ポストたずねて三千里 -12ページ目

ペットのしつけ

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             タコ公園




走る人  タコ公園に来ました。








   タコがいる公園だからタコ公園と

人は呼びます。







 正式名称ではありません。

 通称です。







 タコは子どもが遊びまわる道具です。

 しがみついたり、登ったり、

滑ったり、トンネルをくぐったり、

 子どもはからだ全身を使って遊び

ます。









 遊び山というのがありますが、それが

タコです。







 町の中にある辻公園のひとつです。







 宮崎正弘さんのブログを見ていたら、

アメリカのペンシルヴェニア大学の

アーサー・ウオルドロン教授の意見が

出ていました。古森義久さんが紹介した

記事でした。







 それによりますと、中国が靖国神社参拝

で日本に注文をつけているのは、ちょうど

ペットに調教をほどこすのといっしょだという

のです。








 ソファに寝てはいけません、と言って

飼い主が犬をしつけます。

 ソファの上にあがったら犬をパチンと

たたきます。またあがるとパチン。また

あがるとパチン。

 くりかえすと犬はソファに上がらなくなり

しつけはОK。

 中国が日本の内閣総理大臣の靖国参拝

をパチンとやっているわけです。









 中国は靖国神社でなくてもいいのだそうです。








 中国は日本を意のままに動かすことが

ねらいだというのです。








 靖国神社に参拝すると中国が

がたがた言って面倒だから参拝しないで

おこうと、歴代首相は靖国を避けています。







 


中国は大成功。世界に向かって

「日本は中国の属国。われわれの言う通りになる」

と宣伝できるわけです











 日本は中国のペットなのです。

 もしそれがいやなら、

中国の鼻息をうかがうようなことはやめて、

”日本はあなたの指図は受けません!”

と、断固たる態度をとることです。








 日本が断固たる態度をとれば、中国は

当面怒ってみせるでしょう。学生をあおって

全国で日本製品不買運動を起こすでしょう。

 北京や上海でデモ行進がくりひろげられ、

日の丸の旗が焼かれるでしょう。

 でも日本は断固として、靖国神社に参拝

し続ければいいのです。








 どうしても日本が靖国神社参拝では折れない

とわかると、今度は次の手を中国は打ってくる

でしょう。

 靖国がだめなら、次の日本の弱点を見つけて

日本を脅迫してくるでしょう。

 ようするに、なんでもいいから、日本が中国の

意のままに動く、という形が大事なのです。

 中国が日本を支配しているという形が大事

なのです。









 

 こうなってくると、一筋縄ではいきませんよ。

 いろんなかけひき、外交戦略が必要です。

 手腕が問われます。

 日本の最大の弱点は外交戦略がないこと

です。

 だいたい戦略的思考というものがない。

 あの大東亜戦争のときもそうでした。

 日本人には遠い将来を見通して戦略を立てる

という能力がいちじるしく欠けているのではないか

とさえ思います。

 そうではなくて、戦略家はいるのだが、政治の

トップがそれを採用しない、うまく使わない、とも

考えられます。







 大東亜戦争の時も、アメリカをよく知っている

陸軍のかつての駐在武官たちが、東条首相に

アメリカとたたかうことの不利を進言したそう

ですが、ことごとく退けられ、おまけにそれらの

優秀な将軍たちは硫黄島などの激戦地へとばされ、

玉砕させられてしまいました。








 中国が靖国の次に打ってくる手はなにか?








 その次はなにか?先の先を読んで、

手を打つことが肝要です。

 戦略です。

 それにも増して、大切なのは毅然たる態度です。

 態度がなければ、何事も始まりません。

 毅然とした態度で、戦略を推し進める。










 戦略もなく、へっぴり腰だから

 いままでのような「逃げる内閣」「先送り内閣」

にならざるをえなかった、ともいえましょう。











  さて、

  民主党内の選挙で新たに代表が選ばれる

そうですが、新しい代表、そして未来の総理は、

はたして、

中国に断固たる態度がとれるでしょうか?

