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開戦記念日

ポストたずねて三千里









走る人今日は日本が大東亜戦争に

突入した記念の日です。






 昨夜のNHKの番組で、海軍の

反省会をとりあげていたのを

見ました。





 海軍の反省会というのが大変な

ものでした。なぜ負けたか、

敗戦の真の原因はどこにあったか、

当時の作戦参謀や海軍の中枢に                        いた人たちが記憶を掘り起こし、

真実を語り、それを記録に残そうと

したことに感心しました。

もちろん真実がすべて暴露された

とは言い切れません。しかし、海軍

が自らの恥をさらしてでも後世の

ために記録を残そうとした態度は

りっぱでした。






 「陸海軍があって国家なし」という

言葉は胸に突き刺さりました。

 これはあらゆる日本の会社や役所

など組織に属する人たちの胸を刺す                               言葉です。

 自分が属する部署を守ることが

第一で、結局組織全体のことは、                                       だれも考えていないのです。







戦争中の海軍は、あれほどの秀才を

集めながら、しかも、アメリカと戦争を

すべきでないと主張した米内光政、                          山本五十六、井上成美らがいたにも

かかわらず、その主張はつに実を

むすぶことなく、無謀な戦争に突                          入してしまいました。


                                           





 そして奇妙なことに、だれも戦略

構想を持たず、戦争終結のための

計画すらもたなかったというのです。

日露戦争のときはどこで戦争を

やめるかとの構想をもっていました。

小村寿太郎というアメリカ留学組が

ちゃんと仕事をしました。

 小村寿太郎は、もともと上司を

恐れずずばずばものを言う人でした。

ときには上司を罵倒することさえあった

といいます。それでも大事な時に

小村を使おうという度量が上司の側に

あったのです。

明治時代はそのあたりが全く違います。










 大東亜戦争の時は、アメリカ留学組

は陸軍にも海軍にもいて、開戦に反対

したにもかかわらず、それらの意見は

排除されたというのです。

この排除の論理は、いまでも日本の                          社会を覆っている現実があります。





 組織が一つの流れを持つと全体が

その流れに乗ってしまい、


一人や二人の発言は、たとえそれが                           正しくても排除されてしまいます。









 新聞も戦意昂揚に努め、国民を戦争へ                 駆り立てました。当時の新聞を読んでみて

ください。国民をこれほど間違った方向

にみちびいた新聞は世界に類を見ない                         のではないかと思います。

 新聞が反省会を開いた話は聞いたことが

ありません。

 それどころか、いちばん戦争賛美の旗を                          振った新聞が、いまでは平和、平和と、

まるで戦前戦中から平和の使者だった

かのような顔をしているのが不思議です。



 だまされた国民の方にも問題があります。


 たしかに日本国民は、真珠湾攻撃や

香港、シンガポールの攻略で戦果を

あげるとすぐ、有頂天になって提灯行列

で熱狂しました。この熱狂する性格は

現在でも受け継がれています。

ですから、将来同じ過ちを繰り返す可能性は

大いにあります。






 しかし、マスコミが昔ほど信頼されて

いないのは幸いというか、かえって健全だ                       ともいえます。当時は新聞が戦果を

報道しましたが大ウソばかりでした。              いまなら額面通り受け取る人は少ない

でしょう。






 戦争を計画する海軍の中枢部が

実戦の経験をほとんどもっていなかった

という話も奇怪でした。

 軍令部の参謀たちです。

 戦争を知らない人間が計画立案の

中枢にいて命令を出していたわけです。

 第一線で死んでいった人たちは、こう

いう人たちの命令にだまってしたがって

死んでいったことになります。

 はらわたが煮えくりかえる思いがします。






 会社など、経営中枢にも似たような実態                         があるのではないですか。えてして、経営

の計画部門や人事部門を、現場を知らない                          人間が占めているものです。






 学歴があり優秀と言われる人たちが

えてして、仕事はさっぱりできないという

こともよくあることです。でも、やがて

かれらは経営の中枢に入り、

組織の運命を握ります。現場を知らない                               エリートは組織を破滅に導きます。                       悲劇はあらかじめ用意されていたと

いうべきでしょう。






 


日本の社会組織のゆがんだ構造と、

日本人の熱狂して全体が見えなくなる

性格が、あの戦争で日本を敗戦に

みちびいた真犯人だといえます。









 日本がふたたび過ちを犯さないため

には、ひとつは全体の流れに乗らない

こと。もうひとつは、

マスコミや政府の発表を疑い、

自分の頭で判断すること、                            この2点が重要です。






 しかし、日本人は左右を見て

みんなといっしょでないと不安に

なる民族ですから、他人と違う道を

選ぶのはかなり難しいと思います。

せめて自分自身でものを考え、                             行動するくせだけはつけたいものです。

戦争はつらくてみじめなものです。







 開戦記念日に際し、どうしても                           書いておきたいと考えました。                               





逗子ぶらり散歩③~猿と日蓮~

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    法性寺の山門と大銀杏





走る人 訪れたときはまだ黄葉が

すすんでいないときでした。






 山門の額に、「猿畠山」という

山号が掲げられています。

猿畠山法性寺が正式の名称

です。





 猿は前にも紹介したように、

日蓮上人の鎌倉の松葉ヶ谷                              の草庵が焼き討ちに遭った時、                             どこからともなく現れた白い猿が、                             日蓮上人を山伝いに案内して

