ポストたずねて三千里 -7ページ目

京都ふたたびぶらり散歩④

ポストたずねて三千里                                                     

    賀茂川(左)と高野川(右)の合流地点








走る人 出町柳で京阪電車を降りて、 

  賀茂大橋を渡ります。







   右手にふたつの川が合流しているのが

  見えます。






   左が賀茂川で、右が高野川です。

   真ん中のこんもりした森は、

   糺(ただす)の森です。

   






   つまり賀茂御祖神社の森です。

   一般に、下鴨神社の名で親しまれて

  います。







    橋を渡っていると、向こうから自転車に

   乗った学生風の若い男女が、

   つぎからつぎから走ってきます。






    おそらく京都大学の学生だと思われます。

    賀茂大橋を渡らずに、反対側へ500メートルも

   行けば、

    百万遍の交差点で、そこはもう京都大学構内の

   西北の角にあたります。








    通学する学生たちの顔はみなつらそうです。

    昨日のよるのアルコールが抜けきってない

   顔色です。でも、自転車を一生懸命こいでいる

   姿は、いかにも学生らしくていいなあと思います。








    私たちの学生時代は、京都大学の学生たちを

   うらやましく思ったものでした。

    京都の人たちは、京都大学の学生を「京大はん」

   と呼んでたいせつにしていたからです。

    どこへ行っても京大生とわかると、

   あつかいかたががらりと変わるのでした。

    地元の誇りでもあったのでしょう。

    








    いまはどうでしょうか?

    昔ほどではないのかも知れません。









    橋を渡りきると、出町通りの商店街に出ます。

    河原町通りと今出川通りの交差するあたり

    から北へ商店街がつづきます。







    そこに「ふたば」という和菓子屋さんがあります。

    寿岳章子さんの「京都 町なかの暮らし」のなかでは、

   餅菓子の「双葉屋」として出てきます。







    「ふたば」の住所は、上京区出町通今出川上ル

   青竜町236です。







    河原町通りは今出川通りと交差したあと、

   そこから北は名を変えて「出町通り」になるようです。







    「ふたば」は豆餅が名物ですから、まず豆餅を買います。








    お店の前で、パくっと豆餅を食べました。

    お餅の感触がいい。

    ちゃんとした良質のもち米が使われていて、

    しっかりした歯ごたえがあります。

    







     その餅にまぶしてある豆がまたおいしい。

     ほどよい塩気が利いていて、 

     固すぎず、柔らかすぎず、

    しかもたっぷり豆がついている。

      







     そしてアズキの餡(アン)。

     よく練ってある。

     アズキの香りがとてもいい。 

     ふつうこのアズキ餡で失格するのが多いの

    ですが、ここのはしっかりアンコができています。

     総合点がひじょうに高い。

   








     「ふたば」の豆餅は、京都の餅菓子のなかでも、

   相当上位にランクされるべきと思いました。

    




京都再びぶらり散歩③

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       新柳馬場通りにある柳湯









走る人  木造の三階建てにしては洒落た看板が

   出ています。








    柳湯です。

    町田忍の「銭湯へ行こう・旅情編」を見ると、

    京都市は47の銭湯があげられていますが、

   この柳湯は抜けています。

    錦湯はちゃんと載っています。

    町田先生、柳湯には行かなかったんですか?








