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夜の京都ぶらり散歩④

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        明かりの入った夜の看板




走る人  夜の京都の面白さは、「お店の看板見て歩き」

にあります。







 だいたい看板は、低い屋根の上にあります。







 「京湯葉」の千丸屋の看板は、京都でよく

みかける看板のひとつで、毛筆の書体で書かれて

います。









 活字体で書かれるよりずっといいです。

ほっとします。








 



夜の京都ぶらり散歩③

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     錦湯ののれんに人力車の絵が・・・



走る人 錦市場は、夜になると観光客の姿が消えて

ひっそりと静まりかえっています。






 そんな錦市場へ入っていきますと、右手に

イタリアンの店の看板が出ています。






 「まつむら」。

 看板のうしろに人が立っています。

 ぼくの顔を見て会釈すると、路地の奥へ

案内してくれました。







 路地の奥の左手に、引き戸のドアがあり、

その人はドアを開けてぼくを中へ入れてくれ

ました。







 店内はひとりも客の姿はなく、ガランとして

いました。







 おしぼりとメニューがきます。

 体が冷えたのであたたかいスープがほしい

と思ったので迷わずミネストローネを選び、

パスタは自家製タリアテッレ合鴨とポルチーニ

のラグーソースにします。 ワインはマルケの

ロッソを。







 ひと組の若いカップルが入ってきましたが、

テーブルのところでマスターとなにやら話して

います。






 カップルは席に座らず出て行きました。






 マスターが来て、「まだ、京都でもレストランで

煙草を吸う人がいるんですよ」と言いました。

 さっきのカップルの男の方がタバコを吸えるか

どうか尋ねていたのです。だめだといわれて

出て行ったというわけです。






 京都でも路上で吸うと罰金だそうです。






 ミネストローネは小さく角に切ったポテトが

歯ごたえのある美味しさを演出してチーズと

あいまって絶妙の味を出しています。







 パンがほっこりあたたかくて、ちょうどいい

焼き加減です。

 このパンの良しあしで、その店の実力が

わかります。

  






 マルケのロッソも口当たりがよく、なかなか

結構でした。

 最近のマルケ州のワインは白だけでなく、

赤も評判がよく、主たる品種はサンジョヴェ

ーゼとモンテプルチアーノに分かれるそうです。

 ぼくが飲んだのは、モンテプルチアーノ

が主のロッソ・コーネロだとにらみました。





 マスターのワインに対する並々ならぬ

こだわりが推察できます。







  じつは、この店は2年前に一度来ている

のです。マスターは「おぼろげながら憶えて

います」と言いました。

そのときマスターは「京都ではイタリアンは

非常に激戦です」と語っていました。

だから2年経って、果たしてやっているだろうか

と心配していました。







 タリアテッレも合鴨とポルチーニ茸のラグー

ソースがじつに美味しかったです。

 京都にはイタリアンの良い店が多いのですが

良い店はそれなりに値段も高く、敷居が高い

ものです。

 






 その点、この店は料理は抜群なのに、料金

はリーズナブルな店です。

 激戦を勝ち残っていることは、京都のひとに

認められたということでしょう。







 最後のエスプレッソもナポリの豆でしょうか、

本格的な味でした。

 






 最近はかっこうだけつけたインチキの

イタリアンの店が氾濫していて、値段もべら

ぼうに安かったりするので、まじめな店が

圧迫されています。






 でも、「まつむら」のようなしっかりした

実力のあるイタリアンの店があるという

ことを知って、






 <さすが京都>だと思いました。

 

夜の京都ぶらり散歩②

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走る人 地下鉄で四条烏丸まで行って、そこから

錦小路まで歩きました。







 錦湯という看板が目に入りました。







 銭湯です。







 京都は、まだまだ銭湯が元気に生き残って

います。







 旅の途中で銭湯をみつけたら、原則として

入るという主義なので、ここも入りたかった

のですが、







 なにしろ、お腹が空いてたまりません。

 やむをえず、今夜のところは

割愛させていただきました。

 あしからず。

夜の京都ぶらり散歩①

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         京都駅前の京都タワー



走る人 京都へ行ってきました。一泊で。







  ちょうど着いたのが18時すぎ。

  もう真っ暗です。







  京都駅の構内から見た京都タワーは、

じつに美しく幻想的にライトアップされていました。






  このタワーもできたばかりのころは、京都の

人からぼろくそにけなされていたのでしたが。








 京都駅が新しくなったあたりから、京都タワーは

その本来の威力を発揮していますね。

 もう京都になくてはならないシンボルであり、

ランドマークになっています。








 京大工学部建築学科の棚橋教授が設計した

このタワーは1964年12月28日に完成しました。

いまから47年前のことです。




 

 



