アラゴン連合王国 旅行記 2025年
28 カタルーニャでトレッキング
マンレーサでは至る所からモンセラットの峨々たる稜線を望むことができる。モンセラットにはもちろん有名な修道院があって訪れる人も多い。修道院は特に聖地にふさわしい地形を選んで建てられたに違いない。
だが、と考える。特徴的な地形はモンセラットだけなのだろうか。周辺にも同様の地層が広がっているのではないだろうかと。
そこで、地図を検索してみる。すると、マンレーサの東南方、バルセロナとの間にも山頂を示す三角マークが蝟集し、緑色のラインで囲われた自然公園の表示があるではないか。
これらの山々は名称にトゥローと冠しているものが多い。これは、英国のダートムーアなどにあるTorと同じ語源なのだろうか。標高は最高峰でも1000メートル程度、大部分は800メートル前後だから、本格的装備でなくても歩けそうだ。
地図とバス時刻表を首っ引きで調べた結果、ロカフォルトというバス終点の村からトゥロー・デュクスを経由して、やはりバスの終点であるムラ村まで歩く、15.3キロメートルのコースが良さそうだとの結論に達した。
黒パンにロックフォール・チーズを塗った朝食を取り、アパートを出る。7時40分、アパートに近いバス停に立つ。バス停の名前はプッチ・イ・カダファルヒ。
ロカフォルト行きのバスは、FGCマンレーサ・アルタ駅に併設のバスターミナルを出て、街外れに位置する大きな病院を経由してから目的地に向かう。大病院に立ち寄るのはよくあることだが、プッチ・イ・カダファルヒのバス停は大通りからT字路を入ったところで、立地が不自然だ。待合室に市内バスの時刻表は掲示されているが、近郊バスの時刻は出ていない。ただ、カタルーニャ公共交通の赤いポールが1本立っているだけである。
7時50分、大通りを大型のバスが通過して行った。車体に運行会社であるサガレスの文字が見えたから、あのバスが病院で折り返してくるのであろう。
ところが、数分後、先ほどのバスは大通りを反対方向に走り去って行ったではないか。時間的にはロカフォルト行きの便に符合するのだが、行先表示までは見えなかったから、別なバスが来るのかもしれぬ。しかし、さらに15分待ったがバスは来ない。ロカフォルト行きは日に2便しかないのである。
仕方がないので次善の策として用意していた、ムラ村までバスで行き、トゥロー・デュクスを往復する約11キロメートルのコースを取ることにした。
ムラ行きのバスはアルタ駅前を9時45分に出るから、ゆっくり歩いて行っても時間が充分にある。駅近くのカフェテリアでカフェ・コン・レチェを飲む。朝からテレビを流しているような大衆的な店である。

FGCのマンレーサ・アルタ駅も無人駅であった。それに対して、バスターミナルの方にはカフェテリアがあり、有人の窓口もある。しかし、ムラ行きの切符は車内で買えとのことだ。
トイレへの通路にはバス時刻表が掲示されている。ところが、これが5年も前のもので、今は1日に3本あるムラへの便が朝晩の2本しか載っていない。
発車時間が近づき、ムラ行きのバスがやって来た。ミニバスである。してみると、先ほどロカフォルト行きかと見たバスは大きすぎる。
もしかしたら、何らかの理由でミニバスの運転手が休んでしまい、急遽大型バスの運転手が駆り出されたけれども、妙な位置にあるプッチ・イ・カダファルヒに立ち寄るのを忘れてしまったのかもしれない。
ムラ行きバスの乗客は自分も入れて3人だけであった。マンレーサ郊外の新興住宅地を右に左に曲がりながら抜けると、急に山中の上り坂にさしかかった。道幅は狭く、ヘアピンカーブが多い。これでは大型バスでの運行は困難であろう。
車道は尾根道となり、展望が右に開けたり左に開けたりする。キャンプ場の入口があって、乗客の男性がひとり降りる。
この路線の山中で唯一の集落であるタラマンカは正面にモンセラットを望む尾根上の村であった。モンセラットよりもだいぶ近いところには、のっぺりした大きな岩山も見えている。この村からはムラを経由してバルセロナ郊外のテラサまで行くバスも出ている。
タラマンカからはどんどん坂を下ってゆく。ムラは谷底にある村だから当然だ。車窓には先述の岩山が望めて絶景なのだが、揺れるので写真を撮るのは無理がある。




ムラの終点では2回切り返し、バックで寄せて停車した。バス停は村の一番高い所に位置している。坂道と階段を下ると、教会の屋根を見下ろすテラスに出た。
緑が濃くて、建物の感じがスペインよりもピレネーの向こう側、フランス南部と似ている気がする。階段を降りていくと路上のテーブルで朝から一杯やっているおやじがいた。この村には宿泊施設もそれなりにあって、観光地なのだ。



