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のど自慢イン台湾

ポストたずねて三千里




走る人  秋の気配が色濃くなってきました。

気温も下がり、熱中症を気にする季節は

もう過ぎたかなと思われます。








 昨日のニュースの中に、台湾で「NHKのど

自慢」が開かれたというのがあり、

目をひきました。







 東日本大震災で世界中から義捐金が寄せ

られましたが、そのなかで

最高額の200億円という義捐金を贈ってくださった

のが台湾でした。







 ちなみに、他の国の義捐金はどうかなと調べて

みました。

 データがちょっと古いですが、4月の時点での

比較が見つかりました。次の通り。


 台湾     130億

 アメリカ    90億

 韓国      16億

 中国       3億







 これをじっくりと眺めていますと、いろいろな

ことを考えさせられますね。

 問題は金額の多いか少ないかではない、

とは思うんですけれど・・・・。

 





  でもね・・・。 いや、

品格を下げるようなことは言いたくありませんから

言いません。

 










 台湾は日本びいきの人が多く、日本統治時代

の建物はほとんどそのまま保存されているよう

です。旧台湾総督府などがいい例です。

 旧朝鮮総督府の建物を壊してしまった韓国とは

だいぶお国柄が違うようです。







 

 その台湾で、昨日1日、「NHKのど自慢イン台湾」が

催されたというのですから、

心からよかったなと思いました。






 会場は台北の国父記念館ということでした。

 国父記念館というのは、中華民国建国の父と

言われる孫文の生誕100年を記念して建てられ

た宮殿風の建物で、

中に3,000人収容の大会堂があります。

おそらく、そこで「のど自慢」を開いたと思われ

ます。







 今年は台湾の日本人会創立50年にあたり、

また、台北市日本工商会設立40周年の記念の

年にもあたりますので、各事務局がこの「のど自慢」

の開催を側面から推進援助したのでしょう。

台湾の人に喜んでもらえる機会を作ることができて

ほんとによかったと思います。








 出演希望者は1,480組もあったそうです。いままでは

ブラジル、サンパウロの674組が最高でした。それを

倍以上も突破して過去最高の記録となりました。

いかに台湾の人たちが日本が好きであるか、

この数字が物語っています。







 出演者のなかには、日本の浴衣を着て出た女子

高校生もいたそうです。その子は幸田来未の「愛の

うた」を歌ったそうです。

 着物の着付けができる世代がまだ健在なの

ですね。

 台湾では和歌を詠むひとも多いと聞きます。

 「台湾万葉集」が編纂されたことは、むかし、

大岡信さんが「折々の歌」のなかで紹介してましたね。







 司馬遼太郎も「台湾紀行」の中で、「このまちでは、

お寺はいまでも日本語のまま”おてら”です」という

花蓮(日本統治時代は花蓮港と言った)の町のこと

を書いています。







 元の総統の李登輝氏は、台北高等学校を卒業し、

京都大学で農業経済を専攻したひとです。

 京大を卒業後、習志野の陸軍予備士官学校を

を経て陸軍少尉に任官し、名古屋の高射砲部隊に

配属され、アメリカ軍の空襲に対し地上から高射砲

で応戦し、B29の何機かに損害を与えたといいます。

 大東亜戦争を日本の陸軍将校として戦った人が

台湾の行政のトップにいたとは。

 李登輝さんのお兄さんは戦争で戦死され、靖国神社

に祀られています。ですから李登輝さんは来日した

時はかならず靖国神社にお参りすると聞いています。





 そんな日本びいきの台湾での「のど自慢」ですから、

そうとう盛り上がったことは間違いありません。

 写真をみると、高砂族とよばれた台湾の先住民の

人がマイクを持って歌っていました。独特の民族衣装

だからすぐわかるのです。

 この「のど自慢」は、29日に放送されるそうです。

どんな「のど自慢」になっているのか、本番を見てみたい

と思います。




人に冷たく、かつ無能な国

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           万理一空の秋








走る人  12年前に東海村でJCОの臨界事故が

起きました。







 ジェイ・シー・オーとは、住友金属工業の

子会社の「核燃料加工施設」の株式会社

ジェイ・シー・オーのことです。









 1999年9月30日、ここでウランの加工作業中、

あやまって臨界状態になり、核分烈反応が発生

します。20時間の間、至近距離で作業した人

2名が死亡、ひとりが重体、667名が被曝しました。