 むかしの京都は黒い屋根瓦の木造家屋が

並んでいましたから、この白い灯台みたいな塔が

ニョキッと駅前に立ったとき、人々があっと驚いた

のはむりもないことでした。










このタワーが、果たして古都にふさわしい建造物

か否かで、

 京都の町は真っ二つに割れて大論争になりました。

 むしろ賛成したのは政財界で、

学者・文化人は猛反対の側だったといいます。










 むかしから、京都には、東寺の五重塔より高い

建物は建てたらいけない、という不文律があった、

と言われます。だから、タワーは違反になるわけ

です。







 でも結局タワーを建築物とはあつかわないで、

工作物として、さいごに

ОKすることにしたのだそうです。

 たいへんだったのです。









 設計した棚橋先生のイメージは、京都の町家の

瓦屋根を波に見立てて、海のない京都に、

甍の波の町を照らす灯台を作りたい、

というものだったんだそうです。









 しかし、近くに東本願寺があることから、

「お東さんのろーそく」ともっぱらかげぐちを

たたかれたんだそうです。


 棚橋先生のイメージとは違いますけど・・・

 







 たしかにローソクといわれれば、なんとなく

そうかな、という気にもなります。

 ローソクではだめなんでしょうか。







 

 ローソクというイメージは、むしろ、京都に

ふさわしいイメージではないでしょうか。

 







 棚橋先生がいらかの波を照らす灯台を

イメージされた当時と比べると、瓦屋根の町家

はほとんど消滅してしまい、もはや

この灯台が照らすのは、ビルの平たい屋根の波

でしかありません。










 ビルの谷間にわずかに残る古い瓦屋根の

町家を探す旅人のために、

 京都タワーは、「一隅を照らす」ローソク役割

を担おうとしているのかも知れません。

 









 

ブータンのロイヤル・ウェディング

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走る人ブータンの国王がお嫁さんを迎えるという

ので世界中から160人の取材陣がおしよせた

そうです。







 ブータンの国王は31歳のイケメンで、タイで

すごく人気があるみたいです。だから

タイだけは50人の大取材団を送ったそうです。







 イケメン国王の写真を見ると、ちょっと環境

大臣の細野豪志さんに似ています。







 お嫁さんの方は、仁科明子の若いときそっくり

です。日本人かと思いました。

民族衣装の着こなしも上品で歩く姿はなかなか

魅力的です。21歳だそうです。










 ブータンはヒマラヤ山麓の国で、桃源郷といわれて

います。

 どてらのような、しかしすそが短い着物が正式の衣装

で、袖のところを白い布でカバーしています。

 女性はカバーの色が赤や青でもいいようです。

 どっちかというと女性の衣装の方が日本人には

なじみやすいと思われます。







 世界中で一番幸せな国だといわれます。

 来月日本へこられるそうですので、楽しみです。





なぜ今雪男か?

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走る人雪男がシベリアに住んでいる、というニュースが

飛びこんできました。







 雪男は、ふつう、ヒマラヤですよね。

 今度はシベリアだそうです。






 10月11日のフランスの通信社AFPが伝えた

所によりますと、

<ロシアのシベリア地方南部のケメロヴォ州

当局は、10日同州山岳地帯に雪男が生息して

いると断言した>

というのです。







 同州政府がウエブ・サイトに発表した声明に

よると、

探検隊はショリア山脈のアザスカヤ洞窟で、

雪男のものとみられる足跡、毛髪、寝床と

縄張りをしめすマーカーらしきものを発見した。

これを雪男が生息している”動かぬ証拠”だと

主張している、

のだそうです。







  ニュースの中で、”断言した”とか、

”動かぬ証拠”とか言われると、かえって

「ほんとかね?」と疑いたくなります。







 いっぽうモスクワ発時事通信の報道によりますと、

イエティ(雪男)をめぐり、ロシア西シベリアのケメロヴォ

州で、10日までに専門家による国際会議と大規模な

捜索が行われ、調査団は、イエティ生息の確率が95

パーセントと主張している、

とのことです。






 調査団にはロシア、米国、カナダ、中国の研究者

が参加、6日から調査した結果、洞窟内でイエティの

毛髪、足跡を採取した、とのこと。







 国際会議と調査団に日本人が含まれているとの

報道はありません。

 日本にも東大医学部の小川鼎三教授がいます。







 1959年に小川教授を代表とする「日本雪男研究

グループ」が結成され、毎日新聞社がスポンサーに

なって、6名からなる探検隊がエヴェレストへ派遣されて

います。







  その翌年、1960年、エドモンド・ヒラリー以下18名

の国際学術探検隊がエヴェレスト山麓を調査した結果、

次のような結論を発表しています。


*雪男の足跡と言われるものは実はキツネ。

*ネパールの寺院に保存されている雪男の頭皮と

いわれるものはカモシカの一種。

*鳴き声はユキヒョウ。

*大きなイエティ「チュッテー」の毛髪・糞はヒグマ。

*中くらいのイエティ「ミッテー」の同上はカモシカ。

*小さいイエティ「テルマー」の同上はアカゲザル。

 また、ブータンでもチベットでも、雪男を意味する

言葉「メギュー」「テモ」が、どちらもヒグマをさす

名称である。








 以上のようなわけで、雪男はだいたいヒマラヤ

で話題になり、探検もされ、ヒグマあたりが

雪男に間違われているとされてきたはずです。







 それが急にいまごろロシアのシベリアで話題

にされたのはなぜでしょうか?

