アラゴン連合王国 旅行記  2025年

29 ムラ村でムラムラ

 

 カタルーニャ山中トレッキングの帰り道、途中まで戻って左手の谷へ下る。復路のことゆえ、地図上でどこにいるのかが多少はわかるようになっている。この分岐点がコレット・デル・レイシャスであった。

 

 

 

 左手には近景に岩頸が突き出たプッチ・ボー、遠景にはモンセラットを望みながら、樹林の中を下って行く。

 

 

 右手には往路にたどった尾根筋が見え、その間はトレント・デル・レイシャスなる川が谷を刻んでいる。トレントとは急流の意味だと辞書に書いてある。水が流れていれば確かに急流であろうが、いまは枯れた河床が太陽に灼かれて白く光っている。

 

 

 

 谷間をずんずん下り、ムラ村がだいぶ近づいて来た。そのとき、ふと足元で何かが光った。屈みこんで目を凝らすと、蝶である。前翅が黄色、後翅が黄緑色の美しい色合いである。

 その翅の色はひらひらと飛んでいるときにしか見えないので、残念ながらコンパクト・デジカメやスマートフォンでは上手く写真に収めることができない。

 

 

 

 やがて、斜面にへばりついたムラ村の家並みが正面に迫ってきた。そして15時ちょうど、ムラの教会下に帰還した。片道2時間ずつ、プラス休憩30分の行程であった。

 

 

 

 

 シエスタが終了する時間であるが、ムラ村が目覚める様子はない。村で唯一のレストランは、今日は貸し切りだと言う。朝方には開いていたバルも再開しない。

 

 

 バス停へと続くムンターニャ通りには田舎の村にありがちななんでも屋が店を開いていたけれども、特に買いたいようなものはない。

 

 

 

 

 

 村の中を逍遥し、日陰のベンチで休憩し、帰りのバスを待つ。発車時刻は19時15分なので時間が有り余っている。

 

 

 特に見るべきものとてないのだが、家並みに混じって円い石積みの塔が建っている。解説板があって、18世紀に建てられた小麦貯蔵庫だと書いてある。高さは6メートル、容量は1万2000リットルに達するそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 そうこうするうちに、便意を催してきた。確かバス停の近くに公衆トイレがあったはずと行って見る。だが、鍵がかかっていて入れない。インフォメーションセンターを兼ねている村役場ならトイレがあるだろうと坂を下る。しかし、ここも15時で営業を終了していた。

 しかたがないので、対岸の山道へ。手の方は水の流れている小川で洗ってすます。

 

 

 マンレーサのアパートに帰ってから夕飯。時間も遅いので、あらかじめ買っておいた缶詰を開ける。オリーブオイルに漬けたウナギの稚魚である。あまり風味も無く、食感を楽しむものなのかなと思いながら、ちゅるちゅる啜る。

 ところが、このウナギ稚魚はフェイク食品であった。本物は超高級食材で庶民に手に届く価格ではないらしい。私が子どものころは、近所の河口でわんさか獲れていたものなのだが。

 

 貧弱なメニューに同情したのか、アパートのオーナーが果物をいろいろと恵んでくれた。

 このオーナー、人は好いのだが、何しろこのアパートは狭い。台所の半分を衝立で仕切って家族の居間としているほどだ。しかも、食器棚には皿が1枚きりで、それを使いまわすしか手がない。そんなこんなで、代金を払っているにもかかわらず、居候のような気分になってしまう。

 

 

<  に続く>

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28 カタルーニャでトレッキング

 

 マンレーサでは至る所からモンセラットの峨々たる稜線を望むことができる。モンセラットにはもちろん有名な修道院があって訪れる人も多い。修道院は特に聖地にふさわしい地形を選んで建てられたに違いない。

 だが、と考える。特徴的な地形はモンセラットだけなのだろうか。周辺にも同様の地層が広がっているのではないだろうかと。

 そこで、地図を検索してみる。すると、マンレーサの東南方、バルセロナとの間にも山頂を示す三角マークが蝟集し、緑色のラインで囲われた自然公園の表示があるではないか。

 これらの山々は名称にトゥローと冠しているものが多い。これは、英国のダートムーアなどにあるTorと同じ語源なのだろうか。標高は最高峰でも1000メートル程度、大部分は800メートル前後だから、本格的装備でなくても歩けそうだ。

