LIVE UNDER THE SKY 1977-1992 | おんがく・えとせとら

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 最近また引越をしましたが、荷物を開いていく中でいろいろと懐かしい資料がたくさん出てきました。いろいろ溜め込んだものを、今後どうすべきか。自分の趣味だけでおいといてもいずれはゴミになるだけ、すでに家内は古本類一掃の機会を虎視眈々と窺っており油断なりません。これは公共の用に役立てるしかないだろう、ということで今後密やかに小出しにしていきたいと思います。



 さて、その中から、1977年にスタートした夏の風物詩「LIVE UNDER THE SKY」のパンフレットを紹介。最終回となった1992年当時、楽器店で配布していた、16年の歴史を綴ったものです。いろんな名演がありました。20~30数年前の暑い夏を思い出すよすがに。

 70年代後半から80年代初頭は東京にいたので、行こうと思えば見にいけたばずなのですが、何せお金のない環境で、それも叶いませんでした。今思えば当時は、素晴らしいライブがたくさんあったのですが、全部行ってたら日々の食事にも困ってたでしょうね。一回数千円の出費は非常に痛かった。

 さて、ライブ・アンダー・ザ・スカイは、あいミュージック(現・鯉沼ミュージック)と読売新聞の主催で、7月に開催、当初はFM東京で同時中継(?)があったように思います。テレビも日テレ系列で8月の深夜、2日くらいに分けて放送がありました。ただ、一時期テレビのない生活を送っていたので、当初から放映されていたのかどうかは定かではない。1984年からですね、TV放映を覚えてるのは。いつかはと思いながら結局一度も行けませんでした。以下、ライブの印象はすべてTV映像によるものです。
 本イベントの概要や1977~1992年の毎年のラインアップについては、wikipediaにコンパクトな説明があるので、そちらを参照ください。
 

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1977
 こんなのが始まったというのは、全く知りませんでした。初回は、グループ集めに苦労した様子が分かりますね。
1978
 1978年は、トニー・ウィリアムスのグループにロニー・モントローズが参加しています。ハードロック・ギタリストがなんでまたジャズバンドに…という感じでしたが。空中分解したニュー・ライフタイムの「RED ALERT」なども演ってましたが、モントローズは、要は1976年に脱退したアラン・ホールズワースの代役だったということか? その罪滅ぼしか、イベント後に発売されたトニーのライブ・アンソロジーにはこの時の「Open Fire」(モントローズ作)が収録されています。モントローズの使用ギターはフェンダー・テレキャスターでした。

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1979
 うーん、記憶がない。
1980
 当時ファンだったラリー・コリエルが出演する!というので、ラジオの前で待機してたっけ。FM放送開始時にはすでに演奏がスタートしてて、コルトレーンの「Giant Steps」なんかをソロで演り、その後ジョン・マクラフリンが合流したんだったかな? これは録音したものの100円くらいの激安テープを使ったため、音がかすかにしか録れてなくて、随分長い間後生大事に持ってたけど、前回の引越の際に処分しました。

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1981
 サンタナがハービー・ハンコックと共演!というので、話題になってましたね。改めて面子を見返してみると、ベースを含めたリズム隊がサンタナ・バンド、残りがゲストという顔ぶれ。ベースにロン・カーター?ん?
1983
 田園コロシアム周辺で騒音苦情があったことや、そのため82年は休止したことなど、このパンフを読むまで全く知りませんでした。よみうりランドに移ったばかりの1983年も、残念ながら記憶がない。田コロはライブ・アンダー・ザ・スカイ撤退後もプロレスの試合は催されていたようですが。

$おんがく・えとせとら-1984 おんがく・えとせとら-1985
1984
 この年は、ジャコ・パストリアスとハービー・ハンコック「ロック・イット」バンドが出演という見所の多い年でした。「ロック・イット」をライブでどう再現するのか?ということで興味津々でした。
 TV放送では、ジャコ・パスが「The Chicken」の後、オーケストラを離れ一人ベース・ソロを披露して、最後に愛用のベースを空中へ放り投げたところでストップ・モーションに。その行方は?(以前にも書いたなあ)
 ロック・イット・バンドでは、ハービーは意外と手数が少なくて、サポート・キーボードのジェフ・ボーヴァの方が目立ってました。彼はこの後、ボーカルのバーナード・ファウラーともども坂本龍一のNEO GEOツァーにスカウトされたりして活躍してましたね。
 ずっとブラック・ウルフだと思ってたブラック・ウフルー。ギタリストの一人が当時最新鋭のローランド・ギターシンセGR707を使ってましたが、レゲエにこれは似合わんやろ!と感じたのは私だけでしょうか? 噂のスライ&ロビーがバックに。
    $おんがく・えとせとら-707

