ポストたずねて三千里 -34ページ目

東海道線の下をくぐる②

ポストたずねて三千里                          

      地下道を走る来る車







走る人   地下道におりると、

すぐわきを疾走する車が

物凄い轟音をとどろかせ

て目の前をワイプして行きます。





トンネルの中で反響して

ゴーっと轟音をたてるのです。

ここは不思議な空間です。





すぐ背後に青空と町の雑踏が

あり、人々の笑いさざめきが

聞こえるというのに、

この空間は暗い

牢獄の中のようで、                               まわりは分厚いコンクリートの                             壁に

囲まれています。






車が通り過ぎます。

その車はすぐ横に立っている

私に気づきません。

もしこの場所で、                               私がばったり倒れたとしても、                                  誰も気づかないでしょう。






轟音のなかの孤独です。






ここは東海道線の真下。

上を走る東海道線の電車の

中の人びとは、自分の座席の

下に地下道があることを

知りません。むろん

その地下道を、いま、

ひとりの人間が歩いている                                ことも




東海道線の下をくぐる

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       地下道への階段







走る人  平塚駅の北口商店街を

西(大磯方面)へ向かって歩くと

大きな道路にぶつかります。






それを南へ行くと東海道線の

線路にぶつかります。

そこから南口へ通り抜ける                                 地下道があります。





地下道へ行くには階段を

下ります。

その階段を下りきった所から

振り返って見上げると、                                      四角く区切られた青空が

見えました。





その青空がとても貴重な

ものに思えて、これをカメラ

に収めたいと思いました。





人生の階段の登り降り

を繰り返してきた自分を

思います。

振り返れば、遠くに、                         かつての自分が

見えます。                                            おぼろげではありますが。





行く手は暗いものです。

階段を下りるということは、

こんなにも、色々なことを

考えさせられるものなの

でしょうか。



  


がんばれ!商店

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     フルネームはめずらしい






走る人  いまどき珍しいです。

 商店の看板は。




 

 しかもフルネームですよ。






 えらい!






 私は商店が好きです。

 応援します。





 昭和30年代までは、全国的に

○○商店という看板が町に溢れ

ていました。

最近は、お店の名前が、横文字・                            カタカナに変わっているのが                                目立ちます。






 そんな風潮のなかで、

敢然と、商店の看板を

掲げているのはえらい!




 こういうお店はつぶさないよう

みんなで応援しましょう。





 私は、お肉は大久保商店、

乾物は平野商店で買うことに

決めています。

 デパートよりも、正直な

商売をしていますから。添加物

のない、まっとうな品物を売る

のは商店のほうが多い。





 最近はシャッター商店街と

いわれるほど、個人商店は

大規模なショッピング・モール

に押されてつぶれていきます。

この青木守二商店も

シャッターが閉じています。

がんばってくださいよ。 




なつかしの大日如来

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     小屋に入った大日如来







走る人  どうしてもあの大日如来

に会いたくなって、行って

まいりました。






 その日は雲ひとつない青空で

気温も22度とあたたかく、まことに                               気分のいいお天気でした。









 電車に乗って平塚で下り、そこ

から須賀港行きのバスに乗りました。






 札場町にあるお寺の名は長楽寺。

 なつかしい大日如来はそこに

おられます。






 もともとこのお寺を知ったのは、

珍しい庚申塔がある、とモノの本

に書いてあったのを読んだから

です。






 庚申塔を見つけたらその横に

この大日如来が鎮座していたと

いうわけです。

 石の仏さまです。                                  

 こどもがしゃがんで

いるみたいな、かわいい石仏です。

 すっかり気に入って、写真を撮り

アルバムに収めました。





 


 大日如来は金剛界と胎蔵界と

二つあって、この大日様は金剛界

の大日如来です。

 それがわかるのは、両手が作り                           だす形~印~です。左手の人差し指

を右手でにぎっています。

 これを「智拳印(ちけんいん)」                             といいます。金剛界の大日如来は                              智拳印を結んでいるのです。





 ちなみに、胎蔵界の大日如来は

「法界定印(ほっかいじょういん)」

を結んでいます。お釈迦さまと同じ形です。

あぐらの上で右手の上に左手を重ね、

親指と親指を合わせる形。あれです。





 