 地図とバス時刻表を首っ引きで調べた結果、ロカフォルトというバス終点の村からトゥロー・デュクスを経由して、やはりバスの終点であるムラ村まで歩く、15.3キロメートルのコースが良さそうだとの結論に達した。

 

 黒パンにロックフォール・チーズを塗った朝食を取り、アパートを出る。7時40分、アパートに近いバス停に立つ。バス停の名前はプッチ・イ・カダファルヒ。

 ロカフォルト行きのバスは、FGCマンレーサ・アルタ駅に併設のバスターミナルを出て、街外れに位置する大きな病院を経由してから目的地に向かう。大病院に立ち寄るのはよくあることだが、プッチ・イ・カダファルヒのバス停は大通りからT字路を入ったところで、立地が不自然だ。待合室に市内バスの時刻表は掲示されているが、近郊バスの時刻は出ていない。ただ、カタルーニャ公共交通の赤いポールが1本立っているだけである。

 7時50分、大通りを大型のバスが通過して行った。車体に運行会社であるサガレスの文字が見えたから、あのバスが病院で折り返してくるのであろう。

 ところが、数分後、先ほどのバスは大通りを反対方向に走り去って行ったではないか。時間的にはロカフォルト行きの便に符合するのだが、行先表示までは見えなかったから、別なバスが来るのかもしれぬ。しかし、さらに15分待ったがバスは来ない。ロカフォルト行きは日に2便しかないのである。

 仕方がないので次善の策として用意していた、ムラ村までバスで行き、トゥロー・デュクスを往復する約11キロメートルのコースを取ることにした。

 ムラ行きのバスはアルタ駅前を9時45分に出るから、ゆっくり歩いて行っても時間が充分にある。駅近くのカフェテリアでカフェ・コン・レチェを飲む。朝からテレビを流しているような大衆的な店である。

 

 

 FGCのマンレーサ・アルタ駅も無人駅であった。それに対して、バスターミナルの方にはカフェテリアがあり、有人の窓口もある。しかし、ムラ行きの切符は車内で買えとのことだ。

 トイレへの通路にはバス時刻表が掲示されている。ところが、これが5年も前のもので、今は1日に3本あるムラへの便が朝晩の2本しか載っていない。

 

 発車時間が近づき、ムラ行きのバスがやって来た。ミニバスである。してみると、先ほどロカフォルト行きかと見たバスは大きすぎる。

 もしかしたら、何らかの理由でミニバスの運転手が休んでしまい、急遽大型バスの運転手が駆り出されたけれども、妙な位置にあるプッチ・イ・カダファルヒに立ち寄るのを忘れてしまったのかもしれない。

 

 ムラ行きバスの乗客は自分も入れて3人だけであった。マンレーサ郊外の新興住宅地を右に左に曲がりながら抜けると、急に山中の上り坂にさしかかった。道幅は狭く、ヘアピンカーブが多い。これでは大型バスでの運行は困難であろう。

 車道は尾根道となり、展望が右に開けたり左に開けたりする。キャンプ場の入口があって、乗客の男性がひとり降りる。

 

 この路線の山中で唯一の集落であるタラマンカは正面にモンセラットを望む尾根上の村であった。モンセラットよりもだいぶ近いところには、のっぺりした大きな岩山も見えている。この村からはムラを経由してバルセロナ郊外のテラサまで行くバスも出ている。

 タラマンカからはどんどん坂を下ってゆく。ムラは谷底にある村だから当然だ。車窓には先述の岩山が望めて絶景なのだが、揺れるので写真を撮るのは無理がある。

 

 

 

 

 

 ムラの終点では2回切り返し、バックで寄せて停車した。バス停は村の一番高い所に位置している。坂道と階段を下ると、教会の屋根を見下ろすテラスに出た。

 緑が濃くて、建物の感じがスペインよりもピレネーの向こう側、フランス南部と似ている気がする。階段を降りていくと路上のテーブルで朝から一杯やっているおやじがいた。この村には宿泊施設もそれなりにあって、観光地なのだ。

 

 

 

 

 川沿いに村の東端まで行き、対岸につけられた車道の先から登山道に入る。はじめの30分ほどは、標高差200メートルあまりを一気に稼ぐのできつい登りだ。後ろを振り返ればムラ村の家並みがずんずんと谷間に沈んでゆく。

 

 

 

 

 

