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高輪ニ丁目2番地の風景

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         高輪二丁目2番地










走る人  泉岳寺の裏道をどんどん歩いて行きます。









   途中、高輪学園の本校舎と離れた校舎をつなぐ

歩道橋みたいな連絡通路をくぐります。









 さらにどんどん進みますと右へ左へと道が曲がり、

迷路のような感覚に包まれて行きます。










こういう風に誰も通らない細い道をたどっていくと

こわいような気持ちになります。

子どもの頃、知らない町に、

いつの間にか迷い込んで、

ほとんど絶望的な恐怖感に襲われた

ことがありました。

そんな経験したことありませんか?









 突然視界がぱっと開けました。








 目の前に家があります。







 古い木造の家が両側に建っています。

 家の壁が黒い板でおおわれています。

 昔の家は、皆こんな風な

 黒い板の壁でした。







 高輪二丁目2番地の表示板が、

 塀に打ちつけてありました。

 なつかしいような、

 こわいような

 古い家がある風景。

高輪泉岳寺ぶらり散歩⑥~塀に沿った道

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         泉岳寺の裏の道










走る人泉岳寺の裏の道は、高輪学園の黒い鉄柵

との間の細い路地でした。







 人一人通るのがやっとで、向こうから人が

来ると、片側に体を寄せないとすれ違えません。








そんな細い道を自転車が時々通ります。







しかし、あとは誰も通りません。







この道はいったいどこへ通じているのだろう?







ちょっと不安になってきます。







誰も通らないということは、

こんな場所で

なにか不穏な事件でも

起これば

誰も助けにきてくれない

ということだな








というようなことを

考えてしまいます。

ミステリー小説なら

こんな場所で

殺人事件が

起きるのかも

しれないな

と。









高輪泉岳寺ぶらり散歩④~瑤泉院のお墓

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         瑤泉院のお墓










走る人  瑤泉院にはこどもがいませんでした。








  そのことが赤穂浪士の遺児の救済運動

 に彼女を駆り立てた一因かも知れません。








  泉岳寺はいまは静かです。







  お寺の隣りには、高輪学園という

 高等学校があります。

 山門の前に立っていると、

 学生がぞろぞろ通ります。







 ふと思い立って、

 高輪学園の方へ行ってみました。







  








   

高輪泉岳寺ぶらり散歩③~鷹の羽のぶっ違い

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       浅野家の家紋は鷹の羽








走る人   墓所の入り口近くに赤穂藩主浅野内匠頭

長矩の夫人瑤泉院のお墓がありました。









 この人はもともと備後国三次藩の浅野家の三女

に生まれ、

十歳のとき赤穂藩主浅野長矩に嫁ぎました。

名前は阿久里(あぐり)と言います。









 元禄十四年三月十四日、浅野長矩が江戸城内で、

 吉良義央に切りつけた刃傷事件の直後、

 実際には十六日、長矩夫人阿久里は実家の

 三次藩下屋敷へ引き取られました。

 夫が切腹すると落飾して瑤泉院(ようぜいいん)

 となりました。








  赤穂には豊富な塩田がありましたから、

  瑤泉院の化粧料として、塩田からの収入=運上銀

  が入りました。彼女はそれを大石内蔵助に託し、

  陰ながら赤穂浪士を支援したのでした。

  赤穂藩がつぶれた後、無収入になった浪士たちを

  陰で支えたのは彼女でした。








   討ち入り後、大石ら四十七人は切腹します。

   残された浪士の遺児4人が伊豆の大島へ

   島流しにされます。

   それをなんとか助け出そうと、彼女は必死に

   赦免運動を起こします。









    運動の甲斐あって、宝永三年、将軍家綱の

    二十七回忌に、三人が許されて帰ってきました。

    吉田伝内、中村忠三郎、村松政右衛門の

    三人です。残念ながら、間瀬定八は前の年に

    病気で死亡していました。








    瑤泉院の喜びはいかばかりだったでしょう。

    彼女の結婚生活はわずか18年でしたが、

    後半生は浪士たちと遺児たちへの支援に

    ついやされました。

    そして









     正徳四年、三次藩下屋敷で波乱に満ちた

     生涯を終えます。享年41歳。

     夫長矩の眠る高輪の泉岳寺に葬られます。

     墓には浅野家の家紋「鷹の羽のぶっ違い」

     が刻まれています。




















 

高輪泉岳寺ぶらり散歩②

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         四十七士のお墓











走る人 線香の煙がただよう墓所の

境内にはいりますと、

四十七士のお墓がずらりと

並んでいました。










 大高源吾、不破数右衛門、武林唯七、

矢頭右衛門七・・・・

なつかしい(?)名前が並びます。










 ひとそれぞれに四十七士に思い出が

あるのでしょう。

 全部にではなく、

 ある特定のお墓に線香をあげている

姿がみられます。








 なかでも堀部安兵衛がいちばん人気が

あるみたいでした。

 安兵衛はなんといっても威勢がいい

ですからね。

 高田馬場の仇討で有名ですから。

 そういえば、

高田馬場に「安兵衛」という飲み屋が

ありましたが。どうなっているでしょう?










