ニジェール川はピナンスに乗って 1990年
2 アビジャン=ニジェール鉄道
朝6時30分、トレッシュビル駅へ行くと、ちょうど改札が始まったところだった。乗車券は昨日のうちに買っておいたし、列車の発車時刻は8時30分なので、あわてる必要はない。
ボボジウラソまでの料金は9700CFA(4900円)で、トーマスクックに乗っていた料金の半額以下であった。もっとも購入したのは2等座席車だから、クックの表示は1等料金だったのかもしれない。
駅舎内には人があまりいなかったが、ホームに出てみると既に大勢の人が立ち、あるいは座り込んでいた。両手いっぱいにサンダルを抱え、前頭部にも器用に3足ほどを積み重ねた売り子が何人もいるから、全員が乗客という訳ではない。しかし、いかにも長距離列車のお客らしくボストンバッグやスーツケースを持った一家などもいる。意外と若い男の一人客も多く、彼らは何も手にしていない。
やがて太陽が照り始めると、遮るもののないホームでは首筋が熱くなる。しかし、発車時刻を過ぎても列車は現れない。現地の人々もうんざりした様子でホームに座り込んでいる。
発車時刻を10分も過ぎて、ようやく北方から列車が姿を現した。すると、ホームにいた若い男たちが一斉にそちらに向かって走り出した。そして、動いている客車のデッキに取りついては車内に入り込んでいく。もちろん、列車がホームに入ってから乗り込むのが当然のルールである。だから警官が一人、列車と一緒に走っていて、自転車の車輪のリムを束ねた鞭で彼らをひっぱたいている。だが、列車と一緒に動いている奴を走りながら叩くのである。しかも、叩く方の足元は不安定だし、警官一人に対して叩かれる方は何人もいるのだから何の効果もなさそうだ。警官もこれが仕事とはいえ、こんなことを毎日繰り返しているだとしたら、ご苦労なことではある。
列車が停止し、車内に入る。すると先に乗り込んでいた男たちが座席の背ずりに両手をかけ、ボックスをひとつずつ占拠しているではないか。小競り合いがあちらこちらで起こっていて、「アタン!アタン!(待て)」という叫び声が聞こえてくる。
この若者たちは乗客ではなく、席取り屋なのであった。彼らは既にお客と契約しているらしく、車内での交渉には応じない。仕方がないので、出入り台そばの補助席に座ることにした。
おいおい分かって来るのだが、実はこの席を確保して正解であった。本来の座席は木のベンチで、しかもロクに補修もされていなくて座面が無くなったりしているのに対し、この補助席はビニールレザー張りのクッションがついているのだ。しかも扉は開けっ放しで走るから、全面から風が入ってきて涼しいし、駅で車外に出たければすぐに降りられるという利点もある。
濃い緑色をした客席の窓ガラスは上段下降式だから、たとえ窓側に座っても外の風景などよく見えないだろう。その点でも、この場所は有利である。ただ、居眠りなどして振り落とされないように注意しさえすればよいのだ。
超満員の急行第11列車は、始発駅から大幅に遅れて発車した。駅を出るとすぐにラグーンにかかる橋を渡り、アビジャン=プラトー駅に停車した。アビジャンの代表駅といってよいだろうが乗客は少なく、パイナップル売りが何人かホームにいるばかりである。
プラトー駅を出ると列車はラグーン沿いを走る。水面にはヨットなども浮かんでいて、この列車とは別世界があるのだなと思う。
しばらくはアビジャンの郊外を走るので、10分から15分おきくらいに何度も停車する。そして、それらの駅からも乗客が続々と乗り込んでくる。
混雑がひどいのは、ひとつには荷物がやたらと多いということもある。席からあふれた乗客たちは、通路に山と積まれた荷物の上に座り込んでいるのだ。
だから、現実問題としてこれ以上、人間の入り込む場所はない。駅に着いたときには、向かいに座っている娘と一緒に扉を手で閉めて「ヤ・パ・プラス!(場所がない)」となだれ込みを遮ることにした。
やがて市街地が尽きると駅間距離も長くなり、車内も少しは落ち着いた雰囲気になった。このあたりの気候区分は熱帯雨林気候だからジャングルの中を行くのかと想像していたのだが、開墾地が多く思ったより乾いた風景が続いている。もっともアビジャンは8月が最も気温が低く、降水量も1月に次いで少ないそうだから、そのせいで乾燥しているのかもしれない。
駅に停車すると物売り達が列車に群がって来る。彼らの商品で圧倒的に多いのはコラの実である。嗜好品として長旅に欠かせない人もいるのかもしれないが、あまり売れているようには見えない。
そんなところを2時間ほど走るうちに、便意を催してきた。この列車にトイレがないということはないだろうが、この混雑ぶりでは車内を移動することなど不可能である。それに、外から見たところでは、トイレらしき区画の壁に開いた穴からも人間の手が突き出していた。きっとトイレにまで乗客がすし詰めなのであろう。
そんなことを思っていると、ちょうど大きな駅に停まった。どうやらここで列車の行き違いがあり長時間停車するらしい。それならばと、列車から飛び降りて、線路際の茂みに飛び込んだ。
このあたりからは、段々と土地に起伏が出てきた。11時ごろ、にわか雨が降った。涼しくなるかと思いきや、雨がやんだ後は、かえって暑くなる。
乗客をかき分けて、二人組の車掌が検札にやって来た。青ねず色の制服を着たゴリラみたいな方が切符を改めては裏にサインをしていく。もう一人の薄茶色の服を着た男は車内補充券の発行専門だ。
この列車は一応、急行ということになってはいるが、ンドコウアッシクロなどという小さな村の駅にも停まる。「ン」で始まる地名が、いかにもアフリカらしい。
16時20分、白いビルが立ち並び、赤いタクシーが走っている街に着いた。沿線のコートジボワール領内では随一の街、ブアケである。ここで少しは空くのかと思ったところが、おばさんの集団が大量の荷物とともに乗り込んできて、さらにひどい混み具合になってしまった。赤ん坊は泣き叫ぶは、母親同士は喧嘩を始めるは、まさに阿鼻叫喚の車内である。
だが、まもなく陽が沈み、気温が下がると人間の熱気も治まってきたようだ。寝不足が続いていたので、いつしか寝込んでしまっていた。
目を覚ましたときには、もうブルキナファソとの国境駅に着いたときだった。時刻は0時30分。スーダン式モスクを模した駅舎にSNCBのネオンサインが光っている。
略称の最後にあるBはブルキナファソのBだから、もう国境線を越えてしまっているのだろう。出国と入国を一か所で済ませてしまうらしい。
乗客の中には荷物をホームに降ろして、そばに佇んでいる人もいる。税関検査に備えているのだろうか。一方で、車内に荷物とともに留まったままの人も大勢いて、行動の違いが何によるのかわからない。
駅舎の隣には何の表示もないけれども小さな建物があって、そこにパスポートや身分証明書を出しに行く人もいる。この人たちは、コートジボワール、ブルキナファソ以外の国民だろう。後をついて中に入り、備え付けの入国カードを書いて提出すると、パスポートにスタンプが押され、手書きで入国日が記されて戻ってきた。
この駅には結局、3時間も停車していた。その間、ホームに降ろした荷物を税関吏が調べに来た様子はない。持ち主たちは、結局、大量の荷物をまた車内に詰め込んで、列車は国境駅を後にした。

