川沿いに村の東端まで行き、対岸につけられた車道の先から登山道に入る。はじめの30分ほどは、標高差200メートルあまりを一気に稼ぐのできつい登りだ。後ろを振り返ればムラ村の家並みがずんずんと谷間に沈んでゆく。




登るにつれ、尾根の向こうにあの「塩の山」も見えてきた。頭上の送電線が地図にも記入されているから、現在地の目印となる。


やがて勾配がなだらかになると、前方にはエル・カルゴル、またの名をエル・カステロットが現れた。その名のとおり、カタツムリのようでもあり、小さな砦のようにも見える岩山である。たしかにこれは英国のムーアに屹立するト―と同じだ。

ここから先は尾根道となるので、あまり上り下りはない。左手には深い谷が刻まれその中に樹林に包まれた三角山が見えている。プジョル・デル・ジョベットであろう。
さらに遠くにはバスの車窓から見えていた巨大な岩山がでんと構えている。全山が一枚岩で、その斜面を這う登山道が光って見えている。これが標高1056メートルのモンカウに違いない。

尾根を行くので右手の展望も開けている。こちらの遠景はモンセラットで、その手前に突き出した岩頸がプッチボーのようだ。



現在地の標高は800メートル弱であって、さしたる高さではない。それでも気温が下界より数度は低く、しかも適度に風が吹いているから、陽射しが強い割には暑さを感じない。樹林の中を行く部分も多く、これなら熱中症の心配は不要だ。



足元は礫交じりの灰色の地面で、生えている草本類は初めて見る種類ばかりだ。いずれにしろ植物はどれも乾燥に強そうな形態をしている。

今歩いている道は、一応トレッキングコースとしての整備がなされているようで、ところどころに道標がある。しかしながら、そこに記された地名がどこを指すのか、今ひとつわからない。カタルーニャ自治政府の地図にしても各峰の名称は記載が少ないし、他の地図を参照すると同じ山が別名称で載っていたりもするのだ。しかも、道標には距離の記載がない。


携帯している地図によれば、尾根筋にはコレット・デル・レイシャス、トゥロー・デュクスなどといった鞍部や峰が連なっている。だが、無名の山頂のほうがはるかに多いし、いずれも比高があまりないので、どれがどれやらよくわからないままにズンズン進む。



わかるのはモンカウのどっしりした山塊が真横に来たことと、その手前の低いところにプジョル・デ・ラ・マタなる岩山が突き出していることくらいしかない。




マタとは確かに目玉みたいな形だと思う。だが、よく考えたら目のことをマタというのはインドネシア語だ。あとで調べたら、カタルーニャ語のマタは灌木の意味であった。もっとも、特にこの山に灌木が特徴的とは思えないのだが。


右手の彼方には盆地が見え、市街地が広がっているようだ。マンレーサの方角ではあるが、あまりに遠くて大聖堂などを判別することはできない。


いくつかの高みを巻いていくうち、左前方、つまり南東方のかなり遠くに、今まで見えなかった独立峰が見えてきた。目を凝らしてよく見ると、頂上には何かの建物があるようだ。これは標高1102メートルのモラ山頂に建つサン・ロレンツ・デル・ムント修道院ではないだろうか。してみると、思っていたよりも遠くまで歩いているのかもしれない。

その先で道は樹林のなかに入った。ところが、しばらく進むと突然に舗装道路に出たではないか。近くには石積みの農家が一軒ひっそりと建っている。地図を見るとこの家には名前があって、コマ・デン・ビラと記されている。

舗装道路を反対側に行ってみると眺めが開けた。さっきのサン・ロレンツ・デル・ムント修道院よりもずっと近いところの山頂に小さな礼拝堂が見える。こちらはサン・ジャウメ聖堂に間違いない。


まだまだ歩けそうな気はするのだが、この先の道は下り坂だし、景色には十分満足した。そろそろ帰ろう。
来た道を途中まで戻り、左手の谷へ下る経路をとる。この分岐点には道標があって、踏み分けあともしっかりしていた。しかし、途中のどこかでプッチボー方向への道が分かれていたはずなのに、気がつかなかった。これは最初の予定どおりロカフォルト村からきたら歩いていた道だ。容易に気づけないほど藪に埋もれてしまっていたのだろうか。
だいたい、ムラ村からここまで、他のハイカーにはひとりも出会わなかった。それほど訪れる人が少ないのである。ロカフォルトからの道行は距離も長く、地図上での経路も複雑であった。もし、こちらのルートをたどっていたら、ムラまでたどり着けなかったかもしれない。朝、バスを逃したのがかえって幸いだったようだ。
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