その事故から12年経ちました。






 東海村の村上村長さんは、きょう、職員の前で

「金のために魂を売ってはならぬ」

と訓示したそうです。

 このことは、金をもらって魂を売ったひとたちが

いかに多かったかを物語っています。







 また、村上村長さんは「人に冷たく、かつ無能な

国は原発を持つべきではない」と批判したそうです。







 『人に冷たく、かつ無能な国』






 広島で原爆に被爆した人は

原爆と原発は一緒だと言っています。

放射能の被害者が出ると言う意味で

いっしょだというのです。







 放射能廃棄物はどこにも捨てられないから、

いったん原発を作ると、人はずっと放射能と

いっしょに暮さなければなりません。








そういう状態はいやだと思うのが自然でしょう。

金のためにそういう状態をつくり、ふるさとを

めちゃめちゃに壊した人が、たくさんいたことを

忘れてはいけません。








 その人たちは、いまでも、平然として原発を

推進しつづけているのです。





お江戸日本橋④

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         日本橋の老舗通り




走る人  日本橋三越本店の道路をへだてた

真向かいの通りは、むかしから老舗が

ならぶ通りとして有名です。

 鰹節の「にんべん」は引越したそうです。

.




 むかしの白木屋が「コレド」になり、その

1階に引越したと聞きました。






 うなぎの「伊勢定」も、はんぺんの「神茂」も

まだ健在です。

 お正月には「かんものはんぺん」というのが

当たり前でした。






 ここまで書いて、東京新聞ニュースを見ると、

評論家の柄谷行人氏が、日本外国特派員協会で

記者会見をやって、反原発デモにたいする抑圧

に抗議した、という記事が出ているのに気付き

ました。






 このデモは去る9月11日に東京新宿であった

デモで、12人が警視庁に逮捕されたということ

です。






 デモで逮捕されるという話は、最近めずらしい

ですね。

 60年安保や70年安保の頃なら、毎日のように

逮捕者が出ましたが。






 そういえば7月にも山本太郎さんが刑事告発

されたそうです。こっちは佐賀県庁に玄海原発

反対の抗議に押しかけたことが原因らしい。

京都の行政書士が訴えたというのですが、

なぜ京都のひとなのかよくわかりません。






 原発に反対する気持ちはよくわかります。

 いままで原発事故が何回起きたか。

 その都度、事故を隠し、ウソを発表して

きてはあとでバレタ。

 いつも事故現場にはしろうと同然のひとが

いて、危険作業に従事していた。

 高濃度の放射能の汚染水を素手で、

バケツでくみだしたりしたこともあった。





 そういう事実を、けっして現場には行かない

電力会社の専門家の上司たちが、ウソを言って

は誤魔化し続けてきた。今度だってそうだ。

 






 そんな不安な原発をだれが安全だと言える

のか。

 だが、山口県の上関では新たに原発推進派

の市長が選挙に勝ったそうで、瀬戸内海に

新しい原発が作られるらしい。






 上関の北には、岩国のところに活断層が

あるし、南の愛媛県には中央構造線の活断層

の帯があります。






 平成16年の政府の地震調査委員会の

調査では、この上関あたりで、30年以内に

マグニチュード6.7~7.4の地震が起きる

確率は40パーセントだと発表されています。







 山口県は保守本流のメッカですし、安倍

晋三氏も出ていますから、気持ちはわかり

ます。原発をのぞけば、私も安倍さんの

主張をほぼ全面的に支持する立場ですから。








 しかし、小さい子どもをもつお母さんたち

は内心どう思っているでしょうか。こころの

底から原発賛成なのでしょうか。






 いろいろな無言の圧力が、原発反対の声

をおしつぶしているのではないか、と危惧し

ます。





 デモは民主主義のごくごく最初の出発点

です。民主主義の初歩の初歩です。









 なぜなら、名もない庶民が、政府にたいし

声を伝えたいとき、できることは

一番簡単なのはデモだからです。

 






 手紙とか電話とかは、ひとりの声

ですから弱い。どうしても大勢の人の

声を合わせる必要があります。

 デモはいちばん初歩的な民主主義を実現

する方法です。





  それを、おさえるというのはまずいですね。

 日本には、民主主義はない、とはいわない

までも、あっても恥ずかしいほど弱い、という

ことになりますね。

 外国人記者はどう受け止めたでしょうか。







 おさえる、ということは、おさえる方に弱みが

あるということです。

 かくす、のと同じです。

 