法性寺の裏山の洞窟にかくまった

との伝説に登場する猿です。







 法性寺の裏山に奥の院があり

その奥の院の左横に洞窟がいま

でもあります。

 日蓮がかくまわれた洞窟を

眺めると、日蓮さんも大変な目に

遭われたのだなあ、と感慨無量

の思いに打たれます。






 日蓮宗と猿の関係はここから

はじまったのでしょう。

 猿はもちろん山王のお使いです。

 山王信仰と日蓮宗とが密接な

関係を持つようになります。






 庚申塔のなかに、南無妙法蓮華経

の題目を書いた「題目塔」があります。

なかなかお目にかかれない珍しい

庚申塔ですが、葛飾柴又の題経寺

~通称・柴又の帝釈天~

と深くかかわった題目塔が横須賀に

あります。



逗子ぶらり散歩②~亀焼きの海神亀

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     亀焼きの袋のデザイン









走る人  庚申塔の所へ行くまでに

かわったお店がありましたので

忘れないうちに、ここで報告して

おきます。




 


鯛焼き(たいやき)ならだれでも

知っていますが、ここのは亀です。

「亀焼き」というのです。

店の名前が海神亀。






 ひとつ買って食べてみました。






 亀の形をしています。

 なるほど。

 亀の甲羅がちゃんとついて

います。

 この不思議なもちもち感はどう                                  でしょう。






 聞けば、小麦粉にもち米が

混ぜてあるといいます。どうりで。






あんこもちょうどいい感じです。






たいやきより食べ甲斐があります。






あんころ餅を食べた感じです。






 逗子の横町にこんなめずらし

店ができたとは。

場所は珠屋の先を右に入れば

すぐです。珠屋はロールケーキ

の珠屋です。

逗子ぶらり散歩①

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     逗子市久木の路傍の石神







走る人 その日は小春日和。





  逗子駅から歩いて

踏切を渡り、法性寺へ

向かう途中、5体の石神像

に出会いました。






 庚申塔です。

 青面金剛(しょうめんこんごう)

の像が彫られています。






 こわい顔してます。

 が、なれると中々かわいい

顔に見えてくるから不思議。





 手が6本あります。

 いろんなものを持っています。

 かならず、猿が3匹います。





 道端の石塔を見つけたら、

まず、サルがいるかいないか

探してみてください。

 サルがいたら、それは

庚申塔です。こーしんとう。

 





 この庚申塔は安永7年に

建てられたものです。

約230年前です。

長い年月風雨にさらされ、

よく我慢しました。

 





 しかし、5体の中の1体は

表面がすべて消えてしまって

ただでこぼこになっているだけ

です。






 石塔は、いつかはこうなります。

あと何百年先かわかりませんが

いつかかならず風化して石像の

顔は消えていきます。







 そのことがわかっているから

こそ、こうして写真に撮り、記録を

後世に残したいのです。

 









鎌倉のポスト②

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     鎌倉・長勝寺前のポスト








走る人  このポストは以前にも

一度紹介しましたが、

台石が半分地中に埋まって

いるため、高さがふつうの

ものより低いのが特徴です。






ポストの前の広い道は、逗子へ

向かう道路です。

 トンネルがあってそこを抜けると

逗子です。

 トンネルの上には火葬場があり

ます。

 このトンネルは「お化けトンネル」

と呼ばれています。

 むかし、夜、タクシーで逗子へ                           行こうとして、トンネルを通ってくれ                              と言うと、運転手はいやがりました。

拒否する運転手もいました。

お化けがでることを信じていたから                            です。今はどうでしょうか。

鎌倉のポスト①

ポストたずねて三千里                           

   鎌倉市大町・長勝寺前







走る人 鎌倉のポストの中で

もっとも逗子寄りにある

ポストです。






 今日はいい天気なので、

逗子駅から歩いて法性寺

(ほっしょうじ)へ行き、

裏山へ登って、

まんだら堂やぐらから

名越の切通しを通って

鎌倉の大町へ下りました。







 法性寺の裏山は、

猿畠といわれ、日蓮上人が

鎌倉の松葉ヶ谷の草庵を

焼き討ちされたとき、                                どこからともなく現れた白い猿                                 に導かれて、                                          この裏山の                             猿畠の洞窟にかくまわれた

という伝説の場所なのです。 






 いまでもその洞窟は

残っており、今日はその

洞窟の前で、持参の弁当を

食べ、食後のデザートに、                                  逗子の珠屋で買った

ピーチ・ロールを

眼下に広がる逗子の海を

眺めながら、また、                                         それほど寒くない海風に

吹かれながら食べたわけで、

まことに有意義な

一日でありました。





 そのあと、尾根伝いに

まんだら堂やぐらまで歩き

ました。

 まんだら堂やぐらのあたりは

山頂ですが平らな草原になって

いて、周りの景色は紅葉と                              ススキの穂波がひろがる、                                とても気持ちのいいところです。






 ところが・・・、                                             ある人びとにとっては、

この原っぱは、とても気持ちの

悪い場所だといわれています。

なぜか?






