ポストたずねて三千里 -35ページ目

この国のかたち

ポストたずねて三千里                             

        ある晴れた日に




走る人 小春日和の一日。

  

  私は電車に乗った。

静かな戦争

ポストたずねて三千里                      

     高層マンション建設現場






走る人  散歩の途中、住宅街で

張り紙を見ました。


14階の高層マンション

建設反対



日照権を奪うな!


などの文字が書かれていました。




 探してみると、それらの張り紙が

してある区画のちょうど東側に、

マンション建設現場がありました。




 どうやら、「反対!」の声は相手に                                    とどいていないようです。

 張り紙だけの静かな戦争です。

 




 反対している人たちは、すべて

このマンションの西側の人で、

日照権に関係ない人たちは、

”われ関せず”なのか、反対の

張り紙には協力していません。

 冷たいもんです。





 どうも日本の反対運動は、

静かな張り紙闘争が多いようです。

 




 昔九州でダム建設のため独り

がんばリ抜いた人がいました。 




下筌ダム(しもうけダム)の建設

のときの室原さんです。

 





 昭和33年のことです。

 九州の大分県と熊本県の県境に

ダムを作ろうと建設省が計画しました。





 熊本県側小国町の室原さんが

「蜂の巣城」と呼ばれる砦を築いた

ので、全国にその名がとどろき、

新聞がまいにち写真入りで報じ

ました。




 12年間戦い続けますが矢尽き刀折れて

室原さんは亡くなります。



 13年目にダムは完成しました。

 ダム湖には「蜂の巣湖」という名前が

つけられました。




 蜂の巣城の戦いに勝るとも劣らない 

のが、

成田空港のときの三里塚闘争でした。





 でも、役所が決めたことをひっくり返す

のはだいたいにおいて難しいものです。




  

 八ッ場(やんば)ダムの場合は、

めずらしく政府が「建設反対」の旗を

ふりかざしたため、あっさり中止と

なりました。




 地元住民は数十年間反対いつづけ、

ついにあきらめてダム賛成側に転向した                              人と、反対しつづける人                             とに分裂した状態です。






 賛成にまわった地元住民は、「いまさら

中止といわれても困る」といい、県知事も

困るといい、東京や千葉など関東各県の

知事らも現地視察して中止反対の大合唱

です。




 新聞テレビは、大合唱の側ばかり                          連日報道しましたが、なぜかダム建設

反対の側の声をlちっとも報道しません。

国土交通大臣はけっして孤立している

わけではないのです。

「よくぞ中止してくれた」と拍手を送って

いる人はたくさんいます。

 




 もともと地元の人々は、すべてダムには

反対でした。先祖代々のお墓はどうするん                            ですか。昔からのお祭りはどうなるんですか。                        ふるさとにはお金に代えようとしても代えられ

ないものがあります。

 早い話がご先祖様の霊は土地についています。

 新しい土地へ移ったとしても、先祖の霊を

移すことはできません。

 




 そういう”こころの問題”を新聞もテレビも

取り上げようとしません。おかしなことです。







 私は八ッ場ダムが中止になったことを

心から喜んでいる一人です。

 地元の川原湯温泉は、私も数十年前

訪れたことがありますが、じつにすばらしい

所です。今頃は紅葉のシーズンで、ことし

はとくに、ニュースのおかげで大勢の客が                           訪れているそうです。嬉しいことです。

まわりには貴重な野仏が多数あります。

 





 野仏を探訪しながら紅葉を鑑賞し、

温泉につかって疲れをいやす。

 川原湯は守られました。ほんとうに

よかった。





 あとは、国土交通大臣がぶれないこと                            を祈るのみです。


上野の森散歩⑤

ポストたずねて三千里                      

      「カレーの市民」の部分







走る人  今日は青空です。そして

 立冬です。

   




   散歩日和です。

   





   さて、どこへ行こうか。






   昨日は急に電話がかかって

  きて人に会うことになり、品川

  まで出て行きました。

   人ごみもいいとこです。

   新型インフルエンザが怖くて

  しっかりマスクしましたが、

  食事とかお茶を飲むとかする

  ときはマスクをはずさなくては

  なりません。

   危ないな。

 