 登るにつれ、尾根の向こうにあの「塩の山」も見えてきた。頭上の送電線が地図にも記入されているから、現在地の目印となる。

 

 

 

 やがて勾配がなだらかになると、前方にはエル・カルゴル、またの名をエル・カステロットが現れた。その名のとおり、カタツムリのようでもあり、小さな砦のようにも見える岩山である。たしかにこれは英国のムーアに屹立するト―と同じだ。

 

 

 ここから先は尾根道となるので、あまり上り下りはない。左手には深い谷が刻まれその中に樹林に包まれた三角山が見えている。プジョル・デル・ジョベットであろう。

 さらに遠くにはバスの車窓から見えていた巨大な岩山がでんと構えている。全山が一枚岩で、その斜面を這う登山道が光って見えている。これが標高1056メートルのモンカウに違いない。

 

 

 尾根を行くので右手の展望も開けている。こちらの遠景はモンセラットで、その手前に突き出した岩頸がプッチボーのようだ。

 

 

 

 

 現在地の標高は800メートル弱であって、さしたる高さではない。それでも気温が下界より数度は低く、しかも適度に風が吹いているから、陽射しが強い割には暑さを感じない。樹林の中を行く部分も多く、これなら熱中症の心配は不要だ。

 

 

 

 

 足元は礫交じりの灰色の地面で、生えている草本類は初めて見る種類ばかりだ。いずれにしろ植物はどれも乾燥に強そうな形態をしている。

 

 

 今歩いている道は、一応トレッキングコースとしての整備がなされているようで、ところどころに道標がある。しかしながら、そこに記された地名がどこを指すのか、今ひとつわからない。カタルーニャ自治政府の地図にしても各峰の名称は記載が少ないし、他の地図を参照すると同じ山が別名称で載っていたりもするのだ。しかも、道標には距離の記載がない。

 

 

 

 携帯している地図によれば、尾根筋にはコレット・デル・レイシャス、トゥロー・デュクスなどといった鞍部や峰が連なっている。だが、無名の山頂のほうがはるかに多いし、いずれも比高があまりないので、どれがどれやらよくわからないままにズンズン進む。

 

 

 

 

 わかるのはモンカウのどっしりした山塊が真横に来たことと、その手前の低いところにプジョル・デ・ラ・マタなる岩山が突き出していることくらいしかない。

 

 

 

 

 

 マタとは確かに目玉みたいな形だと思う。だが、よく考えたら目のことをマタというのはインドネシア語だ。あとで調べたら、カタルーニャ語のマタは灌木の意味であった。もっとも、特にこの山に灌木が特徴的とは思えないのだが。

 

 

 

 右手の彼方には盆地が見え、市街地が広がっているようだ。マンレーサの方角ではあるが、あまりに遠くて大聖堂などを判別することはできない。

 

 

 

 いくつかの高みを巻いていくうち、左前方、つまり南東方のかなり遠くに、今まで見えなかった独立峰が見えてきた。目を凝らしてよく見ると、頂上には何かの建物があるようだ。これは標高1102メートルのモラ山頂に建つサン・ロレンツ・デル・ムント修道院ではないだろうか。してみると、思っていたよりも遠くまで歩いているのかもしれない。

 

 

 その先で道は樹林のなかに入った。ところが、しばらく進むと突然に舗装道路に出たではないか。近くには石積みの農家が一軒ひっそりと建っている。地図を見るとこの家には名前があって、コマ・デン・ビラと記されている。

 

 

 舗装道路を反対側に行ってみると眺めが開けた。さっきのサン・ロレンツ・デル・ムント修道院よりもずっと近いところの山頂に小さな礼拝堂が見える。こちらはサン・ジャウメ聖堂に間違いない。

 

 

 

 まだまだ歩けそうな気はするのだが、この先の道は下り坂だし、景色には十分満足した。そろそろ帰ろう。

 来た道を途中まで戻り、左手の谷へ下る経路をとる。この分岐点には道標があって、踏み分けあともしっかりしていた。しかし、途中のどこかでプッチボー方向への道が分かれていたはずなのに、気がつかなかった。これは最初の予定どおりロカフォルト村からきたら歩いていた道だ。容易に気づけないほど藪に埋もれてしまっていたのだろうか。