 なにをかくそう私自身の守り本尊が

大日如来です。

 毎朝、仏壇に手を合わせ、お祈りを

するとき、大日如来の真言を唱えます。

 すると、こころなしか、心が洗われる

ような気がするのです。

 一日を大切に、他人にやさしく、自ら

には過酷に、今日も努めます、と

祈るのです。







 お寺へ行って驚いたのは、大日如来

や庚申塔などがあった一角がきれいに

なくなってさら地になっていたことです。

聞けば、本堂が建つので整理したと

いうのです。では、あの大日様たちは

どこへ行ったのですか?と尋ねると、

こちらです、と案内されたのが写真の

小屋でした。







 なんだか閉じ込められたような格好で

かわいそうな気がしました。

 小屋といっても粗末な作りで、後ろは

ご覧のとおり板の間から向こうが透けて

見えるという掘立小屋です。

 まだ、以前のように露天のほうが

よかったような気もしますが、いちおう

露天から建物の中へ移動したのですから

我慢することにしました。






 帰りは、バスがこないので、あるいて

帰りました。

 明るい太陽の光が満ち満ちて、歩く

のにはちょうどいい感じでした。空気が

澄み切って足取りも軽く駅へ向かって

行きますと、イタリア料理のお店があり

ましたので入ってみました。

 






 がらんとした店内の壁に写真がたくさん

貼ってありました。

 ローマ、ヴェネツィア、フィレンツェと、

おもな都市の風景が並んでいます。

 その風景の中に一人の男が写っています。

 どうやらお店のオーナーシェフらしい。

 古い写真はいずれも色あせて、さびしい

印象になっています。





 オーナーシェフの奥さんでしょうか、

中高年の女性が運んできたパスタは                          いささかオリーブオイルの量が多くて                         トマトソースが脇役になっていました。                       





 まわりにお客がだれもいなくて、                          のんびりした気分です。






 お店を出ると、道路を隔てた                           まん前に、

三嶋神社のこんもりとした森が                                    見えました。

 






廃車の窓②

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   廃車の後部の窓に映る風景







走る人  鏡を見る思いがすると

言いましたが、その廃車の

 




後ろの窓ガラスに映った

風景を撮ってみました。

それは、まさに鏡でした。






 窓ガラスの表面が汚れて

いて、あまりはっきりしませんが、

廃車の窓というものは、

だいたいこんなものです。


廃車の窓①

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      廃車のその後






走る人  以前、綾瀬の畑で見た

廃車がその後どうなったか、

見たいと思って出かけました。






 物好きですね。

 でも、一度カメラに収めた

モノは、もう親せきの人のように

濃いつながりを感じるものです。






 風雪に耐える姿は、我が身を

鏡に映して眺めるような気が

いたします。





 


庭の千草

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        庭の千草も・・・








走る人  庭の千草も

  虫の音も



  アイルランド民謡

  「夏の最後のバラ」

  に里見義が詞をつけて

  「菊」という題名の歌

  として最初は歌われて

  いたのですが、






  のちに、いつのまにか

  歌いだしの「庭の千草」

  が、題名になってしまった

  という来歴があります。






  なつの終りの歌なのに、

  最近は地球温暖化で

  11月の木枯らし吹くころ

  でも、ふさわしいような

  感じがする歌です。






  枯れてさびしく

  なりにけり





  ところで、最後のところの

  歌詞の「ああ あはれあはれ

  ああ 白菊 ひとのみさおも

  かくてこそ」





  という意味を、

  ちゃんと理解できる

  のでしょうか?



この国のかたち②

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           アフロ犬






走る人  こんな犬に出会いました。

     


  

  


故郷の廃家②

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      草ぼうぼうの廃家






走る人  ふたたび訪れた廃屋は

もう草ぼうぼうの状態でした。





 ここに住んでいた人は、どこへ

行ったのでしょう。





 廃屋には人のにおいが染み付いて

います。たしかにこの家で人が暮らし

ていたのです。お父さんとお母さんが

いて、子供がいて、夜には明るい灯が                                 ともり、笑い声が絶えなかったのです。






 今はぼうぼうの草の中で、かすかに

虫の声を聞くのみです。







 滅びゆくものの美しさと悲しさが

廃屋にはあふれています。

故郷の廃家

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住む人も絶えてない廃家の荒廃は・・・












走る人  ヘイス作曲、犬童球渓作詞の

 「故郷の廃家」は、

   

   幾とせふるさと 来てみれば

 

 ではじまり、

   

   荒れたるわが家に 住む人

   絶えてなし

 

 で終わります。


  廃家に私が魅かれるのは、

 老いてゆく我が身と重ねて見る

 からでしょうか。限りなく哀惜の

 思いが湧いてきます。



  <よくはたらいたなあ>と、

 ほめてやりたい、のです。

 働いて働いて、ぼろぼろになって

 最後は見捨てられるのです。




  それは運命であり、

 黙って受け入れねばなりません。




  荒れ果てていく廃家をみれば、

 この世のさだめを感じます。