    柳湯の名前は、おそらく

    新柳馬場通りの角にあるからだと

   推察しました。『柳馬場』の柳をとって

   『柳湯』にしたのでしょう。








    でも三階建ての銭湯ははじめて

    見ましたよ。東京にはないと思います。







      さて、京阪三条駅から京阪電車で

     出町柳駅まで行きました。

      目的地は出町通りです。  

京都再びぶらり散歩②

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        三階建の堂々たる銭湯








走る人東大路をそのまま東山三条方面へ進みますと、

すぐ左に「一澤帆布」があります。







 その手前の古門前通りのコーヒー屋に寄って

モーニングを注文しました。







 京都のモーニングは、二回目ですが、その

いずれも丁寧なモーニングを出されました。







 トマトとレタスのサラダにゆで卵がついて

 バターのトーストが出てきます。

 丁寧に作ってあります。

 京都は、一般に雑さがないのがいい。






 近所のおやじが新聞をおおきく広げて

 ふんぞりかえって読んでいる風景。






 入り口のドアから朝の日差しがななめに

 店内へ射し込んで、その反射光のおかげで

 奥のカウンターまで明るい風景。






 明らかにもと祇園の藝妓はんとおぼしき

 カウンターの中のおねえさんに尋ねました。





 一澤帆布のそのごについて。






  あの兄弟間の相続権あらそいのこと。






  「ちゃんとやってはりますよ」

  おねえさんの答えは、触れたくない

  気持ちがいっぱいでした。






  ご近所ですから当然でしょう。

  





 「寄らはったらいかがどすか」

  「はい、そうします」







  一澤帆布には寄りませんでした。

  むかし、かばんをひとつ買いました。

  そのついでに、すぐちかくの路地の

  漬物やで山芋の漬物を買ってかえったら

  それがたいそう美味しくて、という思い出

  があります。





  東山三条に出ると、向こう側へ道路を

  渡って、すぐ要法寺の路地へはいります。






  ひとつ裏通りへはいっただけで、

  こうも違うものか、と思うほど静かです。







  京都の町歩きは、かならず、ひとつ裏通りを

  歩きましょう。






  しばらく行くと大きな黒い建物があらわれ

  ました。

  銭湯です。

  木造三階建ての。

  りっぱですねー。





 





 













京都再びぶらり散歩

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       めずらしい!石造りのポスト









走る人  もう一度、京都へ戻ってきました。

   将門塚で寄り道したので

   話がややこしくなりましたが、







   祇園花見小路を上がって(つまり北上して)

   八百伊の角を右へ(東へ)曲がり、

   漬物の「近清」の

   前を通りました。







   朝が早すぎたせいか、

   「近清」のおばちゃんは入り口のあたりを

   ほうきではいていました。







   寿岳章子さんの「京都 町なかの暮らし」を

   読むと、

   千枚漬けは「近清」がいちばんだと

   書いてあります。







   錦小路のイタリアンのマスターは

   「それぞれ好き好きですからね」と

   寿岳さんの説をすぐさま支持することは

   しませんでした。







   それはそうでしょう。

   いずれにしても千枚漬けは年が明けてから

   にしましょう。






   東大路に出ますと左へ(東山三条の方へ)

   歩いて行きます。







   そこでみつけたのが石造りのポストです。







   そこは、西村石材店でした。

   石材店がなぜポストを?

  






   とお思いでしょうが、

   こまかい詮索はやめましょう。

   とにかく

   西村さんがポストをつくったのです。







   このポストの形は独特ですが、

   けっして適当につくったのではありません。








   この形はいまのポストの原型ができる前の

   形なのです。






   いまの、と言っても誤解がないように。

   丸型のポストのことですからね。







   あの丸型のポストの原型は

   明治34年にできました。

   鋳物の鉄でできて赤いペンキで

   塗られました。






   それ以前は、木製で黒く塗られて

   いました。

   形は西村さんの石製とほぼ同じです。 








 それにしても、よくつくりましたねー。








    石材店のお店の脇に

    ひっそりと立っているところが

    なんとも言えません。







    京都の町なかを歩く楽しみは

    こんなものを

    偶然発見するところに

    あります。  

   

 







 

蓑毛大日堂ぶらり散歩④

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       えんま堂の横のお地蔵さん









走る人 大日堂の右手の奥に不動堂。

   







   

   そのまた奥にえんま堂があります。








   えんま堂の横にもう一体

   お地蔵さんが立ってました。







   お地蔵さんのお顔は

   みんないいですね。







   なん百年も

   この場所に立っていらっしゃるんですね。






   首にかけたよだれかけも

   そうとう古いですね。






   
お地蔵さんはずっと見てきた

   のですね。






   そうです。









   お地蔵さんはずっと見てきたのです。



   