 元禄十五年の十二月十四日の深夜

から十五日未明にかけて、

本所松坂町の吉良邸に討ち入りした

四十七人。







 ひとり遅刻した人がいたのですって。

 最近の研究でわかったらしいですよ。

 その人は堀部弥兵衛だそうです。

高輪泉岳寺ぶらり散歩①

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        泉岳寺は黄葉まっさかり











走る人高輪の泉岳寺へ行ってきました。








 おとずれる参拝客もまばらでした。








 山門の前の黄葉はいまが真っ盛り。






 


 稀勢ノ里の大関伝達式は、

 久々に、すがすがしいもの

 でしたね。








 本人が理解してないのに、

 四字熟語のわけのわからない

 言葉を、つっかえながら

 しゃべっている姿を見ると、








 大関の貫禄や権威など

 どっか遠くへ飛んで行ってしまう

 感じでした。








 貴乃花でしたか?

 「不惜身命」 (ふしゃくしんみょう)などと

 難しい言葉を最初に使ったのは。

 ケレン味たっぷりじゃないですか。







 その貴乃花が稀勢ノ里を強く推薦したと

 いいます。

 「ケレンのない相撲」という理由で。

 







 大関伝達式では、

 稀勢ノ里は、

 「大関の名に恥じぬよう、精進いたします」

 と、あっさりしたもんで、

 ややこしい言葉を一切使いませんでした。








 それでいいんです。








 さて、もうすぐ四十七士の討ち入りの

 日がやってきます。

 直前は大混雑しますので、

 ちょっと早めに泉岳寺へお参りする

 ことにしました。


 

 

横浜リセンヌ小路の洋食屋

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      横浜日本大通りの黄葉(去年の今頃)







走る人リセンヌ小路の洋食屋さんに入りました。








  

 ここはハンバーグがおすすめです。








 一番奥のカウンター席にすわります。







 一人先客がカウンターでハンバーグを

 食べていました。若者です。

 ウーン美味しそう・・・







 後ろのテーブルに地元のおじさんが二人。

 ハンバーグを食べて

 ビールも飲んでいます。

 ウーン・・・







 でもハヤシライスを注文します。

 初志貫徹です。

 きょうはハヤシライスと

 決めていました。








 オープン・キッチンの中では

 80歳くらいの老シェフが

 その奥さんと一緒に

 声を掛け合いながら

 てきぱきと

 料理を作っています。








 伝票を見ながら、

 老シェフは、

 「あとはオムライスだな」

 「はい!そうです!2番さんオムライス!」

 老シェフよりすこし若いけど

 十分高齢者の奥さんが答えます。

 

  


 




 ウーン、年寄りのシェフだなあ。

 夫婦の呼吸が、じつによく

 合ってるなあー。







 つい先日、「モヤモヤさまあず」で、

 この店が出てきましたね。

 大江アナは学生時代よくこの店に

 きたと言ってました。

 フェリスですから。









  そのうち、ハヤシライスが来ました。

  そうとう煮込んであります。

  大きな牛肉のかたまりが

  ゴロンゴロンと4つもはいっています。








  ハヤシのルーがよく煮込んだ味で

  もうたまりません。

  やはりハヤシが正解でした。







  サラダが遅れて出されます。

  トマトときゅうりとキャベツの刻んだの。

  素朴です。

  トマトが甘いです。







  牛肉のゴロンとしたかたまりを

  のどに押し込んだあとは

  サラダが口の中をさっぱりと

  させてくれます。







  ライスの大盛りなこと。

  ふつうの2倍くらいあります。

  学生がよく来るからですかね。

  若いのが、お金払う時、

  「次はハンバーグにしなさい」

  と、おばさんに言われてました。

  「はい、次はハンバーグにします」

  と素直に答えていましたね。その

  若いの。







  さらに遅れてスープが来ました。

  オニオン・スープです。

  アッサリした味です。







  予想通り、ご飯を残しました。

  食べきれない分量でしたから。

  ゴロンゴロンの方は

  全部たいらげました。

  やっぱりハヤシライスは

  おいしい。

  とくにこの店の老シェフの

  ハヤシライスは絶品です。














 

晩秋の洋食食べ歩き

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    台風でやられた葉は枯れて黄葉せず









走る人今年の紅葉はしょぼい感じです。









 公園のイチョウは、いつも真っ黄色に

 美しく黄葉するのに、

 今年は台風でやられた部分が

 枯れ葉になって

 うす黒く変色しています。






 



 今年は、秋晴れの

 真っ青な空に白い雲

 という風景がありませんでした。







 さびしい秋が暮れようとしています。

 だが、初冬というには

 暖か過ぎてちょっとそぐわない感じ

 です。







 こういう時は、パッと

 気取らない洋食屋へ出かけて行って

 美味しいものを食べる

 のが一番です。







 

