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西荻窪ぶらり散歩 ③

ポストたずねて三千里                         

         西荻窪の銭湯







走る人 西荻窪にもこのような

本格的なスタイルの銭湯が

あるとは、

正直いっておどろきました。





 千鳥破風の下に唐破風と、

伝統にしたがった銭湯建築の

様式が美しさと風格を見せて

います。





 ところが、よく見るとなにか

張り紙がしてあります。





 近づいて読んでみてアッと

おどろきました。





 「長年のご愛顧ありがとう                                         ございました。○月○日をもちまして・・」




 



 「閉店のお知らせ」だったのです。







東京の銭湯はだんだん少なくなって

行きます。悲しいことです。学生時代、                                  下宿を十二回変えた経験を持つ私は、

銭湯にどれだけお世話になったか、

したがって人一倍銭湯への愛着が強い

のです。






 唐破風(から・はふ=湾曲した屋根の形)

を持つた銭湯は昔はどこにでもありました。

根津の「梅の湯」、千住の「大黒湯」、

神楽坂、目白駅前の協和銀行の裏、                                    深川三好町、谷中「初音湯」、池上

の「池上温泉」などもなつかしい。








 風呂屋のペンキ絵は富士山が定番で、

千住の大黒湯には、ペンキ絵の名人

早川利光氏の描いた見事な富士山が

ありました。






 早川さんの特徴は、手前の海の波が

岩にあたって砕ける水しぶきが力強く

描かれているところにあります。

「波がパッと砕け散る」のは早川さん。

で、富士山の下に小さな広告が横一列

に並んでいましたね。湯につかりながら

この広告板をながめるのがひとつの

楽しみでした。なんとか膏薬とか鍼・灸・

あんまとか近所の商店の広告が多い

のが面白かった。








 真冬の銭湯からの帰り道は、タオルを

ぐるぐる回しながら歩いて帰りました。

いつのまにかタオルが凍って棒のように

固くなっているのが面白かったですね。

そういえば、むかしのほうがずっと冬は

寒かったように思います。








 銭湯にまつわる思い出はすべて

楽しい思いでばかりです。

 まさに「神田川」の時代でした。 


西荻窪ぶらり散歩 ②

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     ニシオギ北口でみたゾウ









走る人西荻窪の北口で見た

エスニック系のゾウというのは

これです。

「ぞうのはな」という名のお店

でした。




 この通りにはイタリアンの店が

一軒ありますが、メニューを見た

限りではパッとしないので、

入るのをやめました。





 さらにどんどんあるいていきますと、

お風呂やさんがありました。

 銭湯です。むかしながらの唐破風

です。

西荻窪ぶらり散歩

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     西荻窪南口中通り商店街








走る人 風邪でブログが書けない日が

このところつづきました。






 どうやら風邪はなおったようですが、

こんどは気力がなくなって。                                        ブログを

書くのがつらくて、                                           ほとほといやになりました。







 こんなブログでも興味をもつひとが

いるらしくて、愛読者になりたいとか。

「ほんとかね」と思うが、悪い気は

しない。そこで、気力を振り絞って

風邪をひくまえに行った西荻窪の

南口中通り商店街について、

ちょっとだけ書きます。








 西荻窪と聞くと、一見おしゃれな街

と思うでしょう(思わない人もいる)が、

中通り商店街は違う。

<象>がいる。

 ゾウ。

 



 上にいるのです。

 見上げることになる。

 





 この商店街のにおい成分のなかには、

かすかに、終戦直後の”闇市”の臭い

がある。”マーケット”とよばれた時代の

あの臭いですな。




 ただし、ほんの微量ですよ。





 じつは、ゾウは北口にも存在する。

 タイだかインドだかのエスニック風

の小物をあつかうお店で、ゾウの

マークがある。

 歩いていると、

 <あ、ゾウだ>

と感じる。南口にも北口にもゾウが

いる。

 これだけで、西荻窪

のイメージが、

かぎりなくゾウに収れんしてくる。

ような気がする。

 