 

蓑毛(みのげ)大日堂ぶらり散歩③

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     不動堂の横でみつけたお地蔵さん








走る人  大日堂の御本尊の大日如来をおがむ

   ことができました。







    大日如来は、大好きな仏さんです。






    じつは、ぼくの守り本尊でもあるのです。






    田舎の仏師がつくったといわれます。

    





    たしかに、京都や奈良で見る大日如来と

   くらべると、稚拙な感じがします。






    大日如来さんの右側に立っている

   聖観音菩薩がすごい。






    一木造りで全体にぼろぼろですが、

   見る者に迫ってくる迫力はものすごいものが

   あります。







    仏像の迫力は、説明する必要はありません。

    <ただ黙って仏さんと向かい合えばよい>

    そう思いました。







    オリンパスの不正経理に関係した資金管理会社

   の社長は佐川さんという日本人でした。

    





    

    慶応出のヨットマンと聞いて加山雄三を思い出し

   ました。かっこいいイメージです。







    エレンさんというアメリカ人女性と東京で知り合い

   32年前に結婚します。その後アメリカへ引っ越します。






    証券会社から独立して今の会社にうつり、やがて

   社長になります。オリンパスとの取引だけで、会社の

   業績を伸ばしていきます。






    エレンさんとは最近離婚しました。

    報道記者にたいしてエレンさんは元の夫佐川さんを

   いまでも尊敬しているとかばい続けています。

    「私の知るかぎり、人生において不正行為をしたこと

   は一度もない」「彼を尊敬しています」

    







    32年つれそって離婚した夫を「尊敬」と言う言葉で

   かばうエレンさんの態度に驚きます。

    32年間「すばらしい人」と妻に評価される夫が何人

   いるでしょうか。






    エレンさんにとってはきっといい人だったのでしょう。

    佐川さんは今行方がわかっていません。エレンさんも

   どこにいるかわからないと言います。

    






    オリンパスは上場廃止の不安から株価がストップ安

   になり、一億八千万円の年収を得ていた元社長も

   粉飾を認めて謝罪したそうです。オリンパスも

   かつての山一とかカネボウのように消滅する運命に

   あるのでしょうか。

   






    それともイギリス人の元社長を呼びもどして復活再生

   の道をあゆむことができるのでしょうか。







     粉飾経理をやった社長はギャンブル好きだったという

    人もいます。

     だが、取締役会が知っていながら告発できなかった

    のは、日本人らしい「かば合いの心」が働いたから

    にちがいありません。






    かばい合う気持ちは美しい一面、そのことで隠された

   事実が他に影響を及ぼす場合は罪になります。

    他に影響がなければ、美談でおわるのですが、

   社会的責任をともなう会社や企業など組織の中では、

   美しい人情を持ち込むことは許されません。

    そこに気づかなかったとすればオリンパスの経営陣は

   失格といわざるをえません。





    それにしてもアメリカ人のエレンさんの元夫をかばう

   姿には、まるで戦国時代、落城の時の武将の妻をおも

   わせるような

   毅然たる態度が感じられ、ある種の感動を覚えます。

    








    ただ、感動してばかりではすまないのです。

    佐川さんは、元妻の毅然たる態度に、はっと気がついて

   堂々と日本へ帰ってきて、事実を明らかにする勇気を

   見せるべきです。







    隠れているかぎり、

   エレンさんの言う「尊敬すべき夫」像は、

   ざっと8億円を口止め料としてもらった義理で、取材陣を混乱

   させるために吹いた、たんなる”ホラ話”だった

   ということになりかねないのです。







    オリンパスの損失を誤魔化す<損失先送りスキーム>

   を、実質的に指揮したのは、佐川さんではなく、中川という

   人物だという報道があります。

    そうだとすると、佐川さんは自分は真犯人ではないと

   いう受け止め方をしているのかも知れません。

    これも<悪いのはぼくじゃない>という、

   最近の日本人的な感覚です。

   昔の日本人ではありません。

    