 まんだら堂やぐらのあたりは

鎌倉時代の古戦場で、

ものすごい激戦地でしたから、

たくさんの戦死者を出した血生

まぐさい場所なのです。





 いまでも土の中から、

おびただしい人骨が出てくる

ところです。





 当然のことながら、この

場所は、たくさんの迷える霊

が飛び交っているはずです。

 ですから、霊感のするどい

人には、びりびりと伝わってきて

とても気味の悪いところだと

言われています。





 今日はからりと晴れたいい

お天気でしたから、それほど

気味が悪いという感じは

ありませんでした。

 





 名越の切通しを下りて

鎌倉市の大町五丁目の

横須賀線の踏切の手前を

左に行くと、

ポストが立っています。


 


絵の中の家

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      絵に描かれていた家







走る人 鉄砲通りから駅に通じる道へ

入り、一軒の喫茶店をみつけて

急いで入りました。






 なぜ急いで入ったかというと、

トイレを我慢していたからです。





 どこかに入れる店はないかと

必死で探していたところへ、その

喫茶店が目にはいった、という

わけです。





 遅い午後でしたから、客は一人

でした。

 店内はシンと静まりかえって,


 「コーヒー」と注文して、

 「トイレは?」と

店の主人にたずね、

教えられた場所へ直行しました。






 トイレのドアを開けて中へ

入ります。と、そのとき、






 「ヨッ」と、挨拶をされたような

気がしました。

トイレのふたがパッと開いたのです。

つまり、便器のふたが、

私の顔を見るや、「ヨッ」と手を挙げて

あいさつする感じでふたを

上げたのです。







 全自動のトイレでした。

 そんなトイレがあることは知って                                  いましたけれど、

 タイミングというか、その時の

心の状態が、「誰かがあいさつした」                            という受け取り方を

したのですね。






 テーブルにもどってコーヒーを

飲みました。

 落ち着いた気分になり、 

店内を眺めました。

 壁に絵がかかっていました。

 素人のスケッチのようです。

 中に、一軒の家を書いた絵が

ありました。






 よく見ると、それはこの喫茶店の

外景をスケッチしたものでした。

 細かいところまでよく鉛筆で描き                               込まれていて、 

うすく水彩がほどこされていました。

素朴派のようなかわいいタッチです。







 ご主人の話ではこの絵を描いた人は

近所の老人だとのことでした。

 道路を隔てた向こう側から見て、この

絵を描いたのだそうです。

 





 私も店を出て、道路の反対側から

このお店を眺めてみました。

 絵のほうが、はるかにメルヘンチック

だと思いました。                                                  

 でも、それはいったいどうしてなんだろう、                       と考えましたが、

はっきりわからないまま駅に着いて

しまい、それっきりになっています。 

鉄砲通りの兵馬俑②

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     鉄砲通りの兵馬俑







走る人 兵馬俑は死んだ人を埋葬する

とき一緒にお墓に入れる副葬品

です。兵士とか馬をかたどった

やきものです。





 中国でいちばん有名なのは

秦の始皇帝陵の兵馬俑です。

一人の農民が井戸を掘っているとき

偶然見つけたのでした。

40年くらい前の話です。






出てきた兵馬俑は秦の始皇帝

のお墓ですから、今から2200年

前のものです。






兵士とか馬とかが6000体以上

出てきました。今でもまだ発掘

は続いているそうですから数は

もっと増えるでしょう。





その兵士像がいま目の前に

立っています。

なんで?

鉄砲通りに面した場所に

これ見よがしに立っている

のは、ある意味壮観ですが、

ここに立っている理由がよく

わかりません。






もちろん複製品でしょうが、単なる

玄関飾りでしょうか。

パンチの効いた置物です。

鉄砲通りは面白い。



鉄砲通りの兵馬俑

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   個人宅の前に立っているの誰?







走る人 それはある晴れた日の

午後のことでした。

 





 潮風がかすかに吹いてくる

町の”鉄砲通り”という名の

大通りを歩いているとき、





 一軒の家の前に、

ヘンなものが立っている

のに気付きました。






ちかくに寄って見ると、

それは中国の人物像の

ようでした。

兵馬俑の像に似ています。


万葉堂書店

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     平塚駅から見た高麗山







走る人  平塚南口に一軒の古書店が

ある。万葉堂書店という。




この古本屋を訪れるのは何年ぶり

だろうか?




 店内はみごとに清掃がゆきとどき、

すがすがしい空気が流れている。

 店主の心意気が感じられて気持ち

がいい。






 この日、私は2冊の古本を

買い求めた。各上・下巻に分か                           れているので、厳密には4冊

になる。




 古書店を出るときは紙袋の

重さが心地よい。





 平塚駅の構内から、大磯の

高麗山が西の方向に見える。

 午後の陽光がまぶしい。

 高麗山の頂きのカラスザン                              ショウは、もう黄葉しただろうか                                 とふと思った。