   品川駅構内に「エキュート」と

  いうケーキやパン、レストラン

  などを集めたコーナーがあります。

  エキュートとは「駅」と「キュート

 (かわいい)」を組み合わせ造語だ

  そうで、たしかに駅構内のちょっと

 かわいい空間になっていました。








  2階の和風レストランで親子丼を

 食べた後、1階のTAKAGIでケーキ

 と珈琲をとり、奥のテラス席で

 おしゃべりを楽しみました。


  テラス席というのは完全に屋外で

 塀ごしに品川駅のプラットホームが

 見えるのです。

 その塀の上を、ぴょんぴょん跳ぶ

 モノがいます。しかもなれなれしい。






  なにかと見れば

 スズメでした。






  妙になれなれしい。

  こっちを見ている。

  ヘンなスズメだと、

 思って見ていると、

 ぴょんと隣りのテーブルに

 下りてなにかついばんで

 います。





  さっきまでいたお客が

 残したケーキのくずが

 テーブルの上にわずかばかり

 落ちていたのを

 食べていたんですね。




 そのスズメは普通のスズメに

 くらべるとなにか小鳥という

 より人間の子供のように

 見えてとてもかわいいのです。

 つまりキュート。

 「エキュート」の名の由来は

 伊達ではなかったというお話。 



  

上野の森散歩④

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      「カレーの市民」の部分







走る人 スパイク・リー監督ですから

画面が半端じゃないのはわかって

いましたが、それにしてもこの映画

は残酷なシーンが多すぎて、私は

はっきり言って好きではありません。






 聖アンナが気になったから見に

行っただけです。どうしてアメリカ

映画はこうまで人殺しの場面に

こだわるのでしょうか?世界中で

戦争をしかける必要上、自国または

世界中の人々に人殺しに慣れさせる

ことを至上命題にしているかのよう

です。







 この映画で多少勉強になった点が

あるとすれば、イタリア戦線では、

ドイツ対アメリカの戦争だけではなく

ドイツ軍対パルチザン(イタリア人の

ゲリラ)の戦争が複雑にからんでいた

こと、パルチザンの内部にドイツ軍の

スパイがいて仲間を裏切っていたこと

などを知ったことです。もっとも映画の

中の話ですけど。でもありそうな話です。







 イタリアはムッソリーニがヒットラーと

組んでいましたから、ドイツ軍は簡単に

イタリアへ進駐できたのですが、パルチザン

がムッソリーニ政権を支えるドイツ軍を攻撃し、                          そこへアメリカ軍がシチリアに上陸してドイツ軍                         を追いだす、それを側面からパルチザンが援護                                射撃する、といった複雑な形になっていました。

結局ドイツ軍は負けて、ムッソリーニは

愛人とともに逆さ吊りにされてリンチの

上処刑されました。





 イタリアは、大戦が終わった時は、

連合国側に立っていましたから、戦勝国

になったのです。

 日本とドイツとイタリアは三国同盟を

結んでいました。最初にイタリアが同盟を

ぬけて連合国側に走ったのを、当時の

日本人は「イタリアは連合国側に負けた

からこんどはアメリカ側についてドイツと

戦った。」と思いこんでいました。

 だから、終戦後、ドイツ人に会った日本人

は「今度やる時はイタリア抜きでやろうな」

と言ったのです。そういう笑い話がはやった

時代があったのです。

 ちなみに、イタリアは日本から賠償金を

取りました。同盟国だったのにいつのまにか

敵側につき、賠償金までせしめるとは、

まったくひどいやつだと思いますが、

戦勝国になった以上賠償を要求する権利は

発生するので文句は言えません。ただ、

日本がその立場だったら、そんな真似は

できないだろうと思います。

そのことをイタリア人に話しますと、イタリア人                              は困った顔をして口を濁しました。まともな人                              なら恥ずかしく思うのが当然でしょう。





上野の森散歩③

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     聖トリニタ橋のたもと(北側)








走る人  フィレンツェの聖トリニタ橋

(サンタ・トリニタ)は、2001年に

訪れたので、その橋の北側(右岸)