    戦国時代の武将なら、敗戦のすべての責任を

   一身に背負って自決するでしょう。

    つくづく日本人の弱いところをみせつけられる

   今日この頃です。

   





    

    






   

蓑毛大日堂ぶらり散歩②

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    蓑毛大日堂の山門から本堂を望む



走る人  蓑毛大日堂の山門です。







   素朴な作りですが、長い間神奈川県の

  文化財の専門家の調査の結果、ことし

  わかったことですが、








   山門の両脇に立っている仁王像は、

  奈良の大仏殿と同じころ

  作られたものらしい、というのです。







   アウンの仁王さんです。

   鎌倉時代の仁王さんはくっきりとした

   はげしいお顔をしていますが、

   ここのは、どちらかというと

   やさしい感じです。






   いなか仏師の作ったものではないと

   説明してくれました。

   



   



   本堂のつくりも、柱の大きさからみて、

   本来はもっと何倍も大きな御堂で

   あったらしい、とも

   説明してくれました。

   創建のころは、壮大な七堂伽藍が

   丹沢の裾野にひろがっていたのかも

   知れません。

   

   

蓑毛(みのげ)大日堂ぶらり散歩

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           蓑毛大日堂の山門








走る人 丹沢大山のふもとにある蓑毛(みのげ)へ

 やってきました。







  一年に一回しか公開しないという

  大日如来を拝むためです。







  蓑毛に行くには、小田急線の秦野駅で降り、

 駅前のバスターミナルの4番乗り場から

 「蓑毛行き」のバスに乗ればいいのです。








 途中、「藤棚」というバス停があります。

 その少し手前で左側をみると、

 やや窪地になっているところに川の中州の

ようなこんもりした台地が見えます。







  それが波多野城址です。

  実朝が鶴岡八幡宮で公暁に殺されたとき、

 その首を城主波多野忠綱に届けた人物がいました。

  武 常晴(たけ・つねはる)です。










  じつは、実朝は殺されていなくて、首は別人の

 ものでした。実朝を救ったのは公暁その人だった

 という伝説があります。

 公暁が武常晴とともに波多野氏をたよって行き

 首を実朝の首として埋葬し、

 公暁と実朝は静かに余生をこの地で過ごしたと

 言われています。









  この不思議な伝説がのこる波多野城址を過ぎて

  バスはのどかな山村の風景を楽しみながら

  山道を進み、やがて終点の「蓑毛」に着きます。







  そこからすぐ橋を渡ると、右手に大きな

  イチョウの木が二本立っています。

  赤い屋根の山門が見えます。

  それが蓑毛大日堂です。







  まだ黄葉には程遠いようです。 

  11月の末頃だと聞きました。 

東京・大手町の将門塚⑤

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            将門の首塚










走る人  いちばん奥まったところへやってきました。







    ここが将門の首塚です。







    石塔婆が立っていますが、

    これが、真教上人が徳治二年(1307)に

   建てたもので、火災で焼けるたびに

   彫りなおされたとつたえられます。







    

    明治維新で、東京に首都がうつったとき

   明治天皇が、関東総鎮守の神田明神を

   ご親拝されることになりました。

    







    祭神が朝敵ではまずかろう

   というので、

   大洗の磯崎神社から少彦名命をもらってきて

   将門の霊を分祀しました。

    これが将門の霊を怒らせました。 

    





    



    分祀という非礼を働いた神田明神は、火事で

   社殿のすべてを焼失してしまったのです。

    







    将門の怒りはなおもおさまりませんでした。

    







    大正12年9月、関東大震災が襲い、

   東京の大半が焼け落ちてしまいました。






    大手町の首塚でも将門の祟りがありました。

    関東大震災で焼けた大蔵省が、

    首塚のあたりに仮庁舎を建てようと計画し

   ましたが、

   建設の際、首塚をまったく無視したのです。

それどころか、首塚を掘り返し、盗掘されて

   なにも残っていないとして、跡を整地して

   仮庁舎を建設しました。 

 