 さも国際的な話題にしょうという意図すら

感じさせます。







 しかし、いまやDNA鑑定で動物か人間かの

区別ぐらい簡単につく時代なのに、そういう

科学的なデータを示さずに、「95パーセント」

だとか「断言した」などと言っても、

誰も信用しないでしょう。







 むしろ、幼稚なことを言っている、と思うのが

ふつうです。

 それをあえて報道するうらには、かならず、

隠された意図があるはずです。

 その意図とは何でしょうか?

 東大の小川先生のコメントをぜひ聞きたい

ものです。

台湾の小学生に”ありがとう”を言いたくて

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走る人  台湾の小学生と握手している麻生さんの

写真を見ました。






 台湾を訪れた自民党議員団の代表で元首相の

麻生太郎さんは、どうしても”ありがとう”を言いたい

と、台中市の健民国民小学校を訪ねたのだそうです。





 というのは、東日本大震災の直後、この学校の

280人のこどもたちが、自分たちのお小遣いを集めて

日本へ送ってくださいと学校に持ってきたというのです。







 それを知った父兄と学校の先生たちもお金を出しあ

って、総額190万円を赤十字社を通じて日本へ送って

くれたのです。

 このご厚意に、麻生さんたちは、なんとか直接感謝の

気持ちを伝えたいと、

このたび健民国民小学校を訪れたというわけです。







 1999年に台湾大地震が起きました。

 健民国民小学校の校舎は倒壊しました。

 そのとき、兵庫県を中心に日本から2億8000万円が

送られました。

 2003年10月、4階建の校舎が再建され、「感恩亭」と

名付けられた”あずまや”もできたそうです。

 校長先生は「恩を忘れない教育をしたいのです」と、

語っておられたそうです。






 東日本大震災にいちはやく熱い日本支援の輪が

台湾にひろがった背景には、もともと親日的な台湾で

あったことに加えて、そんなこともあったようです。

 





 しかし、最初に280人の子供たち自身がお小遣いを

寄せ合ったということこそが、大変感動的で大事なこと

だと思います。







 その台湾へ、直接行って感謝の言葉をのべた麻生さん

と自民党議員団へは、ほんとうにいいことをしてくれたと、

お礼を述べたいと思います。

 ごくろうさまでした。ほんとうに今やるべきことを

やってくれたと思います。







 野田さんは今やるべきことをやっていますか?



ガマの穂

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     大いなるガマの穂綿の通るなり 素十



走る人 秋晴れの日。

   運動会で、つなひきの綱が切れて、子どもが

大けがをしたというニュース。

30年前の綱だといいますが、綱引きの綱が何年

もつのか、学校の先生だってしらなかったでしょう。







 綱引きの専門家っているんですかね?