 






 無理です。

 自民党の、あの保守本流の安倍さんですら、

靖国参拝にブレーキをかけたくらいです。









 民主党にそんな目を見張るような真似を

期待する方が無理です。候補者たちが

靖国参拝を議論の対象にすらしてませんしね。

 だがしかし、元はと言えば、そんな

民主党を選挙で選んだことを忘れるわけには

いきません。








 当分のあいだ、日本は中国のペットとして

(靖国神社の)ソファに上がれない時代が

つづくでしょう。

 ペットでいいんだという人が

主流である間は、中国のペットと言われても

文句は言えないのです。

川島の抗議

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            タコ公園



走る人  ベルギーで活躍中の日本代表ゴール・キーパー

川島永嗣が、先日相手チームのサポーターから受けた

野次「カワシマ!フクシマ!」に対し猛抗議をおこなった

ことは、すでに報道されていましたが、







このほどベルギー・サッカー協会は川島の抗議を正式に

受理し、相手チームに対する処分を検討しているとの

ことです。相手チームもまた、公式に謝罪しました。








 外国人から受けた理由なき差別や非難にたいし、

つねに沈黙を守ってきた日本人は、川島のとった

猛烈な、そしてけっして後へ引かない不退転の決意に

満ちた抗議の意味を深く考える機会を得ました。







 折も折、昨日総理の座を明けわたした人も典型的な

”逃げ”の日本人の姿勢を天下に示した人でした。

中国から韓国からまたロシアから、さまざまな主権侵犯

を受けながら、真正面から抗議をしたことは一度もなく

責任を他におしつけながらごまかしつづけてきました。








 しかし、それは総理だけを責めて済むことではないと

思います。日本人の大半が、外国人からの強い行動に

たいし、たとえそれが理不尽なことであっても、ただ

黙ってがまんしてきたのです。









 外国語がうまくしゃべることができない、という

のは理由になりません。抗議する意志があるか

ないか、の問題です。









 おかしいことはおかしい、と日本語で抗議すれば

いいじゃないですか。態度は相手に通じます。


 それをやってこなかった日本人は、”逃げ”首相を

批判する資格はないのです。








 今回のベルギーでの川島の抗議は、画期的な

出来事でした。

 よくぞやってくれたと川島に拍手を送ると同時に

深甚の敬意を表したいと思います。

熱海路地裏散歩③

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          傘たての水がめ







走る人 まず、気になるのが白いビニール傘

ですね。






 この水がめに、ビニール傘はないでしょう。







 まったく、白い傘は水がめに合いません。

 では黒か青ならいいか、

というと、そういう問題ではない。







  黒であろうと青・赤・黄であろうと

また、傘以外のもの、たとえばステッキで

あろうとツエであろうとハエたたきであろうと、

全部ダメだです。







 この水がめは水がめだけにしておいて

ほしいのです。









 ちょっと赤みがかった地肌がいいですねえ。

 ”古丹波”の肌色ですねえ。

 それに、

 釉薬のかけ流しがいいです。

 いい景色です。








 玄関の焼き物に感心している間に

いつのまにか、店の中で

お汁粉をいただくことになりました。







 お汁粉は備中のあづきが使われ

ているのだそうで、

個性あふれる、なかなかのお味でした。






 また、お餅が二つ入っていましたが、

そのお餅の焼き具合がいい。

ほどよくキツネ色に焼けて、

お餅らしいお餅でした。





 お汁粉を食べながら、

玄関の水がめを眺めました。






 あの白いビニール傘が

さきほど感じたほどいや味がなくなって、

あまり気になりません。

 なぜだか?






 中村屋のおばさん(年齢72、3歳くらい)

に、あれは誰の作ですかと

尋ねました。








 『知り合いの人が作ったんですよ』

と、そっけない返事。

 趣味で陶器を作っているお友達の

作品だと言うことでした。

 








<あまり大したものじゃないよ>

そんな口ぶりでした。







急速に色あせてきました。










 古丹波の大甕は、口のところが

違うし、肩口からスパッとそぎ取った

ようなシャープな胴が特徴です。








 これは胴の部分が膨らみ加減で

口の形がザー菜壺みたいにリング状に

なっています。

 やはり・・・・・

傘立てが似合ってるんでしょうかねえ。

 いっぺん「なんでも鑑定団」に出して、

鑑定してもらったらどうだろう、

などと考えながら

備中産あづきのお汁粉の


横の豆皿の

シソの実を、

お箸でつまんで

いました。









次第に目線が水がめの奥へ

移っていき、

このつぎ来たときは、

くずきり と

こがね餅を

ぜったい食うぞ、

と考えていました。

熱海路地裏散歩②

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        仲見世名店街の入り口


走る人 熱海駅前には、二つの商店街が

並んでいます。






 駅にちかいほうが「平和通り商店街」で

その奥にもう一本「仲見世名店街」が

あります。






 観光客は、まず「平和通り」にごく自然に

入っていきます。





 