    






    将門の霊を無視した非礼への報いは、

   すさまじいものでした。






     


     時の大蔵大臣早速(はやみ)整爾が死に、

    現職課長以下十数人が、

    あいついで不審な死をとげたのです。

     大蔵次官も大けがを負いました。

     大蔵省内には「将門の祟りではないか」

    とのうわさがひろがりました。

    







     将門のたたりは戦後もつづきます。

     パイプをくわえて厚木飛行場に降り立った

    マッカーサーも災難に見舞われたのです。







      GHQ(連合国軍最高司令部)が、

     首塚のあたりにビルを建てようと計画し、

     建設工事を開始するやいなや、

     ブルドーザーがどういうわけか転覆し、

     死者がでる事故を起こしました。







      その後も奇怪な事故がつづいたので、

     さしものGHQも工事を中止せざるをえません

     でした。







      現在の三井物産と産経新聞社がビルを

     建てるとき、

     社長以下が丁重に礼拝し、将門の霊に

     工事で眠りを妨げる非礼のお詫びをしたと

     いわれます。








       神田明神も、分祀の非礼を詫び、

      昭和五十九年、改めて将門の霊を合祀した

      のです。

       (注)合祀とは、二柱の神をいっしょにまつる

      こと。

      いっぽう分祀は、本社から分けてまつること。








        将門の霊は関東総鎮守の神ですから、

       関東に住むものは、つねに将門の霊に

       感謝し、礼拝を怠ってはならないのです。

        






        祟りなんて迷信だよ、とばかにしては

       いけません。

        馬鹿にした人はすべて災難にあうこと

       を覚悟しなければなりません。







        いまは将門の霊は静かです。

        毎年、近くの池でカルガモの親子が

       泳ぎ、皇居のお堀へ引越すため道路を

       横断する時は、警官が出て車の通行を整理

       する和やかな風景がみられるようになりました。


東京・大手町の将門塚④

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          将門塚がある霊域









走る人  将門塚への入り口には左手にのぼりが

   三本立っていて、右手には「将門塚」と

   彫られた石塔が立っています。






    ゆるやかな石段をあがりますと、左手に

   立て札(説明板)があり、この土地は江戸

   時代の寛文年間、

   酒井雅楽頭(さかい・うたのかみ)

   の上屋敷の中庭だったと書かれています。







    酒井家と言えば、井伊、本多、榊原と並ぶ

   徳川家四天王の筆頭で、出羽庄内藩主

   でした。寛文のころは酒井忠清が大老の

   重職にありました。






    

    また立て札には、歌舞伎「先代萩」の伊達

   騒動で、

   伊達安芸、原田甲斐が殺されたのも

   この場所だと書かれています。 










 

伊達騒動は、仙台藩主が放蕩三昧のため

   強制的に隠居させられ、わずか2歳の藩主が

   誕生したことから始まります。

    







     当主が2歳ですから、なにもわかりません。

    伊達の一門や家老の間で、はげしい権力争い

    がくりひろげられます。

     手がつけられなくなった時、ついに江戸で

    幕府の審問をうけることになり、

    関係者が呼び出されます。 






    





     NHK大河ドラマ「樅の木は残った」では、

    伊達騒動の原田甲斐が主人公でした。









     寛文十一年(1671)3月、江戸の大老

    酒井忠清邸で、伊達騒動の審問が行われ

    ました。

     審問の最中、原田甲斐は仙台伊達の一門

    で、第四席の涌井伊達第二代当主、伊達宗重

    斬り殺しました。

     立て札に出ていた伊達安芸は、殺された宗重

    のことです。








     将門の首塚は、こんな血なまぐさいドラマの

    舞台にもなったのですね。

     これは偶然のことでしょうか?

     







     将門の首塚は、このあとも、数多くのたたり

    を呼び起こしているのです。