のたもとに彫像がたっていること

は知っています。






 ただ、そのなかの一つが聖アンナ

であること、戦争中にナチスドイツが

爆破して聖アンナの首が行方不明に

なったことは知りませんでした。







 フィレンツェを訪れたことがある人

は、この聖トリニタ橋の北側に有名な

フェラガモ博物館があることを知って

いるでしょう。しかし、60年前にあった

戦争の傷跡は知る由もありません。

 まして、聖アンナ像の首が飛んだ

ことなど、知っている人はごく少ない

と思います。






 映画「聖アンナの奇跡」は、ニューヨーク

で起こった殺人事件から始まります。

一人のイタリア系アメリカ人が窓口で

黒人係員にピストルで射殺されます。






 逮捕された黒人のアパートの部屋から

古い大理石の彫刻の頭部がみつかります。








 学者はこの発見におどろきます。

 その彫刻の頭部が、60年前に行方

不明になったイタリア・フィレンツェの

聖トリニタ橋の聖アンナの首だとわかった

からです。「時価500万ドル」と学者は

言います。





 「なぜこの男が?」

 ここから画面は1944年のイタリア

戦線でのすさまじい戦闘場面へと

移ります。

 

上野の森散歩②

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     「カレーの市民」の一部分









走る人 大理石の彫刻が一番迫力に

富んでいましたが、とくに、古代

ローマ時代の皇帝や英雄の

彫刻の頭部を見ていますと、

ふと、最近見た映画「聖アンナの

奇跡」を思い出しました。







 第二次世界大戦の末期、

イタリアを占領していたドイツ軍を

シチリアに上陸したアメリカ軍が

次第に追い上げ、フィレンツェに

迫るころ、ドイツ軍はフィレンツェ

市内を流れるアルノ河にかかる橋を

一つだけ残してあと全部を爆破しま

した。






 爆破された聖トリニタ橋の欄干を

飾っていた彫刻の中に聖アンナの

像があり、爆破されたとき聖アンナ

の頭が飛んだのです。

 戦争が終わった後、橋は修復され

ましたが、聖アンナの頭は依然として

行方が知れず長い間謎とされました。






 じつはこの聖アンナの頭は一人の

黒人アメリカ兵が、戦闘のさなかにも

背中に抱え続け、仲間がつぎつぎに

倒れて死んで行くなか、彼だけは

不思議に敵の銃弾にあたることなく

生き続けたのです。彼は聖アンナが

守ってくれたのだと信じていました。





上野の森散歩

  

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      「カレーの市民」の群像






走る人 秋晴れの一日、上野の森を

散策しました。





 国立西洋美術館で、「古代ローマの

遺産」展を見ました。






 会場は大勢の観客でいっぱいで、

中にはイタリア人も何人か見かけ

ました。






 フィレンツェの考古博物館からの

出陳作品が目立ちました。






 やはり大理石の彫刻が魅力に

富み、見る者に圧倒的な迫力で

語りかけてきます。

夕焼け小焼けで

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        夕焼け小焼けで






走る人 {夕焼け小焼けで 日が暮れて

   山のお寺の鐘が鳴る」



  



  ひさしぶりで 夕焼けらしい

 夕焼けを見たような気がします。







  テレビで葛原しげる作詞の童謡を

 たくさん紹介しているのを見て、

 とくに「ぎんぎんぎらぎら夕日が沈む」

 を見て、突然というか当然というか、

 この「夕焼け小焼け」を思い出した

 わけです。







  夕焼けは田舎でも都会でも見る

 ことができますが、どうも都会で

 見る夕焼けには情感が乏しいように

 思います。







  「山のお寺の鐘が鳴る」という詩に

 都会のこどもたちはとまどってしまう

 のではないでしょうか。

  山のお寺は、都会にはありません。







  「夕焼け小焼け」の歌を作った人は

 中村雨紅(なかむら・うこう)という人で

 八王子の出身です。

  八王子といっても、中村雨紅が生まれた

 頃は、まだ南多摩郡恩方村という陣馬高原

 のふもとの小さな山村でした。のちに、

 八王子市に合併したのです。






  ところで、「山のお寺」というのはどこか?

