ニジェール川はピナンスに乗って 1990年
4 タクシー・ブルース モプティ行
今日はボボジウラソを出てマリ共和国に入る。目指すのはニジェール川沿いの街、モプティである。今回の旅行では、このモプティが行程の焦点となっている。多くの人が目指すのは古都トンブクトゥであると思われるが、今日では河流からも離れたうら寂しい小都市に過ぎず、あまり面白いところではないのだという。その点、モプティは現代においても舟運の要になっていて活気のあるところらしい。
まずはボボジウラソのバスターミナルへ行かねばならない。以前はこの宿に隣接した広場がターミナルだったらしいのだが、郊外に新しいターミナルができたのだという。
バスターミナルのことはトルコと同じく、フランス語から来たオトガルという。
この街では路線バスなど見かけもしないので、ルノーのタクシーに乗って行く。運賃200CFA(100円)のわりには遠かった。
新オトガルは、新しいというだけではロクな設備もないところであった。アビジャン、ヤムスクロなどへは大型のきれいなバスが何台も出ているのだが、モプティ行きはこちらでタクシー・ブルースと呼ばれる乗り合いタクシーである。運賃表が掲出されていてモプティまでは475キロメートル、7500CFA(3750円)と書いてある。ボードにはタクシーのナンバーも書かれているから、意外としっかり管理されているようである。
運賃表にはタクシー・ブルース他にバシェというのも掲載されている。これは病院車みたいな16人乗りのミニバスで、窓にはガラスがなく幌がかかっている。運賃も少し安い。
その運賃表の下で待っているとやがてプジョーのバンがやってきた。これがモプティ行きなのだという。出発は12時。まだ4時間もある。ムスタングという名のカフェへ行って紅茶を飲む。リプトンのティーバッグが50CFA(25円)で、お湯は何杯でもおかわりできる。
暇なので、その辺にいる青年とサッカーゲームをやってみる。人形が回転するだけという単純な仕組みである。しかし、操作にはかなりの力が必要だし、何よりこちらの人たちの反射神経が鋭すぎて、全く歯が立たない。
12時になってもモプティ行きのお客は自分の他には誰もいない。お客が集まってから出発すると言われる。しばらくすると、オートバイにまたがって白人と黒人の旅行者がやって来た。ドイツ人のC氏とガーナ人のD氏である。これで、乗客が3人になった。人類を代表する三大人種と三大宗教の一行である。
待合室に座っているといろいろな物売りがやって来る。サンドイッチや枕、蚊取り線香はともかく、なぜバスターミナルで女もののパンティーを売るのか。わざわざここで買う人がいるとは思えないのだが。
腕時計を指さして何か言う少年がいる。何かと思えば、時計の文字盤を磨く商売なのだった。
床屋もやってきて、床に座り込んで髭や子どもの頭に剃刀をあてる。
コラの実ももちろん売りに来るので、ひと袋買ってかじってみる。刺激が凄くてとてもじゃないがひと口で吐き出さざるを得ない。残りの実はD氏に進呈する。
子どもの売り子も多く、茹でピーナツ売りの女の子たちは所在無げに片隅に固まっている。待合室の長椅子は、乗客なのか単に暇なのかわからない大人の男たちが占拠してしまっているのだ。
15時45分、ムスリムのお祈りの時間である。長椅子に座っていた男たちが出かけてしまうと、その後に少女たちが座って憩う。やがてお祈りが終わって男たちが戻って来ると、彼女らもいなくなる。
16時20分、ついに乗客3人で出発した。ところが、街角をひとつふたつと曲がったところで我ら3人、荷物ともども道端に敷かれたゴザの上に降ろされてしまったのである。車は別の男たちを乗せて、どこかへ走り去って行ってしまった。
あたりは貧弱な街路樹の下に食べ物の店が出ているような、街外れの通りであって、所在がない。それでも小一時間もすると別の車、別の運転手がやってきた。既に4人の男が乗っているところに、我々3人も押し込められて出発だ。8人も乗っているのだから、車内はぎゅう詰めである。C氏が「これがアフリカだ」と言う。
通過していく村々の名には末尾にドゥーグーとつくのが多い。そんな村のひとつ、バナオロドゥーグーで休憩する。村の広場に面して小さなモスクがあり、女たちがタテ杵で穀物を搗いている。ポリスがいるので、カメラを見せて「モスクを撮る」と言ったら笑ってOKしてくれた。
実は、ブルキナファソでは屋外での写真撮影禁止だと書かれた本もあったので、これまであまり写真を撮っていなかった。しかし、D氏に聞いてもそんなことはないというし、カメラへの拒否反応もアビジャンなどと違って見られない。こんなことなら、ボボジウラソでもっと撮っておくのであった。
バナオロドゥーグーを出発すると、検問所が次から次へと現れた。検問所といっても、木陰に係官が座っているだけだったりもする。そんなところでも運転手ともども車を降りて出頭しなければならない。運転手は乗客名簿を差し出し、我々はパスポートや身分証明書を提示する。あまりに検問所の数が多いので、終いにはC氏と笑い出してしまったほどだ。
21時ごろ、車が停車した。いくつ目の検問所だろうかと思う。だが、そこはマリとの国境であった。
車を降りると、星が降るような夜空が広がっていた。「あれがへびつかい座、こちらがレグルス・・・」とC氏が解説してくれる。屋外に置かれたテーブルに懐中電灯の光でブルキナファソの出国審査を受け、マリ側では建物内に一人ずつ呼ばれてパスポートにスタンプをもらう。
そこから5分ほど走ると、村の広場に出た。蛍光灯に照らされた一角にはモービル石油のガソリンスタンドがある。
ここで、バシェ(幌つきトラック)乗り換えさせられる。悪い車両に移るのだからと、D氏の交渉がものを言い、300CFAが返ってきた。ところが、まもなく大型のバスもやってきて、今度はこちらに移れと言われる。まともな座席のバスではあるが、シートの間隔が狭く窮屈である。結局このバスは4時半ごろまでこの場に停車し、さらにお客が増えたところでようやくモプティに向かって発車した。
やがて夜が明け、通過する村々の様子もわかるようになった。円筒型の土の壁に傘状の草屋根を載せた建物も見られる。直径は小さく、倉庫として使われているようだ。地面の色は相変わらず紅いのに、建物は薄茶色をしている。それらの屋根の向こうに、スーダン式のモスクがぬっと姿を現したりもする。
8時頃に停車した村で、ニョク(ふかしたヤム芋)とゆでたまご2個の朝食。値段はそれぞれが50CFA(25円)だった。
この村で、写真を撮ろうとしたら、ポリスが因縁をつけてきた。事前に調べた範囲では、マリで写真撮影に制限があるという情報はなかったのだが。
10時30分、ウアン着。インディア-マリと書かれた黄色い井戸があり、女たちがここで水を飲んで行けと盛んに言う。水は生ぬるくうまくはない。
女たちの言葉には理由があった。バスはウアンを出てから3時間、走りに走ったのだ。日が高くなっているから車内も暑い。我慢しきれなくなって水筒の水をひと口飲んだとたん、バスが停車し、窓の外に物売りが群がってきた。びんジュース1本が150CFA(75円)もする。
ここまで来ればモプティまではあとひと息であった。アーチのある町の入口でC氏、D氏とともにバスを降りる。この街に宿泊する外国人は、警察署に出向いて滞在登録をしなければならないのであった。