 すると途中に横道があり、それが気になる

人は、横道に入ります。

 






 横道を抜けていくと自然と「仲見世名店街」

に出ます。めでたし、めでたし。





 



 最初から「仲見世」の方に入る人は、

よほどくわしい人か常連の客です。






 その「仲見世名店街」の一角に

甘味処「中村屋」があります。

大きな暖簾が出ています。







 ○ が最初にパッと目に入ります。






 暖簾に大きなが染め抜いてあるのです。






 <なんでなんだろう?>

と思って、つい

中をのぞいたりして・・・・・。






 



 なかをのぞくと、はいってすぐ右手に

傘たてが目につきます。








 

 茶色の大きい壺というか、むしろ

水がめといったほうがよろしいかと

思いますが

その茶色の水がめ

傘たてとして

そこにあるのです。









「ほう・・・・・」

と、

焼きものに興味のある人なら

思うでしょう。








<なかなかのものだな>

と、

しばらく眺めるはずです。




熱海路地裏散歩

ちゃん

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      中村屋の玄関にある傘たて



走る人 熱海へ向かう東海道線の電車の中。








  窓を背にして老夫婦が坐っています。







  真っ青な海が見えます。






  おじいさんは背中の大きながっしりした

つきで、ちょっと張本に似ています。

 おばあさんの方は小柄の丸顔で、

ちょっと白鵬に似ています。






  おじいさんは、背中から太陽の直射があた

っているのを、しきりに気にして、手探りで

シェードをおろそうとしていますが、

もともとシェードがないので、手探りはまったく

効果がありません。






 <シェードはないのか?>という感じで

おじいさんは後ろを振り返り、窓の上を

たしかめました。<やっぱり、ない>






 するとおばあさんが、バッグの中から

白い折りたたみの日傘を出しました。

その日傘をおじいさんの方へ差し出し

ました。







おじいさんは頭を振って日傘を

<いらない>と

押し戻しました。






おばあさんは日傘をバッグにしまいました。







なにごともなかったかのように

電車は根府川あたりを過ぎて行きました。








おばあさんの横に、

ちょっとチャングンソクに似た若い男が

両足を長々と通路に投げ出して

居眠りしていました。

片手にもった文庫本が、

いまにも落ちそうです。











大磯ぶらり散歩③

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       ふつうの家が珈琲屋に






走る人  お寺の塀が一か所切れていて、

そこから墓地に入れます。






 墓地への入り口だと思っていたら、

じつはそれが路地につながっている

のでした。






 墓地を抜けて、ふたたび気持ちのよい

木陰のある路地にはいりますと、

大きな石の門構えの家がありました。








 門の脇に小さい看板が出ていて、

「珈琲庵」と書いてありました。

 ははあ、個人宅でコーヒーの店を

開いたんだな、

と、入ってみることにしました。







 庭を突っ切って母屋の奥へすすみます。

 奥の方に大きなパラソルが見えます。

 テラスだな、と見当をつけてつきあたり

まですすみますと、和風建築の母屋とは

がらりと違ったコテージ風の離れのドアに

到着します。






 ドアをあけて中に入ります。

 壁いっぱいに色々なものが飾ってあり

ました。女性向きの小物とか、洋服の

類が多かったように思います。ブラウスとか

カーディガンとか趣味のよい上品なものが

ありました。







 丸いテーブルがひとつあって、そこで

コーヒーとケーキを注文しました。

本日のケーキはチーズケーキを選びました。







 女主人が,

サイフォンでコーヒーを淹れてくれ、

飲んでみたらその美味しいこと!驚くほどで

した。チーズケーキもなかなかのものでしたよ。






 女主人は大磯生まれの大磯育ちで、

むかしの大磯の話をしていたら、共通の知り

合いがいることがわかって、

話に思わぬ花が咲きました。







 ゆっくりと時間が流れ、

静かな落ち着いた雰囲気のなかで

夏の暑さを忘れることができました。


大磯ぶらり散歩②

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       路地の奥にお寺があった










走る人 大磯の町立図書館の向かい側の路地に

入ります。

 どんどん歩いていくとお寺につきあたりました。







大運寺というお寺です。








大きな運が向いてきた・・・・・

かな?