 だいたい、ムラ村からここまで、他のハイカーにはひとりも出会わなかった。それほど訪れる人が少ないのである。ロカフォルトからの道行は距離も長く、地図上での経路も複雑であった。もし、こちらのルートをたどっていたら、ムラまでたどり着けなかったかもしれない。朝、バスを逃したのがかえって幸いだったようだ。

 

 

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27 バロックとモデルニスモを探る‐  マンレーサ(4) 

 

 

 マンレーサ市役所前のマジョー広場に戻ってきた。ここから北に延びるソブレロッカ通りに入る。

 

 

 

 しばらく行くと、通りに面してポウ・デ・ラ・ガリーナなる小さな礼拝堂があった。イグナティウス・ロヨラが奇跡を起こして継母にいじめられそうになった少女を救った場所だそうで、外壁にはめられたタイル絵も祭壇の油絵も、その奇跡のもようを描いている。

 

 

 さらに先へ進むと、唐突に角塔が現れた。これはソブレロッカの塔で、マンレーサの街をかつて囲んでいた城壁に付属した塔の唯一の遺構だという。しかし、左右に連なっていたはずの壁は失われているし、塔自体も上の方はコンクリートで塗り固められているような代物でしかない。もちろん上に登れもしない。登ったところで周囲の建物と同じくらいの高さだから眺望も効かないだろう。

 

 

 

 

 ソブレロッカ通りは丘の縁を走っているので、右手の路地に入ればすぐに下りの階段がある。折れ曲がった路地の階段を下り、建物下をくぐってゆく。

 

 

 

 狭小な路地には数階建ての家が建ち並び、頭上には洗濯物が干されている。旧市街の中でも中世の雰囲気を一番色濃く残しているのは、この一角ではなかろうか。

 

 

 坂下に出ると、一面にだまし絵が描かれた家があった。歩道上の変圧器にまで飾り棚が描かれていて、建物の側面などはどの鎧戸が本物なのか判然としないほどだ。

 

 

 この谷間を上流側に行くと、カタルーニャ・バロック博物館がある。通りに面した側は人を拒絶するかのような石壁の厳めしい壁面であるが、裏に回るとガラスの現代建築がはめ込まれている。

 バロックの時代は大まかに言えば17世紀と18世紀、日本で言えば江戸時代にあたる。日光東照宮のゴテゴテ絢爛な装飾を思い浮かべればわかりやすいだろう。

 

 

 この博物館、無名だから他に観覧者はいない。だからずっと係員があとをついてきて、照明をつけたり消したりする。その係員が生真面目そうなお嬢さんだったので、少々緊張する。

 

 

 

 

 展示品の中で一番充実しているは、木彫の祭壇画であった。上下2段にキリストの生涯を表していて、上段は生誕や洗礼といった栄光の場面、下段には受難の場面が配置されている。 

 宗教美術というものはだいたいにおいて、型にはまった天国や神様の表現よりも、地獄絵のような負の題材の方が精彩に富んでいる。これらの木彫も同様で、キリストの頭を動物の角か何かで楽し気にぐりぐりとやっている。

 

 

 立体造形としてはモンセラットの聖母があった。手指がたくさん生えた様な山の表現は、モンセラットというより峨眉山のようだ。聖母の顔はここでも黒い。

 

 

 

 もちろん、イグナティウス・ロヨラに因んだ展示品もあって、洞窟で最初の啓示を受ける場面をアラバスターのレリーフや、1731年に作られたサンタ・コヴァの立面図がある。

 

 

 

 絵画では、ロザリオが藤棚みたいに鈴なりに成っている「ロザリオの樹」や、お菓子のパッケージみたいな「フシマーニャの聖母」がおもしろい。フシマーニャ聖母の聖地は、あの「塩の山」の東方にある。

 

 

 何だか場違いな感じの不機嫌そうなおっさんの肖像画もある。この人物はペルー副王だそうだ。

 

 

 

 最後にトイレに行こうとしたら、上階に展望台との表示が目に入った。実際は、通路から壁面のガラス越しに外が見えるというだけの場所なのだが、化粧を落とした街の素顔を見たような気になった。

 

 

 夕方になり、そろそろお腹も空いてきた。今日はお惣菜でも買って、宿で食べようと思う。実は昼間のうちに、おいしそうなデリカテッセンを見かけていたのだ。

 場所はペレ3世パセージの途中、スーパー・プルスフレスクの並びだ。 

 ペレ3世パセージとは、サン・ドメネク広場からFGC鉄道マンレーサ・アルタ駅の近くまで、カーブを描いて約1キロメートル続く「ランブラ」の名称である。現代マンレーサ随一の繁華街と言ってよいだろう。