 こんな風に書くと、あるいは、西荻窪に                                住んでおられる方とかから、                                         <不愉快である>                               と、お小言を頂戴することになるやも

しれない。もし、そうであるとしたなら、

つつしんでお詫びする。

ごめんなさい。

 




 じつを申せば拙者は隠れニシオギ

ファンの一人でありまして、

 かつて西荻窪に、

「トロイカ」というすばらしい珈琲店が

あった時代を知っているのです。

東京でもっともすぐれた(?)つまり、

一頭ぬきんでた、しゃれた珈琲店でした。

その「トロイカ」が西荻窪のイメージ

を決定づけた結果、おのずから、

ニシオギ崇拝者が雲のごとく増えた

というわけです。すごいですね。

町のイメージというのは。







 「トロイカ」に匹敵する珈琲店は

いまはありません。東京中にありません。

つまり、なんというのでしょうかね。

こころ・・・というのですかね、

店にこころがありましたね。

一本ビシーッと通っているんですよ。







 新宿には紀伊国屋の入り口横に「丘」、                                大映裏に「ぷろヴぁんす」がありました。

 高円寺に「エトワール」

 日本橋・室町に「つくし」

 神田神保町に「らどりお」「ミロンガ」

 ああなつかしい。 

   

三鷹ぶらり散歩

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    三鷹駅前で見た祭りの太鼓





走る人 もうだいぶ前のことですが、

三鷹に用があって、JRの三鷹駅

に下りたことがあります。





 ちょうど秋祭りの最中だったんですね。

 太鼓台が歩道の上にあがっていて、

準備作業に余念のない男性をふたり

みかけました。





 三鷹の北口は、意外なことに三鷹市

でなくて、ほとんど武蔵野市になるの

ですね。

だとすると、この秋祭りは武蔵野八幡宮

のお祭りということですか。





 三鷹駅におりても武蔵野市のお祭りを

見ることができます。

いっぽう三鷹市のお祭りはどうなるのでしょう。

上連雀の八幡大神社のご祭礼かな?

すぐとなりに太宰治のお墓のある禅林寺が

ありますね。





 

白兎伝説②

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      ぬいぐるみのうさぎ?



走る人 因幡の白うさぎの伝説は、

古事記にのっている話です。

ところが不思議なことに、日本書紀

には載っていません。これは古代史

のおおきな謎のひとつです。






古事記にのっている白兎の話は、

「因幡国風土記」にもまったく同じ

ものが出ています。登場人物も

ドラマの展開も同じところをみると、

この「因幡国風土記」をヒントにして

古事記が書かれたと推理できます。

そうなると、古事記は、風土記よりも

あとに書かれたということになります。






小生が学校で習ったのは、古事記は

元明天皇の勅命を受けて、太安万侶

(おおの・やすまろ)が和銅五年(712)に

編纂した、ということになっています。






しかし、風土記は和銅六年(713)に勅命

が出て、各地方ごとに編纂されたのですが、

ほとんどの国は未提出で、出雲の国だけが

天平五年(733)に提出しました。あと、常陸国

とか播磨、肥前、豊後の各国が風土記を作り

ましたが、部分的に残っているだけで、完本

として残っているのは出雲国風土記だけです。





こうしてみると、因幡国風土記もおそらく出雲国

とおなじ年代に作成されたと推理できますから、

それを参考にして書いた古事記が和銅五年に

編纂されたというのはありえない、ことになります。






また、古事記の白兎伝説に出てくる   おおなむちのみこと(大己貴命と書く)という                 神は、もともと出雲にはなかったといわれます。               出雲でもっとも信仰された神は熊野大神、                        佐太大神、能義大神の三神です。                                    しかし、神話はこの三神をとりあげて

いません。無視しています。                                      出雲を無視しょうとする意図が感じられ                        ます。こういうところが、古代史の謎を解く                                 カギになるわけです。







日本書記が無視した白兎伝説をなぜ古事記が

大々的にとりあげたのか?また、おおなむち

などという神様をねつぞうしてまで出雲の話を

とりあげようとしたのか?