なんとなく、気分のよくなる

お寺です。

気分はよくなったが、・・・・・・

暑い。







ところで話が前後しますが、

大磯町立図書館はいい図書館です。








とくにニ階は落ち着きます。








ニ階に吉田文庫というコーナーがあって、

吉田茂が寄贈した本がたくさん並んでいます。

面白いです。








吉田茂を憶えている世代はもう

少なくなりましたかね。

ワンマン道路というのがありました。

東京から大磯の屋敷に帰るため

作らせた高速道路です。

そんなわがままな首相が

日本にもいたんですねえ。










馬鹿野郎!と怒鳴って

国会を解散しました。

「バカヤロー解散」と

いわれます。









吉田さんは大磯に住んで、

国よし」のうなぎをこよなく愛し、

「新杵」の菓子をお土産にしたと

伝えられています。








大磯には「井上」という

かまぼこ屋があります。

鎌倉にも同じ名前のかまぼこ屋が

ありますが、まったく別物です。

無論大磯のほうがうまいです。







毎年大みそかが近付くと、かまぼこ

を買いにお客が殺到します。暮に買う

人は夏に予約します。








むかしは予約などする必要は

なかったんですが、

いまでは予約しないと

買えないのです。







だから、井上のかまぼこを暮に買うのは

やめにしました。







どんなにいい店でも、

人がおおぜい、たかってくる

ようになると、

どこかおかしく

なるものです。








大磯ぶらり散歩

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          大磯の路地



走る人 ひさしぶりに大磯を歩くことにしました。






  駅前のエリザベス・サンダース・ホームは

外観は変わりませんが、周りは少しずつ変わって

いるようです。






 エリザベス・サンダース・ホームを見ると

ごく自然に戦後の混乱期を思い出します。






  エリザベス・サンダース・ホームは

澤田美喜さんが建てた孤児のための施設です。

エリザベス・サンダースは寄付した人の者の

名前です。





 澤田美喜さんは、三菱財閥の創始者岩崎弥太郎

の孫娘です。

 すでに財産税の物納でとられていた岩崎家の大磯

別邸を、寄付金を募集して400万円で買い戻して、

孤児のための施設を作ったのです。






 



 敗戦後の日本はどんな状況だったのでしょう。

 アメリカ軍がぞくぞくと入ってきました。進駐軍

(しんちゅうぐん)と呼んでいました。英語ではGI

(ジーアイ)と言いました。


戦争中は、もし戦争に負けたら、日本人の男は

耳を切りとられるとか、鼻を削がれる、女は強姦

されるといううわさが流れていました。





 

  八月十五日に戦争が終るとすぐ、内務省は

通達を各県に出し、占領軍対策として慰安所をつくる

よう指示しました。

 一般子女がアメリカ兵から強姦されるのを防ぐ

ため、急いで、

米兵対象の売春施設を作ろうとしたのです。

それも街頭や新聞広告で一般から募集したのです。







 「日本女性の防波堤たれ!」というスローガンの

もと、一般公募で売春婦を募集したのです。

 しろうとが応募することは期待できません。

いっぽう進駐軍はどんどん入ってきます。一刻の

猶予も許されません。事態は急を要しました。








 そこで活躍したのがヤクザの親分でした。

 ヤクザというと暴力団だと思うでしょうが、

戦前のヤクザはちがいました。博徒といって、

ばくちを専業とする集団で、しろうと衆に一切

めいわくをかけないのを鉄則としていました。

 ですから今の暴力団特別するため、

「正統やくざ」とも言われています。







 正統やくざの親分が政府のえらい人に呼ばれ

慰安所を作るため売春婦を集めてくれと頼まれ

ました。親分たちは、しろうとの女性を守るため

お国のために御奉公するんだと一生懸命に働き

ました。

 そのおかげで「特殊慰安施設協会」RAA(レクリ

エーション&アミューズメント・アソシエーション)

は順調に実現の運びとなりました。

 多くの日本人女性が米兵からの暴行被害から

すくわれたのです。







 当時のやくざの親分の一人は、

「真の侠客道の精神と言うものは、

アメリカでいうならキリストの愛の道、

われわれから言わせれば仏の道、

おのれを空しくして衆のために一身を

捧げる。これが真の侠客道だ」

と語っています。

 今の政治家に聞かせたいくらいです。






 戦後アメリカ兵と日本女性との間に

生まれた子供はおよそ5,000人といわれて

います。GIベビーとも呼ばれました。その子ら

のうち捨てられて孤児となったものが

澤田美喜さんのエリザベス・サンダース・

ホームjに引き取られました。

 中には聖ステパノ学園という小学校もあり、

卒業生は1,400人です。








 大潮の駅前にあるこんもりとした森が

それです。



 