 

 

 

 サン・ドメネク広場から車道を渡って緑豊かなパセージに入ると、パラソル下のテーブルが人で埋め尽くされている。角のオルシャテリアは、アイスクリームやドリンクを買うお客でいつも行列だ。但し、オルシャテリアを称していてもオルチャータはなぜかメニューに見当たらない。

 いずれにせよ、人口7万人程度の都市としては、大変な賑わいである。こうした風景を見る度に、「賑わいを創出する」とかのお題目を並べるどこかの国の再開発事業がいかにバカバカ

しいものかと感じざるを得ない。

 

 

 

 街路樹の下には、緑色に塗られた鉄製のイスも並んでいる。鉄製なのは風に飛ばされないためとも思われるが、無料なだけに大変に座り心地が悪い。のんびりしたければ、お金を出して店の屋外テーブルにつくしかないようだ。

 

 

 

 

 だが、この通りには「カジノ」がある。カジノといっても、現在は賭博場ではなくて市立図書館であり、マンレーサでも一二を争う美しい建築でもある。

 

 

 ここは市立の図書館だから、もちろん無料で入場できるし、ステンドグラスから光が降り注ぐホールに置かれたゆったりとしたソファで読書もできる。スペイン語もカタルーニャ語もわからない向きには、閲覧室の一番奥の漫画コーナーがおすすめだ。聖闘士星矢、めぞん一刻、アキラ、のだめカンタービレなどなど、揃っている。

 インフォメーションカウンターには、この街の観光パンフレットが各種並べられていた。これらも無料なのでいくつか頂いてきたが、ここまで入り込む観光客がどれだけいるのかは疑問である。

 

 

 

 

 カジノ図書館脇の路地は人通りが多いので何かあるのかと思い、行ってみる。こちらの一角は100年前の新市街といった趣だ。大きなモデルニスモ建築の屋敷がいくつも建っている。レースのような模様を外壁にあしらったのがカサ・リュビア、アールデコふうな装飾のついたのがカサ・トッラである。

 

 

 パセージに戻り北上すると、通りの角に目指すデリカテッセン・リョベットがあった。購入したのはバカッラ・アラ・ジャウナ。タラに白いんげんのつけあわせだ。小さく見えても、ひと切れが200グラム以上もある。値段も9.26ユーロとお安くはない。

 

 ついでに勤め先へのバラマキ用土産を買おうと思い、並びのスーパーマーケットに入る。ところが、昼間に目を付けておいた安い袋菓子が見当たらない。売り切れたというわけではなく、棚ごと入れ替わっているようだ。半日の間に作業したのだろうか?

 不思議なことと思いつつ、何も買わずに帰路に着く。ここからなら、パセージを端まで歩き、そのまま道なりに行った方がアパートには近い。

 

 そうしてパセージを500メートルばかり歩くと、道の角にデリカテッセン・リョベットの店がもう1軒あるではないか。さらにその先にはスーパー・プルスフレスクが・・・

 そういえば、さっき入ったスーパーマーケットには別な系列であるエロスキの商品が並んでいた。つまり、ひとつの通りに同じような間隔で同じ(業態の)店舗が2か所に立地しているのであった。

 

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アラゴン連合王国 旅行記  2025年

26 大聖堂だって負けてはいない ‐  マンレーサ(3) 

 

 マンレーサの中心、サン・ドメネク広場に戻ってきた。まだ足を踏み入れていない、この広場から見て南西の一角に行ってみる。地図を見る限りでは、いくつかの広場があり、美容室や飲食店も並んでいるようだ。しかし、時間帯のせいか、営業している店はほとんどない。太陽に照らされた白茶けた路地に面して、整備の行き届かない建物が続く。

 

 

 特筆すべき風景ではないが、中にはモデルニスモ風のビルもないではない。ここまで来るとRENFEの駅にも近いから、それなりに繫栄した時期もあったのかもしれない。

 

 

 やがて、街の南端を縁取る通りに出た。左手には由緒ありげな石積みの教会がたっているものの、その他はコンクリートの現代建築ばかりが目立って味気ない通りである。

 

 

 