 原発の安全神話がまったくウソだったことが

今回福島で実証されましたから、政府側は、

弱みがある。

だからデモがこわかった、ということでしょうか。

 だから12人も逮捕したのでしょうか。

 今後もデモをやったら逮捕するぞ、と警告を

発したつもりでしょうか。

 






 日本は独裁者の専制政治の国ではないし、

未開の酋長の国でもない。

いやむしろ、ノーベル賞受賞者を輩出する

学問の発達した国、高度な科学技術の国、

ウイーン・フィルやベルリン・フィルの指揮者を

出した国、まだまだありますが、世界から

尊敬のまなざしを受ける面を多々持っている

国だと思いますが、


 デモもできないとは・・・みっともないこと

です。


 残念です。

 







 











 









 

   







 



お江戸日本橋③

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    日本橋を渡るとすぐ見えてくる風景













走る人  石巻日日新聞のつづきです。




   「日日」はひびと読むらしいです。






  大正2年(1913)の創刊だそうです。

 宮城県の東部の石巻地方、東松島、

女川をカバーする新聞として、

スタートしたようです。







 大東亜戦争で、いったん廃刊する

(一県一紙の制度が布かれたため)

のですが、

戦後、号数を受け継いだ形で復刊したそう

です。 






 今度の災害では、津波で輪転機が水に

浸かってしまったそうです。

 水に浸からなかった新聞ロール紙に

直接マジックで記事を書いたんだそうです。

 真っ暗な中で、懐中電灯で照らしながら

書いたそうです。






  被災者のいる避難所の壁に、手書きの

新聞を貼り出したら、多くの人々から感謝

されたそうです。

 手書きだから、

いっそうぬくもりが伝わったのだろう

と思います。







  ワシントン・ポストが、それを報道して、

「手書きの新聞」が世界中に知れ渡りました。

 







 6日間発行された手書きの新聞そのものは、

アメリカ・ワシントンD.C.にある

ニュース・ジャーナリズム博物館に

永久保存されることになったそうです。








 ワシントンへ行く機会があったら、

ぜひこの博物館(「ニュージアム」という

らしい)を訪れたいものです。


お江戸日本橋②

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      橋の下に遊覧船発着場がある



走る人  日本橋の上から下をのぞくと、

遊覧船の発着場がありました。






 いましも、遊覧船が桟橋をはなれよう

しています。






 上が高速道路でふさがれて、

青空がみえない。





 

 気分が悪いことおびただしい。










 

 気分直しに。

 






 

 今朝の新聞に、「石巻日日新聞」が世界中の

新聞社から称賛された記事がのっていました。

(26日付け産経新聞の23面です)





 



 宮城県では「河北新報」がもっとも大きい新聞

で、「石巻日日新聞」はあまり有名ではありません。





 



 でも、世界中からほめられました。なぜでしょう?






 



 3・11の大震災で、石巻日日新聞の輪転機が

ダメになりました。ところがこの新聞社は、6日間、

手書きで新聞を出し続けたのです。







そのことが注目されて、台北で開かれた第60回

国際新聞編集者会議(IPI)の世界会議で、

「石巻日日新聞」に 

「特殊功績賞」が 

贈られる事になったというわけだったのです。






 




 アリソン・マッケンジーIPI事務局長から

 「これぞ新聞記者!」

と握手をもとめられたそうです。



 

 





 その竹内宏之報道部長が、

 「小さな新聞社にこのような賞をいただき感謝

申し上げます」と御礼を述べたそうです。

 手書きの新聞を手に掲げて写真に写っている

竹内さんの表情はちょっと緊張ぎみでもあり、

照れているようにも見えます。

 







 


 ローカル新聞だからこそ、ローカルに密着した

報道姿勢があるのですね。

 だからこそ、非常時に、

「伝えなければ」

という気持ちが、手書きの新聞を作らせたのだ

ろうと思います。

 





 <非常時に休もう>という、全国紙と呼ばれる

大新聞とはだいぶ違います。







 「石巻日日新聞」の爪の垢でも

煎じて飲むべきでしょう。








 もっともいまの若い新聞記者は、

「煎じて飲む」といわれても、具体的にどう

やったらいいのか、

困る人が多いのかもしれません






 