 



  


日本が戦争に敗けた日

ポストたずねて三千里



走る人今日は敗戦記念日です。

  66年前の今日、昭和天皇は詔勅で

国民に告げ、耐えがたいのを耐え、

忍びがたいのを忍んで、敗戦の苦しみを

乗り越えてほしい、また、国民すべてが

こころを一つにして復興に努めてほしい、

と呼びかけました。







 昨日もテレビでドナルド・キーンさんが言って

ましたね。

「厚木から東京へ向かったのですが、田舎を通って

いる間は、家がちらほら見えてたのですが、

東京へ近づくにつれて建物が少なくなって

いきました」と。







 東京の中心部では、焼け野原の中で

頭を垂れ、あるいは、地べたに土下座して

天皇のお言葉を聞いたのでした。








 ドナルド・キーンさんは日本語を勉強していました

から、戦争中は通訳をしていました。捕虜になった

日本兵の尋問にも通訳として立ち会ったそうです。

ドナルド・キーンさんは日本が大好きでしたから

捕虜の日本兵もすっかり安心してキーンさんと

すっかり仲良くなったらしいです。







アメリカは戦争をした相手国の言葉を学び、情報を

とるために日本語の習得に努めました。いっぽう

日本は相手の国の言葉は敵性語と言って学校で

教えるのをやめさせました。






 

 「敵を知り己を知らば百戦危うからず」

といいます。

 英語を教えないで、敵を知ることは不可能

です。おかしいと思いませんか?

馬鹿馬鹿しいかぎりです。






 英語を最初に”敵性語”と呼んだ人はだれなのか

わかりません。

 政府と軍部の戦争指導者たちが、国全体の

方向を決める際、ひとつひとつのポイントとなる

事件がありますが、そのポイントの責任を負う個人を

あとから追跡するのは非常にむつかしいのです。








 英語は禁止となりましたが、ドイツ語は禁止されません

でした。日本はドイツ、イタリアと三国同盟を結んでいたから

です。





 ですからドイツの音楽の演奏は許されていました。

 べートーベンはOKだったのです。

 しかし、当時の警察官はドイツ語と英語の区別が

わかりませんから、高等学校の生徒が町を歩きながら

ドイツ語の歌を歌ったりすると、英語と勘違いして

「ちょっと来い」と

捕まえたりした可能性があります。

 「母べえ」という山田洋次監督の映画にもそんなシーン

がありました。

 じっさいあのころの日本には、今考えると幼稚さ、ばか

ばかしさが、いたるところにありました。 








  本来なら、新聞がそういう政府のばかばかしい方針

をチェックするのが役目なのですが、どの新聞も、チェック

するどころか、国民を戦争へ駆り立てるために

戦意昂揚の記事を、これでもかこれでもかと

書きたてました。うそだと思うなら図書館でむかしの

新聞を見てごらん。

 

 







 各新聞社が、戦時中に大々的に募集した国策標語

というのがあります。

 

 「欲しがりません勝つまでは」

 「ぜいたくは敵だ」

 「足りん足りんは工夫が足りん」


などがその例です。

 






 庶民はこれをすぐパロディー化して、


 「欲しがります勝つまでは」

 「ぜいたくは素敵だ」

 「足りん足りんは夫が足りん」


 と言う具合に笑い飛ばして、口コミで

全国に広まりました。

 大新聞がもっともらしく戦意昂揚のため

庶民をだまそうとしても、庶民の知恵は

抵抗精神を発揮して、みごとなパロディーで

応戦したのです。(静岡県立大学 前坂俊之氏

のブログ『太平洋戦争プロパガンダ傑作集・

戦争国策標語はこれだ』を参照)









 戦争の教訓とは、大きな流れを食い止める

には何が必要かということでした。

 しかし、教訓は生かされているのでしょうか。







 日本は太陽光発電の技術を世界に先駆けて発明し

実用化のトップを走っていました。

 ところが、あるとき、ストップがかかりました。

 太陽光発電は捨てられ、原発が採用されたのです。

 日本に代わってドイツが世界のトップに踊り出ました。

 くやしいことです。日本が発明したのに。

 もったいないことです。





 この背後に大きな政治的な力を感じます。

 大きなお金が動いたことも想像できます。

 政治家も金で動き、学者も金で動き、新聞社も

金で動きます。流れはこうしてつくられるのです。






  あのときとおなじではないですか。

 大きな流れには抵抗することができない。

 戦争の教訓は、生かされなかったと

言わねばなりません。

 