 正面の高い位置に大聖堂の西面が見えてきた。右手には取り残されたような石の壁が連なって、空地を隔てている。ところが、この石壁は12世紀の城壁なのだという。

 

 

 

 

 大聖堂の脇からうねうねした坂道を登ると、市庁舎前のマジョー広場に出た。正面玄関横に置かれた黒御影石のベンチに座って休憩。ひんやりして気持ちがいいのだが、硬い。

 

 

 この広場も何だか寂れた感じではあるが、クラシックな床屋さんが残っていたりして、かつては街の中心だったのだろう。

 

 

 

 マジョー広場からトンネル路地を抜けると、サン・イグナシ・マルアルト(病気の聖イグナティウス)という小さな礼拝堂があって、堂内には名前どおりの絵が掛けられていた。ちょうど建物の日陰に入って涼しく、夏場なら療養にふさわしい環境だ。

 

 

 

 一方、マジョー広場の反対側にはバイシャーダ・デル・ポープルという坂がサンタ・ルシア通りに向かって下っている。ここでのバイシャーダは急坂くらいの意味であろう。坂道は30メートルくらいの延長だからいくら急勾配といっても、高低差はたかが知れている。けれども、公共のエレベーターが備わっているのは大したもので、見ていると利用客も案外多いようだ。

 

 

 

 マジョー広場側からエレベーターに乗るには、書割みたいに壁だけなった建物をくぐって行く。左手は工事中の区画で板塀に遮られているのだが、ここにはバルツ通りと言う中世の路地が隠されている。要するにセルベーラのブルイシェス小路と同じようなものであるが、こちらは1000円あまりの入場料が必要だ。チケットは市立博物館で販売している由。但し、当面は閉鎖中とのことであった。

 

 

 エレベーターに乗ってしまっては気が付かないのだが、坂道の途中にはノストラ・セニョーラ・デ・ポープルなる小礼拝堂も崖に埋もれるようにして建っている。

 

 

 

 

 

 

 

 坂下のサンタ・ルシア通りを越え、大聖堂が建つ丘の縁に廻らされたカミ・デルス・コラルスという遊歩道を歩く。コラルスといっても珊瑚ではなく、囲ってある所の意味だそうで、一応この街では観光名所のひとつに数えられている。そのわりには整備の行き届かない道だと思いながら歩く。けれども、眺めは素晴らしい。モンセラット、サンタ・コヴァ、ポン・ヴェル、マンレーサ駅、サンタカテリーナ塔が指呼の間に望めるのだ。

 

 

 敷地を半周して大聖堂西正面の広場に出た。ここはいつ来ても人影がない。人がいないのには理由があって、木陰すらない広場は暑いだけだし、そもそも大聖堂の玄関が開いていないのである。広場のすぐ下には、カサ・トーラスという大きなモデルニスモ建築もあるのだが、空き家のようだ。

 

 

 

 所在ないので、大聖堂の建物に沿って、カミ・デルス・コラルスの一段上をもと来た方に戻る。すると、後陣を回り込んだ聖堂北側にも広場があって、そこに大聖堂の入口があったのだった。

 

 

 

 

 玄関を入るとすぐに回廊がある。中庭に当たる部分を独立した礼拝堂が占めているという、変わった構造だ。回廊の床では砂絵のようなものを制作していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 聖堂内ではステンドグラスの見応えがあった。古くても19世紀に制作されたものだそうだが、比較的小ぶりな建物なので図柄がよく見える。特に中世のガラスにはない紫色や黄緑色の発色が良い。

 

 

 ろうそくのカップが赤や緑のガラスでできていて、炎のゆらめきが幻想的だ。

 

 

 

 

 

 

 

 もちろん、各々のチャペルや祭壇画、クリプタなど、参詣者はほとんどいないから落ち着いて鑑賞できる。

 

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アラゴン連合王国 旅行記  2025年-

25 どこからでもモンセラット -  マンレーサ(2) 

 

 マンレーサの2日目、朝7時に行動開始。今日は終日、この街を歩き回るつもりだ。

 

 

 

 

 まず、宿泊しているアパートにほど近い、ラ・バルコナーダへ行く。ラ・バルコナーダとはカルデネ川に突き出した台地上につくられたアパート群で、その名のとおりバルコニー状になっている。街の中心からは東に位置しているから、朝の時間帯には殊のほか眺めがよい。右手には、ラ・コヴァや大聖堂、足元にはポン・ヴェルと鉄道 駅、左手にはモンセラットが屏風のように立ち上がっている。