 というようなわけで、

 横浜へでかけました。








 根岸線の石川町駅で降ります。

 石川町の駅のホームは、うなぎの

 寝床のように長くて、

 前(山手寄り)の階段をおりるか、

 後ろ(関内寄り)の階段を

 おりるかで、まったく違います。

 全然別のところへ出てしまいます。









 前の階段は元町と外人墓地方面へ、

 後ろは中華街方面へ、

 それぞれ行くための出口に通じます。

 だから、行き先をはっきり決めてから

 前の階段か、うしろの階段かを

 選ぶのがよろしい。









 ばくぜんと下りてしまうと、

 とんでもないことになります。








 きょうは、元町方面へ行く出口

 つまり前の階段を下ります。







 改札口も二つあって、

 表通りか裏通りかに分かれます。

 裏通りは「リセンヌ小路」へ

 通じています。







 右側の山の上にフェリス女学院を

 はじめ、山手女子とか雙葉とか

 女子校が多いので、

 女子高生と言う意味のフランス語

 「リセンヌ」を小路の名につけたの

 でしょう。








 リセンヌ小路に入るとすぐ

 右側に「洋食の美松」

 があります。









 

 

 




  




晩秋のイタリアン食べ歩き

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        11月中旬でも紅葉はまだ・・・










走る人  11月も下旬に入ったというのに、

紅葉はまだパッとしません。







どうしたんでしょうかね。







秋も深まると、肉料理が

食べたくなります。






そこで、イタリアンのラグー

を食べようとかんがえつきました。






さてどこのレストランにするか。






とりあえず駅へいきました。






辻堂にあたらしくモールができた

というのでにぎわっていると

聞きましたので、






辻堂は避けて、






となりの茅ヶ崎に行こうと

決めました。






茅ヶ崎といえば、

サザン・ストリートです。





南口商店街を5分くらい

あるいたところの

トラットリーアに入りました。






メニューを見ます。

茅ヶ崎牛のラグーのペンネが

ありました。





即決定。

ラグーとはミートソースのことです。





茅ヶ崎牛というのがあるんですね。

知らなかった。

この辺で聞くのは葉山牛ぐらい

です。






ラグーには赤ワインが合います。

ミネストローネを頼んで

フォカッチャをつまみながら

ワインをたのしみます。






ラグーのペンネがきます。

ペンネはゆで加減がむずかしい。

ほどよい固さが必要です。






ラグーは肉質が大事です。

茅ヶ崎牛もばかにできない美味さ

です。





たっぷりとミートソースをペンネに

からめていただきますと、

しみじみとした

満足感が

わいてきます。






晩秋はラグーにかぎります。

ワインも美味いし。





食後のドルチェはティラミスとか

アップルパイとか数種類から

選べます。





チーズケーキにします。

それにカフェ。






壁に献立表が貼ってありました。






中に、

茅ヶ崎牛のトリッパ カチョエぺぺ

というのが目につきました。

カチョエぺぺが

わからないので聞きました。





カチョはチーズだそうです。

ぺぺはこしょうです。

トリッパにたっぷりチーズと胡椒が

かかっている料理だそうです。






今度はこれだと思いました。








   



京都ふたたびぶらり散歩⑤

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       枡形通り商店街入り口付近


走る人 餅といえば、

   寿岳章子さんは、『京都 町なかの暮らし』の

  なかで、

  京都では、きまった日にいっせいに餅菓子を

  たべる、と書いています。

   三月三日のひちぎり、

   五月五日の柏餅、

   六月三十日の水無月、

   中秋名月の月見だんご、

   春秋のお彼岸のおはぎ、

   

  こういった餅菓子を<全市的レベルでいただく>

  と書いていらっしゃる。






   そのほか、神社やお寺の名物のお餅があります。

   城南宮のおせき餅、

   北野天神さんの粟餅と長五郎餅、

   今宮神社のあぶり餅、

   などなど。






   寿岳さんは、そのなかでも今宮神社の

   あぶり餅を一番に推していらっしゃる。





   細い竹串の先にあぶったお餅をちょこっと

   つけて、そこへ甘い味噌だれがからめて

  あるのですが、けっして甘すぎず、独特の

  味噌の風味がからまって、

  それを口先で串からもぎ取っていく

  楽しさを絶賛しておられます。







   京都には季節の味を楽しむ習慣が

  暮らしの中にしっかり根付いているのが 

  わかりますね。







   出町通りをまっすぐ北へ行きますと、

   商店街に出ました。

   「枡形通り商店街」というらしい。






   小さいながらけっこう人通りがあり、

   地元に愛されているなということが

   つたわってきます。

   鯖ずしののぼりがひるがえっているのを

   見て、おもわず身を乗り出しましたが、

   まだ準備中のようでした。






   ここからさらに北へ行くと、

   寿岳さんおすすめの味噌京漬物店の

   『田辺宗』があるはずなのですが、

   時間がなくて、切り上げました。






   『田辺宗』は次回にまわしましょう。

   「ふたば」のならびの

   鯖寿司屋さんで鯖ずしの半本を買って

   帰りの新幹線のなかで

   食べようと思います。