これには、当時の天皇家よりも古い出雲国の

統治者である大国主命の存在を実物以上に

大きな存在に見せる必要があったからです。

その偉大な大国主命をやっつけ、国を譲らせて

建国したんだという”偉大な神話”をつくる

必要があったからなのです。






白兎伝説をふくめて古事記には大国主命に

関係のある伝説が七つ記載されています。

これらは、いずれも古事記にだけ書かれており、

日本書紀には書かれていません。

その七つの説話とはつぎのとおりです。

1.因幡の白ウサギを助ける話

2.石攻めと貝の女神に助けられる話

3.木攻めと大屋毘古神の話

4.すせりひめ(須勢理毘売)に助けられる話

5.すせりひめとの結婚話

6.ぬなかわひめ(沼河比売)の話

7.すくなひこなのみこと(少名毘古那神)との

  国作りの話






 大国主命の話が七つ紹介されている古事記

は謎に満ちた日本の歴史の本です。

 作者の太安万侶は実在の人ですが、古事記が

書かれたことを証明するほかの書物はありません。

古事記の序文に書かれたことを信じるしかないの

です。興味しんしんというわけです。



















白兎伝説

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      公園の池のガマの穂








走る人  公園の中の池のほとりに

ガマの穂をみつけました。





ガマの穂は、いつみても幻想を

誘います。おとぎ話の世界です。





もうン十年前になりますか。

鳥取の白兎海岸をおとずれたのは。

白兎神社を発見し、お参りしました。

「へー白兎の神社があるんだ」と

感心したのをおぼえています。

おとぎ話の世界が、目の前の神社

のせいで、妙にリアルな現実感を

もって立ち現われた感がしました。






大国主命が真水でからだを洗い、

ガマの穂をしいてそこに寝ていると

回復しますよ、と教えてくれました。

ウサギがからだを洗った池は

御身洗池として残っています。






私はこどものころ、なぜガマの穂

なんだろう?と不思議に思いました。

なんとなくふわふわ感があるには

ありますが、ススキの穂でもいいんじゃ

ないのとおもいました。ガマの穂は

最近なかなか見かけませんしね。





大国主命は「おおあなむちの命」と

いう名前で登場します。かれが教える

前に、八十神がウサギにうそを教える

のです。つまり、塩水でからだを洗い、

山の上で干しなさい、と。そこで、

身干山というのが現在残っています。





生皮を剥がれたのに塩水なんか

つけたら、はれ上がります。ひどいこと

をするもんですね。八十神は。

おおあなむちのみことは、この八十神と

お姫様をめぐって対立していたのですね。

ウサギはお礼にお姫様と結婚するのは

おおあなむちだ、と予言するという話に

なっています。






これとほとんど同じ伝説がインドネシアに

あります。そちらではウサギのかわりに

小鹿がでてきます。

ですから、むかしむかしの日本には

南方から来た人が住みついていたことが

わかります。南の国のカヌーが日本列島の

南岸でいくつか発掘されていることからも

日本人の遠い祖先に南方系が入っている                              ことを想像させます。






島崎藤村は友人の民族学者柳田国男から

愛知県の伊良湖岬に流れ着いた一個の

ヤシの実の話を聞いて「ヤシの実」の詩を

書きました。「名も知らぬ遠き島より流れ寄る

ヤシの実ひとつ」という歌です。






ガマの穂にまつわる白兎伝説からヤシの実

まで話が発展してしまいましたね。













丹沢遭難

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      名も知らぬ秋の花







走る人  森林公園の中に池があって、その一角

に小学校の学童たちがイネを植えた田んぼ

がありました。ほんのわずかですが、豊かに

実った稲穂をみることができます。





その横に荒れ地があって、名も知れぬ黄色い

花が咲いていました。

二宮の吾妻山公園でもこの黄色い花の群落

を見たことがあります。

そのとき図鑑で名前を知ったのですが、すぐ

忘れてしまいました。





今朝の新聞に、丹沢での遭難事故の記事

が出ていました。女郎小屋沢を登る途中で                                 転落し、右足を折って動けなくなった40代の                            サラリーマンが10日間水だけでがんばり、