 










 






お江戸日本橋

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        東京日本橋の装飾




走る人  石原さんが東京都知事をやってる間に

日本橋を元通りにしてもらいたい、







と、思います。

 石原さんもそう言っていたはずです。

 日本橋は”お江戸日本橋”と呼ばれ、 

「にほんばし」が正式の呼び名です。いっぽう、

大阪の日本橋は「にっぽんばし」です。








 同じ名前でも、”お江戸日本橋”は、大阪の

それとは月とスッポンほど違います。

 何が違うかと言えば、日本を代表する資格

が”お江戸日本橋”にはある。そこが違うのです。







 日本橋には「道路元標」があります。

 日本の道路の出発点がすべてここにある、と

いう意味です。

 だから、日本橋はたんなる日本橋川にかかる

一本の橋ではないのです。







 その大事な大事な日本橋の上に高速道路を

作った馬鹿者がいます。

 東京オリンピックのときに作ったものです。

 首都高速と言うやつです。

 東京中の江戸っ子のなかで、この日本橋の上の

高速道路を喜んでいるやつが一人でもいるでしょうか?

 高速道路はまだしも、日本橋の真上を通すの

は許せないでしょう。








この橋は明治44年にできました。橋は光本晋一の設計で、

橋の装飾は妻木頼黄(つまき・よりなか)が作りました。

 







 妻木の作品は、一目見て、つよく印象に残るのが特徴です。

 有難いことに、横浜正金銀行(いまの県立歴史博物館)と、

横浜赤レンガ倉庫が、いまも残っています。  

  妻木は安政六年生まれで、旗本でした。明治になって

工部大学校(いまの東大工学部)で、ジョサイア・コンドルに

建築を学びました。のちアメリカ、ドイツでも学んでいます。







 この橋は、昭和20年3月10日の東京大空襲で焼夷弾の

爆撃を受けています。その痕がいまも残っているという話です。

 







 先日、この場所を訪れたとき、橋の上を仰いでしみじみ

思いました。

 <はやく高速道路を取っ払ってくれないかな>

と。

 妻木さんの作になる有翼獅子像(翼のあるやせたライ

オン?で顔は龍)も、

浮かない顔で、空をにらんでいました。

日本の科学が負けた日

ポストたずねて三千里


走る人  月刊「文藝春秋」の今月号(十月特別号)

を読むと、東大大学院の佐倉 統(おさむ)先生

の「科学技術の敗北」というエッセイが目につき

ました。






 


 「3.11は、日本の科学技術が敗北した日で

ある」との書き出しに注目しました。

先生によると、地震研究は大震災を予想できなか

った。ロボットはアメリカに先を越された。放射線

医学と科学コミュニケーションは被曝リスクについて

国民へメッセージを発信できなかった、

これらをあげて、日本の科学技術への信頼は地に

落ちた、

と言っておられます。







 しかし同時にこうも言っておられます。

「原子力、地震、ロボット、癌、コミュニケーション

研究など、どの分野も、研究者の水準は高い。

だが実力が発揮できなかった」と。





 では、水準が高いのになぜ実力が発揮されない

のでしょうか?







 たとえば、ロボットはどうでしょうか。

 日本の研究は世界のトップレベルです。

 災害救助ロボットの重要性をいち早く主張した

のも、じつは日本の研究者でした。






 1999年の東海村のJCO臨界事故を機に

原子力発電所の事故現場で活動できる

ロボットを、日本の研究者は実際に作って

いたのです。


 しかも4機種6体も作っていたのです。






 驚くなかれ、6体の原発ロボットは、

<要らない>といわれて、

あるものはお倉入りになり、またあるものは

解体されてしまったのだそうです。

なんというもったいないことを!

 誰がそんな馬鹿な決定をしたのでしょう?