 きっといるはずです。

 世界的におこなわれているはずですから。

 綱の老朽度チェックを至急やる必要がありますね。








 学習院小学部の愛子さまも4年生になられて、

元気に綱引きに参加されてましたね。

 ずいぶん背が高くなられ、足も長くなられたように

お見受けしました。もうすっかり”お姉さん”ですね。









 フランスとベルギーの政府が肩入れしている銀行が

つぶれたというニュースが飛び込んできました。

 「デクシア」という銀行が資金繰りに行き詰って破たん

したというのです。






 フランス政府とベルギー政府が相談して、不良債権

部分を切り離し、あとはフランス系とベルギー系の部分を

それぞれの国で引き受けて、公的資金を注入して救済する

ことにしたそうです。






 何が不良債権か、といえば言わずと知れたギリシャ国債

です。これを大量に抱え込んでにっちもさっちもいかなくなり、

株価が一時は34パーセントも落ち込んだそうです。






 みんなが心配しているのは、次はどこか?ということ。

 ギリシャ国債をもっているのは、「デクシア」だけではない

から。






 日本にも去年の12月に、デクシア・クレディ・ローカル銀行

が進出してきました。

 東京千代田区に。






 30年物というめちゃ長い長期融資をしてくれるというので

自治体は大喜び。

 貸出し先の自治体は24にも増えました。総額3,100億円に

も達しました。






 大阪、京都、山形があわせて百億円ちかく。

 宮崎市が30億円、神奈川県の相模原市も16億円借りたと

いいます。







 この銀行の東京支店の副支店長は総務省の元キャリア

官僚で、前葉さんです。

 前葉さんはこう言っていました。

 「われわれはハゲタカではない。カメのようにじっくり

日本に浸透していく」と。








  ギリシャの暴動は遠い国のお話ではないという話。

三陸の牡蠣復活へ

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       砂のごとき雲流れ行く朝の秋



走る人 正岡子規の句です。








  今朝はテレビで雄勝(おがつ)のカキ養殖が

復活するという話をやっていました。

 雄勝町はいまは石巻市になっていますが、むかしから

雄勝硯(すずり)で有名でした。

 私もひとつ雄勝硯を持っています。








 カキの養殖をやっていた漁師を助ける宮城県出身の商社

マンの話でした。その人は会社をやめて雄勝へきたのです。

 ただボランティアとして助けるのではなく、ひとつの新しい

災害地復活の事業を起こそうと言う志を持った人でした。







 たとえば、「そだてる人」というのを募集しました。

 いわば、カキのオーナーですね。

 すると驚くほど大勢のひとが集まってきました。

 雄勝の漁師も元商社マンも喜んで、カキの養殖の実情を

説明し、現物を見せ、こんごの支援をよびかけていました。








 こういうニュースは心があたたまります。

 いっぽう、新聞には、あのルイ・ヴィトンが気仙沼の漁師

支援の手をさしのべたという記事がのってました。

 







 ルイ・ヴィトンは、40年前の恩返しだというのです。








 40年前、フランスのブルターニュ地方の牡蠣が

ウイルス性の病気にかかり全滅の危機に瀕しました。







 そのとき、宮城県の漁師たちはタネ牡蠣を大量に

送りました。その後、ブルターニュの牡蠣はみごとに

復活しました。








 フランス人は大の牡蠣好きです。

 殻付きの生ガキにレモンをしぼって口へ放り込み

ます。

 パリにもブルターニュ産の生牡蠣を食べさせる店は

たくさんあります。

 日本人観光客もたくさんきて、フランス人のまねを

して殻付きの生牡蠣をあんぐり口をあけて流し込んで

いる人を見かけます。







 その牡蠣が宮城県産とは!!驚きです。

 ルイ・ヴィトンは40年前、宮城県産牡蠣に助けられた

ことを思い出して、気仙沼の漁師畠山さんのところへ

援助を申し入れたというのです。








 牡蠣は冬が勝負です。季節ものです。

 政府の援助は時間がかかって、いつまで待っても

お金が手元に入りません。 

 牡蠣の養殖の準備は待ったなしです。

 







 そこへルイ・ヴィトンからの援助の話です。

 ほんとに有難かったと畠山さんは言っています。








 しかし、ルイ・ヴィトンもえらいですね。

 40年前のことをよく思い出してくれました。

 日本ではお世話になったら、かならずお返しをする

というのがふつうの感覚ですが、フランスでも同じ

感覚があるみたいですね。







 日本でのルイ・ヴィトンの人気はすでに十分高い

と思いますが、今後ますます高くなることでしょう。

それがルイ・ヴィトンの営業成績にも好影響を

もたらすことでしょう。


「情けは人のためならず」ですね。

鮫島フランスデビュー

ポストたずねて三千里


走る人 嬉しいニュースが飛び込んできました。






   われらが鮫島彩選手が、フランスで

デビューしたのです。






   2日、鮫島選手が所属するフランス女子

1部リーグのモンペリエはアウエーでジュビシー

と対戦しました。






 鮫島選手は、後半左サイドをあの”女の子走り”

でかけあがり、ゴール手前で見事なクロスを上げ

ゴールをアシストしました。






 試合は2:1で負けましたが、フランスのサポーター

の目に、絶対に走り負けない鮫島選手の”女の子

走り”の姿が強烈に焼きついたはずです。







 その証拠に、試合が終わってからサインを求める

サポーターが鮫島選手に殺到したといいます。







 日本のメディアのインタビューに答える鮫ちゃんの

表情は、笑顔ひとつ見せず、きびしく遠くを

見つめていました。






 そのまなざしの先には、きっと東北のがれきの荒野と、

仮設住宅で苦しい生活を送るひとびとの姿があった、

と推察します。








 そういう、自分の置かれた位置をきびしくきびしく考え

るのが、いかにも鮫ちゃんらしいところです。





 慣れない生活がしばらくつづくと思いますが、

どうか、

風邪をひきませぬように、また怪我をしないよう

気をつけて、

モンペリエのチームとサポーターのために

奮闘してくださるよう祈っています。

 






 アレー、アレー鮫島!