救助されたといいます。

丹沢は、むかしから「丹沢遭難」ということば

があるくらい、谷川岳と並ぶ遭難事故の多い

山で有名です。





この10日間には雨の日もあったはず。よく

寒さに耐えましたね。普通、人間は水だけで

1週間は生きていられるといいますが、

この人は10日間雨水と泥水で飢えを

しのぎました。





私も若いころ、丹沢へよく行きました。この

女郎小屋沢は丹沢湖の玄倉の分岐から、小菅沢

沿いに塔の平、山神峠をへて女郎沢小屋沢                             出会いに出て、そこからはいります。





丹沢は沢登りのメッカで、滝を直接登る醍醐味

があります。滝の水を全身に浴びながら、岩の

わずかな突起やくぼみに手の指をかけて登って

いきます。滝のなかは意外にすべらないものです。

しかし、私も経験しましたが、どうしても進退きわ

まることがあるのです。とっさの判断が生死を

分けることになります。今回の場合は、足をかけ                           た岩がくずれたのか、不注意からすべったのか、                            いずれかでしょうが、落ちたところが深い滝壺なら                        まだしも、岩の上ならうまくいって骨折、わるくすれ                          ば死につながります。この人は運がよかったといえ

ます。






私の場合は、右足骨折だけですみました。

だれも助けにこないと判断して、寝場所をつくる

ためナイフで周囲の木の枝を切って敷きました。

また、折れた足を補強するため木の枝を切り、

三角布で足をきつくしばりました。そこへ思いが

けなく二人連れが通りかかり、事情を話し、通報

を依頼することができました。救助隊に背負われて

急な崖を下るのはなみたいていのことではあり

ません。今回も1キロくらいの行程を12時間かけて

下りたと報じられています。







中高年の登山ブームだそうです。くれぐれも

事故のないように気をつけてもらいたいもの

ですが、事故がおこったときどうするか、という

基本知識もだいじです。当然のことですが、

防寒具、テント、食糧を十分用意することです。








秋もしだいに深まってきますと、                                  山が呼んでいるような気がします。                                        でも、

ふたたび沢を登ることは                                       もうないでしょう。






風の伯爵夫人

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    ある晴れた日に(公園で)