 なぜそうなったかというと、

 研究者たちには、開発の予算を決める権限

がないからだと佐倉先生はおっしゃいます。 

 





 予算を決めるのは文部科学省など各省庁です。

 各省庁にロボットが必要だとわかる人がいれば

いいのですが、行政官かならずしも専門家では

ない。

各省庁で専門家を集めた委員会を開き、専門家の

意見を集めますが、その専門家というのが研究予算

を貰う立場の人だから、客観中立の立場で意見を

言わない。どうしても自分の利益を先に考える。

ロボットの専門家が委員会に入っていればよかった

のですが・・・

 






 こうしてロボットは<要らない>ということに

されてしまったのだそうです。






 災害救助ロボットを作った研究者はいたのです。

 それなのに、予算がつかず、見捨てられてしまった

のが日本のお粗末な現状なのです。悲しいですね。





 



 日本には、中長期的な見通しをもつ戦略がない、

と言われてきましたが、ここでもそれが露呈して

います。






 日本の科学技術が敗北したのは、科学も

技術もなかったのではなく、

立派にありながら、実際には役に立っていない、

役にたたせようとしない政治の事情がある

というわけです。

 ではアメリカはどうでしょうか?

 






 アメリカでは、たとえば、国立衛生研究所が、

生命科学分野の研究予算を決める役割を果たし

ているのだそうです。

研究の重要性が<わかっている>人たちが

予算を決める権限を持っているのです。






 日本では、<わかってない>人たちが

予算の権限をもっていて、

世界的にトップの技術で作ったロボットを

<必要ない>と、ばっさり切り捨てているの

です。

 キャリアといわれるエリートたちが、

<わかってない>とは、情けないですね。







 予算を決める権限を研究者集団に

あたえる仕組みをつくらないかぎり、今後とも、

おなじ過ちが繰り返されることでしょう。

 あたらしい仕組みを作る仕事は、

政治家たちの役割です。








 いまの民主党政府で、できるんでしょうか?

あまり期待はできません。

 かといって、自民党にも期待できません。

なぜなら、今の仕組みは自民党時代から

現在までつづいているわけですから。







 いままで政治家が何をしてきたのか。

 責任は、民主、自民両方にある

と言うべきです。

 





 要するに<わかってない>人たちが、

政治をやっているかぎり、いつまでたっても

日本は

敗北を続けなければならないのです。






 <わかってない>人たちを選んだのは

ほかならぬ国民です。






 佐倉先生は、科学技術振興機構や、

理化学研究所などに、行政的な裁量権

をあたえて、アメリカの国立衛生研究所

のような組織を目指すべきだと、

提案されています。







 こういう声を聞いたら、パパッと迅速に

行動する政治家が、一人ぐらいいてもいい

のにと、つくづく思います。

寂しさの果てなむ国

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走る人  山椒大夫の話を聞きました。

安寿と厨子王の物語と言った方がわかり

やすいかとも思いますが。







 人買いにつかまって奴隷として売り飛ばされ

離れ離れになった母と子が諸国を流浪の果てに

めぐり会う話です。






 過酷な労働のため盲目になった母が、鳥追いの

歌を歌う段で、

ほとんどの人は涙を流した経験を持っているのでは

ないでしょうか。

 

 あんじゅ恋しや ほほらほい(ほーやれほー)

 づしおう恋しや ほほらほい(ほーやれほー)





 姉の安寿は山椒大夫の暴力から身を挺して弟の

厨子王をかばい、ついに祭りの日に厨子王を脱出させ

ます。





 厨子王は追手の追撃から逃れ、乞食となりながらも

天王寺にたどりつきます。

 守り本尊の地蔵菩薩の助けもあって、貴族の梅津の

院に見出されます。 

 その後出世を遂げた厨子王は、

丹後の国の国司に任命されますが、姉の安寿は

すでに山椒大夫一味に殺されてしまった後でした。

 





 怒りに燃えた厨子王は山椒大夫を三日三晩鋸引きの

刑に処します。

 山椒大夫の首を大夫の息子に竹ののこぎりで、

三日三晩かけて引かせたのです。






 一切の官位を捨てた厨子王は、母親を探すため

ひとり佐渡へ渡ります。

 そこで、先に紹介した鳥追いの歌を聞くのです。

<その声は もしや・・・>

劇的な母子の再会の場面です。







 山椒大夫の物語は、一家離散の話です。家族・家庭の

崩壊の話です。

 福島原発によって故郷を離れ、親子が

バラバラになった家族崩壊の例は、ただちに山椒大夫の

物語と重なるのです。

けっして架空の物語ではなく目の前の現実だと知らされる

のです。

 何人の厨子王が、流浪の旅にでているのでしょうか?