 

 

 

 なかなかの眺めなのに台地の縁には展望台などが設けられているわけでもなく、地元民が荒れ地の中で犬を散歩させているだけなのはもったいない。

 

 

 

 

 

 ラ・バルコナーダからだらだら坂を下って行く。このあたりは新市街の中では古い地区になるのだろう。建物に埋め込まれた礼拝堂や素朴なタイル絵などが残っている。タイル絵の聖母マリアなど、農家のおばさんのようにしか見えない。

 

 

 

 新旧市街を隔てる谷を陸橋で越えて旧市街側の急坂を、息を切らして登ると市庁舎のあるマジョー広場に出た。ここから左へサン・ミケル通りを行けば、繁華街につながっているはずだ。

 

 

 

 

 

 時刻は既に9時近くなっている。早朝とは言い難い時間であるが、起きているのはパナデリア(パン屋)くらいなもので、通る人もあまりいない。建物下のアーチや玄関上の半円窓、不思議な造形の階段などを見ながら道をたどる。地図で見るよりもずっと細くて曲がりくねった道筋だ。

 

 

 

 やがて右手にボルン通り、ノウ(新)通りと言う2筋の短い通りが現れた。これらの道の頭上にはシフォンスカーフのような色とりどりの繊維が渡され、繁華街の一角だなとわかる。人通りも急に増えた。

 

 

 

 

 わずか100メートル程のショッピング街を抜けると、突然に大きな広場に出た。マンレーサの中心、サン・ドメネク広場である。

 広場のこちら側、南面と東面には円塔を抱いたカサ・トレンツやアールデコ調のジョルバ・ビルディングなどがあって、なかなかの結構を示している。

 

 

 

 地上にはキオスク・デ・ラルパなるモデルニスモのキオスクもカフェのイスに囲まれて鎮座している。しかるに他の2面は劇場や長距離バスの発着場などがあって雑然とし、スペインらしからぬ、しまりのない風景ではある。

 

 

 このあたりにはカフェの類が集中している。その中から、広場に面したビバリーなる店を選んで入る。明るい内装で、バゲットサンドやケーキセットの値段が明示してあるので注文しやすい。サンドイッチの味はもちろん、ボリュームも申し分なかった。

 

 

 さて、この街の中心にも市場が存在している。場所は先ほど通った賑やかなノウ通りの裏側だ。ジョルバ・ビルディングの脇から坂と階段を登ればすぐにメルカト広場である。

 だが、路地を1本入っただけで、人通りはぱたりと途絶えた。古めかしい劇場などもあるのだが、外観はほとんど廃墟のようである。そういう訳だから、メルカト広場まで足を延ばす人はほとんどいない。広場の周囲にはアーチが連なり、一応は市場らしい雰囲気を醸し出してはいるものの、爺さんがひとり、わずかな古着を並べた露店を出しているだけだ。

 

 

 

 

 市場の建物に入ると、オブラドール(パン屋)のいい匂いが漂っている。魚屋、チーズ屋、八百屋とひととおりの店は揃っている。しかし、お客は全くと言っていいほどいない。しかも14時閉店とあっては、商売が成り立っているのかどうか。

 

 

 

 

 建物を出て脇の階段をさらに上ると丘の頂上に出た。このマンレーサでもリェイダと同様、市場が街の最も高い場所にあるわけだ。

 元々、この丘の上は1308年に創立された、カルメル会の大きな修道院であった。16世紀にはイグナティウス・ロヨラも滞在したという。現在も教会は残っているが、いい加減な補修で痛々しい限りの姿だ。そして回廊の反対側にはユースホステル、中庭の部分は駐車場にしか使われていない。これももったいない話だなと思う。

 

 

 丘の南端からは先ほど見た廃墟の様な劇場の肩越しにモンセラットが望めた。

 

 

 

 

 市場の丘を降りて、300メートルばかり北にあるもう一つの丘、プッチテラーにも登ってみる。こちらは丘全体がカタルパの木などが植えられた公園になっていて、課外授業の小学生、中学生が何組も来ている。

 丘の縁に行くと、大聖堂とカルメル教会の向こうに、昨日訪れたサンタ・カテリーナ塔が小さく見え、かなたにはモンセラットが望めた。

       

 

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