走る人  公園で、ベンチにすわって

ぼやーっと空を眺めていますと、

白い雲がひとつゆっくりと

流れていくのが見えました。





 とくに変わった形の雲では

なかったのですが、ふと

若いころ読んだ串田孫一の本

のなかに、「風の伯爵夫人」と

呼ばれる雲の話があったことを

思い出しました。





「風の伯爵夫人」という名前が

なんとなく私の記憶にひっかかって

いた理由は、これがイタリアで

そう呼ばれている、と書いてあった

からです。





その雲はレンズをいくつか重ねた

ような形の雲だというのです。

なぜレンズが重なると伯爵夫人

になるのか、さっぱりわかりません。






レンズを重ねた形がふんわりと

ふくらんだスカートのようだから

なのか、優雅なドレスを装った

姿に見立てたのか、おそらく

そんなところだろうと推理します。





しかし、実際の形がどうであれ、

構いません。「風の伯爵夫人」と

いうことばが好きなのです。





公園のベンチで眺めた雲は、

「風のコッペパン」か「風の

クジラ」と言った方があたって

いるような、しがない雲でした。





それでも私はその雲をながめながら

若き日に読んだ本のことや、

若き日に登った山のことを、

つぎつぎに思い出していました。




たけしの番組

ポストたずねて三千里







走る人  たけしの番組について、

ひとつ、つけくわえておきたいことは、

日本には世界中の人々が、留学生、

商社マン、教師、外交官、ジャーナリスト

研修生、サラリーマンなどのかたちで                               住んでいることがわかりました。





おどろくべきことは、その外国人たちが

じつに流暢に日本語をしゃべっている

ことです。日本を批判するひとも、

日本を持ち上げるひとも、どっちも

日本語で口角泡を飛ばして激論を

たたかわせているのです。






これは、わたしにとって、感動的な

シーンでした。ここまで日本語を

駆使する外国人が増えたのか、と。






終戦直後、アメリカ軍のジープが

町をわがもの顔に走りまわり、

チョコレートやチューインガムを

ばらまくと、子どもたちが我先に

それを拾って、

「ギブミー・チョコレート!」

「ギブミー・チューインガム!」

と叫んでいた時代が夢のようです。                              







あれから60年がたちました。

原爆で焼け野原になった日本は

奇跡的な復興を遂げました。

食べるものが何もない昭和20年代の

東京では、弁当箱の中身が

細いキュウリ1本という現実が

ありました。







それでもあればよいほうで、

弁当をもっていけない子どもは

ザラでした。みんなお昼をがまん

したのです。

そんな日本人たちは、こころの底で

「今に見ていろ、かならず日本を

建て直してみせるぞ」と思って

いたのです。






日本は奇跡的に復興を遂げました。

むろん、朝鮮戦争特需など周囲の

客観情勢も有利に働いたことは事実

です。しかし、なんといっても、日本人

じたいの「やってやろう」という気概が

原動力にならなければ、いくら周囲の

環境が有利にはたらこうと復興できる

わけがありません。原爆の跡地には

200年間は草も生えないといわれて

いたのですよ。






その日本に世界中から外国人が

やってきている現実を見ると、

深い感慨に打たれます。

しかも、その半数が、日本をアジアの

リーダーだと言ってくれるのです。

テレビ番組ですから、「やらせ」という

演出がないとは言い切れません。

おそらく外国人の一部分に「仕込み」

があったろうと推察しますが、それでも

日本語のうまさだけはまぎれもない事実

です。ある外国人(フランスだったか?)

は「日本のマンガは世界を制覇している」

という意味のことを言っていました。

かれらもみな日本のマンガで育った世代

かも知れませんね。







戦後60年、日本はここまで成長しました。

しかし、終戦直後のあの混乱期、あの

食糧のない、飢えと寒さにふるえていた

時代を覚えている人はどんどん死に絶えて、

豊かな時代しか知らない世代と交代しつつ

あります。日本はどこへいくのでしょう?






けさの新聞をみると、日本を尊敬する国

パラオ共和国の話が出ていました。日本

政策研究センターの岡田幹彦さんが書いて

いる歴史人物講座というコラムです。

 パラオのペリリュー島での日米の戦いで、

中川州男大佐が率いる日本軍1万は、

米軍4万8千と70余日戦って全滅したと

いいます。

 戦力が劣っていても、最後まで死力を

つくして戦うのが日本の軍隊だということ

をアメリカ軍に刻みつけたのです。

 




アメリカの司令官二ミッツは日本軍の玉砕を

称える詩を作ったのだそうです。



 この島を訪れるもろもろの国の旅人たちよ

 故郷に帰ったら伝えてくれよ

 日本軍人は全員玉砕して果てた

 この壮絶きわまる勇気と

 祖国を想う心根を



ペリリュー島の玉砕のあと、

硫黄島でも圧倒的な戦力の米軍を

苦しめ、戦死者の数では日本軍を

上回るほどの打撃を米軍にあたえながら

36日間にわたる抵抗をつづけました。




6年前、硫黄島で日米合同慰霊祭が

行われました。そのとき、白髪の

老人になった日米の元兵士たちが

涙を流して抱き合ったのです。







私たちの祖父、父親、兄たちの死が、

あったから、いまの日本の繁栄があり、                               私たちの今日があるのだと思います。




たけしの番組を見て、そんなことを

しみじみ考えさせられました。



 