 

 幾山河越え去りゆかばさびしさの

 果てなむ国ぞ今日も旅ゆく





 これは若山牧水の歌です。

 <山や川をいくつ越えても、

さびしさが果てることがないこの国を、

今日も私は旅して行くのだ。>

 



 寂しさの果てることのない国とは

日本の国のことです。

 故郷を離れ、家族と離ればなれ

になった現代の厨子王たちは、おなじ思いを

かみしめながら、今日も旅しているの

でしょう。


南本牧の怪

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走る人ふとみつけたブログで知りました。







 <横浜市の人たちは知ってるんでしょうね>






 南本牧の廃棄物処分場に、






 6,468ベクレルの放射能廃棄物を投棄する






 という話。






 それが、9月15日だったのですが、なぜか

急に中止になったそうです。





 放射能に汚染した汚泥を焼却した灰を捨てる

予定だったそうです。

 市民にも市議会にも知らせることなく、

 「検討書」という、安全評価について

原子力学会会長やえらい先生がたの名前が

ずらっと並んだわかりにくい説明書を、

出しただけだと言います。







 どうも市民にかくれて、こそこそとやっているように

しか見えません。


また、それを急に中止した理由は何なんでしょうか。

気になります。






 グーグルで「南本牧処分場」を検索すると、

「井上さくらのトキタマ日記」というブログを見ることが

できます。

 気になる方は、ご参照下さい。

 





 


こういう風に行政の動きをたえずウオッチする人が

いると言うのはいいことです。







 それにしても新聞やテレビで大きく報道されません。

これも怪しいですね。

 大事なことは報道されない傾向が、福島のときもあり

ました。

 





 横浜市長が、この件に関して沈黙を守っているのも

気になります。








 



ほんとうの故郷はない

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走る人 今日テレビを見ていたら、

河島直美監督が世界中の映画監督に呼びかけて、

3.11の大震災を契機に、3分11秒のドキュメント

作品を作ることを提案したところ、

20人の監督が呼びかけに応えて作品を作り、その

上映会が、このほど奈良の金峯山寺で開かれた

というリポートがありました。






 もともとは仙台のある人からの「3分11秒の

映画を作って」という訴えがヒントになったと

河島直美さんは語っていましたが、なかなか

いいアイディアだと思います。

 河島さんはテーマとして「ホームの感覚」

を提示して、ドキュメント映画を作るよう提案

したようです。







 ホームは「家」「家庭」「家族」「故郷」など、

多様な意味を含んだことばです。

 世界の監督たちはそれぞれの受け止め方で

3分11秒の作品を作ってきました。







 テレビではすべての作品を紹介することは

できませんが、タイ、フランス、スペイン、中国

の作品の一部と監督のメッセージが紹介され

ました。








 

 世界中のひとびとが、東北大震災と福島の

原発事故を他人事でなく、自分のこととして受け

止めていることがわかって、

あらためて、3.11の災害が持つ意味が

世界的な広さと重さを持つことを感じました。







 そのなかで、もっとも注目したのは

ジョナス・メカス監督の言葉でした。

 彼は「本当の故郷と言うものはない」

と言いました。

 アメリカを代表するアヴァンギャルドの

監督ですが、彼はリトアニアで生まれました。

 故国リトアニアがソ連に併合され、22歳

のとき、アメリカへ渡りました。

 ジョン・レノンとオノ・ヨーコ、アンディ・ウオ

ーホル、サルヴァドール・ダリと親交をもち

ました。

 50歳を過ぎて故国リトアニアへ帰ります。

「ほんとうの故郷はない」

と彼が言った言葉の意味は単純ではあり

ません。







 福島原発事故で家を捨て、やむをえず故郷を

離れなければならなかった人々は、いま

異郷の地で、ふるさとを想っています。






 いままで、ふつうに暮らしていた故郷

での生活が、夢のように思い出されます。

「ふつう」がどんなに貴重なものか、

どんなにたいせつなものか、

思い知らされるのです。






 ジョナス・メカスもまた、故郷を追われ、

アメリカという異国で、長い歳月を過ごし

ました。

その間、かたときも故郷を忘れたことは

なかったメカスのことばであるだけに、

「本当の故郷はない」

は、重くかつ痛烈です。







 日本にも「ふるさとは遠きにありて

思うもの」という言葉があります。

 離れてみてはじめて、ふるさとの

有難味がわかるというのも真実です。







 ジョナス・メカスは最後に語って

います。







「その土地を良く知ること、そして

長く住むこと。そうすれば、

そこが故郷になる」