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東京・大手町の将門塚③

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    東京・大手町のビルの谷間の異空間








走る人 京都の新釜座町から将門の首が飛んで

  きたというのがこの場所です。







  将門は朝廷に反逆した悪い人物のよう

  に言われますが、実際は、当時の制度に反抗

  したのであって朝廷に反逆したわけではない

  といわれています。







   そんなことより、関東では将門はたいへん

  人気がありました。







   おそらく当時、地方の役人たちから、いじめ

  ぬかれていた農民たちにとって、

  将門は救世主であり、ヒーローだったのでしょう。

  

   






   関東の人々からは愛されていた将門です

  から、飛んできた首は丁重に塚を建てて

  葬られ、将門の霊を弔う神社も建立されました。






   徳川時代になって、江戸城を増改築する

  ときに、神社だけ移転することになりました。

   それがいまの神田明神です。






   首塚はもとの場所つまりここにとどまりました。

   

   

東京・大手町の将門塚②

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    ビルの谷間に白い土塀と木立がある。









走る人  白壁の塀とこんもりとした木立の空間は

   大手町のビル街には

   似合いません。

   






    まったく異質な空間です。






    ここが大手町一丁目2番地。

    神田明神旧跡です。

東京・大手町の将門塚

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        東京駅前の丸ビル(右)





走る人  というわけで、

   東京駅にやってきました。







   丸の内側に出て、

   丸ビルを横目で見ながら、

   皇居の大手門を目指します。






   大手門を左手に見ながら

   信号を渡って行きますと、

   三井物産のビル前に出ます。






   そこを右へ曲がります。

   三井物産ビルの裏側に

   ちょっとした駐車場のスペースが

   あります。

   その向こうには、

   なにやらお城の土塀のような

   時代がかった白い壁が見えます。

   







思い出京都ぶらり散歩⑦

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         京都の神田明神とは?





走る人  さらに路地を左に曲がります。







   すると左手に赤いのぼり旗が2本

  立っているのが目に入ります。






  

  「神田明神」ののぼり旗と「将門塚保存会」

  の2本です。








   なぜ神田明神がここにあるのか?

   一瞬不思議な感覚におそわれました。







  

   神田明神といえば、東京じゃないの?

   





   


    あ、 そうか。  思い出した。

  


     

     



    平将門は天慶の乱で貞盛、秀郷に討たれた

   あと、その首が京都へ送られ、東の市・都大路で

   獄門(さらし首)にされた、と言われています。

   将門の首は京都に来ていたのです

  

   だとすると・・・・・





  


   平将門の首がさらし首になった場所が、

   ここなのか? まさか?





   





   その まさか、 でした。






   将門の首がさらされた場所に家を建てては

  いけない、祟りがある、との

  言い伝えがむかしからあったそうです。






   のちに空也上人が、さらし首の場所に目印の

  石を埋め、手厚い供養をしたといわれます。






  その石は、以前は祠の壁の下の方に一部露出

  していましたが、今は家の中に移されているそうです。






   天慶三年、将門の首は、さらされた三日目の夜、

  空へ舞い上がり、ふるさとへ向かって飛び去った

  と伝えられています。







   将門の首が着地したのが、東京・大手町一丁目で、

  皇居の真ん前です。カルガモの親子で有名な池の

  近くです。

  今も「将門の首塚」として祀られています。

  神田明神と言うのは将門の体(からだ)の「からだ」

  がなまって「かんだ」になったのだそうです。

   「からだ明神」だったんですね。







   神田明神の神社は、のちに湯島聖堂の北側の

  現在の場所へ移転しましたが、

  「将門の首塚」は、いまもなお、ビルの谷間に

  ひっそりと祀られています。







   新釜座町は、京都でも古い町なのだそうです。
















思い出京都ぶらり散歩⑥

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走る人  ここは、四条通りからの表示に変わり

ました。







 四条通りと新町通りの交差するところを

西へ行って、

南へ下がるというのです。







 地図をみると、

南へ下がる道はひとつしかありません。







 初めての人でも、

まちがいなくこの新釜座町の路地へ

いくことができます。








思い出京都ぶらり散歩⑤

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        角を曲がると新釜座町



走る人  路地のつきあたりを右に曲がると、

右は塀で、

左は連子格子の家が

ずらーっと並んで

いました。







 ここは町名がかわって、新釜座町といい

ます。

思い出京都ぶらり散歩④

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         矢田町の路地をのぞく



走る人  さて、路地に入って行きますと、

いちばん手前に「酒処 菜々」という赤提灯が

見えます。






 夜ならちょっと一杯、というところなんですが。

 「酒処」がいいですね。






 奥の方で路地は右へ曲がっているように

見えます。






 所で前回、京都の街は碁盤の目と申しました。

 京都の子どもは、東西の通りの名前を

唄で覚えているようです。こんな風に。


 「丸竹夷二押御池(まるたけえびすにおしおいけ)