 そして、あの福島原発事故です。

 







 再生可能エネルギーのひとつとして、

太陽光発電がふたたび注目されます。

 しかし、コストがかかるとかなんとか言って

主役は務まらぬと言っている。

 おかしいじゃないですか。


 






 ほんの少し前まで、日本が世界のトップ

だったのですよ。

 政府が太陽光第一、と方針を決めさえすれば、

コストを安くする方策はいくらでもあります。

現に、ドイツはコスト削減に成功しているじゃ

ないですか。

 日本でもドイツと同じやり方で、コストを安くして

普及を促進する法律案を役人がちゃんと用意して

いたのです。日本の官僚は優秀ですからね。

 それをつぶしたのは誰ですか?

 






 原発でもうけた人は、簡単に乗り換えることは

できません。流れに加担した者には、

流れを守っていく義務があります。

死ぬまで原発を守って行かねばならないのです。

新聞やテレビで「原発をなくすわけにはいかぬ」

と論陣を張る人がいたら、その人は、とりあえず

あやしいとうたがってかかる必要があります。






 太陽光発電の芽をつみとったのはだれか?

 きびしく問われなければならないのは

この一点です。



 

 


 

八月十五日の記憶⑩

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       あの日も暑い日だった。



走る人 終戦の直前、中学3年生のうち、満15歳の者は軍隊

の二等兵に編入されました。15歳未満の者も軍隊の指揮

下にはいりました。





 中学2年生と1年生は勤労動員で主として農作業に専念

しました。






 八月十五日は、田んぼの草取り作業を朝からやっていて、

午前中の作業が終わったところで、2年と1年の全員が

農家の庭先に整列させられました。





 粗末な椅子の上に旧型のラジオがのっていました。






 太陽がぎらぎらと照りつけ、みな汗だくになって、

直立不動の姿勢をとっていました。






 玉音放送はガーガーと雑音ばかりで、天皇の

お声がよく聞き取れませんでした。

それでも、「忍びがたきを忍び」というところだけ

は聞こえました。





 暑いのと腹ペコなのとで、ラジオを聞く集中力が

ほとんどなかったようでした。





 「忍びがたきを忍んで戦え」という意味だろうと

その程度に解釈していました。





 放送が終わって解散となり、ぼくたち1年生は

嬉々として昼ごはんが用意されている家の中へ

と走りました。





 昼飯にありつこうとしたその矢先、上級生が

来て「馬鹿者!」とどなりつけました。

上級生は、

「お前たちよく飯が食えるな。日本は戦争に

敗けたんだぞ!」

と叫びました。





 1年生はぼう然として言葉をうしないました。






 そのあとは、どうなったのかよく憶えて

いません。





 気がつくと川のそばをとぼとぼと歩いて

いました。夕日が西に傾いていました。





 「坊や」と声をかけられました。

振り向くと自転車に乗った海軍の制服の人

でした。




 「乗って行け」と言われ、素直にサドルの前に

横ずわりに座りました。





 自転車をゆっくり漕ぎながら、海軍の人は

ぼくに話しかけました。




「坊や、日本はほんとうは敗けていないんだよ」

とその人はきっぱりと言いました。

その口調に悲壮感はなく、

むしろ明るさがありました。





ぼくは昼飯抜きで空腹と疲労とでいまにも

倒れそうなくらいでした。

そこへ明るい声を聞いたので胸がすーっと

軽くなりました。






それだけでぼくは十分でした。





<ほんとは敗けていないんだ>

その言葉を素直に胸におさめました。





 「いいか。忘れるなよ。いつの日かもう一度

戦う。その時はかならず勝つ」






なんだか、胸がすがすがしくなり、西日を

いっぱいに浴びている自分がけなげな存在に

思えました。





 



ぼくの「日本の一番長い日」の想い出です。












 さて、なでしこジャパンがW杯女子サッカーで

優勝したとき、決勝戦の相手はアメリカでしたね。










 石原慎太郎東京都知事は言いました。

「アメリカに勝ったことがぼくは嬉しいんだよ」

かれは終戦のとき、中学1年生でした。

ぼくには、彼の言葉の意味がよくわかります。










 <いつの日かもう一度戦う。そしてきっと勝つ>

という思いを抱いて戦後66年を生きてきた

かつての中学1年生の顔が、石原都知事の顔に

ダブって見えました。