 調べてみると、八王子の中村雨紅の生家                                    

 と目と鼻の所に禅寺がありました。

  興慶寺といいます。

  ちなみに、中村雨紅は神社の神主さんの

 三男でした。

  ふるさとの山の夕焼けを想う時、雨紅の

 目には興慶寺の梵鐘とその鐘を打つ和尚

 さんの黒いシルエットと背景のまっ赤な

 夕焼けが映っていたことでしょう。









  興慶寺には雨紅の歌を刻んだ梵鐘が                             

 あり、また雨紅の「ふるさとと母と」の

 歌碑が建っています。                                    

  「夕焼け小焼け」の歌碑は、生家の                                  

 神社(宮尾神社)の境内に建てられ、 

 同じ八王子の宝生寺と観栖寺にも                               

 建てられています。

  この二つのお寺もまた、雨紅が故郷へ                             

 帰るとき、かならず立ち寄ったという、                            

 ゆかりの深いお寺です。








  雨紅は、長じて東京の青山師範(今の

 東京学芸大学)に進み、卒業後、小学校

 の先生になりました。その学校すなわち

 第二日暮里小学校に、「ゆうやけこやけ」

 の歌碑が建っています。また、そのあとに

 勤めた第三日暮里小学校には「夕焼けの

 塔」が建てられています。







  雨紅はそのご日本大学に学び、神奈川

 県立厚木高等女学校(今の厚木東高校)

 の教諭になります。厚木との深い縁により

 厚木市七沢の玉川館の中に「夕焼け小焼け」

 の碑が建てられています。

  また、この「夕焼け」の作曲をした草川信

 が長野県の出身であることから、長野県内

 にも「夕焼け小焼け」の碑が数多く建てられて

 います。

  東筑摩郡西条駅近くの花顔寺

  善光寺阿弥陀堂境内

  往生寺境内

  別所温泉北向観音堂境内

  

 などが知られています。

  「子供が帰った後からは

   円い大きなお月さま」 

 このような風景は、いまどこで

 見ることができるのでしょうか?

  世界遺産に郷土を登録するため

 莫大なお金をかけて狂奔する前に、

 私たちが考えるべきことは、「夕焼け小焼け」

 の歌に出てくるような、なつかしい日本の                          

 原風景を取り戻すことではないでしょうか。








  「夕焼け小焼け」の歌は、英語、中国語など                            

 六ヶ国語に翻訳され、国際的にも愛唱されて

 います。







西荻窪ぶらり散歩⑤

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       水量少ない善福寺川






走る人 せきね橋の欄干から

善福寺川を眺めます。






善福寺池から流れ出して

1キロと少しでこの橋に

到達します。






善福寺池の周辺は公園に

なっていて、近くには井草八幡宮

や東京女子大があります。







善福寺川はここから杉並区を

南西に成田、大宮、堀之内、

方南とくだって、弥生町6丁目

の営団地下鉄中野坂上駅の

あたりで神田川と合流します。





 思えば、2005年、善福寺川は

大氾濫したことがありました。

 関根橋から東へ丸山橋、真中橋、

城山橋とつづき、南へ蛇行すると、

中田橋、鍛冶橋、さらに東南に蛇行

して神明橋、置田橋と続きます。

このあたり西荻北1丁目のあたりは

川と道路の区別がつかないほど

水没して、歩く人の腰まで水につかる

というありさまでした。







 私は、学制時代を神田川の

そばで過ごしました。

いま眺めている川が、ずっと

川下で神田川になるんだ、

と思うと感慨もまたひとしおでした。




西荻窪ぶらり散歩 ④

ポストたずねて三千里









走る人  どんどん歩いて行くと、

橋にぶつかります。






橋をわたります。                                    






渡りきったところの左側に「せきね橋」

と書かれた白い枠付きの字を発見し

ました。

妙にクリアです。







 もう時間もないし、ここから先は

やめにしょうと思いました。





橋の欄干にもたれて、

ぼんやりと、

川の方をながめました。