1985
 マイルス・デイヴィスはやはり迫力がありました。ジョン・スコフィールド、ボブ・バーグ在籍時のPOP路線のラインアップです。映像化されているモントリオール・ジャズ・フェスとほぼ同時期。
 ラリー・グラハムとスタンリー・クラークのベースデュオ、スラップ一騎打ち。グラハムは例の、ベースから延びたマイクを使って「I Want To Take You Higher!」と叫んでました。

おんがく・えとせとら-1986 $おんがく・えとせとら-1987
1986
 86年も見所の多い年でした。
 オーネット・コールマンは噂どおり、サックス吹いたりトランペット吹いたりバイオリン弾いたり、最後までよく分かりませんでしたが、ベース、ギター、ドラム各2のダブルトリオは、キング・クリムゾンに先駆けること8年。ロバート・フリップの発想の原点はこれだったか? 「Dancing In Your Head」は元レッチリのジョン・フルシアンテにも影響を与えているようです。彼の左腕にはジャケットと同じ逆様絵の文様が(今は消えかかってるかもしれない)。ドラムのデナード・コールマンはオーネットの息子だそう。
 ラリー・コリエルとアル・ディ・メオラの「スペイン」。クールなディ・メオラに対抗してコリエルがガッツだぜ!とばかり一所懸命速弾きするもやや振り遅れ気味だったのが印象的でした。でもいい演奏でした。
 チック・コリア・エレクトリック・バンド。この時のギターはフランク・ギャンバレでなくスコット・ヘンダーソン、今と比べるとかなり地味だったように思う。

おんがく・えとせとら-coleman おんがく・えとせとら-john

1987
 マイルス・バンド再来でしたが、Jスコフィールドは既に無く、ジョン・マクレアリー(通称フォーリー)のリードベース…ベースである必然性はあったのか?ケニー・ギャレットのフルートが良い。この時期以降の面子でのライブ・パフォーマンスを集めた「LIVE AROUND THE WORLD」は長く途絶えてたのが、昨年再発されたようです。

$おんがく・えとせとら-1988 $おんがく・えとせとら-1989
1988
 デビッド・サンボーン・バンドのドラマーが女性で、「おっ!」という感じでした。現在活躍中のテリ・リン・キャリントン(当時23才)。まだスマートだった故ハイラム・ブロックもタイツ姿で例のストラト抱えて動き回り元気一杯だった。
 サン・ラは…よく分からん。

1989
 マイケル・ブレッカーはEWIを手にして、マイク・スターンのソロ作「GOSSIP」を演ってました。ブレッカー・ブラザーズ風のメカニカルなナンバー。マイク・スターンの電動ダンス人形みたいな動きと、マイケル・ブレッカーのEWIに巻いた汗?涎?止めのサポーターが印象的でした。ギターシンセ同様、EWIも他に使ってる人があまりいませんね。ご本人は亡くなられたし。

$おんがく・えとせとら-brecker AKAI Electric Wind Instrument(所謂サックス・シンセ)

 ザ・ミーティングは、アルフォンソ・ジョンソンの「ノリノリで行こう!」という日本語のアジテーションがやや滑稽でしたが、パトリース・ラッシェンの凄腕キーボードも見た目ひどく生真面目な感じで、全体に特にひねりも無くあっさりとしてました。
 目玉の「デューク・エリントンに捧ぐ」ビッグバンドには、あまり興味湧かなかったなぁ。

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1990
 Wikipediaではデジョネット/ハンコック/ホランド/メセニーのカルテットを、デジョネットのソロ作に因んで「Parallel Realities(綴りはこちらが正しい)」と紹介してますが、同アルバム以外の曲もたくさん演奏しているため、別に映像として出ているライブ盤同様4人の名を冠したカルテットと考えるのが正しいようです。TVではメセニーとオーネット・コールマンの共作「The Good Life」が放映されてました。一聴カントリー風のこの曲でもギター・シンセ炸裂。

1991
 この時、ハンコック/ショーター/クラーク/ハキムで演奏した、やたらスピード感のある「Cantaroupe Island」をぜひ演りたい!というメンバーがいて、バンドで練習したものの全く様にならなかったことを思い出しました。映像では、オマー・ハキムがあまりのスピードに「ホンマにこれでやんの?」みたいに目を剥いてましたが、それでも即興で演り上げちゃうところがスゴい!
 ミルトン・ナシメントは、昔見たジャケットから、てっきり女性だと思い込んでましたが、おっさんでした。

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$おんがく・えとせとら-1992
1992
 よみうりランドに移って以降も10年続いたライブ・アンダー・ザ・スカイですが、JTがスポンサーを引き上げるに及んで、打ち切りを余儀なくされます。バブル崩壊後の景気後退によるスポンサー先縮小のためとか。F1は残してこちらを切ったという話も。
 最終回は、パット・メセニーが初めて自分のグループで参加します。このコピー・バンドを演っていた知人がいましたが、この手のBGM的な曲は聴くのは良しとしても、自分でやろうとは思わないなぁ…。彼は趣味が嵩じて会社を辞めちゃいましたが、今何してるんだろう?