日本と中国

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  ちょっとピンボケのキシタアゲハ








走る人    たけしが司会する番組を見ていたら

世界各国の人に「日本と中国と、どちらが                             アジアのリーダーと思うか?」と質問する

場面がありました。





ほぼ半々でした。

アフリカの人が「南アフリカが独立する前、

日本人は名誉白人として黒人差別する

白人側に立っていた。」と言ったのには

まいりました。アフリカ人はほとんどアジア

のリーダーは中国だと言ってました。





また別の人が、経済力、軍事力もリーダー

として必要だと言いました。なるほどね。

日本はその両方とも中国に抜かれています

ものね。






それでも半分くらいの人が「日本がアジア

のリーダー」と言いました。そのなかで、

「リーダーとして尊敬されるには、国の品格

が必要だ。日本にはそれがあるが中国には

ない」と言いました。中国のニセモノ作りのこと

を言外に含めていました。

「日本は世界のルールに従っているが、中国

は自分のルールだけだ。」という人もいました。

中国人代表の5人の中の2人は大学教授でした

が、知的財産権侵害の現状について、「中国

は前はトヨタのパクリだったが、今はロールス・

ロイスのパクリだ。レベルアップしたのだ」と

言っていました。たぶん笑いをとろうとして

言ったのでしょう。






この番組は、オーストラリアの国営放送が

日本大使に「日本人を研究している。研究の                            ため日本人を2,3人殺したいのですが」と、

マイクをつきつける番組のビデオを紹介

しました。衝撃的でした。調査捕鯨の名目で

クジラを殺している日本を風刺する意図が

ありありと、うかがえます。                                            いかにも国をあげて捕鯨に反対している国                              らしい番組ですが、こういうのは日本の新聞                            やテレビはあまり紹介しません。

そういう意味でたけしの番組はなかなか役に                           たつし、意味があると思いました。







ここで面白かったのは、イギリス人が立って、

「オーストラリア人はカンガルーも牛も殺して                         食っている。よその国の食文化について

えらそうに言う資格はないんだよ!」と言って、

満場の拍手を浴びた場面でした。

クジラはノルウエー、アイスランドが日本と

同じように捕って食べる習慣を持っていますが、

オーストラリアの攻撃は日本へ集中して

います。アイスランドやノルウエーの大使に

同様のインタビューをしたのを聞いたこと

がありません。                                                  これが人種差別ではないかと言われる

理由です。最近のインド人留学生襲撃事件を

見ると、オーストラリアが人種差別を根本的に

拭い去ってはいないことを証明いているように

も見えます。

かつて原住民アボリジニー政策で、大きな誤り

を犯したことを教訓としていないのでしょうか。





たけしの番組は、一見対立をあおるように

みせかけていますが、議論が白熱すると

カランカランと鐘を鳴らして打ち切り、

独特のオチをつけて話題を切り換える

という仕掛けになっています。

外人出演者へも前もって対立場面をつくる

ため協力を依頼するなど演出の工夫を

こらしているのでしょう。






それでもなお、この番組は考えさせる

要素を持っていたと考えます。

それは、「日本の核武装論」がアメリカ

の識者の間で議論されていることを

テーマとして取り上げたからです。

たけしは「結局は外交だな」と、さらに

「核武装を抑止力だと言っても、死を

恐れないやつ、自爆覚悟のやつには

通用しないんだよね。日本だって

特攻をやったんだから」「平和憲法も

けっこういいかも知れないね」と、

うまくまとめて終りました。

下手な報道番組、教養番組より、

数段ましな番組でしたね。