

未練がないっていうのはどうもしっくりこないけど、まあ、いつでも削ぎ落とせる。


人間関係は、どうか。

必要以上に関わらないように、知られないように、寄りかかり過ぎないように、

それだけを考えてやってきた節がある。

何でかって言えば、相手に拒絶されたときに自分が必要以上の執着心を持っていたら、

生き易くないから。

ちょっといつもの空しさを我慢して、さらっと流せたら、楽だと思ったから。

いつでも削ぎ落とせる程度に関わっていないと、空虚に耐えられない。


でも、求めてしまう。求めているうちは楽しくて幸せで温かい。

でも、何を求めているかって言われれば、うまく言えないんだけど。

よく分からないんだけど。

手に入ったら、あとは失うのを恐れるだけなら、最初からないほうが、やっぱりいい。




昨日はダークすぎた。

4時間睡眠で、朝7時半に起きたのが、まず第一にマズかった。

学校に土曜なのに行っちゃったのもマズかった。

だって、予約してた資料が届いてたんだよ。

来週行ったんじゃあ遅いわけよ。しゃあないじゃん。

で、中途半端にバイトまでに時間を作っちゃったのがことさらにマズかった。

本読んだり、書いたりしてたら、私が考えるモチベーションの嫌悪感がぐんぐん増していって。

経験上上位2位には入る、嫌悪っぷりを発揮。

学校出てからえんに着くまでは、全てのものに敵意を向けていた。

とりあえずはすれ違う人全員。

どうしてみんなこんなに醜いのか。どうしたらそんなにいかれた趣味の服装になるのか。

鏡を一回見てみろ。この寒いのにミュールかよ。

きゃあきゃあ騒いでんじゃない。偉そうに肩透かしてんじゃない。

へったくそな腕でしかも大音量で楽器いじってんじゃないよ。

もっとしゃきっと歩いてよ。

何で10段くらいしかない階段を、わざわざエスカレーター使うわけ。怠慢だ。

どうして平気な顔して機械的な改札機を通れるのか。

この世の中の人たちは、疑うってことをしないのか。

なんでそんなにのうのうと暮らしているのか。意味不明。いい加減にしてくれ。

建物だって、全部何の存在感もなく、あっという間に崩れそうで、

そんな中に立っていることが激しく不安。

食べ物の匂いがしていることも許せない。


あまりに嫌悪感にはまり過ぎて、昨日は仕事始まってもちっとも抜け出せなかった。

いつもならあの現実的な場所では普通で居られるのに。

彼と居ると、感情が消える。私は彼と一緒に居ると、感情を持つことができなくなる。彼の感情が分からないから、という理由だけではない。彼と居ると自分の感情が分からなくなる。何故この人と会いたかったのか、何を思ってあんなにも求めていたのか、分からなくなる。ただただ私には満たされている感覚だけがある。合えない時間にため込んだ、空き、会いたい、愛している、そういう感情は消え失せ、ただただ考えているばかりだ。しかしまた、彼が居なくなった途端、好き、会いたい、愛している、そういう感情に支配される。幻想なのだろうか、そう、幾度も疑った。けれど、一緒に居る時、その感情はない。私たちは互いに、意思表示というものをほとんどしない。仕事の上で、締め切りです、まだです、早くしてください、無理です、と主張を述べるときもあるが、それは感情ではない。互いの身体に触れ合うような、直接的な感情はほとんどない。さっき彼が会社に戻らなくてはならないと聞いて言った、残念、という言葉も、本心であったかと言われれば、反射的に出ただけのような気がする。体を求め合うことは感情かと言えば、それもそうではない。性欲の提示というものは大概、感情の上に成り立つものであるが、私たちにはそれすらもない。ただ何気なくくっついて、何気なく突っ込んで、何気なく出す。何気ないもので構成された私たちの関係というものは、何気なく終わっていくのだろうか。



  寝る前にほとんど半寝状態で本を読んでいたら、自分がその文章を書いたのかと勘違いした。

  ていうか、書いてあることを読んでいるのか、それともまさに自分が考えていることがそのまま

  文字になっているのか、判断がつかなくなった。脳内と文字とが一致しすぎた。

  あの時の私の境界線はどこに。

お腹が空いた。お腹が鳴った。

今朝、りんごジュースとコーヒーとアサリのチャウダーと鮭雑炊を口に入れた。

胃と腸が痛くなった。気持ち悪くもなった。


昨日は、賄いを見たら泣きたくなった。

げんなり。

食べない自分に、恍惚としてるわけだ。

やっぱいかれてるかもね、私。

つーか他人からしたら、そんなやつうざいよなあ。

食べない状態の私は、世の中に対する敵意をいつもより含んでると思う。

だから、食べられなくなってるときは不快。不快、不愉快、憂鬱。

目に映る全てのもの、人がお気楽に見えて耐えられない。

浸透していたはずの音楽さえもうっとうしい。

ああ、やっぱり、身体の中に受け入れられたと思っていても、それはまやかしだったんだね。

唯一良しと思えることは、敵意が思考を活性化させること、筆を進めること。

自分と外の世界との間にものすごくはっきりと存在する異質感、

それが私がものを考えるモチベーションだから。

だから私はこの状態を維持しようと思う。

そう、外の世界にあるものを口から身体の中に取り込むなんて、ああ身の毛もよだつことだ。

口から肛門まではひとつの管で直接外と繋がっているわけだから、

食道や胃や腸は身体の中のようでいて実は外側だなんて議論もあるけど、それはとりあえず置いとく。