  姉三六角蛸錦(あねさんろっかくたこにしき)

  四綾仏高松万五条(しあやぶったかまつまんごじょう)」



 おもしろいですね。

 北から、丸太町、竹屋町、夷川、二条、押小路、

御池、姉小路、三条、六角、蛸薬師、錦、四条、

綾小路、仏光寺、高辻、松原、万寿寺、五条

の各通りの名前を歌にしたんですね。






 こどもの合唱する声を聞くと、こんな唄を

歌って子ども時代を過ごすことができる京都の

子どもが、つくづく、うらやましく思えます。  

思い出京都ぶらり散歩③

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   横丁への入り口。仁丹の広告が懐かしい











走る人 さて、杉本家の左側に京都らしいせまい横丁

というか、路地がありましたので、

その路地にはいってみようと思いました。








 路地の入口には高いところに、住所表示板が

打ちつけられていました。

 七宝で出来た重厚な表示板です。

 藍色で枠を縁取り、白地に黒の毛筆体で

書かれた住所は、見るからに気持ちがいい。








 「下京区」と右から左に書いてあり、

次は、縦に「綾小路通西洞院東入上ル矢田町」

と書いてあります。







 京都の町は碁盤の目になっていますから、

綾小路という東西の通りに、

西洞院という南北の通りが交わったところを

東へ入った場所が此処で、ここから北へ行くと

矢田町であることがすぐわかります。








 綾小路通西洞院東入ルということは、

 反対側から来れば、

 綾小路通新町西入ルになります。現に、

杉本家の住所は「新町西入ル」です。

どっちに近いかで決まるのでしょう。


 






 たいへん合理的な町名表示だと思い

ます。

 








  ただ、町名表示板の材質が、最近は

安手のプラスティっク製の板に変わり、








字体も安っぽい活字体に変わっている

のが

たいへん残念です。








 京都市も財政難なのでしょうね。

 









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思い出京都ぶらり散歩②

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    市指定文化財の杉本家の説明パネル









走る人  読めますかどうか。

   杉本家は1700年代の半ばに「奈良屋」という

屋号で呉服店を営んでいたそうです。






  しかし、元治の大火で焼けたので,

明治になって建てなおしたのが今の母屋だ

といいます。

元治という年号は,

慶応の前で一年しかありません。

西暦でいうと1864年です。







 だから今眺めているのは明治3年に建てなおした

杉本家です。

 ところが・・・です。








蔵(くら)が三つ、元治の大火で焼けのこったという

のです。

 それが、大蔵、隅蔵、中蔵の三つです。

 

 







 この三つの蔵は明和四年(1767)に建てられたもの

ということになるのです。







 

 いまから二百四十四年前の建築物です。

 やはり文化財に指定されるだけの価値があるという

わけです。



思い出京都ぶらり散歩①

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        綾小路の杉本家の外観





走る人 ”思い出京都散歩”とわざわざ書いたのは、

むかし京都で見たものや、むかし京都で会った

人や、むかし本で読んだ京都の話などを、







 思い出しながら京都の町を散歩したら・・・

という趣向です。

 いたるところに思い出があり、まったく

忘れていたのに突然思い出が噴き出す、

といった効果も期待できます。






 夜の散歩が終わって、朝になりました。

 なるべく人の通らない早い時間帯に、

宿を出ることが肝腎です。









 写真を撮るため、まず杉本家に行きました。

 京都の町家の代表です。

 いま、テレビや雑誌でここの奥さんが京料理を

作ってるのが紹介されて有名になりました。

 が、ぼくが杉本家を見たのはかれこれ30数年

前のことです。








  十五万石の城下町、伊予松山の古書店で

偶然みつけて買い求めた一冊の本。

 杉本秀太郎氏の「洛中生息」を読んで、不思議な

共感をえました。







 それ以来、杉本氏の本を片端から読み、

杉本氏の生家が、京都で屈指の旧家であり、

現存する町家として最古のもの、と知りました。







 そこで京都へ行き、まだ文化財に指定され

ていなかった杉本家を眺めました。

そのとき、

いつか杉本氏に会ってみたいと思いました。








 今は、玄関脇に、ものものしい銅板の説明

書き出ています。

 こういうのって、杉本さんにとっては

恥ずかしいでしょうね。

 自分のうちが文化財に指定されて、

観光客がぞろぞろやってくるのは。







  説明書きになんと書いてあるか。

  説明するのもめんどうですから、写真を

見てみましょう。